2013年09月12日
一昨日の新聞にオリンパスがミラーレスに特化し
一眼レフ撤退表明の記事にやはりという心境だ。
物心ついたときからオリンパスと言えば初心者向け
低価格と言ったイメージが先行し性能重視感はない。
しかしながら幼少からカメラ小僧であった親父曰く
昭和39年発売ペンタックスSPが世界初TTL測光を
搭載し誰もが失敗しないカメラは画期的だったとか
世界初ハーフサイズ一眼レフオリンパスペンFなどは
ミラーの跳ね上がり問題をポリプリズム方式に改め

フォーカルプレーンシャッターからロータリーシャッターを採用するなど特許は50を超える。
そんな親父も御曹司の家系でもないから今のワタクシ同様憧れのカメラが多かったそうで
昭和34年発売のニコンFの描写力は4×5㎝判を超えライカを凌駕し歴史を一変させた
名機で定価67000円という価格はボーナスでは足りず日々威光を遠目でみたそうだ。
結局家庭内事情もありニコンF・ニコマートFT・FSと時代は流れ昭和46年発売のF2まで
指をくわえて沈黙を守りその間は現在私の所有物になっているアイレス写真機製作所の
アイレスEVERが当家の歴史を克明に記録していった話を昨日聞いた次第である。
また本日のブログで“ホッシー!”さんが昭和40年代の話をUPされており今回の記事も
昨年からUPする機会を失っていたところオリンパスの記事も相成り陽の目を見た次第だ。
カメラに限れば3・40年代のカメラは“初”が目白押しで親父の独断であげるとするならば
昭和34年のオリンパスペン~48年ライツミノルタCL~49年ピッカリコニカ~人生初の
フジペット35が挙げられる。カメラの世界を女性の視点で~日独合作ライカM5と同機能~
フラッシュ付コンパクトカメラ1号で誰もが失敗を恐れず撮るようになったなど偉業は大きい。
昨晩は酒が入った親父のカメラ談義で小一時間以上聞かされたが特に興味深かったのは
昭和36年発売の“キャノン7”だ。露出メーターが日本初搭載されレンズに特徴がありまして
50㎜F0.95という驚がく的な明るさのレンズで後にも先にも聞いたことがありません。
当時のキャッチコピーは“猫の眼より明るく光の壁を破ったキャノン7”だったそうな。
またラジオ付カメラの“ラメラ”など試行錯誤な感もあるが自分には意気込み背伸びをする
姿が見えてならずこんなエネルギーをバックに誕生していったと思うとトキメイテならない。
今現在のモノ作りの姿勢にとやかく言う資格はない。だが日本から世界を驚かせるモノを
待ち望んでいるのは私だけでは無いはずだから。
Posted at 2013/09/12 09:35:18 | |
トラックバック(0) |
徒然日記 | 日記