• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

しまえるシューマッハのブログ一覧

2015年02月21日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ イントロ編

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ イントロ編











こんにちは!
“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”のレポートも、いよいよスタートです。今回の旅も題名通り自動車博物館を中心に巡る旅ですが、昨年ドイツを訪れたのが2日間とちょっと慌ただしかったこともあり、今年は“ドイツをもっと堪能したい!”というメインテーマがありました。

そこで、オーストリア ウィーンからどこかの国を経由しつつドイツ入りし、またウィーンに帰ってくるというルート上で浮かんできたのが、今回の目的地イタリアはモデナです。

実は自分は90年代後半~2000年代中盤にかけて、熱狂的なフェラーリファン(通称ティフォージ)でした。ハンドルネームが、その当時の名残でもありますが(汗)、シューマッハ×フェラーリのF1のみならず、FIA GT選手権ではプロドライブ製の“550マラネロGTS”、そして事実上“エンツォ(Enzo)”のレース仕様車であった“マセラティMC12”の戦う姿を見たい一心で、イモラ(Imola)やオッシャースレーベン(Oschersleben)に出かけるほどの狂い様でした。。爆
(今回は一応“イントロ編”ですが(笑)長編ですので、お時間に余裕のある時にどうぞ^^;)


オーストリア ウィーンを出発したルームスターは、オーストリアのアウトバーンA2号線を南下し、グラーツ(Graz)を通過しました。

この辺りはオーストリア アルプスに近く、途中で除雪車によるスロー走行が続きます。


個人的にサービスエリアの設備クオリティは、イタリアよりドイツ語圏の方が充実している印象が強いので、イタリアに入る前にクラーゲンフルト(Klagenfurt)近郊のティビッチ(Tibitsch)PAでシャワーを借りることにしました。


ティビッチPAのシャワールームは、こんな感じ。

仕切りで区切られたシャワーと洗面台にトイレ(画像には写っていない)。シャワーの上下機構が壊れていましたが、これだけ揃っていれば気分よくリフレッシュして、また長距離ドライブに戻ることができます。個人的に、ヨーロッパのパーキングエリアのシャワー評価としては、5段階評価で星3.5は挙げてもいいでしょう^^;


ところが走り出してしばらくすると、ウォッシャーが出なくなり・・・次のドライランデレック(Dreilanderecke)PAでウォッシャー液を購入。

Eni(旧Agip)製のウォッシャー液でした!


しかし、すっかり雪道で使い果たしたんだと思っていたウォッシャー液は、僅かな補充で満タンになりました。

そこで、気温を確認すると-10.5℃・・・シャワーを借りている間に、ウォッシャー液が凍っただけでした^^;


2014年 12月29日 早朝

イタリアに入り、アウトバーンA2号線はアウトストラーダA23号線に変わり、

ウディネ(Udine)を過ぎて、A23号線からA57号線へ入る頃には、空も明らんできました。


日も昇ってきたので、ヴェネチア(Venezia)近郊のバッゼラ(Bazzera)PAで朝食。

チーズと生ハムが入ったサンド“Tirolese(チロレーゼ)”とカプチーノを頂きました。“チロレーゼ”というネーミングからして、オーストリアとイタリアにまたがるチロル地方に因んだ素材と味付けになっているようです。チーズと生ハムの絶妙な組み合わせが、本当に美味しかったです♪

イタリアのパーキングエリアに来るといつも思うのが、こういった本場の生ハムを豪快に使ったサンドが食べられるのは、ほんとに羨ましいですね!

パトヴァ(Padova)からA13号線を経由して、ボローニャ(Bologna)からイタリアの大動脈にして“アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の高速道路)”の異名を持つA1号線を少し北上すると、そこにモデナ(Modena)があります。

モデナ南(Modena sud)インターでアウトストラーダを降りて、モデナの市街地へ向かいます。



モデナ駅の程近くに、そのミュージアムはあります。


“Museo Enzo Ferrari Modena(ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ)”に到着しました!

フェラーリのミュージアムと言えば、マラネロの“ムゼオ フェラーリ(旧ガレリア フェラーリ)”がありますが、3年前にこちらのモデナにも新しいミュージアムがオープンしました。

こちらはエンツォの生家を改装したミュージアムで、“ムゼオ フェラーリ”が自動車メーカーとしての“フェラーリ(Ferrari)”をテーマにしているのに対して、こちらは創始者エンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)を通して観る“フェラーリ(Ferrari)”の軌跡をテーマにしているようです。

ちょうど訪れた時は、マセラティ100周年記念エキシビジョン開催中だったためか、フランスナンバーの“マセラティ クーペ グランスポルト(Maserati Coupe Gransport)”が停まっていました♪

コート・ダジュールを走ってきたのか、はたまたもっと北から来たのか、結構距離を走ってきたような形跡が見られますね。

ちなみにルームスターは、雪のオーストリアアルプスを抜けてきたせいで、融雪剤のストライプをバッチリ貰いました・・・^^;


気を取り直して、ミュージアムを見ていきましょう!

