
ディーノについては、様々な書籍や雑誌などに、すでに多くの記述があり、それらに語られ尽くしたことについては、あらためて記してみても面白くもなんともないので、ここでは割愛する。
実際に、ディーノ246GTに触れてみて思うことで、これまでに、あまり書かれたことのなかったことをお伝えしたいと思う。
いいクルマとはなにか?、悪いクルマとはなにか?それは、乗る人の目的によって千差万別である。同じ自動車であったにしろ、ある人にとっては最良でも、別のある人にとっては、まったくの無価値となる場合もあり得る。どんな自動車であれ、あらゆる要求を同時に満たすことは不可能だから、使う人の主要目的をまず考えなくてはいけない。「4tの貨物を運びたい」とか「大家族全員で、あちこち出かけたい」とか「筑波で1分、切りたい」とか「林道や雪道などの悪路を走りたい」とか「後部座席でふんぞりかえって安楽に移動したい」とかである。蛇足だが、そこのところは自動車を購入する際に考慮すべき、いちばん重要な部分である。主要目的を考えず、カッコいいとか、カワイイとか、色とか、なんとかパッケージとか、かんとかリミテッドとか、選択候補で大差ない燃費とか、カーナビとか、あとで考えればいいことを、なぜか選択理由にして、間違った高い買い物をしている人が多いのではないか(もちろん、赤くてカッコいいとかが唯一の目的ならば、それでいいけれど)。
あるクルマについて、いい悪いを語る場合には、誰がどんな目的をそのクルマに求めて、そう言っているのかをまず明確にしないと、意味が伝わらないと思うので、まずはその部分から。
たとえば、筆者の場合はこうだ。「首都圏で生活しているので、普段の移動手段には安全、確実、便利、経済的な電車を使用。求めるクルマは完全に趣味としてのものなので、走りを楽しめて(具体的にはマニュアルで、理想運動構造のミドシップで、など)、相対的に小さくて取り回しよく、しかし、きゅうくつでなく、無理な姿勢や操作を強いられず、ときには、カノジョと一緒に数週間の旅行などにも行きたい」で、そのあとで「左ハンドルで(通常、一人で乗っているぶんには、筆者にとっては左が便利で安全。過去に、もし右ハンドルだったら死んでいたという、もらい事故に遭遇した経験があるので)、カッコよくて、色は赤で…」などという感じである。
「走りを楽しめる」というのはスポーツカー的要求で、「カノジョと一緒に…」というのはGT的要求になる。簡単なようで、これらの条件を高い次元で全て満たすのは、かなり難しい。
これから述べることは、以上のような、ごく限定的な、筆者が求めるクルマについてであることを、ご理解頂きたい。それから、いい悪いとか目的とか機能とかの論点を超越した次元にある凄いクルマも、ごくまれに存在することも、つけくわえておく。
多くのミドシップのスポーツカーはその構造ゆえに、優れた運動特性とひきかえに、乗る人間からすると、狭い、後方視界が悪い、荷物が載らないの三重苦(無理な姿勢や操作を強いられ四重苦など、さらに苦が増える場合もありえる)を抱えている。本来、ミドシップという形態は、理想の動的重量配置を得るために、人間や荷物のスペースは犠牲にならざるを得ないというものだから、当然と言えば当然なのだけれど。
後方視界ゼロでバックするのもひと苦労で、固い足周りと、きゅうくつで無理な姿勢を強いられることにより、乗ることイコール我慢であり、おまけに2mはあろうかという車幅の巨体で、どうにもこうにも動きはとれず、トランクはかろうじてあるけれど、ハンドバッグ一個しか入らないでは、GTの目的は果たせない。
具体的には、カノジョと数週間の旅行をするには、長時間、乗っても疲れない姿勢がとれないといけないし、それなりの大きなバッグ数個を持っていかねばならないし、行った先で買ったお土産などの増えた荷物も載せて帰ってこなくてはいけないのだから。
もちろん、逆に、広くて荷物もたくさん載るけれど、運転することが退屈で楽しめず、できればしたくないというのでは、タクシーと鉄道や飛行機に劣るわけだから、論外である。
ディーノ246GTの、いちばんの特筆すべき優れたところは、そのパッケージング・レイアウトにあると思う。
