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2009年06月28日 イイね!

【韓国】双竜自動車・平沢工場、労働組合員らと対立していた社員3000人余りが全員撤退

双竜自工場から社員撤退、再び労組の占拠状態に

【平沢28日聯合ニュース】双竜自動車平沢工場敷地内に入りストライキ中の労働組合員らと対立していた社員3000人余りが、27日に全員撤退した。
工場は再び、労組による占拠ストライキ状態に入った。

 双竜自の李裕一(イ・ユイル)、朴永台(パク・ヨンテ)共同法廷管理人は27日夜に緊急記者会見を開き、平沢工場からの撤退決定を発表した。
社員が負傷する危険が高いことを最大の理由に挙げた。
双竜自社員ら職場保護と生産再開に向け26日に平沢工場内に入ったが、労組と激しく対立。
2日間で会社側約60人、労組側約10人が負傷した。

 会見後、工場正門から出た両法廷管理人と社員らは、外で集会を行っていた全国民主労働組合総連盟(民主労総)、家族対策委員会、市民団体関係者らと衝突した。
民主労総側は法廷管理人らに水の入った瓶を投げつけ激しく抗議、社員側もこれに物を投げ返すなどした。
会社側の撤退が完了すると、民主労総と労組組合員の家族らは「整理解雇粉砕」を叫びながら工場内に入り、占拠を続ける労組と合流した。

工場を撤退する会社側が雇用した警備業者=27日、平沢(聯合ニュース)

http://img.yonhapnews.co.kr/Basic/Article/JP/20090628/20090628122548_bodyfile.bmp

 労組は「会社側は使えるだけのあらゆるカードを使った。われわれは誇らしい勝利を収めたが、今後も最後まで闘争しなければならない」と強調した。
一方、会社側は、今後は工場内に入る考えがないことを明らかにするとともに、26日に提示した最終案は依然有効だとしながら「会社が破産するかどうかは労組の決定にかかっている」と述べた。

聯合ニュース 2009/06/28 12:23 KST
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2009/06/28/0200000000AJP20090628000700882.HTML




後の韓国版ウトロ問題であった。
Posted at 2009/06/28 17:20:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | News特亜 | ニュース
2009年06月28日 イイね!

【中国】「北京谷歌(グーグル)」は社名の盗用、北京市の裁判所が故意の犯行と認定

「北京グーグル」は社名の盗用=裁判所が故意の犯行と認定―北京市

2009年6月26日、北京市第一中級法院でグーグルの社名盗用問題に関する裁判が結審した。
裁判所は中国企業「北京谷歌」(谷歌はグーグルの中国名)が悪意のある登録であると認定、名称の変更と罰金10万元(約139万円)の支払いを命じた。
27日、北京日報が伝えた。

2006年、グーグルは中国名「谷歌」を決定、中国の子会社として谷歌情報技術(中国)有限公司を設立、同時に工商部に登録した。
2007年11 月、グーグルは「北京谷歌」を訴え、賠償金10万元の支払いを求めた。
「北京谷歌」は名称ばかりか、その運営するショッピングサイトはデザインや色、フォントまでグーグルに酷似していた。
また「google」という英語名がポップアップする仕掛けも組み込まれていたという。

グーグルが中国名を発表した直後に「北京谷歌」は社名を工商部に登録している。
訴訟を受け、「谷歌」がグーグルの中国名であることを知らなかったと主張したが、裁判所は悪意のある登録であり、また消費者の誤解を招く商業モラルにもとる行為と認定した。
(翻訳・編集/KT)

レコードチャイナ 2009-06-28 14:05:20 配信
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=32869




どうした中国?
らしくないぞ
Posted at 2009/06/28 17:13:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | News特亜 | ニュース
2009年06月28日 イイね!

【韓国】 朝鮮戦争に大規模参戦した旧日本軍~日本の参戦はどのように決定されたか


http://www.jpnews.kr/imgdata/jpnews_co_kr/200906/2009062541315223.jpg
▲当時拉致同然に連れて行かれ戦争に参戦、亡くなった日本人(遺族から受けた写真)(c)JPNews

1950年6月25日、北朝鮮の南への侵略で戦争が起きて59年目。
血を分けた兄弟同士が殺し合った民族動乱で、休戦ラインが引かれて今日まで互いに和解をできないまま南北が対立している。