ミュージアムは大きく分けて2つの建物に分れていますが、今回はイントロ編として、こちら↓エンツォの生家を利用したエリアに展示されている“スクーデリア フェラーリの成り立ち”と、フェラーリのシンボルとしておなじみの“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”にまつわる逸話について紹介します。


では、まずはフェラーリの成り立ちから見ていきましょう。

・スクーデリア フェラーリの設立

1929年、エンツォ・フェラーリはクルマとモーターサイクルのレーサーのために“スクーデリア フェラーリ(Scuderia Ferrari)”を、モデナに設立しました。

これを機に、エンツォは自身でレースに出場することを止め、スクーデリア フェラーリのドライバーに集中するようになりました。レーストラックで勝利を収めることは重要であり、それが可能なマニュファクチュアラー(自動車メーカー)は“アルファロメオ(Alfa Romeo)”以外にありませんでした。

1933年、スクーデリア フェラーリは“シロ・メノッティ通り”から“トレント・トリエステ大通り”に移りました。この場所は、スクーデリア フェラーリがアルファブランドの元に“アルファ ビモトーレ(Alfa Bimotore)”や“アルフェッタ 158(Alfetta 158)”などを生み出した歴史的な場所でもあります。

上はトレント・トリエステ大通り時代の“スクーデリア フェラーリ”を再現したと思われるジオラマです。

1943年、第2次大戦の戦火のなか、フェラーリは1947年に自身の名を冠した最初のクルマを世に送り出すため、自動車メーカーとしての設備を備えた工場を建設するのに相応しい土地を探すと発表しました。

このジオラマ↓は、マラネロに初めて設立された当時の“スクーデリア フェラーリ”を再現したもので、第2次大戦により被害を受けましたが、戦後すぐに再建し、初年度はここで研削機(グラインダー)の製造を行ったそうです。

手前を横切っている道が“アベトーネ通り”で、通りに隣接した黄土色の小屋と2階建ての小屋をくぐるゲートは、今日でもマラネロのフェラーリへの正面玄関↓として使われていますね。

※2011年撮影


・エンブレムの進化

“Ferrari”のロゴが初めてボンネットに与えられたのは、1947年5月11日ピアチェンツァ サーキットでデビューした“フェラーリ 125スポルト(Ferrari 125 Sport)”でした。

このロゴはフェラーリの技術部門でデザインされ、ミラノの“ジェローザ社(Gerosa)”とボローニャの“カスティリオ社(Castiglio)”で生産されました。このデザインは1950年まで変わらず採用されたそうです。

1950年からは、現在でも用いられている全体に対して“跳ね馬”の占める大きさが縮小されたヴァージョンが採用され、このロゴはフィレンツェの“コイナルト社(Coinart)”で生産されました。

この“コイナルト社”は、現在でもフェラーリをはじめ、様々なメーカーのエンブレムを生産している会社のようです。こちら↓コイナルト社の紹介動画。

なんか、典型的なイタリアでみるCM広告って感じですが・・・こういうノリ好きかも^^;

それにしても、戦前から続く“スクーデリア フェラーリ”が主流として脈々とあり、自動車メーカーとしての“Ferrari(フェラーリ)”が支線へ派生しているという見せ方が、意味深で興味深いですね。


・カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)の由来

こちら↓は、フェラーリのアイコン“跳ね馬”の由来となった、第1次大戦のイタリア空軍の英雄フランチェスコ・バラッカ(Francesco Baracca)と彼のシンボルマークであった“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”。


1923年、エンツォがラヴェンナのサヴィオ サーキットで初めて優勝した時に、エンリコ・バラッカ伯爵(国民的英雄であったフランチェスコ・バラッカの父)に会ったことがきっかけとなり、パオリーナ伯爵夫人と会う機会がありました。

ある日、伯爵夫人はエンツォにこう提案しました。「フェラーリ、フランチェスコが付けていた“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”を、あなたのクルマに付けたらどうかしら。きっと、あなたに運をもたらしてくれるわ!」と。

エンツォは、この時“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”のエンブレムと一緒にフランチェスコの両親から託されたフランチェスコ・バラッカの写真を、後生ずっと大切に持っていました。フランチェスコ・バラッカの“カバリーノ ランパンテ(跳ね馬)”は常に黒色で描かれていました。エンツォは、背景にモデナ市の色である“カナリアイエロー”の背景を付け加えたものが、スクーデリア フェラーリのシンボルマークとして使われるようになりました。


今回の“Museo Enzo Ferrari Modena intro(ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ イントロ編)”は以上になります。

イントロ編ということで、珠玉のクルマ達は次回以降に登場しますが、“跳ね馬”のエピソードなどティフォージでなくとも興味を惹かれる面白い展示で、自動車史好きには堪らない空間だと思います。次回は、いよいよ展示車両のレポートに入ります!

