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れいキチのブログ一覧

2014年11月19日 イイね!

良き時代の…

良き時代の…日に日に寒さが増して行く中




下総国の大殿様の動きは、より一層鈍くww


毎日、配送に勤しんでいる吾が輩も16時も
過ぎれば、あっという間に日が暮れて


「暗くなるのが早くなったなぁ…」


なんてコトを染み染み感じている
そんなれいキチです(^^;;


さて!

そんな染み染みと冬の訪れを感じていた昨日!

各種報道機関で取り上げられているので
ご存知の方も多いとは思いますが…




映画俳優の高倉健さんの悲報が昨日の昼前頃突然飛び込んできて、配送中の車内で知りました(>_<)

悪性リンパ腫 享年83歳


昭和を代表する銀幕スター!


そして名俳優さんがまた逝ってしまわれました…


振り返れば今年は名俳優さんが他にも亡くなられました…


3月には




宇津井健さん 享年82歳




蟹江敬三さん 享年69歳


そして6月には




林隆三さん 享年70歳

このお三方も昭和を代表する名俳優さんたちでした


時代流れから避けられないコトではありますが、やはり悲しく淋しいものがありますね
…>_<…


高倉健さんの話に戻りますが、
高倉健さんといえば数多くの作品に出演してきましたが(200本以上)
吾が輩的に思い浮かべる作品が2つあります


まず1つ目は




コチラのゴルゴ13!

原作者のさいとう たかおさんもモデルにしたのは高倉健さんとの逸話があるように
バッチリでした!(^_−)−☆

実写化されたのは、今のところはコレが最初で最後ですが、実写化に当たり原作者の
さいとう たかおさんは


「高倉健さんで海外撮影!」


というのが条件だったとか(^^;;



そしてもう1つは




山田洋次監督の幸せの黄色いハンカチ!


この映画の舞台になった北海道夕張市には、

「黄色いハンカチ想い出ひろば」

があり、そこには




あの劇中で使用された
1977年(昭和52)式マツダ4代目のFA4型の前期ファミリアX508が展示されており、その周りには訪れた方のコメントが黄色の紙に書かれ埋め尽くされているようです!(◎_◎;)


本来なら冬季期間中で閉鎖らしいのですが、昨日の悲報を受けて急遽関係者の方が献花台を設置し、訪れられるように配慮されているらしいので、機会のある方は是非!


それぞれの方々のご冥福をお祈りします…



さて!

お題は昭和というコトで、吾が輩の昨日の配送中にも「昭和」な出来事がありましたので
(*^-')b

吾が輩の配送エリアとしてはかなりギリギリの範囲で注文頻度もそんなに高くはないエリアに昨日の1回戦目で訪れた時のこと

何度かは訪れたコトのあるお客さんのお宅で話の元はその向かいのお宅のお話!


普段はシートが被せられていて気付きませんでしたが…




1957年(昭和32)式ダットサンセダン210型
ぉお!!(゚ロ゚屮)屮



見とれていると年配の丁度オーナーさんが
出て来て、少し立ち話σ(^_^;)


聞けばまだ現役バリバリで今朝も走ってきたとか!(◎_◎;)


オーナーさん曰く、

「機械ものは使い過ぎも良くないが、大事にし過ぎて使わな過ぎもダメ!」

「長距離ではないが毎日必ず走る!」

とのお話でした(^-^)


大先輩は吾が輩の青二才なハチロク話にも


「おぉ!名車じゃないですか!」


と笑顔で頷いてくれ、仕事中なのを忘れて
つい「車談義」を(^_^;)

悩みは部品調達からくる維持の難しさというコトに納得!(^^;;



最後に


「お互い昭和の車を出来る限り大切に!」


と約束を交わし、そのお宅を後にしました




人物も車も



その良き時代の思いを後世に受け継いでいかなければなと考えさせられた1日だったとさ
(^ ^)



♪チャンチャン♪(*^^*)
Posted at 2014/11/19 10:44:25 | コメント(1) | トラックバック(0)
2014年11月17日 イイね!