ディーノに乗り込むと、まず感じるのは、外見の小さいという印象(5ナンバー枠に収まるほど小さい)に反して、室内が広いという印象だろう。
ホイールベースは歴代ミドシップ・フェラーリ・ストラダーレ(公道走行を目的としたクルマ)においては最短(246は308と同寸)にもかかわらず、大の大人が余裕で足を伸ばして座ることができる。そして周りを見渡してみると、360度クリアな視界が広がっている。ドア・ミラーは必要ないほどだ(実際に当時、工場から出荷された新車のディーノにはドア・ミラーはついていなかった)。この視界のよさも、広いと感じる理由のひとつだろう。308/328と比べると、車高はほぼ同じなのにヘッド・クリアランスは大きく余裕がある(308/328は、シート座面が高いのか、絶対的にヘッド・クリアランスが足りない。身長178センチの筆者では頭が完全につかえて首が曲がる)。
背中のV6エンジンは横置で、しかもパワートレーンと一体式(ミニと同じようなイシゴニス式)のコンパクト設計なので、リアのオーバーハングに大容量のトランクを持つ。さらにフロント・カウル内のスペア・タイヤを降ろし(最近のミドシップ・フェラーリは、スペア・タイヤを諦め、パンク修理剤に替えて、トランクのスペースとしている)、そこをトランクとして活用すれば、さらにかなりの荷物が積める。歴代ミドシップ・フェラーリ・ストラダーレにおいては、これまた最高の荷物積載量を誇る(笑) 筆者は布団袋を3つ積んで運んだことがある。助手席にも積めば4つは運べるはずだ(笑)
走り出してみると、フロント・フェンダーの膨らみが目に入り、視界の良さも相まって車両感覚がつかみやすく、ストレスをまったく感じない。ステアリングを切りコーナーリングすると、ミドシップならではの素直なニュートラル・ステアで、自分の尻を中心に小気味良く旋回していく。高い速度でコーナーリングした場合にタイヤが滑りだしたとしても、その挙動はゆるやかで、自在にコントロールすることが可能だ。3ペダルのマニュアルを操作し変速をこなす。もし、ヘタに操作すると、うまく走ってはくれない。オートマティック車では決して得られない、自分の操作にクルマが、そのまま応えてくれる趣味性である(スポーツカーとは、走りを楽しむ=うまく操作することで楽しみを得るためのクルマであるのに、最近ではなぜ、みなセミオートマなどにするのかがわからない。失敗のない速い全自動変速でタイムを削る必要があるのはレースで競い合う場合だけではないか)。アクセルを踏み込む。キャブレターの吸気音とエキゾースト・ノートのコーラスが、もっともっとと歌っている。クルマと一体になったかのような心地よい錯覚すら感じ、感動が沸き上がる。楽しくてたまらない。
ワインディング・ロードを思い切り楽しんで、景色のキレイな場所でひと休み。もし、それがカノジョとの旅行の最中なら、記念写真の一枚も撮るだろう。思い出の写真に残るクルマはもちろん、絵になるカタチをしているにこしたことはない。
ディーノは、運動性において理想形態のミドシップによるスポーツカーの楽しさと、GTとしての機能を高度な次元で両立し、しかも、美しくまとまっているという、希有なクルマなのである。
しかし、ディーノは、40年以上前の技術と素材で作られた古いクルマだから、壊れたり、腐ったりしてしまう。
ざっと、筆者が経験した故障だけでも、クラッチ・ワイヤー切れ、アクセル・ワイヤー切れ、点火トランジスタ破損、ウインドウ・レギュレーター・ワイヤー切れ、水温計センサー接触不良、クラッチ板割れ、三角窓ストッパー剥離、ベルト切れによるオーバーヒート、タイヤのパンク、カウル・オープン・リンケージ・ワイヤー切れ、ディストリビューター破損。セルモーター破損、燃料ポンプ破損、オルタネーター破損、キャパシター破損…えっと、他に何があったっけ(笑)いちばん、面白い(笑)のは、ステアリング・ホイール、いわゆるハンドルが折れてしまったことだ。革巻内部のウッドが折れた。40年もたてば、ステアリングも折れると。
以上の故障歴を見て、どう思われるだろうか?いくら調子いいときにサイコーのクルマでも、故障ばっかのダメグルマじゃん、と思いますか?
違う。逆に素晴らしい。
なぜかと言うと、この故障歴はクルマの基本の完成度の高さを証明しているからだ。故障内容をよく見直してみてほしい。壊れたのは、補機、電装、消耗品、不可抗力、そして、当時の材質の経年劣化だけ(筆者の整備怠けも原因のひとつだろうが)なのだ。おかしなところが元々あって、どうしようもないということは、ほぼ皆無だ。悪く言ったとしても、フェラーリの、納入業者選択ミスといったところだろうか。
例えれば、カーステレオが壊れたって、そのクルマが悪いわけではないのだ。
冒頭に記した、狭いとか、荷物が載らないとか、カッコ悪いなどは、動かさなくとも、求める主要目的を冷静に考えれば、わかることなのでまだいい。
クルマが悪いというのは、エンジン搭載位置がおかしくて急激にスピンして怖いとか、オイル潤滑設計に問題があってオーバーヒートばかりするとか、車両感覚がつかみづらく何度もブツけてしまうとか、カウルの開く方向が前方だったので甘かったロックが走行中に外れて風にあおられガバッと開いて死にそうになったとか、空気の流れがおかしくスピードを出すと浮いてしまうとか、オーバーレヴさせたわけでもないのにドライヴ・シャフトが折れたとか、どんなにセッティングしても真っ直ぐ走らないとかアンダー・ステアがひどいとか…。そのような、どうすることもできない根本的なことなのだ。
ディーノは、今のところ、筆者にとっては最良のクルマである。不満点はたったの2箇所だけ。
ひとつは、エンジン・カウルの開きが足りないところ、開閉アームの構造をもうちょっと考えてくれたなら、もっと開くことは可能だろうにと思う。V型エンジン横置のミドシップで、このカウル開度(角度30度くらいか)では、前バンクの整備に非常に苦労する。
もうひとつは、オイルパンの構造である。クルマの構造上、シフト・コントロールとギア・ボックスの間にエンジンが位置することになるので、シフト・リンケージ・シャフトがオイルパンを貫通しているのだが、もうちょっとオイルパンの構造を工夫して、トンネル一体成形オイルパンにしてくれてたらと思う。オイルパンの前と後ろに穴を開けて、シャフトを通しガスケットで穴をふさいでいるだけなので、素材の劣化によりどうしてもそこからオイル漏れしてしまうのだ。
しかし、ディーノはその魅力で、このような小さな不満点など忘れさせてくれる。
わかりやすい世間一般的な目線で記してみたい。
流麗なスタイリングで目立つことは目立つが、丸っこく小さなサイズだからなのか威圧感はない。むしろ、親しみやすさを感じさせるので、とにかく多くの人から声をかけられる。筆者は内向的で、人見知りもひどく、ともすればどんどん孤独になっていく、どうしようもない性格なのだが、そういう人間のネガティヴな面まで、ディーノが補ってくれていると言っても過言ではない。たまに会って楽しく食事したりする友達がいるのも、ご近所のみなさん方と仲良くなれたのも、みんなディーノがきっかけなのだ。
跳ね馬のエンブレムが輝く、いわゆる「フェラーリ」は、おうおうにして近寄り難い雰囲気があるのは事実だと思う。クルマに詳しくない人にだって「Ferrari」と書いてあればわかるわけだし。根拠のない悪意を抱かれることだってある。
ディーノが多くの人に興味を抱かせるのは、フェラーリというブランドの威光からではない。ディーノは、クルマのことなどまったく知らない人にも声をかけさせてしまう不思議な引力を持っている。実際、ディーノと知って声をかけられることと同じくらい、フツーのおばちゃんに「これって、なんてクルマなの?」と声をかけられる機会が実に多いのだ。これは、けっこう凄いことではないかと思う。このような観点からも、クルマそのものが持つ、高い魅力が証明されているのではないだろうか。ディーノはフェラーリであるだのないだのと語られることが多いけれど、逆に、フェラーリであろうがなかろうが関係なく魅力的という凄さにこそ、価値があると思うのだ。
前述の、スポーツカーとGTの、相反する条件を満たしていることに加え、目で追わずにはいられない大いなる存在感と親しみやすさの、これまた相反する魅力を同時に持つ。それがディーノなのだ。そんなクルマが、他にどれだけあるだろうか。
今の技術でディーノを再現したら、最高のクルマになるはずなのだけれど。しかし、ディーノ好きは、みんなこう言う。
「新しいディーノだけは作らないで」(笑)