2015年02月11日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015プロローグ編

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015プロローグ編









こんにちは、“欧州自動車博物館巡りの旅2013⇒2014”のレポートが一段落して、まだ間もないですが(汗)今年の正月休みも、“欧州自動車博物館巡りの旅”を堪能することができたので、その模様を振り返っていきたいと思います。

第1回目の今回は、プロローグ編ということで自動車博物館は出てきませんが、新しい旅の相棒は紹介できると思います^^;

2014年 12月28日

周囲には直前まで「う~ん、今年もいけたら行くかも・・・」なんて、うそぶいてましたが(笑)、10月中に欧州行き航空券をチェックすると、幸運にもオーストリア航空の割引チケット“レッドチケット”が、リーズナブルな価格で出ていたので迷うことなくゲット!爆

昨年の経験から、レンタカーと一緒にウインタータイヤを借りられるかどうか(ドイツ国内を冬季に走行する場合には、法令によりウインタータイヤの装着が義務付けられている)という点からも、オーストリア ウィーンは合格でした。

かくして、今年の“欧州自動車博物館巡りの旅”は、オーストリア ウィーンを起点とする旅となりました!

定刻通り成田を飛び立ったオーストリア航空OS052便は、太陽を追いかけながら一路ウィーンを目指します。

2014年 12月28日 16時

ウィーン(シュヴェヒャート)国際空港に到着。

ウインタータイヤが借りられるのも納得!あたり一面雪景色でした^^;


ウィーン国際空港の到着ロビー。よく見ると風船を持った“モーツァルト”がいます・・・さぁ、どこにいるでしょう^^;

そして、いよいよ今回の旅の相棒との対面です!使用したレンタカー会社は昨年と同じ“ユーロップカー(Europcar)”です。

ネット予約で、ウインタータイヤなどのオプション装備が借りられるかどうかが一目瞭然なのと、現地カウンターで端末に顧客情報として登録されているので、煩わしくなくていい(笑)なんてズボラな理由ですが・・・サービスも悪くなく満足です。

受付カウンターでキーを渡された時点で内心ガッツポーズでしたが、今回の相棒はこのクルマ↓になりました!

雪がかぶっていて分らないですね・・・

まずは雪おろしをして・・・なんかヨーロッパまで来て、岩手と同じことしてる・・・^^;


シュコダ ルームスター 1.6 TDI CR 90HP(Skoda Roomster 1.6 TDI CR 90HP)!!!

欧州でよく見られるフルゴネットタイプの業務用バンから派生した乗用車カテゴリーのシュコダ車で、日本でもおなじみのルノーカングーの競合車と言えます。

もちろんマニュアル車です♪
この、何も言わなくてもMT車が出てくる環境だけで、ヨーロッパは自分にとってアウェーではない気がしてきちゃいます!!爆

シュコダ(Skoda)車は日本に正規未導入のため、なじみが薄いですがフォルクスワーゲングループに属するチェコ共和国の自動車メーカーです。

この“シュコダ”というメーカー、日本未導入なだけに日本の欧州車好きの中には、結構気になっている人が多いんじゃないでしょうか。自分もまさにそんな1人だったので、欧州自動車博物館巡りの相棒として、このルームスターに乗ることができて良かったです♪

それから、ウィーン近郊(ウィーナー・ノイシュタット地域)のフォルクスワーゲングループのディーラーは、ポルシェブランドをディーラーの看板にしているらしく、このルームスターにも“ポルシェ・ウィーナー・ノイシュタット”のナンバーフレームが付いていました♪

この辺の人は、“トゥアレグ”を買いに行くのも、“セアト イビーザ”の修理を出すのも“ポルシェ”に行くのだろう^^;
※関連情報にポルシェ・ウィーナー・ノイシュタットのwebページ貼っています。

昨年借りたメガーヌ クーペにはナビが付いていて、ナビのおかげでだいぶドライブの幅が広がったこともあり、今年は自前でナビを導入しました↓

機種自体はガーミンの型落ち(Nuvi2580 Lite)ですが、ガーミンのナビはSDで地図情報を追加できるので、“2015年版シティ ナビゲータ ヨーロッパNT”のSD↓を追加しています。


