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ゴホッ沖田のブログ一覧

2012年09月01日 イイね!

ランボルギーニ・ミウラP400〜死ぬほどのカッコよさ。

ランボルギーニ・ミウラP400〜死ぬほどのカッコよさ。クルマとして完成度がどうとか、性能がどうでとか、そんなことはどうでもいい。いい悪いも関係ない。ただ、ひたすらカッコいい!それでいいじゃん。と、論理的思考を180度逆転させられてしまうクルマがごくまれに存在する。たとえば、ランボルギーニ・ミウラである。
マトモなクルマなのかどうかは、購入できるわけでも所有できるわけでも乗る予定があるわけでもないので、あえてここでは語らない。ミウラはそういう下世話な次元を完全に超越したスーパーカーなのだから。それに、乗ったことなどないどころか、実車が走っているところすら見たことない人間がミウラについて語れることは、どんなにカッコいいかくらいなものだ。

P400から始まったミウラはSそしてSVへとマイナーチェンジを重ね、オイル循環方式、サスペンション、フレーム、タイヤ・サイズなどを変更改良し、完成度を上げていく。でも、見た目のカッコよさでは、やっぱり「まつ毛」がついたP400かSが最高(なぜ、SVではまつ毛を取ってしまったのか?)だ。

走るミウラが見れる映画として最も有名なのは、1969年公開の「ミニミニ大作戦」だろう。この映画では、冒頭にいきなりミウラが登場し、ワインディングを駆け抜けていくシーンがある。この映画のミウラもいいけれど、筆者的には1968年公開のフランス映画「個人教授」のミウラがもっといい。
なぜなら、もし自分が、こんな経験できたなら死んでもいいやと思える、まさに夢のシチュエーションが描かれているからだ。

クルマ好きな主人公が、たまたまエンストしているミウラを見かける。エンジンを再始動できなくて困っているのは金髪の美女だ。助けてあげるよってんでエンジンをかけてあげて、そのまま運転して送っていく、こんなキッカケでその美女と恋に落ち…。

ありえない夢物語だからこそ、登場するクルマはミウラなのだ。V12の素晴らしいサウンドを響かせ疾走する美しき猛牛の姿。「カッコいい!」としか言葉は出ない。

死んでもいいやと思わせる夢のミウラだけれど、ミニミニ大作戦では、ホントに死んでしまう(笑)
Posted at 2012/09/01 19:49:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ
2012年08月31日 イイね!

トライアンフTR7~初めてのクルマとして誇れる名車。

トライアンフTR7~初めてのクルマとして誇れる名車。TRIUMPHといえばブラジャー、いや(笑)バイクだ。ましてやクルマなんて。
トライアンフといえば、カニ目(カニ目とはオースチン・ヒーレーを指すが、カタチとして)だ。モダンなウェッジ・シェイプなんて。
トライアンフといえば、英国車、当然、右ハンドルだ。アメリカ向けの左ハンドルなんて。
TR=トライアンフ・ロードスターなのにクローズド・ボディ(のちにコンヴァーティブルも追加されるが)なんて。
そんな「なんて」という全てにあてはまるのがトライアンフTR7である。

トライアンフ的には、傾きかけた会社をなんとかすべく、新機軸で、しかも大きなマーケットであるアメリカで一発、当ててやろうという目論みだったのだろうが、上記のような理由で、評価は低く、人気はなく、結果的にTRシリーズの最後のクルマとなってしまった(TR8もあるけれど、TR8はTR7のV8エンジン・ヴァージョン)。
トライアンフという会社は、84年にツブれてしまった。TR6以前の正統派は、希少価値が上がり値段も上がったのだろうが、TRシリーズ最後っ屁のTR7は二束三文となった。

