こんにちは!
“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”のレポートも、いよいよスタートです。今回の旅も題名通り自動車博物館を中心に巡る旅ですが、昨年ドイツを訪れたのが2日間とちょっと慌ただしかったこともあり、今年は“ドイツをもっと堪能したい!”というメインテーマがありました。
そこで、オーストリア ウィーンからどこかの国を経由しつつドイツ入りし、またウィーンに帰ってくるというルート上で浮かんできたのが、今回の目的地イタリアはモデナです。
実は自分は90年代後半~2000年代中盤にかけて、熱狂的なフェラーリファン(通称ティフォージ)でした。ハンドルネームが、その当時の名残でもありますが(汗)、シューマッハ×フェラーリのF1のみならず、FIA GT選手権ではプロドライブ製の“550マラネロGTS”、そして事実上“エンツォ(Enzo)”のレース仕様車であった“マセラティMC12”の戦う姿を見たい一心で、イモラ(Imola)やオッシャースレーベン(Oschersleben)に出かけるほどの狂い様でした。。爆
(今回は一応“イントロ編”ですが(笑)長編ですので、お時間に余裕のある時にどうぞ^^;)
オーストリア ウィーンを出発したルームスターは、オーストリアのアウトバーンA2号線を南下し、グラーツ(Graz)を通過しました。
この辺りはオーストリア アルプスに近く、途中で除雪車によるスロー走行が続きます。
個人的にサービスエリアの設備クオリティは、イタリアよりドイツ語圏の方が充実している印象が強いので、イタリアに入る前にクラーゲンフルト(Klagenfurt)近郊のティビッチ(Tibitsch)PAでシャワーを借りることにしました。
ティビッチPAのシャワールームは、こんな感じ。
仕切りで区切られたシャワーと洗面台にトイレ(画像には写っていない)。シャワーの上下機構が壊れていましたが、これだけ揃っていれば気分よくリフレッシュして、また長距離ドライブに戻ることができます。個人的に、ヨーロッパのパーキングエリアのシャワー評価としては、5段階評価で星3.5は挙げてもいいでしょう^^;
ところが走り出してしばらくすると、ウォッシャーが出なくなり・・・次のドライランデレック(Dreilanderecke)PAでウォッシャー液を購入。
Eni(旧Agip)製のウォッシャー液でした!
しかし、すっかり雪道で使い果たしたんだと思っていたウォッシャー液は、僅かな補充で満タンになりました。
そこで、気温を確認すると-10.5℃・・・シャワーを借りている間に、ウォッシャー液が凍っただけでした^^;
2014年 12月29日 早朝
イタリアに入り、アウトバーンA2号線はアウトストラーダA23号線に変わり、
ウディネ(Udine)を過ぎて、A23号線からA57号線へ入る頃には、空も明らんできました。
日も昇ってきたので、ヴェネチア(Venezia)近郊のバッゼラ(Bazzera)PAで朝食。
チーズと生ハムが入ったサンド“Tirolese(チロレーゼ)”とカプチーノを頂きました。“チロレーゼ”というネーミングからして、オーストリアとイタリアにまたがるチロル地方に因んだ素材と味付けになっているようです。チーズと生ハムの絶妙な組み合わせが、本当に美味しかったです♪
イタリアのパーキングエリアに来るといつも思うのが、こういった本場の生ハムを豪快に使ったサンドが食べられるのは、ほんとに羨ましいですね!
パトヴァ(Padova)からA13号線を経由して、ボローニャ(Bologna)からイタリアの大動脈にして“アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の高速道路)”の異名を持つA1号線を少し北上すると、そこにモデナ(Modena)があります。
モデナ南(Modena sud)インターでアウトストラーダを降りて、モデナの市街地へ向かいます。
モデナ駅の程近くに、そのミュージアムはあります。
“Museo Enzo Ferrari Modena(ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ)”に到着しました!
フェラーリのミュージアムと言えば、マラネロの“ムゼオ フェラーリ(旧ガレリア フェラーリ)”がありますが、3年前にこちらのモデナにも新しいミュージアムがオープンしました。
こちらはエンツォの生家を改装したミュージアムで、“ムゼオ フェラーリ”が自動車メーカーとしての“フェラーリ(Ferrari)”をテーマにしているのに対して、こちらは創始者エンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)を通して観る“フェラーリ(Ferrari)”の軌跡をテーマにしているようです。
ちょうど訪れた時は、マセラティ100周年記念エキシビジョン開催中だったためか、フランスナンバーの“マセラティ クーペ グランスポルト(Maserati Coupe Gransport)”が停まっていました♪
コート・ダジュールを走ってきたのか、はたまたもっと北から来たのか、結構距離を走ってきたような形跡が見られますね。
ちなみにルームスターは、雪のオーストリアアルプスを抜けてきたせいで、融雪剤のストライプをバッチリ貰いました・・・^^;
気を取り直して、ミュージアムを見ていきましょう!