このように↓予め行きたい所やユースフルアドレスを登録しておけるのが便利で良いですね♪

ちなみに、このナビは日本でも使っているので、お気に入りリストをスクロールしていくと・・・

こんな場所や、あんな場所までの距離(直線距離)も出てきます!爆

ウィーン国際空港から袖森までは、直線距離で9,195km・・・らしいです^^;

このナビ、折角のヨーロッパで日本語音声のナビゲートでは萎えるという人や、ヨーロッパに来てまでアメリカ英語で案内されたないわ!(笑)なんてわがままな人でも、イギリス英語やドイツ語、イタリア語などなど色々カスタマイズできるのが良いですね♪

最後に、“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”の幕開けに相応しい、今回の旅でカーラジオからよく流れてきた曲を紹介して、プロローグ編を終わりたいと思います!
ドイツ出身のDJ ロビン・シュルツ(Robin Schulz) “Sun Goes Down”



“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”いよいよスタートです!!
2015年02月07日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅 ムゼオ・ミッレミリア編 パート2

欧州自動車博物館巡りの旅 ムゼオ・ミッレミリア編 パート2











こんにちは!引き続き、欧州自動車博物館巡りの旅は“ムゼオ・ミッレミリア編 パート2”をお送りしたいと思います。今回は、戦後1947年より再開されたミッレミリアの結果と展示車についてレポートしていきます。

そして、1年以上更新してきたこの“欧州自動車博物館巡りの旅2013⇒2014”ですが、今回が最後になります。
(※ムゼオ・ミッレミリア後編に追加して、宿を取ったミラノの模様もちょい足ししているため、いつも以上にボリューミーかもしれません!!お時間に余裕のある時にご覧ください・・・^^;)


まずは、再開された1947年大会から

1947年大会はエミリオ・ロマーノ/クレメンテ・ビオンデッティ組の“Alfa Romeo 8C 2900B”が優勝と、戦前に引き続きアルファロメオが勝利を収めています。


1948年大会はクレメンテ・ビオンデッティ/ジュゼッペ・ナヴォーロ組の“Ferrari 166S”が優勝しています。フェラーリの創業は1947年なので、ジョアッキーノ・コロンボ設計のV型12気筒エンジン“コロンボ・ユニット”を武器に、創業の翌年にはミッレミリアを制覇したことになります。


こちらは、1940年代のレーシングスーツとドライビングシューズの展示。550もこんなレーシングスーツに革ヘル&ゴーグルで乗りたいですね♪

1948年 フィアット 1100S MM(Fiat 1100S MM)

フィアットはミッレミリア制覇を狙って、“フィアット1100”をベースにエンジンに手を加え、空力的なボデーを架装したこの“1100S MM”を製作しました。名称に付けられた“MM”は、当然“Mille Miglia(ミッレミリア)”を意味しています。

車両解説によると、この車両は1948年と1949年、そして1953年に、ロリーノ(Rollino)親子がミッレミリアに出場させた個体のようです。また、1988年の復刻版ミッレミリアにもロリーノ家によって出場したようで、親子3代にわたって“Fiat 1100S MM”をミッレミリアで走らせたとあります。

やはり、40~50年代のレース用ベルリネッタ(クーペ)は屋根後端からテールにかけて“すぼまり形状”の流線型をしていて、大なり小なりパウル・ヤーライの提唱した空力理論の影響が見てとれます。

1938年 フィアット 500B トッポリーノ フルゴンチーノ(Fiat 500B Topolino Furgocino)

前回にも登場した“フィアット 500 トッポリーノ”から派生したフルゴネット(カーゴ)タイプが、このモデルです。

“ASSISTENZA Mille Miglia(アシステンツァ ミッレミリア)”とあるので、ミッレミリアのアシスタントカーのようです。

1956年 オースティン ヒーリー 100/M(Austin Healey 100/M)

イギリスのラリードライバーであり、エンジニアでもあったドナルド・ヒーリーがオースティン社の“A90 Atrantic”のシャシをベースに製作したロードスターです。

この展示車両の“100/M”は、1953年のルマン24時間耐久レース用に90馬力から115馬力にアップグレードされた2,621ccの直列4気筒ユニットを搭載したモデルで、1956年までに640台が製作されました。

オースティン・ヒーリーというと、典型的なブリティッシュ・オープンスポーツの1台ですが、この個体は赤×黒ツートーンの塗り分けからか、“カロッツェリア・トゥーリング”や“ザガート”などの、イタリアのカロッツェリアで造られたバルケッタのような印象を受けるのが面白いですね^^;

1955年 オスカ MT4(O.S.C.A. MT4)

