
おさぶぅございます:;(∩´﹏`∩);:
東京は今朝8.8℃と今年1番の寒さで、いよいよ冬の到来に、また積雪時のあのスーパー
悪路の中の地獄の配送が脳裏をかすめた…
そんなれいキチです(u_u)
ちなみに今朝の京都の最低気温は5℃だったそうです(・_・;
さて!
高知から始まった幕末探訪記も大阪編
京都編を含め今回で5話目
そろそろご覧いただいてる皆様も車の話も出て来ない自己満World全開Blogに飽き飽きし始めてると思いますが、もう少しだけお付き合いくださいσ(^_^;)
さて
昨日は、もてなしの文化美術館
「角屋」
の立派な揚屋建築、あの新撰組の初代筆頭局長、芹澤鴨が粛清を受けた最後の晩にも宴を上げたであろう「松の間」
その「松の間」から望む「臥龍松」
そして新撰組の志士が付けたであろう
「刀傷」などなど……
屯所八木邸に劣るコトない古の良さを堪能出来コトをお伝えいたしましたが、その興奮も冷めやらぬまま、勢いに乗って次の場所へ!
(^-^)/
昨日も終盤に触れましたが、壬生より少し
南下して、
文久2年(1862年)に発生した薩摩藩の
尊皇派志士の鎮撫事件や
慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件で有名で、その坂本龍馬も常宿としていたと言われている
旅館「寺田屋」
「寺田屋」も「池田屋」も「近江屋」も結構ゴッチャになってる方も多いので(^^;;
龍馬好きの吾が輩としてはコチラは外せない場所の1つですので早速!(^ ^)
ここで、少しお話は逸れますが、過密スケジュールにて各所を廻った吾が輩なりの経験のお話を(^_^;)
観光やツアーで団体にてバスなどで廻る場合には要らぬ心配ですが、個人的に各所を廻る際、時期的なものもありますが、なるべく名所の駐車場を当てにしないほ方が得策かと
(^^;;
大きな施設はまた別なお話ですが
吾が輩が訪れた「壬生寺」「屯所八木邸」
「光縁寺」「角屋」
そしてこれから訪れようとしている旅館
「寺田屋」いずれも駐車場がないわけではありませんが、スペースが少なく、そちらに
進入していくにしてもお世辞にも広いとは言えない道筋ですので、順路を決めたら欲をかかずに、目的地1km以内の範囲でコイパなどに駐車して歩くコトをお勧めします(^_^;)
さらに欲をかいて、
「目的地により近くのコイパに!」
なんてやるとかなりの確率で
満車(ー ー;)
になりますのでご注意をσ(^_^;)
せっかくなので京の街並を徒歩で探索すると新たな発見もありますので(^ ^)
さて、本題に軌道修正!
今までの経験上から、「寺田屋」から少し離れたコイパに初号機格納!
少し歩くと何やら♪プ〜ン♪と、日本人なら
つい反応してしまう醤油の匂いが♪(´ε` )
お団子屋さんで今まさに焼き上がった
「みたらしの醤油焼き団子」(●>艸<)美味!!
歩いてちょうど小腹が空いてたので(*^-')b
これも徒歩ならではの発見!(^_−)
団子を食して再び歩き始めると
「寺田屋」に近づき、それらしい土産屋が現れ、その名も「龍馬通り」
サンジとゾロまで新撰組( ´艸`)ムププ
その土産屋通りを抜けると
拝観・開館時間 10:00~15:40
見学所要時間 約20分
休日・休館 年始1/1~1/3 月曜不定休あり
(シーズンオフの場合)
料金
大人 400円
大学生 300円
高校生 300円
中学生 300円
小学生 200円
幼児入場不可 30人以上団体割引
予約方法 団体のみ要予約(電話)
備考 宿泊6,500円(要予約)
では早速中へ!( ´艸`)ムププ
入るなりイキナリお宝グッズ売っとるし!
(◎_◎;)
さらにズィ〜ッと中へ
階段を上がり2階の宿へ!