その当時、16ヶ国が参戦し、4ヶ国が非戦闘部隊を派遣した。
だがこのような参戦国と派遣部隊の名簿には日本が抜けている。
これまで私たちが知っているのは6.25民族動乱当時、日本は、南北戦争の悲劇を通じて軍需物資を売り、これを踏み台にして高度経済成長を成し遂げたという事実だけだ。

だがその当時、日本を占領していた米国の圧力を受けて大規模な日本軍が参戦したという事実はそれほどよく知らされなかった。
JPNewsでは10回にかけて、当時日本軍がいつ、どのような形態で、どれだけの規模で6.25戦争に参戦したのかその実状を暴くことにする。

「私たちは他国(6.25戦争)のために命をかけて戦争をする理由がない。新しい憲法によれば戦争(太平洋戦争)はすでに廃棄されたが、なぜ再び私たちが戦場に出て行かなければならないのか?また、私たちはもはや軍人ではない。日本の再建のために日本海峡の地雷を除去する市民しかいない。私たちは他国のために再び戦場に出て行くことはできない。」

この言葉は1950年10月初め、日本軍が6.25朝鮮戦争(当時の日本表現)に参戦して、一部日本軍が日本政府と米軍に向かってした話だ。
1950年10月2日、当時日本の初代海上保安庁(1948年発足)長官だった大久保武雄は、米国のアーレイ・A・バーク(Arleigh A. Burke)海軍少将とジョイ・ターナー(Joy Turner)中将に召還された。

ここで日本の長官が駐留軍幹部に召還されたことは、その当時日本がそれしか方法がない境遇に置かれていたためだった。
1945年8月15日、日本は米国との戦争で敗れた後、マッカーサー将軍が率いる連合司令軍(GHQ)により占領された。
言ってみればGHQによる準植民地国になったのだ。
だから日本国民らが「天の神」と持ち上げ、自殺特攻隊も拒まなかったヒロヒト日本国王も、マッカーサー将軍が来いと命令すれば何の抵抗もできないまま訪ねて行かなければならなかった。

戦争世代や戦後世代の中年層の日本人たちはまだこの瞬間を忘れることができない。
日本天皇(日本人たちの表現)の最大の屈辱の瞬間だと考えているのだ。
実際にヒロヒト日本国王がマッカーサーの事務室に訪ねて行って、謁見(?)する姿はその当時、日米国の報道機関のトップニュースを飾り、この写真を見た多くの日本人たちが大声で号泣をしながら敗戦の辛い痛みを再確認したという。

とにかく大久保長官は二人の米軍将校に呼ばれて、青天の霹靂を聞くことになる。
「可能な限りすべての掃海艇を集めて下さい。それで我が米軍と共に朝鮮半島の東海(日本海)沿岸と、西海(ソヘ)の仁川(インチョン)沖合い進入路、そして港にある水雷を除去して下さい。これは絶対に秘密にしなければならない極秘事項です。」その場で大久保長官は即答できなかった。
言い換えればそれは6.25朝鮮戦争に参戦しろという言葉に違わなかった。
したがって絶対に一人で決めることはできない途方もない国事であった。

しかも日本は米国との戦争に敗戦するやいなやGHQによって、財閥解体はもちろん日本軍も強制的に解体された。
もちろん警察予備隊があったがそれはあくまでも国内治安のために作った組織だった。
それなのに朝鮮戦争に参戦とは。

(中略=吉田首相に相談。この事実を吉田首相は認めず、日本政府も否定した)
だが日本はその当時、大規模な日本軍を韓半島に派遣、死亡者まで発生するなど、実質的に6.25戦争に参戦した。

それではその参戦規模はいったいどれくらいなのだろうか?旧日本軍1,200人掃海部隊、従軍看護婦63人、占領軍労動者兵員、物資運送3、936人、在日韓国人(在日同胞)志願兵725人。
これは決して少なくない規模だ。
その上442人の日本軍死者も発生した。
それだけでなく、その当時、北朝鮮軍による日本人捕虜も結構いたことが分かった。

それにもかかわらず、日本政府は日本国民が知る権利を要求して真相を明らかにすることを何度も要求したが、その度に「記憶にない」「そのような文書資料がない」という言葉で回避してきた。
特に従軍看護婦の被害状況は、正確に何人が派遣され、またその中で何人が死亡したのか日本政府は今でも具体的な事実を明らかにしないでいる。

深刻なのは多くの旧日本軍、あるいは看護婦らがほとんど半強制的に拉致されるようにして、6.25戦争に参戦したという事実だ。

以上。

ユ・ジェスン記者

ソース:(韓国語) 旧日本軍、6.25韓国動乱に大規模参戦した(1)日本参戦、どのように決定されたか
http://www.jpnews.kr/sub_read.html?uid=712§ion=sc1§ion2=역사
Posted at 2009/06/28 16:38:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | News特亜 | ニュース
2009年06月28日 イイね!