ミュージアムは大きく分けて2つの建物に分れていますが、今回はイントロ編として、こちら↓エンツォの生家を利用したエリアに展示されている“スクーデリア フェラーリの成り立ち”と、フェラーリのシンボルとしておなじみの“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”にまつわる逸話について紹介します。
では、まずはフェラーリの成り立ちから見ていきましょう。
・スクーデリア フェラーリの設立
1929年、エンツォ・フェラーリはクルマとモーターサイクルのレーサーのために“スクーデリア フェラーリ(Scuderia Ferrari)”を、モデナに設立しました。
これを機に、エンツォは自身でレースに出場することを止め、スクーデリア フェラーリのドライバーに集中するようになりました。レーストラックで勝利を収めることは重要であり、それが可能なマニュファクチュアラー(自動車メーカー)は“アルファロメオ(Alfa Romeo)”以外にありませんでした。
1933年、スクーデリア フェラーリは“シロ・メノッティ通り”から“トレント・トリエステ大通り”に移りました。この場所は、スクーデリア フェラーリがアルファブランドの元に“アルファ ビモトーレ(Alfa Bimotore)”や“アルフェッタ 158(Alfetta 158)”などを生み出した歴史的な場所でもあります。
上はトレント・トリエステ大通り時代の“スクーデリア フェラーリ”を再現したと思われるジオラマです。
1943年、第2次大戦の戦火のなか、フェラーリは1947年に自身の名を冠した最初のクルマを世に送り出すため、自動車メーカーとしての設備を備えた工場を建設するのに相応しい土地を探すと発表しました。
このジオラマ↓は、マラネロに初めて設立された当時の“スクーデリア フェラーリ”を再現したもので、第2次大戦により被害を受けましたが、戦後すぐに再建し、初年度はここで研削機(グラインダー)の製造を行ったそうです。
手前を横切っている道が“アベトーネ通り”で、通りに隣接した黄土色の小屋と2階建ての小屋をくぐるゲートは、今日でもマラネロのフェラーリへの正面玄関↓として使われていますね。
※2011年撮影
・エンブレムの進化
“Ferrari”のロゴが初めてボンネットに与えられたのは、1947年5月11日ピアチェンツァ サーキットでデビューした“フェラーリ 125スポルト(Ferrari 125 Sport)”でした。
このロゴはフェラーリの技術部門でデザインされ、ミラノの“ジェローザ社(Gerosa)”とボローニャの“カスティリオ社(Castiglio)”で生産されました。このデザインは1950年まで変わらず採用されたそうです。
1950年からは、現在でも用いられている全体に対して“跳ね馬”の占める大きさが縮小されたヴァージョンが採用され、このロゴはフィレンツェの“コイナルト社(Coinart)”で生産されました。
この“コイナルト社”は、現在でもフェラーリをはじめ、様々なメーカーのエンブレムを生産している会社のようです。こちら↓コイナルト社の紹介動画。
なんか、典型的なイタリアでみるCM広告って感じですが・・・こういうノリ好きかも^^;
それにしても、戦前から続く“スクーデリア フェラーリ”が主流として脈々とあり、自動車メーカーとしての“Ferrari(フェラーリ)”が支線へ派生しているという見せ方が、意味深で興味深いですね。
・カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)の由来
こちら↓は、フェラーリのアイコン“跳ね馬”の由来となった、第1次大戦のイタリア空軍の英雄フランチェスコ・バラッカ(Francesco Baracca)と彼のシンボルマークであった“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”。
1923年、エンツォがラヴェンナのサヴィオ サーキットで初めて優勝した時に、エンリコ・バラッカ伯爵(国民的英雄であったフランチェスコ・バラッカの父)に会ったことがきっかけとなり、パオリーナ伯爵夫人と会う機会がありました。
ある日、伯爵夫人はエンツォにこう提案しました。「フェラーリ、フランチェスコが付けていた“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”を、あなたのクルマに付けたらどうかしら。きっと、あなたに運をもたらしてくれるわ!」と。
エンツォは、この時“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”のエンブレムと一緒にフランチェスコの両親から託されたフランチェスコ・バラッカの写真を、後生ずっと大切に持っていました。フランチェスコ・バラッカの“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”は常に黒色で描かれていました。エンツォは、背景にモデナ市の色である“カナリアイエロー”の背景を付け加えたものが、スクーデリア フェラーリのシンボルマークとして使われるようになりました。
今回の“Museo Enzo Ferrari Modena intro(ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ イントロ編)”は以上になります。
イントロ編ということで、珠玉のクルマ達は次回以降に登場しますが、“跳ね馬”のエピソードなどティフォージでなくとも興味を惹かれる面白い展示で、自動車史好きには堪らない空間だと思います。次回は、いよいよ展示車両のレポートに入ります!
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