筆者は85年、大学生で、二輪を降りて、初めてクルマを買おうとしていた。しかし、貧乏学生なので金はない。それでも、クルマはスポーツカーが好きで、将来、いつかは手に入れたいと思っている理想のクルマは、すでに頭の中にあった。それに向けてのステップ的な意味あいもあり、リア駆動/左ハンドル/マニュアル車/できれば2シーターが欲しかった。
友人にクルマのブローカーをやっている者がいて、そのようなことを話したところ、彼は2台のクルマを用意してきた。一台はフォルクスワーゲン・ビートル、もう一台はベルトーネX19である。ビートルは予算内で、しかもピカピカの美しいクルマだった。しかし…なにかが違う。ベルトーネX19は求める方向のクルマだったが、予算的にオーヴァーだった。筆者はどんなにがんばっても20万円以上の金は用意できなかったのだ。ビートルしかないのかと決めかねていたところ、友人はもう一台のクルマを用意してきた。それがアメリカ仕様のトライアンフTR7だった。
やや、くたびれた感のあるエンジ色。おおまかに不人気の理由も説明してもらったが、筆者は一目見て気に入ってしまった。カーマニアのウンチク陰口なんかどうでもいい。自分がよければ、それでいいのだ。清水の舞台から飛び降りる気持ちで買った。2万5千円のアパートの家賃すらやっとだった筆者には、20万(以下だったと思うが)は、それほどの大金であった。
それが、筆者の、現在までに至る異常な(笑)クルマ歴の始まりとなる。

筆者にとってはTR7は、いいクルマであったと心から思う。当時の筆者はクルマのクの字も知らない無知で、ろくなメンテナンスもせず、乗りっぱなし的な使い方をしていたにもかかわらず、故障は少なかった。もちろん、いくつかのマイナー・トラブルはあった(片目が閉じなくなったり、クラクションが鳴りやまなくなったり)けれども、故障して動けなくなったのは一度だけだったと思う。今、考えると、青くなるほどのメンテナンス不足だったというのに。筆者は、現在、70年代の旧車に乗っているのだが、ていねいにメンテナンスしているつもりでも、TR7の100倍、故障して不動になる(笑) とにかく、クルマは故障して動かなくなることもあるという、当たり前のことを教えてくれたのもTR7だ。故障して動けなくなったときは寒い冬の深夜遅くで、朝、救援に来てもらうまで、TR7の中で震えながら待ったものだ。

そして、走らせると、TR7は速かった。エンジン・パワーは低かったが速かった。もちろん最高速とか加速とかではなく、峠道のハンドリングにおいてである。まっすぐ勝負では話にならないが、峠では敵なしと言ってよかった。横に乗せた人が恐怖を訴えるスピードでも、全然、限界までいっていなかった。ショート・ホイールベースに加え、エンジンよりシャーシというか、構造や重量のバランスが勝っていたのではないか。スポーツ・ドライヴィングの基本はTR7で学んだと言える。
ルックスも個人的には気に入っていた。クラシックなカタチのクルマより、流線型やウェッジ・シェイプのほうが好きだからだ。今も、わりといいカタチだと思っている。のちに、たこ焼き屋の前に停まっていたときに、居眠り運転の軽自動車に追突されたことの修理で、色を好みのガン・メタリックに全塗装(5万円でやってもらった!)して、さらに気に入るルックスとなった。
その追突事故のときには、ボディの剛性というか、堅牢性に感心したものだ。追突してきた軽自動車は、丸めたティッシュみたいにクシャクシャに潰れていた(幸いにも運転していた人は無傷だった)のに、TR7は、ちょこっとヘコんだだけだったからだ。ちなみに、その事故は右後方から突っ込まれた。ちょうどクルマから降りようとしていたときだったので、右ハンドルだったら死んでいただろう。そのボディ剛性も、走りの良さにつながっていたのかもしれない(モノコック・フレームだったのだ。当時は知らずに乗っていた)。

あのころの無知な自分に、今の自分が会えたらと思う。そしたら、メンテナンスの大切さやイジりの楽しさなどを知ることができて、もっと素晴らしいTR7とのつきあいができただろうに(そして、絶対、手放すなとアドヴァイスするだろう)。基本的なメンテナンスすらせずに乗りっぱなしでも、けなげに、たくさんの楽しい思い出を残してくれたTR7。最後のロング・ドライヴとなった阿蘇のワインディング(写真)は今も忘れられない、きらめく記憶だ。
そして、現在につながる筆者のクルマ歴において、正しく選択した、初めての自分のクルマだったと思う。あのときビートルを買っていたら、今はどうなっていただろう。

識者に言わせれば、ダメなクルマなのかもしれない。しかし、筆者にとっては今でも、トライアンフTR7は、初めてのクルマとして誇れる名車なのである。もしも伝えられるものなら、こう言いたい。ごめんなさい。そして、ありがとう。
Posted at 2012/08/31 13:06:51 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマ
2012年08月30日 イイね!