ちなみに、いろは坂じゃありませんが、
「寺田屋」の階段は上りと下りが別れておりまして、コチラは上り専用(^^;;
2階に上がると奥からお龍、お登勢、龍馬、虎太朗、武市!
他にもお宝資料が ぉお!!(゚ロ゚屮)屮
そして…
いよいよ龍馬の部屋と言われている
「梅の間」
ではでは…
ほい!
ほい!
ほっほ〜い♪
そして、1階にてガイドさんによる案内が始まるとのコトで急いで下り用の階段で階下へ!
これは新撰組屯所の「八木邸」やお墓の「光縁寺」そして揚屋の「角屋」でもそうでしたが、ガイドさんの案内によるお話は、とても分かりやすく臨場感があり、自然に情景が
浮かんでくるので、こればっかりは直接訪れないと味わえないものなのではないかと思います(^.^)
1階にてガイドさんの案内を聞き終え、奥に
一般の拝観者が使用出来るお手洗いがあるのですが、その手前に…
「寺田屋」といえば
慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件で有名ですが、
その伏見奉行の捕り方に囲まれた異変をいち早く察知したのが、この風呂場で入浴中だったお龍!
画像にもありましたが異変に気付いたお龍が小窓よりそっと外を覗くと「寺田屋」の外はグルリと捕り方に囲まれていました
時刻は深夜の2時、幕府伏見奉行の捕り方30人ほど、いち早く気付いたお龍は風呂から
裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり
投宿していた龍馬らに危機を知らせました
捕り方は「肥後守(奉行)よりの上意」であるとして迫り、踏み込まれた龍馬らは「(奉行の権限の及ばない)薩摩藩士である」との嘘を主張したが、簡単に見破られてしまいました
龍馬は高杉晋作からもらったスミス&ウエッソン社製・第2型アーミーの32口径6連式ピストルで、三吉は手槍を用いて防戦して、捕り方2名を射殺、数名を殺傷させました
しかし捕り方が拳銃を持つ手を刀で払おうとして、龍馬は手の親指(左右)を負傷!
装弾ができなくなったと言うので、三吉が必死に槍で応戦する間に、辛くも家屋を脱出して路地を走り、材木屋に隠れました
三吉は切腹しようとしたが龍馬に止められて伏見薩摩藩邸に救援を求めに行くように依頼されました
薩摩藩邸にいた留守居役大山彦八は藩士
3名をつれて川船を出して救出に向かい、龍馬は九死に一生を得ることができました
すぐに京都の西郷隆盛のもとに報告が
行き、吉井幸輔が早馬で伏見に来て事情を調べ、西郷は軍医を派遣して治療に当たらせると共に藩邸で警護させたそうです
この事件では強運な龍馬は難を逃れましたが龍馬がこの寺田屋事件で捕り方を殺害して逃走したことが、後の「近江屋事件」に繋がり龍馬は殺人・逃亡犯であってこれに対する公務執行であったと、後に京都見廻組今井信郎が主張しています
この供述には賛否両論あったが、明治政府は近江屋事件への関与も今井の罪の1つと取り禁固刑の判決を出しています
これが事実ならば、
つまり「寺田屋事件」で、お龍は龍馬の命を救ったが、結局はこの騒動が彼の命を奪ったことになるわけです…
何とも皮肉なものです(u_u)
下り専用階段を降りると出口も近く
出口の扉を開ければ庭に出るコトができ、
そこには龍馬像が(^-^)
その庭内では「寺田屋」を拝観した人たちが思い思いの気持ちで目に映る「龍馬像」を眺めながら、それぞれの心の中の「龍馬象」と重ね合わせているように思えました(*^^*)
明日は、この「寺田屋」より北上し、京都の中心地の「中京区」にて幕末の志士たちの
軌跡を追っていきます(*^-')b
〜京都編〜第4部へ♪チャンチャン♪(^-^)
Posted at 2014/11/14 09:06:23 | |
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