OSCA(オスカ)は、“Maserati(マセラティ)”を創立したエルネスト,エットーレ,ビンドのマセラティ兄弟が、経営難から“マセラティ”をモデナの実業家アドルフォ・オルシに譲渡した後(譲渡契約により10年後)、1947年に立ち上げたスポーツカーメーカーです。

“MT4”はオスカが製造した最初のクルマで、当初はフィアットのエンジンをベースに造られたマセラティ製の1,092cc,72馬力の直列4気筒エンジンを採用していましたが、1950年には新設計のDOHCユニットを採用し、1953年にこのエンジンは1,453cc,110馬力までアップグレードされました。

この展示車両は、1957年にランベルト・ジェロージによってミッレミリアに出場した個体のようです。“MT4”というとフロントに丸形のグリルを備えているモデルが有名ですが、この個体はフロントノーズが“マセラティ 200S”やフェラーリの“TR(テスタロッサ)”系のような造形をしているのも特徴的ですね♪


1949年大会はクレメンテ・ビオンデッティ/エットーレ・サラーニ組の“Ferrari 166 MM”が優勝。

1964年 - 1965年 ポルシェ 356 SC(Porsche 356 SC)

ポルシェが1948年に初めて製造したロードカー“356”。車両解説がないので詳細は不明ですが、356としては最終型と言える通称“T-6”ボデーを採用した356SCのようです。

厳密にいうと、この“T-6”ボデーの採用は1960年代に入ってからなので、ミッレミリアには出場していませんでしたが、それ以前の“356 Pre A”や“356A”はミッレミリアに出場していました。そういった意味もあって、この“356SC”は特別展示的な扱いなのかもしれません。

バンパーレスでカフェレーサー風の外装もさることながら、室内にも太めのロールケージを装着するなど、良い雰囲気に仕上げられています♪


1950年大会はジャンニーノ・マルゾット/マルコ・クロサーラ組の“Ferrari 195S”が優勝し、フェラーリが3連勝を記録しています。

1953年 モレッティ 750 スポルト(Moretti 750 Sport)

戦前にオートバイ用のエンジン製造で名を挙げたジョバンニ・モレッティ(Giovanni Moretti)は、戦後トリノで自動車製造を始めました。

この“750スポルト”は、自社製の748cc,75馬力の4気筒ツインカムエンジンを搭載したバルケッタのようです。

モレッティ750については“オートワールド編 part3”で、クーペボデーの“750 グランスポルト”を紹介しましたが、こちらはオープンボデーのバルケッタとなっています。

ややポンツーン形状のフロントフェンダーやサイドのエキゾーストに沿った切れ込みなど、クーペとは異なる造形がこのクルマの性格を物語っていますね。

競技用と割り切った作りなのか、よく見ると助手席側にはドアも設けられていないようです^^;


1951年大会はルイージ・ヴィロレーシ/パスカル・カッサーニ組の“Ferrari 340”が優勝し、フェラーリとして4連勝をあげています。また、前年優勝の“195S”がジョアッキーノ・コロンボ設計の小排気量(2.3リッター)V12を搭載していたのに対して、“340”はアウレリオ・ランプレーディ設計の大排気量(4.1リッター)V12ユニット通称“ランプレーディ ユニット”を搭載していました。

1954年 マセラティ A6 G2000(Maserati A6 G2000)

“A6”は、1947年から1956年にかけて製造された、直列6気筒エンジンを搭載したマセラティのクーペ及びスパイダーで、この“A6 G2000”は3基のウェーバーを備えた1,985ccのパワーユニットから150馬力を発揮したそうです。

マセラティA6は様々なカロッツェリアでボデー架装が行われましたが、展示車両には“Zagato(ザガート)”製のボデーが架装されています。

1951~1958年 ランチア アウレリア B20GT(Lancia Aurelia B20GT (V Seria))

“アウレリア”は、ランチアが戦後初めて開発したクルマで、戦前にアルファロメオで数々のグランプリカーを設計するなどの手腕を発揮していた天才エンジニア ヴィットリオ・ヤーノ主導のもと開発されました。

当時のランチアは、革新的なエンジニアリングで知られるメーカーで、この“アウレリア”でも、世界で初めて市販車にV型6気筒エンジンを採用したほか、トランスミッションとデファレンシャルを一体化してリヤに搭載するトランスアクスル方式も採用されていました。


1952年大会はジョバンニ・ブラッコ/アルフォンソ・ロルフォ組の“Ferrari 250S”が優勝し、フェラーリ4連勝を挙げています。3位には前述の“Lancia Aurelia B20”が入賞していますね♪
また、この年から小排気量クラスにポルシェ“356”や“356 SL”、ルノー“4CV”、パナールなどが入賞しはじめ、イタリア車一強だったミッレミリアから、国際的なレースとしての土壌が確立されてきていたようにも感じられます。

