こんにちは~
だいぶ時間が開いてしまいましたが、欧州自動車博物館巡りの旅シリーズを更新したいと思います!
前回は'80年代後半から現在まで続くポルシェロードカーの歴史についてレポートしてきましたが、今回はいよいよ珠玉のレンシュポルト(Rennsport)についてレポートしていきます。
レンシュポルトは、前回訪問時の
ブログでも結構詳しく解説した記憶がありますが、やはり車両入替によって、前回いなかった展示車両もあったりして、何度訪れても飽きることがありません。(今回は待望の“550 Spyder”詳細解説などもあり、やっぱり長編となってしまいました。お時間のある時にどうぞ~m(_ _)m)
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1950年 ポルシェ 356 SL クーペ(Porsche 356 SL Coupe)

ポルシェは初めてのレースのためにストリームライナー形状(流線型)のアルミニウム製ボデーを持った“356 SL(Super Leicht) クーペ”を仕立てました。ポルシェのメカニック達は、このクルマを親しみをもって“Alubuchsle(小さなアルミ缶)”と呼んだそうです。

空力性能の向上を目的に4つの車輪にもカバーが装着されました。また、燃料タンクの給油口は今日の911のレース車両と同様にボンネット中央に移設されています。また、レース中の給油によるピットストップ回数を少なくする目的で、燃料タンク容量も78リッターまで拡大されました。
パワーユニットは1,086cc,46馬力の空冷水平対向4気筒OHVエンジンを搭載して、最高速度160km/hを達成しました。

既に当時、ポルシェの技術的な基本理念である“軽量なシャシ構造と洗練された空力ボデーは、強力なエンジンパワーと同じくらい重要である”という考え方は明確だったようです。
1954年 ポルシェ 550 スパイダー(Porsche 550 Spyder)

1954年、レース専用に特別に開発された最初のポルシェで、アルミニウム製のボデーを纏ったミッドシップエンジンレイアウトのスポーツカーです。

このクルマはとても速く、その速さは同年のカレラ・パナメリカーナ・メヒコ(Carrera Panamericana Mexico)で多くの大排気量車を相手に、総合3位とクラス優勝を成し遂げたことで、更に際立ちました。

このクルマの名声を高めたもう1つのエピソードが、ミッレミリア(Mille Miglia)で起こりました。ハンス・ヘルマン(Hans Hermann)とコ・ドライバーは、偏平な“Spyder”の車体を利用して閉じた踏切のバーの下を、クルマも乗員も無傷のまま潜り抜けて見せたのです。
パワーユニットは1,498cc,110馬力の空冷水平対向4気筒DOHCのフールマンユニットを搭載して、最高速度220km/hを達成しました。

この展示車両は、S/N:550-004で“550 スパイダー”としては4台目の個体のため言わば試作車的な位置づけになり、一般的な“550 spyder(フェーズⅡ)”とは様々なところが異なっています。

まずパッと見で違うのは、直立したヘッドライトでしょう。フェーズⅡのヘッドライトは、356シリーズと同様に傾斜が付けられています。フロントフードの開口ラインも前端まで切れ込んでいて異なります。

また、テールライト形状と高めのテールフィンが設けられている点、リヤカウル全体が開くことなく小振りのエンジンリッドが開く点など、全く別のクルマと言っていいほどの相違点が見られます。

こちらは右サイドに設けられたオイル注入孔ですが、これもフェーズⅡではリヤカウル全体が開くため、内部に隠されています。

そして、よく見るとフェーズⅡにはないドアアウターハンドルが、この“550-004”には設けられています。進化の過程で、どうせオープンなんだから必要なしと判断されたのか(笑)、これも興味深い点ですね。

フロントスクリーン周りは、唯一といっていいほどフェーズⅡとの相違点が少ないところです。
また“550-004”では、このように↓サイドに排熱用のスリットが開けられていますが、フェーズⅡではなくなっています。

これは推測になりますが、最初の“550 スパイダー”つまり“550-01”と“550-02”の2台は、下方排気のフールマンユニットの開発が間に合わずに、前後排気の356用OHVユニットを搭載してデビューしました。
下方排気であれば、エンジンチンの上下で完全に吸気(冷気)と排気(暖気)を分離すること出来ますが、前後排気のOHVユニットではどうしても冷気と暖気が近いために、構造上バルクヘッド付近に熱が蓄積されてしまいます。その対策として空けられた排熱用のスリットの名残だと思われます。
なぜ、そんな細かい考察が出来るかというと、実はそこがフェーズⅡ型のボデーにOHVユニットを搭載する“ベック 550 スパイダー”の弱点だからなんです!爆
こちら↓は貴重な“550-004”のフットボックスの画像ですが、ダッシュボードの一段下の奥まった位置にインナーカウルのような部分があります。

ベックでも、ここに一段棚を設けることで、近代的なナビゲーションシステムやオーディオを設置しやすくなるかもしれませんね。
この個体は結構欧州のイベントなどで走っているのを見かけることが多いですが、もしもの時にために、こんな↓現代的な牽引フックが付いていました!