ディーノ246GT〜相反する条件、相反する魅力。

ディーノ246GT〜相反する条件、相反する魅力。ディーノについては、様々な書籍や雑誌などに、すでに多くの記述があり、それらに語られ尽くしたことについては、あらためて記してみても面白くもなんともないので、ここでは割愛する。
実際に、ディーノ246GTに触れてみて思うことで、これまでに、あまり書かれたことのなかったことをお伝えしたいと思う。

いいクルマとはなにか?、悪いクルマとはなにか?それは、乗る人の目的によって千差万別である。同じ自動車であったにしろ、ある人にとっては最良でも、別のある人にとっては、まったくの無価値となる場合もあり得る。どんな自動車であれ、あらゆる要求を同時に満たすことは不可能だから、使う人の主要目的をまず考えなくてはいけない。「4tの貨物を運びたい」とか「大家族全員で、あちこち出かけたい」とか「筑波で1分、切りたい」とか「林道や雪道などの悪路を走りたい」とか「後部座席でふんぞりかえって安楽に移動したい」とかである。蛇足だが、そこのところは自動車を購入する際に考慮すべき、いちばん重要な部分である。主要目的を考えず、カッコいいとか、カワイイとか、色とか、なんとかパッケージとか、かんとかリミテッドとか、選択候補で大差ない燃費とか、カーナビとか、あとで考えればいいことを、なぜか選択理由にして、間違った高い買い物をしている人が多いのではないか(もちろん、赤くてカッコいいとかが唯一の目的ならば、それでいいけれど)。
あるクルマについて、いい悪いを語る場合には、誰がどんな目的をそのクルマに求めて、そう言っているのかをまず明確にしないと、意味が伝わらないと思うので、まずはその部分から。

たとえば、筆者の場合はこうだ。「首都圏で生活しているので、普段の移動手段には安全、確実、便利、経済的な電車を使用。求めるクルマは完全に趣味としてのものなので、走りを楽しめて(具体的にはマニュアルで、理想運動構造のミドシップで、など)、相対的に小さくて取り回しよく、しかし、きゅうくつでなく、無理な姿勢や操作を強いられず、ときには、カノジョと一緒に数週間の旅行などにも行きたい」で、そのあとで「左ハンドルで(通常、一人で乗っているぶんには、筆者にとっては左が便利で安全。過去に、もし右ハンドルだったら死んでいたという、もらい事故に遭遇した経験があるので)、カッコよくて、色は赤で…」などという感じである。
「走りを楽しめる」というのはスポーツカー的要求で、「カノジョと一緒に…」というのはGT的要求になる。簡単なようで、これらの条件を高い次元で全て満たすのは、かなり難しい。
これから述べることは、以上のような、ごく限定的な、筆者が求めるクルマについてであることを、ご理解頂きたい。それから、いい悪いとか目的とか機能とかの論点を超越した次元にある凄いクルマも、ごくまれに存在することも、つけくわえておく。

多くのミドシップのスポーツカーはその構造ゆえに、優れた運動特性とひきかえに、乗る人間からすると、狭い、後方視界が悪い、荷物が載らないの三重苦(無理な姿勢や操作を強いられ四重苦など、さらに苦が増える場合もありえる)を抱えている。本来、ミドシップという形態は、理想の動的重量配置を得るために、人間や荷物のスペースは犠牲にならざるを得ないというものだから、当然と言えば当然なのだけれど。
後方視界ゼロでバックするのもひと苦労で、固い足周りと、きゅうくつで無理な姿勢を強いられることにより、乗ることイコール我慢であり、おまけに2mはあろうかという車幅の巨体で、どうにもこうにも動きはとれず、トランクはかろうじてあるけれど、ハンドバッグ一個しか入らないでは、GTの目的は果たせない。
具体的には、カノジョと数週間の旅行をするには、長時間、乗っても疲れない姿勢がとれないといけないし、それなりの大きなバッグ数個を持っていかねばならないし、行った先で買ったお土産などの増えた荷物も載せて帰ってこなくてはいけないのだから。
もちろん、逆に、広くて荷物もたくさん載るけれど、運転することが退屈で楽しめず、できればしたくないというのでは、タクシーと鉄道や飛行機に劣るわけだから、論外である。