1952年 シアタ ダイナ グランスポルト 1400(Siata Daina Gran Sport 1400)

シアタ社は1926年にトリノに創業したメーカーのようです。シアタは1950年代に“フィアット1400”のコンポーネントをベースに、カロッツェリア・ボアーノ(Boano)でデザインされ、スタビリメンティ・ファリーナ(Stabilimenti Farina)で製造されたオリジナルのボデーを架装した、この“グランスポルト(Gran Sport)”と“グランスポルト スパイダー(Gran Sport Spider)”を製造しました。

個人的には、550のサイドウインドー製作時に苦労した、この↓巻き上げ式でないプレクシーグラス製の分割式サイドウインドがとても気になりました。50年代でコンペティティヴな雰囲気を出すにはやはり、このスタイルか・・・^^;

ちなみに、前半分がスライドする機構のようです。


1953年大会もジャンニーノ・マルゾット/マルコ・クロサーラ組の“Ferrari 340 MM”が優勝。フェラーリ5連覇と戦後のミッレミリアにおいて、フェラーリが圧倒的な強さ誇っています。

1954年 マセラティ A6 GCS/53(Maserati A6 GCS/53)

マセラティが、スポーツカーレースの世界選手権に向けて開発したクルマで、“GCS”の“CS”はCorsa & Sport(コルサ&スポルト:競技用、及びスポーツ走行用)を意味していました。

前述の“A6 G2000”の項でも記した1,985ccの直列6気筒ユニットは、170馬力まで高められ、1953年~1955年までの間に52台(スパイダー:48台,ベルリネッタ:4台)が造られたようです。

フロアの左右に2本通る太い鋼管フレームを基本にして、残りは細めの鋼管で骨組みを組み上げていく構造が、50年代当時のレース車両のセオリーで、明らかにロードゴーイングカーではないことが分ります♪

1947年 フィアット 1100 スタンゲリーニ(Fiat 1100 Stanguellini)

スタンゲリーニ社は、イタリアのモデナを本拠地として活動した自動車メーカーで、主にフィアット車をベースとしたレース用車両の製造を手掛けていました。

この展示車両も車両解説がスペックしか書かれていないのですが(汗)、フィアット1100をベースにして製作されたレース用バルケッタのようで、1,089cc,72馬力の直列4気筒エンジンを搭載し、車重は460kgに抑えられていました。

大型グリル内に収められたヘッドランプといい、リヤセクションのヤーライ理論的な独特の造形といい、この時代に数多生まれた“イタリアの虫”の中にあって、スタンゲリーニのクルマは空気力学を強く意識していたように思われます。


1954年大会は、アルベルト・アスカーリのドライブする“Lancia D24”が優勝しています。注目すべきは、総合6位にハンス・ヘルマン/ヘルベルト・リンゲ組の♯351ポルシェ“550”が入賞し、“S1500”クラスのクラスウィナーとなっています♪

1954年 チシタリア 202SC(Cisitalia 202SC)

チシタリアは、イタリアの元レーシングドライバーで実業家でもあったピエロ・ドゥシオが立ち上げた自動車メーカーで、1947年にはポルシェ設計事務所にミッドシップ4WDのGPカー“Typ 360”の設計を依頼したことでも知られています。

この“202 SC”は、フィアット製の1,089cc,60馬力の直列4気筒エンジンを鋼管スペースフレームに搭載し、ボデーはカロッツェリア“ピニンファリーナ”の手によるハンドメイドのアルミニウム製ボデーが架装されました。

また、この美しいピニンファリーナのデザインが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)から“動く彫刻”と評され、自動車として初めて永久展示されることになったことも、このクルマにおける重要なトピックと言えるでしょう。このリヤビューの造形なんか、本当に美しいですね^^;

思わずチシタリアにウットリしていると、スタッフが「今日はニューイヤーイヴで14時閉館だから、下のフロアもあるから早く見て周った方がいいわよ!」と、わざわざ教えに来てくれました^^;
14時ってあと、15分しかな~い・・・涙

では、最後のセクションをサクッと?見ていきましょう!