頭文字D!今更ながら…⁉︎

頭文字D!今更ながら…⁉︎ここのところお天気安定していて仕事が捗るれいキチです感謝!(*´人`*)


さてさて

先週は車のコトからはかけ離れた幕末話が盛り沢山でしたので、本来の趣旨を思い出し、本日は車の話題ですσ(^_^;)


以前にもコチラにて触れましたが




コチラの初号機に装着している汎用の
キーレスの不具合!




どうやら丸をした部分のユニットのハンダクラックが原因ではないかとの推察後、とうとう完全無反応化し、オク徘徊して探したら
同型のキーレス発見!(*^-')b


そちらが届いて、合間見て作業をと思い、
土曜日の出勤前に取り掛かりました


「同じヤツだから楽勝でしょ!」


と、ユニットを入れ替えれば良いだけなので高を括って挑んだわけですが……


よくよくユニット側の配線のソケットを見ると微妙に違う(ー ー;)
余計なコトしてくれるなよ!(・_・;


これでは新たに届いたキーレスの配線の取り回しをやり直さなければならない感じ(>_<)
出勤前の少ない時間では到底ムリ!(ー ー;)


安易な考えは即刻玉砕!(*_*)


なら手っ取り早く、修復可能かどうか分かりませんが、元のユニットのハンダクラックを打ち直ししてみるかと着手!


よくよく見るとアンテナ受光部の配線元が
酷くクラックが入っているので重点的に!



結果………











直りました*\(^o^)/*




しかし、また何時壊れるやもしれませんので新たに購入した方はストックとしておくことに(^_^;)


配線の取り回しメンドイですが、次不具合が起きたら潔くやり直そうと思いますσ(^_^;)
意外にその日は近いかも(^^;;


「ハチロクにキーレスなんて邪道!」


と思われる方もいるかもしれませんが、実は吾が輩の初号機は購入時より助手席のキー
シリンダーが他と違いまして(^_^;)




おそらくドアを変えたのでしょう……


そんな経緯から、外からでは鍵で解、施錠が出来ないので、助手席に人を乗せる時に毎回運転席側から手を伸ばして解錠し、降りる時にも施錠を(・_・;
タマに忘れて助手席側だけ解錠されたまま(汗)


そういった理由もあり汎用のキーレスを装着していたわけでして(^^;;

当たり前のように使用出来ている時にはあまり感じませんが、いざ使用出来なくなると、これまた不便(ー ー;)


慣れとは恐ろしいものです(^_^;)



そして仕事を終えて、速攻でみん友のガレージ匠くんの所に赴き、使用しないとのコトで引き継いだ、とあるブツをアトレーに積み込み帰宅!


それが…














従来の初号機!




換装後!


チョイと気分転換でプロD仕様から初期仕様に換装してみましたが如何でしょう?
σ(^_^;)



画像のように遠目だと分かりませんが、
ガレージ匠くんのハチロクは元が後期トレノだったのでカラーが微妙に違います(^_^;)


ご存知の方も多いと思いますが前期と後期ではカラーNoが違いまして

前期=038ホワイト

後期=041ホワイト
パッと見、区別つけにくいので、前、後期同時に並べないと分かりませんが、前期は青み掛かった白、後期は黄色味掛かった白なんです!(^^;;


と違いがあるところへ加えて、吾が輩の
初号機は元は赤黒ツートン!(^^;;


それを前オーナーさんが白の単色で、見た目GTV仕様にしてあったのを、吾が輩が黒を吹いて白黒化したわけですが、その前オーナーさんが白の単色を純正色ではなく、明るめの白を吹いたようで、どちらにせよ前期、後期共に純正色と合いません(・_・;



そうですねぇ…


トヨタのカラーNoで言えば50ホワイトが近い感じです(^_^;)


そんなわけですから




仕事終わりでガレージ匠くん宅から引き取った後、夜間ではありますがコチラの画像を見ると色の違いが分かります(^^;;


まぁボンネットを周りに合わせて塗るのは大変なので、リトラカバーをボンネットに合わせて吹いてしまえば、然程目立たなくなると思います(^_^;)


しかし、ボンネット1つでイメージが変わるものですね(⌒ _⌒)3 フムフム


飽きるまで少しの間この仕様で(*^^*)





♪チャンチャン♪( ´艸`)ムププ




Posted at 2014/11/17 10:09:45 | コメント(1) | トラックバック(0)
2014年11月16日 イイね!

晩秋幕末探訪記! 〜京都編〜完結編

晩秋幕末探訪記! 〜京都編〜完結編こんにちは!れいキチです(^ ^)


本日も天気良かですが、朝晩の冷え込みが
日に日に増してきましたね(^^;;


さて!


昨日まで高知→大阪→京都と5部作でお送りしてきた幕末探訪も本日を持ちましていよいよ完結編となります やっとね…(ー ー;)



昨日は京都中心地の中京区にて

「池田屋事件」の「池田屋」

「土佐勤王党」盟主「武市半平太寓居跡」

「長州屋敷跡」「土佐藩邸跡」

「中岡慎太郎寓居跡」

そして最後にあの「暗殺事件」のあった

「近江屋跡」と巡って参りましたが、最後の締めくくりとしては相応しい場所へ!







それがコチラの「京都霊山護国神社!」


コチラにはご存知の方も多いと思いますが、

現在から147年前の慶応3年(1867)11月15日
醤油屋の「近江屋」2階の屋根裏部屋にて奇しくも刺客によって討たれた、龍馬と慎太郎が眠るお墓があります


ここでチョイとした小話を!(^_^;)


龍馬の生年月日~死没日について


一般的に龍馬の誕生日は
天保6年(1835)〜慶応3年(1867)と言われてますが、コチラは旧暦(明治5年まで使われた暦法)でして


新暦(明治6年~現在まで使われている暦法)でいうと1836年1月3日~1867年12月10日となります


年齢の数え方
龍馬の時代(1950年以前)は、数え年で計算されていました

コチラは生まれた年を1歳と数え、毎年1月1日に1歳年を加える数え方となります

それ以降、つまり現在に至るまでの吾が輩たちの時代は、満年齢で計算です

誕生の時点では0歳、誕生日の1年毎に1歳を加える数え方


つまり…


吾が輩たちの時代の価値観で数えるなら、龍馬は31歳で亡くなったということになります
(^^;;

新暦1836年1月に誕生で、龍馬0歳
31年後の新暦1867年1月、龍馬31歳

その11か月後に死亡なので、1カ月後の誕生日を迎えていれば満32歳ということになります


なので
龍馬の時代の価値観で数えるなら、龍馬は33歳で亡くなっているというコトになるわけです

少し細かい話ですが、昔と現代(いま)では年齢の数え方も違ったというくらいに捉えていただければσ(^_^;)


世間一般的には11月15日が誕生日&没した日となりますので




「京都霊山護国神社」では毎年「龍馬祭」が催されてます


本来なら吾が輩もコチラの「龍馬祭」に合わせて、この地に訪れたかったのですが、みなさんお忘れかもしれませんが、そもそもが「建墓」という大切な行事の為に西へ来たわけで、あくまでも幕末探訪はついでなので
σ(^_^;)
蓋を開ければどっちがメインなんだか…(^_^;)


その代わりと言ってはなんですが偶然に…



「龍馬よさこい!」が境内にて開催されておりまして、学生さんたちの活気の溢れた
「よさこい踊り」が繰り広げられていました
(^ ^)


ここ「京都霊山護国神社」には
幕末維新の激動期を駆け抜けた志士たちが数多く祀られております

なかでも幕末維新の立役者と言われる坂本龍馬が眠っている地!


そもそも日本各地で催されている「よさこい」は龍馬生誕の地「高知」が発祥の地だというのをご存知ですか?


よさこい祭りの発祥地は高知県高知市で、戦後の高知にて地元振興の一環として始まったようで、手に鳴子を持ったパレードを中心とした踊りのお祭りですね(^ ^)


「よさこい」とは、高知の言葉で「夜に来てください」とか「今晩いらっしゃい」という意味からの「夜さ来い」→「よさこい」だそうです


11月15日の「龍馬祭」のことは知っていましたが、この「龍馬よさこい」は知らなかったので、偶然の遭遇に( ´艸`)ムププ


しばし活気に満ちた「よさこい」を堪能し、再び歩き始めます







「京都霊山護国神社」内の樹々も紅葉に身を染め、結構キツい「ヒルクライム」のほんの一息にはもってこいの情景が(*^-')b


最近、めっきり重くなったボディを引きづりながら…





京の街を見下ろせるその高台に




「坂本龍馬」「中岡慎太郎」のお墓!

ちなみに拝観時間午前9時〜午後5時
拝観料は¥300


ようやく念願の墓前に手を合わせコトが出来ました(^-^)


で、コチラのお墓よりさらに上へ!




コチラは「桂小五郎」こと「木戸孝允」のお墓が!


コチラにも手を合わせ、3日間に渡り、
「高知」→「大阪」→「京都」と幕末探訪をして参りましたが、これを持って終了!

京の街を後にしました



振り返れば「建墓」に始まり
「新撰組のお墓」
「京都霊山護国神社のお墓詣り」に終わるという、お墓尽くしではありましたが、吾が輩が訪れてみたかった各所を無事に廻って来れました(*^^*)


それもこれも……

















この方がいなければ成し得なかったコトに
ございます感謝!(*´人`*)


この数日間、車に全く関係ない自己満Blogにお付き合いくださった皆さん!


ありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ





♪チャンチャン♪(^o^)/
Posted at 2014/11/16 10:35:33 | コメント(2) | トラックバック(0)
2014年11月14日 イイね!

晩秋幕末探訪記! 〜京都編〜第4部

晩秋幕末探訪記! 〜京都編〜第4部さぁ!

みんカラだというのにダラダラと幕末探訪のお話ばかりが続きましたが、今回と次回を含めて残り2回なので、もう少しお付き合いくださいσ(^_^;)


では早速!

「寺田屋」を後にした吾が輩は、幕末の志士たちに纏わる場所や藩邸の跡も多い、京都の中心地「中京区」へ!



まず手始めに向かったのが




あの「池田屋事件」の「池田屋跡地!」


現在は「池田屋華の舞」という居酒屋さんになってます(^_^;)


店前には




箇条書きの立看板と碑があり、記念撮影されてる方も多かったです(^ ^)


池田屋事件といえば
幕末の1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件ですね


同年5月下旬頃、新選組諸士調役兼監察の山崎烝・島田魁らによって四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する枡屋喜右衛門(古高俊太郎)の存在を突き止め会津藩に報告し、踏み込むと武器や長州藩との書簡等が発見された為、古高を捕らえた新選組は、土方歳三の拷問により古高を自白させました

自白内容は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ動座させる(連れ去る)」というものでありました(・_・;

さらに新撰組は、長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊王派が古高逮捕をうけて襲撃計画の実行・中止について協議する会合が「池田屋」か「四国屋」に於いて行われる事を突き止めた

亥の刻(22時頃)すぎ、捜索の末に近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見し、近藤隊は数名で突入し、真夜中の戦闘となったようです!(◎_◎;)

この戦闘で新選組側は土方隊も加わり、目的を「斬り捨て」から「捕縛」に変更し、9名討ち取り4名捕縛という戦果を上げたことにより、新撰組の名を世に轟かせた事件でもありますね ぉお!!(゚ロ゚屮)屮


そんな「新撰組」の勇姿を思い描きながら
「池田屋華の舞」にて酒を酌み交わすのも悪くないのでは?(*^-')b


次に訪れたのは?




武市瑞山こと「武市半平太」の寓居跡

あの尊王攘夷を掲げて結成された土佐勤王党の盟主でもありますね


さらに




長州の屋敷跡!




そこはホテル「オオクラ」に!(◎_◎;)





続いて高瀬川沿いの土佐藩邸跡!


さらに




あの龍馬と共に近江屋にて暗殺された
「中岡慎太郎」の寓居跡!



でこちらの中京区にて最後に辿り着いたのが




現在は回転寿し屋の傍の




「坂本龍馬」「中岡慎太郎」遭難之地と記されたあの「近江屋」の跡!





「近江屋」の詳細に関しては、幕末探訪記の高知編にて触れておりますので、ここでは敢えて触れません(^_^;)


それにしても、今は様変わりして面影すらありませんが、↑の画にもあるように龍馬と慎太郎が今後の日本について語り合っている中、コチラに建っていた「近江屋」にて刺客に襲われ討たれたんですよね…


しばしの妄想に陥りながら吾が輩なりに「坂本龍馬」と「中岡慎太郎」を思い描きながらその場を後にしました……



ここまで長々と車に関係ない幕末探訪記をお送りしてきましたが、いよいよ次回が最終編! やっとかよヾ( ̄o ̄;)オイオイ


最終地は坂本龍馬・中岡慎太郎の墓 - 京都霊山護国神社をお送りしたいと思います(^ ^)



〜京都編〜最終編へ♪チャンチャン♪(^_−)−☆
Posted at 2014/11/15 10:41:09 | コメント(1) | トラックバック(0)
2014年11月13日 イイね!

晩秋幕末探訪記! 〜京都編〜第3部

晩秋幕末探訪記! 〜京都編〜第3部おさぶぅございます:;(∩´﹏`∩);:


東京は今朝8.8℃と今年1番の寒さで、いよいよ冬の到来に、また積雪時のあのスーパー
悪路の中の地獄の配送が脳裏をかすめた…
そんなれいキチです(u_u)
ちなみに今朝の京都の最低気温は5℃だったそうです(・_・;


さて!
高知から始まった幕末探訪記も大阪編
京都編を含め今回で5話目


そろそろご覧いただいてる皆様も車の話も出て来ない自己満World全開Blogに飽き飽きし始めてると思いますが、もう少しだけお付き合いくださいσ(^_^;)


さて
昨日は、もてなしの文化美術館

「角屋」

の立派な揚屋建築、あの新撰組の初代筆頭局長、芹澤鴨が粛清を受けた最後の晩にも宴を上げたであろう「松の間」

その「松の間」から望む「臥龍松」

そして新撰組の志士が付けたであろう

「刀傷」などなど……


屯所八木邸に劣るコトない古の良さを堪能出来コトをお伝えいたしましたが、その興奮も冷めやらぬまま、勢いに乗って次の場所へ!
(^-^)/


昨日も終盤に触れましたが、壬生より少し
南下して、
文久2年(1862年)に発生した薩摩藩の
尊皇派志士の鎮撫事件や
慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件で有名で、その坂本龍馬も常宿としていたと言われている



旅館「寺田屋」

「寺田屋」も「池田屋」も「近江屋」も結構ゴッチャになってる方も多いので(^^;;


龍馬好きの吾が輩としてはコチラは外せない場所の1つですので早速!(^ ^)



ここで、少しお話は逸れますが、過密スケジュールにて各所を廻った吾が輩なりの経験のお話を(^_^;)



観光やツアーで団体にてバスなどで廻る場合には要らぬ心配ですが、個人的に各所を廻る際、時期的なものもありますが、なるべく名所の駐車場を当てにしないほ方が得策かと
(^^;;


大きな施設はまた別なお話ですが
吾が輩が訪れた「壬生寺」「屯所八木邸」
「光縁寺」「角屋」
そしてこれから訪れようとしている旅館
「寺田屋」いずれも駐車場がないわけではありませんが、スペースが少なく、そちらに
進入していくにしてもお世辞にも広いとは言えない道筋ですので、順路を決めたら欲をかかずに、目的地1km以内の範囲でコイパなどに駐車して歩くコトをお勧めします(^_^;)


さらに欲をかいて、


「目的地により近くのコイパに!」


なんてやるとかなりの確率で


満車(ー ー;)


になりますのでご注意をσ(^_^;)
せっかくなので京の街並を徒歩で探索すると新たな発見もありますので(^ ^)


さて、本題に軌道修正!


今までの経験上から、「寺田屋」から少し離れたコイパに初号機格納!


少し歩くと何やら♪プ〜ン♪と、日本人なら
つい反応してしまう醤油の匂いが♪(´ε` )




お団子屋さんで今まさに焼き上がった


「みたらしの醤油焼き団子」(●>艸<)美味!!
歩いてちょうど小腹が空いてたので(*^-')b


これも徒歩ならではの発見!(^_−)


団子を食して再び歩き始めると






「寺田屋」に近づき、それらしい土産屋が現れ、その名も「龍馬通り」
サンジとゾロまで新撰組( ´艸`)ムププ


その土産屋通りを抜けると







拝観・開館時間 10:00~15:40
見学所要時間 約20分
休日・休館 年始1/1~1/3 月曜不定休あり
(シーズンオフの場合)

料金     
大人  400円 
大学生 300円 
高校生 300円 
中学生 300円 
小学生 200円 

幼児入場不可 30人以上団体割引
予約方法 団体のみ要予約(電話)
備考 宿泊6,500円(要予約)



では早速中へ!( ´艸`)ムププ




入るなりイキナリお宝グッズ売っとるし!
(◎_◎;)


さらにズィ〜ッと中へ




階段を上がり2階の宿へ!

ちなみに、いろは坂じゃありませんが、
「寺田屋」の階段は上りと下りが別れておりまして、コチラは上り専用(^^;;




2階に上がると奥からお龍、お登勢、龍馬、虎太朗、武市!




他にもお宝資料が ぉお!!(゚ロ゚屮)屮


そして…





いよいよ龍馬の部屋と言われている


「梅の間」





ではでは…




ほい!




ほい!




ほっほ〜い♪


そして、1階にてガイドさんによる案内が始まるとのコトで急いで下り用の階段で階下へ!


これは新撰組屯所の「八木邸」やお墓の「光縁寺」そして揚屋の「角屋」でもそうでしたが、ガイドさんの案内によるお話は、とても分かりやすく臨場感があり、自然に情景が
浮かんでくるので、こればっかりは直接訪れないと味わえないものなのではないかと思います(^.^)



1階にてガイドさんの案内を聞き終え、奥に
一般の拝観者が使用出来るお手洗いがあるのですが、その手前に…






「寺田屋」といえば

慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件で有名ですが、
その伏見奉行の捕り方に囲まれた異変をいち早く察知したのが、この風呂場で入浴中だったお龍!

画像にもありましたが異変に気付いたお龍が小窓よりそっと外を覗くと「寺田屋」の外はグルリと捕り方に囲まれていました


時刻は深夜の2時、幕府伏見奉行の捕り方30人ほど、いち早く気付いたお龍は風呂から
裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり
投宿していた龍馬らに危機を知らせました

捕り方は「肥後守(奉行)よりの上意」であるとして迫り、踏み込まれた龍馬らは「(奉行の権限の及ばない)薩摩藩士である」との嘘を主張したが、簡単に見破られてしまいました

龍馬は高杉晋作からもらったスミス&ウエッソン社製・第2型アーミーの32口径6連式ピストルで、三吉は手槍を用いて防戦して、捕り方2名を射殺、数名を殺傷させました

しかし捕り方が拳銃を持つ手を刀で払おうとして、龍馬は手の親指(左右)を負傷!

装弾ができなくなったと言うので、三吉が必死に槍で応戦する間に、辛くも家屋を脱出して路地を走り、材木屋に隠れました

三吉は切腹しようとしたが龍馬に止められて伏見薩摩藩邸に救援を求めに行くように依頼されました

薩摩藩邸にいた留守居役大山彦八は藩士
3名をつれて川船を出して救出に向かい、龍馬は九死に一生を得ることができました

すぐに京都の西郷隆盛のもとに報告が
行き、吉井幸輔が早馬で伏見に来て事情を調べ、西郷は軍医を派遣して治療に当たらせると共に藩邸で警護させたそうです




この事件では強運な龍馬は難を逃れましたが龍馬がこの寺田屋事件で捕り方を殺害して逃走したことが、後の「近江屋事件」に繋がり龍馬は殺人・逃亡犯であってこれに対する公務執行であったと、後に京都見廻組今井信郎が主張しています

この供述には賛否両論あったが、明治政府は近江屋事件への関与も今井の罪の1つと取り禁固刑の判決を出しています

これが事実ならば、
つまり「寺田屋事件」で、お龍は龍馬の命を救ったが、結局はこの騒動が彼の命を奪ったことになるわけです…
何とも皮肉なものです(u_u)


下り専用階段を降りると出口も近く





出口の扉を開ければ庭に出るコトができ、
そこには龍馬像が(^-^)


その庭内では「寺田屋」を拝観した人たちが思い思いの気持ちで目に映る「龍馬像」を眺めながら、それぞれの心の中の「龍馬象」と重ね合わせているように思えました(*^^*)






明日は、この「寺田屋」より北上し、京都の中心地の「中京区」にて幕末の志士たちの
軌跡を追っていきます(*^-')b



〜京都編〜第4部へ♪チャンチャン♪(^-^)


Posted at 2014/11/14 09:06:23 | コメント(1) | トラックバック(0)

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