うちのベックも牽引フックがないので、これなら大きな加工をせずに付けられるような気がします。
1960年 ポルシェ 718 フォルメル 2(Porsche 718 Formel 2)

1960年代、“フォーミュラ”規定にはオープンホイールのレーシングカーであることが求められました。そこでポルシェは、この規定に準じたシングルシーターカーを開発しました。このクルマは、成功を収めていた“718 RSK”を基にして開発されましたが、コクピットを中央に配置したのみでなく、より大きな燃料タンクの搭載やホイールベースを延長するなどの改良も施されたようです。

1960年、“718 フォルメル 2(718/2)”は非公式の世界選手権"Coupe des Constructeurs"でワールドチャンピオンを獲得したほか、1961年にはフォーミュラ1(Formula 1)へも参戦するなど、成功を収めました。

パワーユニットは1,498cc,155馬力の空冷水平対向4気筒DOHCのフールマンユニットを搭載して、最高速度は250km/hを実現していました。
1962年 ポルシェ 804 フォルメル 1(Porsche 804 Formel 1)

1962年7月、ダン・ガーニー(Dan Gurney)は“タイプ 804(Typ 804)”でフランスグランプリに勝利しました。また、シュトゥットガルト近郊のソリチュード(Solitude)で行われたレースでも、もう1台のポルシェを駆るヨアキム・ボニエ(Joakim Bonnier)をくだして優勝しました。

僅か461kgの車重を実現した軽量構造とディスクブレーキ,パラレルリンク式サスペンションを採用したこの8気筒シングルシーター“タイプ 804”は、開発から製造まで完全にポルシェによって進められた唯一のフォーミュラ1レーシングカーになります。
ポルシェは、この“タイプ 804”によってレーシングカー開発に多くの影響を与えました。
パワーユニットは1,494cc,185馬力の空冷水平対向8気筒DOHCエンジンを搭載して、最高速度270km/hに達しました。
356及び空冷VWオーナーにはお馴染みPCD205mmの鉄チンホイール↓ながら、凄いオフセット量ですね♪
前述の“718 フォルメル 2(718/2)”と比較しても、フレームの小径化と立体化(スペースフレーム化)の過程が良くわかりますね。

この時代のレース車両は、ラダーフレーム構造からスペースフレーム構造への進化が顕著に進められて、より軽量なクルマへと仕上がっていきましたが、“後年長く大切に維持していく”という見方でみると、50年代くらいまでの“やや堅牢な”くらいのシャシ構造の方が、息が長いように思えてきます。まぁ、ほぼ作り直してしまうようなレストアを出来る人には、あまり関係のない話かもしれませんが・・・^^;
1962年 ポルシェ 718 W-RS スパイダー(Porsche 718 W-RS Spyder)

“718 W-RS Spyder”は、ポルシェ初の2リッター・8気筒を搭載したクルマで、レース車両としたは例外的に長いモータースポーツヒストリー(1961~1964)のために、ポルシェのメカニックからは親しみを込めて“グロスムッター(Grosmutter:おばあちゃん)”と呼ばれていました。

その輝かしい戦歴は、1962年の“タルガフローリオ(Targa Florio)”と“ニュルブルクリンク(Nurburgring) 1,000km”でのクラス優勝で幕を開けます。

また、“グロスムッター”は1963年と1964年の“ヨーロピアン・ヒルクライム選手権(European Bergmeisterschaft)”も支配し、エドガー・バルト(Edgar Barth)のドライブでチャンピオンシップタイトルを獲得しました。

パワーユニットは1,981cc,210馬力の空冷水平対向8気筒DOHCエンジンを搭載して、最高速度280km/hを実現しました。

こちらは、リヤの足回りですが“550 スパイダー”時代のスイングアクスルとは異なり、ユニバーサルジョイントとコイルオーバーを用いたトレーリングアーム方式に改められています。
1963年 ポルシェ 356 B 2000 GS カレラ GT(Porsche 356 B 2000 GS Carrera GT)