【日中】沖ノ鳥島の大陸棚に異論=中国が問題視、議題化要求-国連会合[06/28]

沖ノ鳥島の大陸棚に異論=中国が問題視、議題化要求-国連会合

 【ニューヨーク27日時事】国連本部で22~26日に開かれていた国連海洋法条約の締約国会合で、中国が海洋上の「岩」について大陸棚を申請する動きがあると批判し、議題として取り上げるよう要求したことが27日、分かった。
名指しはしなかったものの、日本による沖ノ鳥島の大陸棚の拡張申請に異議を唱えた形だ。

 ただ、日本を含む参加各国は、会合は予算などを討議する目的で開かれており、全締約国の合意がないのに個別問題を議論するのは適切ではないとの判断でおおむね一致。
議題とするかどうかの判断を今後の課題として先送りした。

 中国は国連に提出した口上書で、日本や沖ノ鳥島への言及を避けつつ、「海洋上の孤立した岩を基点とした」大陸棚の要求は海洋法条約に従ったものではないと非難。
「国際社会は深刻な懸念を表明すべきだ」と強調し、この問題に対処する「何らかの適切な指針」が必要だと指摘した。
会合でも別の議題中で同様の主張を繰り返した。

 日本政府は昨年11月、沖ノ鳥島などの海域に広がる大陸棚について、新たに日本の主権的権利の及ぶ範囲として認めるよう国連に申請。
中国の口上書は、これに対する同国政府の公的な立場を示したものと言える。

時事通信 (2009/06/28-02:34)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009062700195




中国、必死だなw
Posted at 2009/06/28 16:22:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | News特亜 | ニュース
2009年06月28日 イイね!

【日韓】特許侵害訴訟:シマノに勝った韓国ベンチャー 社員8人の自転車変速機開発メーカー

特許侵害訴訟:シマノに勝った韓国ベンチャー
社員8人の自転車変速機開発メーカー「MBI」


http://file.chosunonline.com//article/2009/06/28/123547863619583958.jpg
劉文洙技術顧問(中央)は「会社の柱は研究員」と語り、自分一人で写真を撮ることを強く拒んだ。
劉顧問と息子のユヒョク代表(右端)は、研究員らと共に今年9月から製品を生産し、世界に進出する予定だ。

 忠清北道清州市興徳区に、緑色をした2階建ての仮社屋がある。
社員は8人、このうち5人が研究員というこの会社は、年間売上額が「0」であるのに、16件の特許を持っている。
自転車の変速機を開発している(株)MBIだ。

MBI社は現在、「戦争中」だ。相手は年間当期純利益が5000億ウォン(約380億円)、社員5500人を擁し、自転車部品メーカーとして世界第1位の座にある日本のシマノ。
劉文洙(ユ・ムンス)技術顧問(55)は、「われわれは現在続いている特許戦争で当然、勝利する」と語った。
劉さんは自転車の変速機を開発してから15年になる。
運動器具を納品していた劉さんはある日、自転車で通学する生徒らを見た。
「外れたチェーンをはめ直そうと苦戦していた。どうしたら子どもたちが簡単に自転車に乗れるかと悩んだ末、ペダルを逆に踏んでも前に進む変速機を作ろうと考えた」

 劉さんは1994年、研究員3人と「世界産業」を作った。
4人は毎日徹夜をした。1カ月に400万から500万ウォン(現在のレートで約30万-38万円、以下同)が研究費として費やされた。
劉さんは「当時、(現代自の)ポニー1台の値段が400万ウォン台だった。6カ月間すべてを懸けて研究に没頭した」と語った。
ついに劉さんは、韓国製の鉄で作った正逆駆動変速機の開発に成功し、97年には世界の発明大会に出品した。
逆駆動とは、ペダルを逆方向に踏んでも前に進むという意味だ。
劉さんが開発した変速機は、ドイツや米国で準大賞や金賞を受賞し、技術力を認定された。

