特許侵害訴訟:シマノに勝った韓国ベンチャー
社員8人の自転車変速機開発メーカー「MBI」
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劉文洙技術顧問(中央)は「会社の柱は研究員」と語り、自分一人で写真を撮ることを強く拒んだ。
劉顧問と息子のユヒョク代表(右端)は、研究員らと共に今年9月から製品を生産し、世界に進出する予定だ。
忠清北道清州市興徳区に、緑色をした2階建ての仮社屋がある。
社員は8人、このうち5人が研究員というこの会社は、年間売上額が「0」であるのに、16件の特許を持っている。
自転車の変速機を開発している(株)MBIだ。
MBI社は現在、「戦争中」だ。相手は年間当期純利益が5000億ウォン(約380億円)、社員5500人を擁し、自転車部品メーカーとして世界第1位の座にある日本のシマノ。
劉文洙(ユ・ムンス)技術顧問(55)は、「われわれは現在続いている特許戦争で当然、勝利する」と語った。
劉さんは自転車の変速機を開発してから15年になる。
運動器具を納品していた劉さんはある日、自転車で通学する生徒らを見た。
「外れたチェーンをはめ直そうと苦戦していた。どうしたら子どもたちが簡単に自転車に乗れるかと悩んだ末、ペダルを逆に踏んでも前に進む変速機を作ろうと考えた」
劉さんは1994年、研究員3人と「世界産業」を作った。
4人は毎日徹夜をした。1カ月に400万から500万ウォン(現在のレートで約30万-38万円、以下同)が研究費として費やされた。
劉さんは「当時、(現代自の)ポニー1台の値段が400万ウォン台だった。6カ月間すべてを懸けて研究に没頭した」と語った。
ついに劉さんは、韓国製の鉄で作った正逆駆動変速機の開発に成功し、97年には世界の発明大会に出品した。
逆駆動とは、ペダルを逆方向に踏んでも前に進むという意味だ。
劉さんが開発した変速機は、ドイツや米国で準大賞や金賞を受賞し、技術力を認定された。
劉さんは「発明大会で可能性を見いだした」と語った。
優れた技術力で新しい変速機を開発すれば世界最高になれる、というわけだ。
劉さんと研究陣は、他社の変速機を大量に購入し、欠点の研究に乗り出した。
「何も怖くなかった。よちよち歩きを始めたばかりの会社が50年、100年続く会社の製品を追い抜こうとしているというのに」
3年かけて劉さんは、部品を一つの筒に納め、形がすっきりしてチェーンが外れにくい変速機を開発した。
劉さんはこの製品の特許を99年12月に出願し、サンプル2個を持って日本に渡った。
劉さんは「競争相手の日本のメーカーや自転車工場をめぐり、“あなたたちが50年間改められなかった欠点を改善した”と言って回った」と語った。
劉さんは「競争相手ではあっても、こちらの技術が優れているため、自尊心を捨てて契約を求める企業もあった」と語った。
およそ50年の歴史を誇る業界第4位の自転車部品メーカー、中野鉄工所だ。
劉さんは独占販売権にギャランティーを含め、5000万ドル(約48億円)を手にした。
ほかのメーカーも劉さんにアプローチしてきた。
劉さんはその企業と合弁することにし、設計図面やサンプルを送った。
数日後、「合弁はできない」という手紙が送られてきた。
劉さんは「ノウハウと技術をすべて教えてやったのに裏切られた。初めからそのつもりでアプローチしてきたその会社を相手に、特許侵害と損害賠償訴訟を準備中」と語った。
シマノが劉さんの特許出願技術と同じ技術で製品を作り、販売しているという事実も、劉さんを混乱させた。
劉さんは「シマノの変速機をチェックしてみると、わたしたちのものと同じ原理だったためとても驚いた」と語った。
劉さんの不幸はここで終わらなかった。
中野鉄工所に製品を納品するため生産ラインを整える過程で、資金難に直面した。
2004年、劉さんの会社は不渡りを出した。
しかし劉さんはあきらめなかった。
最後に劉さんは、ドイツのケルン部品ショーに出品することにした。
劉さんは「一度は国際社会に認められた製品なのに、簡単に倒れるわけにはいかない。会社が生き残る最後のチャンスだった」と語った。
幸いにも、ある企業が関心を示してくれた。
当初5000万ドル投資するとの意向を示していたその企業は、劉さんの会社が不渡りを出したのを知り、2000万ドル(約19億円)まで投資額を削った。
劉さんは株主たちに選択を委ねた。
結局、株主は劉さんともう一度挑戦することにした。
劉さんは05年3月に(株)MBIという会社を作り、昔の中核研究員を再結集させた。
大学で1年学び軍隊生活も終えた息子のユヒョクさん(26)も、父親の仕事を手伝った。
ユヒョクさんは「父親に引き留められたが、会社を助けるため、学業をやめて仕事を始めた」と語った。
劉さんは新たな技術を開発し、着実に準備を重ね、08年3月にシマノを特許権侵害で訴えた。
劉さんの特許の出願がシマノの特許より84日早いからだ。
劉さんは「日本企業の影響力が小さいドイツで訴訟を進めることにした」と語った。
シマノから訴訟を起こすという脅迫も受けた。
各自の特許を認めないなら、逆訴訟を起こすというわけだ。
劉さんは「彼らは“自分たちは大企業”だと公然と脅迫した」と語った。
シマノの脅迫は、今年4月にMBIの勝利という形でシマノ側に跳ね返った。
シマノが逆にMBIを訴えた裁判で、日本の特許庁はMBI側の肩を持った。
劉さんは「シマノから和解提案があったため、思い切って1兆ウォン(約761億円)と書いた。これはシマノが特許技術で稼いだ金額の50%で、決して多い額ではない」と語った。
劉さんは「今月9日にドイツで、“シマノはMBIの特許権を侵害していない”という仮判決が出たが、これも問題ない」と話す。
「裁判所が文書だけを見て性急に決定を下したようだ。
2審では機械関連の特許専門家が出て審査を行うため、100パーセントの勝算がある」と語った。
清州=キム・ソンミン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2009/06/28 07:41:31
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まさに自転車操業