
さぁ!
みんカラだというのにダラダラと幕末探訪のお話ばかりが続きましたが、今回と次回を含めて残り2回なので、もう少しお付き合いくださいσ(^_^;)
では早速!
「寺田屋」を後にした吾が輩は、幕末の志士たちに纏わる場所や藩邸の跡も多い、京都の中心地「中京区」へ!
まず手始めに向かったのが
あの「池田屋事件」の「池田屋跡地!」
現在は「池田屋華の舞」という居酒屋さんになってます(^_^;)
店前には
箇条書きの立看板と碑があり、記念撮影されてる方も多かったです(^ ^)
池田屋事件といえば
幕末の1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件ですね
同年5月下旬頃、新選組諸士調役兼監察の山崎烝・島田魁らによって四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する枡屋喜右衛門(古高俊太郎)の存在を突き止め会津藩に報告し、踏み込むと武器や長州藩との書簡等が発見された為、古高を捕らえた新選組は、土方歳三の拷問により古高を自白させました
自白内容は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ動座させる(連れ去る)」というものでありました(・_・;
さらに新撰組は、長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊王派が古高逮捕をうけて襲撃計画の実行・中止について協議する会合が「池田屋」か「四国屋」に於いて行われる事を突き止めた
亥の刻(22時頃)すぎ、捜索の末に近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見し、近藤隊は数名で突入し、真夜中の戦闘となったようです!(◎_◎;)
この戦闘で新選組側は土方隊も加わり、目的を「斬り捨て」から「捕縛」に変更し、9名討ち取り4名捕縛という戦果を上げたことにより、新撰組の名を世に轟かせた事件でもありますね ぉお!!(゚ロ゚屮)屮
そんな「新撰組」の勇姿を思い描きながら
「池田屋華の舞」にて酒を酌み交わすのも悪くないのでは?(*^-')b
次に訪れたのは?
武市瑞山こと「武市半平太」の寓居跡
あの尊王攘夷を掲げて結成された土佐勤王党の盟主でもありますね
さらに
長州の屋敷跡!
そこはホテル「オオクラ」に!(◎_◎;)
続いて高瀬川沿いの土佐藩邸跡!
さらに
あの龍馬と共に近江屋にて暗殺された
「中岡慎太郎」の寓居跡!
でこちらの中京区にて最後に辿り着いたのが
現在は回転寿し屋の傍の
「坂本龍馬」「中岡慎太郎」遭難之地と記されたあの「近江屋」の跡!
「近江屋」の詳細に関しては、幕末探訪記の高知編にて触れておりますので、ここでは敢えて触れません(^_^;)
それにしても、今は様変わりして面影すらありませんが、↑の画にもあるように龍馬と慎太郎が今後の日本について語り合っている中、コチラに建っていた「近江屋」にて刺客に襲われ討たれたんですよね…
しばしの妄想に陥りながら吾が輩なりに「坂本龍馬」と「中岡慎太郎」を思い描きながらその場を後にしました……
ここまで長々と車に関係ない幕末探訪記をお送りしてきましたが、いよいよ次回が最終編!
やっとかよヾ( ̄o ̄;)オイオイ
最終地は坂本龍馬・中岡慎太郎の墓 - 京都霊山護国神社をお送りしたいと思います(^ ^)
〜京都編〜最終編へ♪チャンチャン♪(^_−)−☆
Posted at 2014/11/15 10:41:09 | |
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