最も重要なカテゴリーである“グランツーリスモ(GT)”のために、“356 カレラ2(356 Carrera 2)”をベースにしたレース仕様車が、1963年に製作されました。

このクルマはポルシェにとって最後のアルミニウム製ボデーを纏ったレンシュポルトで、1962年に造られた“718 GTR”と同じ手法でデザインされ、特徴的なくさび型(ウエッジシェイプ)のフロントノーズと途中で大きく落ち込んだルーフラインを備えています。フロントに2つ空けられた丸い穴には、ホーンもしくは追加ヘッドライトが取り付けられています。

このクルマは、車体のシルエットが氷を削る道具に似ていることから“三角ごて(triangl-scraper)”というニックネームで呼ばれていました。
1963年の“ルマン(Le Mans)”にて、ハインツ・シラー(Heinz Schiller)/ベン・ポン(Ben Pon)組のドライブで参戦したが、エンジントラブルによりリタイアしています。

パワーユニットは1,966cc,155馬力の空冷水平対向4気筒DOHCフールマンユニットを搭載して、最高速度235km/hを実現しました。
このクルマは、前回初めてポルシェミュージアムで実車と対面できて、感慨も一塩だったクルマです。今回は2回目の対面ですが、やはりいつ見てもこの独特のスタイルには見惚れてしまいます。
ここで気が付いたのが、前回訪れた際の車両解説には、このクルマのユニークなシルエットから“dreikant-schaver(トライアングルシェーバー)”や“wedge blade(カミソリの刃)”などの愛称で呼ばれたそうです。という文言が書かれていましたが、今回は上記の通りになっています。
まぁ、あだ名なんて諸説あるでしょうから、気が変わったのかもしれませんが、なんかマズかったんでしょうか・・・髭剃りじゃイメージ悪かったのか(笑)
しかし、この車両以外にも1年の間に結構車両解説が変わっていることに気付かされます。ポルシェミュージアムって、結構マメなのね^^;
1963年 ポルシェ 904 カレラ GTS(Porsche 904 Carrera GTS)

このフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ(Ferdinand Alexander Porsche)によって設計された前面投影面積が僅か1.4㎡しかない“ポルシェ 904(Porsche 904)”は、FRP製ボデー持った最初のポルシェです。

この“904”には、4気筒~8気筒までの異なるエンジンを搭載できたことから、とても用途の広いレンシュポルトでもありました。
1964年、4台の“904”がルマン(Le Mans)のスタートラインに並びました。結果は総合10~12位,クラス優勝を成し遂げました。

また、翌1965年のルマンには6台の“904”が出走して、そのうちの2台がそれぞれクラス優勝をもぎ取ったそうです。
展示車両は“904/8”のため、パワーユニットは1,966cc,240馬力の空冷水平対向8気筒DOHCユニットを搭載して、最高速度263km/hを実現しました。
こうして見ると、1964~1965年のルマンにおいては、2リッターFlat4搭載車はGTクラス、2リッターFlat6及び2リッターFlat8搭載車はPクラスと、エンジンの使い分けでGTクラスにもPクラスにも出場できる使い勝手の良いモデルだったことが判りますね。
1968年 ポルシェ 908 KH(Porsche 908 KH)

1968年、FIAが世界選手権タイトルを争うプロトタイプカーの排気量を3リッター以下(スポーツカーは5リッター以下)に制限すると発表した時、ポルシェは既にこのレギュレーションに対応できるだけの用意がありました。

ツッフェンハウゼン(Zuffenhausen)では、FIAの公式発表の前から新しいレギュレーションの様々な可能性についてデザイン・アイデアを模索していて、ポルシェのエンジニア達は既に1967年7月には新しい3リッター,8気筒エンジンの研究をスタートさせていました。

新しいレギュレーションが施行される3か月前に発表された時に、“タイプ 907(Type 907)”のシャシとボデーをベースにして、新しいレースカー“908 クーペ(908 Coupe)”を製作しました。
“908 クーペ”には、ロングテール仕様(LH:Lang Heck)とショートテール仕様(KH:Kruz Heck)が用意され、コースレイアウトやライバルに合わせて使い分けられました。