ディーノ246GTの、いちばんの特筆すべき優れたところは、そのパッケージング・レイアウトにあると思う。

ディーノに乗り込むと、まず感じるのは、外見の小さいという印象(5ナンバー枠に収まるほど小さい)に反して、室内が広いという印象だろう。
ホイールベースは歴代ミドシップ・フェラーリ・ストラダーレ(公道走行を目的としたクルマ)においては最短(246は308と同寸)にもかかわらず、大の大人が余裕で足を伸ばして座ることができる。そして周りを見渡してみると、360度クリアな視界が広がっている。ドア・ミラーは必要ないほどだ(実際に当時、工場から出荷された新車のディーノにはドア・ミラーはついていなかった)。この視界のよさも、広いと感じる理由のひとつだろう。308/328と比べると、車高はほぼ同じなのにヘッド・クリアランスは大きく余裕がある(308/328は、シート座面が高いのか、絶対的にヘッド・クリアランスが足りない。身長178センチの筆者では頭が完全につかえて首が曲がる)。
背中のV6エンジンは横置で、しかもパワートレーンと一体式(ミニと同じようなイシゴニス式)のコンパクト設計なので、リアのオーバーハングに大容量のトランクを持つ。さらにフロント・カウル内のスペア・タイヤを降ろし(最近のミドシップ・フェラーリは、スペア・タイヤを諦め、パンク修理剤に替えて、トランクのスペースとしている)、そこをトランクとして活用すれば、さらにかなりの荷物が積める。歴代ミドシップ・フェラーリ・ストラダーレにおいては、これまた最高の荷物積載量を誇る(笑) 筆者は布団袋を3つ積んで運んだことがある。助手席にも積めば4つは運べるはずだ(笑)

走り出してみると、フロント・フェンダーの膨らみが目に入り、視界の良さも相まって車両感覚がつかみやすく、ストレスをまったく感じない。ステアリングを切りコーナーリングすると、ミドシップならではの素直なニュートラル・ステアで、自分の尻を中心に小気味良く旋回していく。高い速度でコーナーリングした場合にタイヤが滑りだしたとしても、その挙動はゆるやかで、自在にコントロールすることが可能だ。3ペダルのマニュアルを操作し変速をこなす。もし、ヘタに操作すると、うまく走ってはくれない。オートマティック車では決して得られない、自分の操作にクルマが、そのまま応えてくれる趣味性である(スポーツカーとは、走りを楽しむ=うまく操作することで楽しみを得るためのクルマであるのに、最近ではなぜ、みなセミオートマなどにするのかがわからない。失敗のない速い全自動変速でタイムを削る必要があるのはレースで競い合う場合だけではないか)。アクセルを踏み込む。キャブレターの吸気音とエキゾースト・ノートのコーラスが、もっともっとと歌っている。クルマと一体になったかのような心地よい錯覚すら感じ、感動が沸き上がる。楽しくてたまらない。

ワインディング・ロードを思い切り楽しんで、景色のキレイな場所でひと休み。もし、それがカノジョとの旅行の最中なら、記念写真の一枚も撮るだろう。思い出の写真に残るクルマはもちろん、絵になるカタチをしているにこしたことはない。

ディーノは、運動性において理想形態のミドシップによるスポーツカーの楽しさと、GTとしての機能を高度な次元で両立し、しかも、美しくまとまっているという、希有なクルマなのである。

しかし、ディーノは、40年以上前の技術と素材で作られた古いクルマだから、壊れたり、腐ったりしてしまう。
ざっと、筆者が経験した故障だけでも、クラッチ・ワイヤー切れ、アクセル・ワイヤー切れ、点火トランジスタ破損、ウインドウ・レギュレーター・ワイヤー切れ、水温計センサー接触不良、クラッチ板割れ、三角窓ストッパー剥離、ベルト切れによるオーバーヒート、タイヤのパンク、カウル・オープン・リンケージ・ワイヤー切れ、ディストリビューター破損。セルモーター破損、燃料ポンプ破損、オルタネーター破損、キャパシター破損…えっと、他に何があったっけ(笑)いちばん、面白い(笑)のは、ステアリング・ホイール、いわゆるハンドルが折れてしまったことだ。革巻内部のウッドが折れた。40年もたてば、ステアリングも折れると。
以上の故障歴を見て、どう思われるだろうか?いくら調子いいときにサイコーのクルマでも、故障ばっかのダメグルマじゃん、と思いますか?
違う。逆に素晴らしい。