 劉さんは「発明大会で可能性を見いだした」と語った。
優れた技術力で新しい変速機を開発すれば世界最高になれる、というわけだ。
劉さんと研究陣は、他社の変速機を大量に購入し、欠点の研究に乗り出した。
「何も怖くなかった。よちよち歩きを始めたばかりの会社が50年、100年続く会社の製品を追い抜こうとしているというのに」

 3年かけて劉さんは、部品を一つの筒に納め、形がすっきりしてチェーンが外れにくい変速機を開発した。
劉さんはこの製品の特許を99年12月に出願し、サンプル2個を持って日本に渡った。
劉さんは「競争相手の日本のメーカーや自転車工場をめぐり、“あなたたちが50年間改められなかった欠点を改善した”と言って回った」と語った。

 劉さんは「競争相手ではあっても、こちらの技術が優れているため、自尊心を捨てて契約を求める企業もあった」と語った。
およそ50年の歴史を誇る業界第4位の自転車部品メーカー、中野鉄工所だ。
劉さんは独占販売権にギャランティーを含め、5000万ドル(約48億円)を手にした。

 ほかのメーカーも劉さんにアプローチしてきた。
劉さんはその企業と合弁することにし、設計図面やサンプルを送った。
数日後、「合弁はできない」という手紙が送られてきた。
劉さんは「ノウハウと技術をすべて教えてやったのに裏切られた。初めからそのつもりでアプローチしてきたその会社を相手に、特許侵害と損害賠償訴訟を準備中」と語った。

 シマノが劉さんの特許出願技術と同じ技術で製品を作り、販売しているという事実も、劉さんを混乱させた。
劉さんは「シマノの変速機をチェックしてみると、わたしたちのものと同じ原理だったためとても驚いた」と語った。
劉さんの不幸はここで終わらなかった。
中野鉄工所に製品を納品するため生産ラインを整える過程で、資金難に直面した。
2004年、劉さんの会社は不渡りを出した。

 しかし劉さんはあきらめなかった。
最後に劉さんは、ドイツのケルン部品ショーに出品することにした。
劉さんは「一度は国際社会に認められた製品なのに、簡単に倒れるわけにはいかない。会社が生き残る最後のチャンスだった」と語った。
幸いにも、ある企業が関心を示してくれた。

 当初5000万ドル投資するとの意向を示していたその企業は、劉さんの会社が不渡りを出したのを知り、2000万ドル(約19億円)まで投資額を削った。
劉さんは株主たちに選択を委ねた。
結局、株主は劉さんともう一度挑戦することにした。
劉さんは05年3月に(株)MBIという会社を作り、昔の中核研究員を再結集させた。
大学で1年学び軍隊生活も終えた息子のユヒョクさん(26)も、父親の仕事を手伝った。
ユヒョクさんは「父親に引き留められたが、会社を助けるため、学業をやめて仕事を始めた」と語った。

 劉さんは新たな技術を開発し、着実に準備を重ね、08年3月にシマノを特許権侵害で訴えた。
劉さんの特許の出願がシマノの特許より84日早いからだ。
劉さんは「日本企業の影響力が小さいドイツで訴訟を進めることにした」と語った。

 シマノから訴訟を起こすという脅迫も受けた。
各自の特許を認めないなら、逆訴訟を起こすというわけだ。
劉さんは「彼らは“自分たちは大企業”だと公然と脅迫した」と語った。
シマノの脅迫は、今年4月にMBIの勝利という形でシマノ側に跳ね返った。

 シマノが逆にMBIを訴えた裁判で、日本の特許庁はMBI側の肩を持った。
劉さんは「シマノから和解提案があったため、思い切って1兆ウォン(約761億円)と書いた。これはシマノが特許技術で稼いだ金額の50%で、決して多い額ではない」と語った。

 劉さんは「今月9日にドイツで、“シマノはMBIの特許権を侵害していない”という仮判決が出たが、これも問題ない」と話す。
「裁判所が文書だけを見て性急に決定を下したようだ。
2審では機械関連の特許専門家が出て審査を行うため、100パーセントの勝算がある」と語った。



清州=キム・ソンミン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2009/06/28 07:41:31
http://www.chosunonline.com/news/20090628000017
http://www.chosunonline.com/news/20090628000018
http://www.chosunonline.com/news/20090628000019




まさに自転車操業
Posted at 2009/06/28 16:11:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | News特亜 | ニュース

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「残暑お見舞い申しageますぅ http://cvw.jp/b/149702/36163100/
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