※展示車両はショートテール仕様(KH:Kruz Heck)
パワーユニットは2,997cc,350馬力の空冷水平対向8気筒DOHCユニットを搭載して、最高速度320km/hを実現していました。
1968年 ポルシェ 909 ベルクスパイダー(Porsche 909 Bergspyder)

このプロジェクトの使命は、“すべての部品を可能な限り軽量に造り上げること”というとてもシンプルなものでした。

薄肉のプラスチック製ボデーシェルにアルミニウム製フレーム,ベリリウム製ブレーキディスク,球状の燃料タンクなどを駆使して製作された“909”は、ヒルクライムレースのテスト車両として使用されました。
車両重量、僅か384kgしかない“909”はシャシの重量配分も見直され、中央に位置するエンジンとドライバーを従来よりも更に前方へ配置することで、最適化を図りました。

パワーユニットは1,981cc,275馬力の空冷水平対向8気筒DOHCユニットを搭載して、最高速度250km/hに達しました。
チタニウム製球状タンク(Titanium spherical tank)

こちらが、“909”で採用されたチタン製球状タンクです。このタンク自体の重さは660gで、このタンクに高圧力をかけるシステムによって、燃料ポンプを不要にし、1.7kgの軽量化を可能にしたそうです。
まさに、プロジェクト遂行のための執念を感じますね♪
1968年 ポルシェ 908 LH クーペ(Porsche 908 LH Coupe)

“908”のロングテール仕様車は、8気筒エンジンの駆動力を最大限に活用できるように、2つのテールフィンとリヤサスペンションの動きに連動した2つのフラップによって構成される特別なリヤユニットが与えられました。

“908”は1968年4月に行われたルマンのテストデイで発表され、デビュー当初は初期トラブルに見舞われることが多かったものの、その後アルミニウム製スペースフレームの採用を始めとした様々な改良が施された結果、1969年シーズンには信頼性と耐久性を確立して、ルマンでのジャッキー・イクス&ジャッキー・オリバー組のGT40との印象的なデットヒートの末に総合2位に入賞しました。

パワーユニットは2,997cc,350馬力の空冷水平対向8気筒DOHCユニットを搭載して、最高速度320km/hを実現しました。

前述のショートテール仕様の同じリヤセクションと比較すると分り易いですが、ロングテール仕様↑ではリヤオーバーハングに“PORSCHE”ストライプが入ってしまうほど、延長されているのが判ります♪
“Leicht(Lightness)”

こちらはポルシェミュージアムの各所にあるポルシェの信念を展示形式にしたコーナーの1つ。ここは“Leicht”つまり“軽量化”に対するポルシェの信念↓が綴られています。

スポーツカーは速いと思われています。その速さを決定している要因の1つは“パワーウエイトレシオ(power-to-weight ratio)”です。これは、エンジンが加速させなければならない重量を指しています。簡単にいうと、成功への早道は“軽い=速い”ということです。
軽量構造は、運動性能を高める最も効率的な方法です。パワーウエイトレシオが最適化されたクルマは、ハンドリング性能の良いクルマです。そのクルマは加速も速く、制動距離もより短くて済みます。そして、カーブでの応答性能も良く、操作もし易いでしょう。
この“軽量化”は、軽量素材と高機能で革新的な技術を用いることで可能になります。例えば、航空機の構造材として使用されている特殊なプラスチック(GFRP)によって製作された“908”のボデーストラクチャー↓が良い例です。

幾度となく、ポルシェは革新的な重量軽減策を打ち出すことで、アドバンテージを築いてきました。そして、一般道とサーキットその双方で、優位性が証明されました。
当時、最も軽量なスポーツカーであった“356 アメリカロードスター”や当時のレース車両に始まり、そしてより大きなライバルを打ち負かした“タルガフローリオ”のスポーツカー。“軽量構造”は、ポルシェのクルマ造りに対するアプローチの特質になりました。
以上がポルシェの“軽量化”に対する思いのようです。
この信念があるからこそ現在においてまで、ポルシェが造る一番速いクルマは“何もついていなくて軽い”んだなと、妙に納得してしまいますね^^;
今回は、珠玉のレンシュポルトについて振り返ってきた“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 6”ですが、60年代までのポルシェの輝かしいモータースポーツ史をレポートしたところで、一端区切りとしたいと思います。

レンシュポルト,そして久々の更新ということもあり、一大スペクタクルな長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございますm(_ _)m
次回は、いよいよ70年代から始めるレンシュポルト栄光の歴史についてレポートしていきたいと思います♪