なぜかと言うと、この故障歴はクルマの基本の完成度の高さを証明しているからだ。故障内容をよく見直してみてほしい。壊れたのは、補機、電装、消耗品、不可抗力、そして、当時の材質の経年劣化だけ(筆者の整備怠けも原因のひとつだろうが)なのだ。おかしなところが元々あって、どうしようもないということは、ほぼ皆無だ。悪く言ったとしても、フェラーリの、納入業者選択ミスといったところだろうか。
例えれば、カーステレオが壊れたって、そのクルマが悪いわけではないのだ。

冒頭に記した、狭いとか、荷物が載らないとか、カッコ悪いなどは、動かさなくとも、求める主要目的を冷静に考えれば、わかることなのでまだいい。
クルマが悪いというのは、エンジン搭載位置がおかしくて急激にスピンして怖いとか、オイル潤滑設計に問題があってオーバーヒートばかりするとか、車両感覚がつかみづらく何度もブツけてしまうとか、カウルの開く方向が前方だったので甘かったロックが走行中に外れて風にあおられガバッと開いて死にそうになったとか、空気の流れがおかしくスピードを出すと浮いてしまうとか、オーバーレヴさせたわけでもないのにドライヴ・シャフトが折れたとか、どんなにセッティングしても真っ直ぐ走らないとかアンダー・ステアがひどいとか…。そのような、どうすることもできない根本的なことなのだ。

ディーノは、今のところ、筆者にとっては最良のクルマである。不満点はたったの2箇所だけ。
ひとつは、エンジン・カウルの開きが足りないところ、開閉アームの構造をもうちょっと考えてくれたなら、もっと開くことは可能だろうにと思う。V型エンジン横置のミドシップで、このカウル開度(角度30度くらいか)では、前バンクの整備に非常に苦労する。
もうひとつは、オイルパンの構造である。クルマの構造上、シフト・コントロールとギア・ボックスの間にエンジンが位置することになるので、シフト・リンケージ・シャフトがオイルパンを貫通しているのだが、もうちょっとオイルパンの構造を工夫して、トンネル一体成形オイルパンにしてくれてたらと思う。オイルパンの前と後ろに穴を開けて、シャフトを通しガスケットで穴をふさいでいるだけなので、素材の劣化によりどうしてもそこからオイル漏れしてしまうのだ。

しかし、ディーノはその魅力で、このような小さな不満点など忘れさせてくれる。
わかりやすい世間一般的な目線で記してみたい。
流麗なスタイリングで目立つことは目立つが、丸っこく小さなサイズだからなのか威圧感はない。むしろ、親しみやすさを感じさせるので、とにかく多くの人から声をかけられる。筆者は内向的で、人見知りもひどく、ともすればどんどん孤独になっていく、どうしようもない性格なのだが、そういう人間のネガティヴな面まで、ディーノが補ってくれていると言っても過言ではない。たまに会って楽しく食事したりする友達がいるのも、ご近所のみなさん方と仲良くなれたのも、みんなディーノがきっかけなのだ。
跳ね馬のエンブレムが輝く、いわゆる「フェラーリ」は、おうおうにして近寄り難い雰囲気があるのは事実だと思う。クルマに詳しくない人にだって「Ferrari」と書いてあればわかるわけだし。根拠のない悪意を抱かれることだってある。
ディーノが多くの人に興味を抱かせるのは、フェラーリというブランドの威光からではない。ディーノは、クルマのことなどまったく知らない人にも声をかけさせてしまう不思議な引力を持っている。実際、ディーノと知って声をかけられることと同じくらい、フツーのおばちゃんに「これって、なんてクルマなの?」と声をかけられる機会が実に多いのだ。これは、けっこう凄いことではないかと思う。このような観点からも、クルマそのものが持つ、高い魅力が証明されているのではないだろうか。ディーノはフェラーリであるだのないだのと語られることが多いけれど、逆に、フェラーリであろうがなかろうが関係なく魅力的という凄さにこそ、価値があると思うのだ。

前述の、スポーツカーとGTの、相反する条件を満たしていることに加え、目で追わずにはいられない大いなる存在感と親しみやすさの、これまた相反する魅力を同時に持つ。それがディーノなのだ。そんなクルマが、他にどれだけあるだろうか。

今の技術でディーノを再現したら、最高のクルマになるはずなのだけれど。しかし、ディーノ好きは、みんなこう言う。

「新しいディーノだけは作らないで」(笑)
Posted at 2012/08/30 18:13:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ
2012年08月29日 イイね!