1954年 キーフト 1100 スポーツ CS(KIEFT 1100 SPORT CS)

イギリス人のシリル・キーフトが、倒産したF3レースカー製造会社“マーウィン(Marwyn)”を買い取る形で、立ち上げたのがキーフト社(Kieft Cars)だそうです。

このクルマは、キーフト社が1954年に開発した2シータースポーツカーで、1,098ccのコヴェントリー・クライマックス“FWA”ユニットを搭載していました。


1955年大会は、スターリング・モス/デニス・ジェンキンス組の“Mercedes Benz 300SLR”が優勝しています。この300SLRは、平均速度157.65km/hの大会新記録を記録し、ゼッケンNo.の“722”とともに伝説となりました。

1953~1957年 バンディーニ 750 スポルト インテルナツィオナーレ(Bandini 750 Sport Internazionale)

バンディーニ社(Bandini Automobile)は、イタリアのフォルリ出身のエンジニア及びレーサーであったイラリオ・バンディーニが立ち上げた自動車メーカーです。

この“750 スポルト インテルナツィオナーレ”は、1953年~1961年の間に製造されたレーシングカーです。アメリカのクロスレー(Crosley)社の749cc直列4気筒をベースに、バンディーニオリジナルのツインカムヘッドを装着した72馬力のパワーユニットを、当時の航空機技術に由来する特殊鋼を用いた楕円鋼管スペースフレームに搭載して、車重330kgを実現していたようです。

1957年 ロータス 11 ルマン(Lotus 11 Les Mans)

ロータス11は、ロータスが1956~1958年まで製造していたレーシングカーで、コーリン・チャップマン設計の鋼管スペースフレームに、後に“マーコス”や“コスティン・ネイサン”などでも知られる航空機設計者フランク・コスティンのデザインした空力ボデーを備えていました。

この展示車両は最上位ヴァージョンの“Les Mans(ルマン)”で、1,098cc,100馬力のコヴェントリー・クライマックス“FWA”ユニットを搭載して、最高速度は230km/hに達していました。

航空力学由来ということで、基本的には“空気を受け流すカタチ”ですが、フランク・コスティンの設計する空力ボデーは、尻すぼまりのヤーライ理論とは一線を画した独特のふくよかな形状が特徴的ですね^^;

1954年 アストンマーティン DB2(Aston Martin DB2)

DB2は、アストンマーティン・ラゴンダ社が1950年に発表したスポーツカーで、アストンマーティン社の経営権が、ラゴンダ社とともにイギリス人実業家デイビッド・ブラウンの手に渡ってから2番目のモデルになります。以降のアストンマーティン車には、デイビッド・ブラウンの頭文字をとった“DB”が冠されることになりました。

パワーユニットは、ロールスロイスのベントレー買収によってロールスロイス上層部への不満からラゴンダ社に移籍していたウォルター・オーウェン・ベントレー(W.O.Bentley)設計の2,580cc,125馬力の直列6気筒ユニットが搭載されました。

1920年代のルマン連勝で知られるベントレーの栄光が、W.O.ベントレーとともにラゴンダ、そしてアストンマーティンへと受け継がれているのが興味深いですね♪

1956年大会及び、1957年大会のパネル展示が見当たりませんでしたが(見逃したかな・・・)、1956大会はエウジェニオ・カステロッティのドライブする“Ferrari 290 MM”が、


1957年大会は、ピエロ・タルッフィのドライブする“Ferrari 315 S”が、それぞれ優勝しています。

この年、ミッレミリアで大きな悲劇が起こりました。ゴールのブレシアまで約40kmの地点で、4位を走行していたスペインのアルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵のドライブする“Ferrari 335S”が、タイヤバーストが原因でクラッシュしてしまいます。この事故により、ポルターゴ伯爵自身とコドライバーのエドモンド・ネルソン、そして沿道の観客10名が死亡するという大惨事となりました。この事故を受けて、イタリア政府は、次年度からのミッレミリアの中止と、オープンロードを使用した公道レースの禁止を発表し、1927年から続いたミッレミリアの歴史は幕を下ろすことになりました。


ムゼオ・ミッレミリア(Museo Mille Miglia)のレポートは以上になります。車両解説はもう少し充実させてほしいですが、“世界で最も美しいレース”と言われた伝説の公道レース“Mille Miglia(ミッレミリア)”の世界を堪能できる素晴らしいミュージアムです。

これで、今回の“欧州自動車博物館巡りの旅”の予定すべて終了です。ムゼオ・ミッレミリアを後にして、年の瀬のミラノを目指します。

途中でこんな↑アルファロメオ ジュリアと遭遇したり、


E11欧州カローラ 3ドアハッチバックも、まだまだ走っています。


ミラノ市内に入りました。ミラノ市内は停められるところは路駐でいっぱい^^;
ちなみに↑のクルマはセアト イビーサ(SEAT IBIZA) 3ドアハッチバックです。


