
二輪のレースが、いちばん面白く、激しく、迫力があった80年代。日本人ライダーのスターは平忠彦だった。
端正なルックスから映画「汚れた英雄」のスタンドインを勤め、実力も着実につけていき、全日本では敵無しのライダーとなる。全日本、世界GP、鈴鹿8耐など、さまざまなレースで伝説を作ってきた平は、ちょうどそのころ二輪にハマっていた筆者の憧れだった。
当時の二輪レース界は、今のモトGPのように4ストロークのマシンではなく、200馬力を超えんとする2ストロークのモンスター・マシンで争われる、まさに凄まじい戦場であった。
1986年、世界GPでは、「キング」ケニー・ロバーツと「ファスト」フレディー・スペンサーの激闘時代をへて、新時代の絶対王者として「ステディ」エディー・ローソンが君臨していた。全日本では平忠彦が王者の地位を確立。平はそれまで様々な事情により日本国内のレースにとどまっていが、この年、ついに世界GPへの挑戦を開始した。まずは250ccクラスにフル参戦し、最終戦サンマリノGPにて日本人としては片山敬済以来の世界GP勝利をあげる。次に進む場所は本来の、トップ・カテゴリー500ccクラスでの世界GPである。
そんな状況の中、第14回TBCビッグロードレースが行われた。
TBCビッグロードレースは、ヤマハが持つサーキット、スポーツランドSUGOにて、毎年、シーズンが終わった直後に行われていたスペシャル・レース・イベントで、始まった当初は、ファンへの感謝イベントという色合いが強かったが、回を重ねるごとに日本そして世界のトップ・ライダーが集結し、本気でレースをするようになっていく。
第14回のTBCビッグロードレースも、その年の世界チャンピオン、エディー・ローソンをはじめ、ランディ・マモラ、マイク・ボールドウィンら世界のトップ・ライダー、そして、全日本王者(86年は世界GPに参戦していたため全日本のチャンピオンではないが、スポット参戦した2戦ではどちらも勝っている。事実上の王者)の平忠彦などがエントリーした。
ファンのいちばんの注目点は、世界王者ローソンと全日本王者、平の激突である。平は、この年の全日本最終戦鈴鹿ではホンダのエース、ワイン・ガードナーに勝っている(このレースも凄かった)ので、ローソンに勝てれば事実上、実力世界一となる。しかし、平は世界レヴェルの走りをしていたとはいえ、まだまだ日本国内のライダーという認知で、すでに2度の世界チャンピオンを獲得している絶対王者ローソンには敵わないであろうというのがおおかたの予想であった。
*****以降の記述は、ネタバレになるので、このレースを見たことがない方は、リンクの動画を先に見てから読んで頂きたい。*****
ポール・ポジションは当然のようにエディー・ローソン。レースがスタートし、中盤にさしかかってからはローソンと平の一騎打ちの様相となる。
最終シケインで、先を行くローソンをアウトから攻める平。何度か前に出るものの、アウトからのライン取りでは、続くストレートでスピードが乗らずローソンにかわされてしまう。それでも平は毎周、最終シケインでアウトから攻め続ける。抑え続けるローソン。
そして、ファイナル・ラップの最終シケイン。平は初めてインに飛び込む。なんと、それまでの執拗なアウト攻めはトリックだったのだ。アウトから来ると思っていたローソンは、当然、アウトを抑えるラインで走っていた。ローソンをかわした平だが、その差はわずかだ。チェッカーに飛び込む二台のマシンの差はタイヤひとつぶんないほどの僅差であった。平が世界チャンピオン、ローソンに勝ったのだ。
フィニッシュはまるで、映画「汚れた英雄」のラスト・シーンの再現ではないか!感動に全身が震えた。
個人的には、このレースを平忠彦のベスト・レースに挙げたい。
Posted at 2012/09/02 17:49:31 | |
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