フェラーリF50〜最初で最後の、公道に放たれたF1。

フェラーリF50〜最初で最後の、公道に放たれたF1。F40から始まったフェラーリの、ストラダーレ(ストリートむけ=量産市販車)とは一線を画す、特別な限定生産車であるスペチアーレ(スペシャル)は、F40(1987年)、F50(1995年)、エンツォ(2002年)と、現在までに、ほぼ10年に一度(でもないけど)、3種類が作られた。F40、F50は、フェラーリ40周年、50周年の意味である。エンツォはF60にあたる(なぜ、F60ではなくエンツォという車名なのかは不明)。1973年の365GT/4BBも当初はスペチアーレだったようだし、1984年の288GTOもスペチアーレとするという見方もあるが、BBは結果、ストラダーレだし、288GTOは、プレF40的な要素が強いので、ここではF40からとさせて頂く。

プロデューサーは、F40がエンツォ・フェラーリ(ややこしいけど、車名ではなく人名)。F50がピエロ・フェラーリ。エンツォ(ややこしいけど、人名ではなく車名)がルカ・ディ・モンテツェモーロだ。
エンツォは言わずと知れたフェラーリの創始者で、モンテツェモーロはフェラーリ社の会長として有名だ。比較的、知られていないピエロは、エンツォの実子(アルフレード=ディーノとは異母兄弟)である。

で…F50である。歴代スペチアーレの中でも、F50が一番、凄いんである。
なぜかというと、公道を走れる、唯一の、真のフェラーリの世界を具現化したマシン(もう、あえてクルマとは言わない)だからである。

真のフェラーリの世界とはなにか。F1である。

F40は確かに速いクルマだ。でも、F1じゃない。V8ツインターボの速いクルマでしかない。
エンツォも確かに速い。でも、F1じゃない。運転者の快適さも考慮してしまったV12の速いクルマでしかない。

ところが、F50はF1なんである。ホントにほぼF1なのだ。

F50は、歴代フェラーリF1マシンの中でも最も美しいと評される641/2をもとに作られた。F1マシンは屋根が無く、コクピットが露出していて、エンジン/パワートレーンがカーボン・モノコックにボルトで直接、剛結され、フレームとしても機能しており、リア・サスペンションもエンジン/パワートレーンに直接、取り付けられている。もちろん、それらは、レースに勝つことのみを目的に考えられた所作で、運転者の快適さなどは微塵も考えられていない。もちろん、ロード・カーをそんな作りにしたら、大変なことになってしまう。でも、それを、そのまま、やっちまったのがF50なんである。5ヴァルヴもF1から。エンジン・ブロックだってF1マシンと共通部品(!)なんだから。

技術の進歩で、速さやパワーは、確かにエンツォのほうが上だ。
でも、エンツォは、F50ではちっとやりすぎちゃったかな?ってんで、ウイングもないし、屋根もパワー・ステアリングもつけたし、エンジンも、4ヴァルヴに戻して、フツーにモノコックから伸びたサブ・フレームに搭載してあって、快適に運転できる。要は、355とか458とかテスタロッサ(最後のミドシップV12モデル・シリーズとなった。のちのV12ストラダーレは全てフロント・エンジン。ミドシップV12でストラダーレは無理なのだ)とかのミドシップのストラダーレを、拡大解釈していった延長上のスペチアーレにすぎないのだ。加えて言うなら、F40はまだ、源流を辿ると、レーシング・マシンが見えてくるし、ル・マンなどにレース参戦があった。F50はレース参戦はないけれどF1マシンがもとだ。しかし、エンツォにはレースの背景がない。ただのスーパーカーだ。ちなみに、F50以降のスペチアーレの購入者は、レースに出ないという誓約書にサインさせられるらしい。

F50の凄いところは、F1マシンをデチューンした延長上にあるというところだ。フェラーリだけの話ではなく、この世界のあらゆるクルマを対象に考えても、こんな過激な構造のマシンはなかったし、これからも作られることはないだろう(某雑誌でフォーミュラ・マシンに保安部品つけてナンバーとったなんてのは見たことあるけど、これはメーカー生産ではない珍車の部類)。