いかにも“ミラノ”といった感じの街並み。今夜はミラノのユースホステルに宿を取りました。

ミラノのユースホステル“ピエロ ロッタ(Piero Rotta)”に到着しました。ユースホステルは会員であれば、安価(欧州では20~30ユーロ程度)に泊れるドミトリー(相部屋)の宿です。ここのユースも、ミラノに来た際によく泊りました。

ロッカーに荷物を預け、ミラノ市内の散策に出かけます。ニューイヤーイヴなので人々は浮足立っていますが、たいていのお店はやっていません!爆

ミラノに来たら是非とも寄りたい自動車専門書店↓“Libreria dell'automobile(リブレリア・デ・ロトモビル)”も行ってみましたが・・・

やってませんでした^^;

ここは、ミラノのドゥオモ(Duomo)からメトロ(1号線)で2駅のPalestro駅を地上に出た所にあります。ボクも10年前に1度だけ入ったことがありますが、店内が世田谷時代の“リンドバーグ”のような雰囲気で、世界中の自動車書籍が所狭しと売られています。当時のボクは、レコードブレーカー(速度記録車)のストリームライナー形状への興味が強かったので、速度記録車について書かれた専門書籍を買った覚えがあります。

折角なので、ドゥオモまで歩いていくことにしました。

途中でボクスター(986)と911カブリオレ(997)に遭遇。


バイク用の駐車枠に無理やり停めているルノーのEV“トゥイジー(Twizy)”を発見^^;

ドゥオモ広場に到着しました!

ドゥオモ前には大きなクリスマスツリーも鎮座し、新しい年(2014年ですが・・・汗)を迎えようとしています。

年越しをドゥオモ広場で迎えたいところですが、翌日にはイタリアを出国するため、街歩きもそこそこにユースに戻り、荷物整理をしなければなりません!

思い出も、お土産もいっぱい・・・^^;


ヨーロッパの年越しは“花火”というのが定番のようで、ユースの近所でもそこここで、ドンパチドンパチ上がっています。


年が明けて約1時間後、「アグーリ!(←イタリア語で、あけおめ!の意)」と同じ部屋の宿泊客が帰ってきました!

彼はマルコというイタリア人で、聞けばユースの最寄り駅のもう1つ隣の駅からドゥオモまではメトロが動いているとのことだった。英語と片言のイタリア語で色々と日本のこと、イタリアのことについて話したが、こういう出会いも旅の醍醐味だったりするので、やっぱり最後はユースに泊って良かった^^;

2014年 1月1日 早朝

いよいよ、旅の相棒メガーヌともお別れする時が来ました。ミラノ市内で給油して、ミラノ中央駅のEuropcarにメガーヌをチェックイン。

最後の給油は、南仏のエズからミラノまで537.8kmを走り28.97リッターの軽油を飲み込んだので、燃費は18.56km/Lとなりました。相変わらず燃費いいですね♪

シュトゥットガルトからハンブルク⇒ブリュッセル⇒モナコ⇒ブレシアを経由して走り、ミラノまで3,127kmの充実のクルマ旅となりました。本当にありがとうメガーヌ!


ミラノ マルペンサ空港から日本へ飛び立ちました。
チャオ イタリア!そしてヨーロッパ!また来るからね~

これにて、“欧州自動車博物館巡りの旅2013⇒2014”のレポートは、おわりです。最終的には、更新に1年以上を費やしてしまいましたが、ヨーロッパの自動車博物館巡りの旅の面白さや醍醐味が、少しでも伝わてくれれば良いなと思います。


次の欧州自動車博物館巡りの旅へ、つづく

Posted at 2015/02/07 22:55:21 | コメント(6) | トラックバック(0) | 欧州自動車博物館巡りの旅 | 旅行/地域

プロフィール

「ゴールデンウィークのカート乗り比べ体験記 http://cvw.jp/b/1499353/47700125/
何シテル?   05/05 12:59
しまえるシューマッハと申します。昨今のみんカラの飛ぶ鳥を落とす勢いの盛況ぶりに目をつむることができずに登録してしまいました(^_^;) 好物は主にヨーロッ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2015/2 >>

123456 7
8910 11121314
151617181920 21
22232425262728

リンク・クリップ

Porsche 550 Forever  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2013/11/26 00:43:01
週末はGulf718で出撃だ!! 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2013/11/15 20:45:26
ロッソ、全塗装完了!! 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2013/11/11 19:49:06

愛車一覧

トヨタ スプリンターカリブ トヨタ スプリンターカリブ
'98年式のスプリンターカリブRosso(5MT,4WD)です。 日本ではカリブのマイナ ...
ポルシェ その他 ポルシェ その他
'93年式 Beck 550 Spyderです。 かねてよりミッレミリア好き、50~6 ...

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation