2017年01月09日
すずらんです。
今回は母の鬱病と我々の関係について書かせていただきます。
これまでコメントありがとうございました。
まず、きっかけは今からおよそ4年前でした。
一度家族会議があり、そこで母が鬱病で病院にかかっていることを知り、家事は今まで通りできるからということで、またそれ以外にもなるべく迷惑をかけないようにするというようなことを言われ、そこで話は終わりました。
それを知ってから、私は少しでも親孝行をしようと、当時の趣味であった写真撮影のために行きたい場所が言ってねと言い、母をいろいろな場所に連れて行きました。
夕張、三笠、支笏湖、糠平のタウシュベツ橋梁など・・・
また母方の祖父母が惣菜屋をやっていたのですが、それをやめてからは旅行を趣味にしていて、それについて行ったこともありました。
また本来であれば、臨時の北斗星にも乗せて東京へ連れていくつもりでした。
チケットは母に何とかとってもらい、お金は私が出してという形で。
しかし、その前後から母が体調を崩し始めて、遠出ができなくなってしまい、結果北斗星は代理で妹を連れて行きました。
それからもしばらくは近所の百合が原公園などで写真撮影などをしていましたが、次第にそれもしなくなり、それからは家でずっと引きこもりのような生活でした。
その頃から母の性格も変わってしまい、自分の思い通りにいかないとダメなようになってしまい、我々もそれで苛立つようになってしまいました。
しかし、勘違いしないでほしいのですが、それが原因で母に暴力をふるったりということはありません。
行きつけの精神科の処方する薬もだんだん強くなり、我々も病院を変えたら?などということを言ったりもしましたが、それも聞き入れず、今の先生で大丈夫だと言っていました。
それからは一応母の機嫌を損ねないよう気を付けつつ、生活していました。
しかし、私個人のことですが一昨年ころから仕事が忙しくなり、九州へ出張に行ったり、私自身も本来の所属とは関係ないような仕事をしていることなどを愚痴ったりしたりしていました。
また休日も昼食のメニューが同じだという理由で私は昼に外食をするようになり、妹も自分で料理をしてということになりました。
また我々も個人個人いろいろ問題を抱え、またそれで迷惑をかけないように気を付けていたつもりでしたが、結果母をそれに巻き込むような形になり、それで精神がすり減っていったのかなと今では思います。
そしてこの年始、それに耐えられなくなり・・・ということなのかなと思います。
どちらにせよ、母が自殺したという事実を受け止め、今後は自分の力で生きていくしかないと思っています。
皆さんのお悔やみの気持ちは読ませていただきました。ありがとうございました。
今後も皆さんとは変わらずお付き合いさせていただくことにはなると思いますが、よろしくお願いいたします。
Posted at 2017/01/09 09:25:35 | |
トラックバック(0) | 日記