F50は、パッと見は、丸い目をしたファニー・フェイスで愛嬌があるけれど、いったん、エンジンに火が入ると、助手席に座った人と会話するにもヘッドセットが必要なほど(ハード・トップ装着時)で、中身はF1マシンそのものなのだ。

フェラーリ唯一のV6であり、初のミドシップであるディーノ(ディーノもF2/F1マシンの流れをくむ)を企画したアルフレード。フェラーリ唯一の、公道を走るF1を企画したピエロ。フェラーリのエポック・メイキングを創始者の二人の息子が企画した点が興味深い。

以上をふまえて、下記のF50の動画を見ると、F1マシンが透けて見える…と思うんだけど(笑)
Posted at 2012/08/29 16:57:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2012年08月28日 イイね!

クルマを買うことはギャンブルだ。

クルマを買うことはギャンブルだ。よく中古車を買うことは、ギャンブルだと言われる。それは、中古車にはシロウトでは見抜けない悪いところがある場合が多いからだ。たとえば、実は事故車だったとか、致命的な故障を抱えていたとかである。中古車だから、過去、どのような扱われ方をして、今、ここにあるのかわからないわけだから当然だ。古くなれば古くなるほどわからない。では、新車ならば安心して買うことができるのだろうか?

買って得した損したという意味での価値について、あえて思い切り、下世話に記す。

生活に使う道具としての自動車は、安くて壊れなければそれでいいから、買ったあとで後悔することは少ないと思う。しかし、問題なのは、趣味なクルマだ。趣味の度合いが高まるということは、安くて壊れないではなく、買った人をいかに満足させるかということに重点が移ってくるので、凝った作りになる。凝った作りになればなるほど、機械のオートメーションで作ることから、職人のハンド・メイドになってきたりして、個体差が出てくる。しかも、より高価になっていく。さらに、ひとつのモデルでも、たびたびのマイナーチェンジ(以下ヴァージョンと記す)で、買った直後に魅力的な改良がされたものが出て損したと思うこともあるだろう。
つまり、新車を買う場合でも、新車なりのギャンブルをしなくてはいけないのだ。モデル最終ヴァージョンの新車を買えば(これだけでもけっこう難しい)いい?しかし、タイミングを逃すと新車が買えない。生産終了してしまってからでは、マイナーチェンジで損することはない(とも限らないのだが。後述)としても、中古車しか買えないからだ。しかも、次の新型モデルはもっと魅力的だ。そして新型モデルも当然マイナーチェンジが控えていて…。満足できる新車を買うのは、ある意味、中古車購入より難しいとも言える。

あるモデルの生産が終了してのち、そのモデル全体を俯瞰して初めてわかることがある。そのモデルにおいて、どのヴァージョンが一番よかったかということだ。そう。モデル最終ヴァージョンが正解とは必ずしも言えないということがわかるのだ。この点がわかるところは、中古車購入に分があるが、わかったところで、そのヴァージョンを買いたくても、すでに売り物がなくて買えないとか、プレミアがついて余計な金を払うハメになったりする。

実例をあげて検証してみよう。ピッコロ(=小さい。フルサイズはV12エンジン)と呼ばれるV6/V8エンジンのフェラーリがわかりやすいかもしれない。
全モデルをあげていくとキリがないし、結果どうだったという話なので、20世紀に発売されたミドシップ・2シーター・モデル・セグメントに絞って、できるだけ簡単に記す。スペシャル・ヴァージョン、タルガ・トップなどのボディ形状の違い、国別仕様の違い、288GTOとF40(別枠のスペシャル・モデル)は割愛する。
おおまかなモデルの変遷は、横置V6エンジン(ディーノ)→横置V8エンジン(308、328)→縦置V8エンジン(348、F355、360モデナ)となる。

ピッコロ・フェラーリの祖であるディーノは、大きく分けると2ℓの206GTと、のちにかわって発売された2.4ℓの246GTのふたつのヴァージョンがあり、さらに246にはLタイプ、Mタイプ、Eタイプの3つのヴァージョンがある(生産順)。206GTはアルミ・ボディ、アルミ・エンジンにより軽量であり、実は246よりひとまわり小さい。ハンド・メイドで生産台数も極めて少ない。246になってからは、材質がアルミから鉄に変更された部分が多く、作りもオートメーション化が進み、生産台数も多くなる。V6ディーノというモデル全体では、価値の高さ順では206→Lタイプ→Mタイプ→Eタイプとなる。希少性や外観などによる。つまり、個体別のコンディションを考えずに、V6ディーノだけに限って言えば、古ければ古いほどいいのだ。

ディーノの基本構造そのままにV8エンジンを積んだモデルが308と328である。308は3ℓで、328は3.2ℓである。
308は、ボディがグラスファイバー製の軽量の初期ヴァージョンが少数作られた。そののち、ボディは鉄となり、キャブレターからインジェクションへ、2ヴァルヴから4ヴァルヴ(クワトロヴァルヴォーレ)へとマイナーチェンジを重ねる。アメリカの排ガス規制に対応させた初期のインジェクションはパワーが出なかった。イタリアの税制に合わせた2ℓの208と208ターボという308の亜種も作られた。生産順ではグラスファイバー・ボディ→キャブレター→インジェクション→208→208ターボ→クワトロヴァルヴォーレだが、価値順ではグラスファイバー・ボディ→キャブレター→クワトロヴァルヴォーレ→208→208ターボ→インジェクションとなる。希少性やエンジン・パワーなどによる。
328は、前期と後期ABS装備ヴァージョン(ホイールの形状で判別できる)がある。この頃のABSは出来がよくないので、価値は前期のほうが高い。

それまでの横置エンジン、ラダー・フレームから、縦置エンジン、モノコック・フレームのモダンな構造へと激変したのが348以降のモデルである。
348は、結果的にはF355のプロト・タイプ的なモデルで、新技術熟成不足による欠陥を抱えていた。
F355は前期→後期→セミオートマとマイナーチェンジした。後期ヴァージョンではXRシャーシというフレーム強化とインジェクションの改良がなされる。新技術セミオートマは熟成不足であった。価値順では後期→前期→セミオートマとなる。
360モデナはマニュアルとセミオートマがあり、これも熟成不足からマニュアルのほうがよい。しかし、360モデナは、車格が大きくなる新世代V8モデルのプロト・タイプ的な存在で、348と同じように欠陥が露呈し、ほどなく、十分に熟成し完成度が高かったF355より価値が低くなってしまった。

今となって、おおまかに判断すると、モデル自体の価値は、生産順とは異なる。価値順ではディーノ→F355→308→328→360モデナ→348となる。F355から328は同じくらいか。もちろん個別のヴァージョンにより違いはある。それに加えて、国別仕様によっても、また違ってくる。たとえば、308グラスファイバーはディーノEタイプUS仕様より上にくると思われる。

個体ごとに異なるコンディション(新車でも当たり外れはある)を考えずとも、こんなである。どんなクルマであれ、新車で買う人がいるわけだが、最高のチョイスだと、その時点で誰が判断できようか。最終ヴァージョンを狙って買ったら正解?とんでもない。排気量が小さいほうが、V8よりV6が、新技術がないほうが、新しいものより古いもののほうがいい場合があるのだ。物量や大きさや新しさだけでは決まらないのが,モノの価値というものなのである。

ディーノはマイナーチェンジを待って最終型を買って失敗。308ではどうだかわからないから、迷ってる間にグラスファイバーを逃した。鉄ボディのキャブはグラスファイバーよりよくないからインジェクションを待って買った。結果、一番アンダーパワーを買ってしまった。もうちょっと待てばクワトロヴァルヴォーレが出たのに。失敗。それなら328は最終型にしよう。328は結果、初期型がよかった。失敗。新しい構造の348が出た。今度こそすぐ買った。失敗。355まで待てばよかった。355は最終型まで待ってセミオートマを買った。失敗。新型360は少なくとも355よりはいいだろうと思って買った。失敗…。こんな、笑うしかない悲惨なマニアだっていないとは言えないのではないか。

フェラーリのような趣味に特化したクルマではなくとも、このようなことは多々あると思う。新車であろうが、中古車であろうが、クルマを買うということはギャンブルだ。のちに、このクルマを買ってよかったと思えたならば、それは、まさに幸運なのだ。
Posted at 2012/08/28 21:02:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ

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