色々迷ったけど~・・・
先日の-オチが赤っ恥なブログ-の続きを懲りずに上げる決意です。
もぉ~ね、ボクも悲しい事にアラフィフですよ、それでいてこんな事上げるのはかなり女々しくも、恥ずかしくも感じない訳でも無いんですけど残します、これも何かの縁、恥の書き捨て~。
前回ブログネタ(それも全然車って無い)を作るにあたって偶然発見した忘却の封筒‐
これにて追憶の彼方として無形化します、小さな歴史の終焉にこれを添え残します。
オヤジのカミングアウトです、長いです、私以外どうでもイイ事です。
(念押しましたからね、ココで閉じて下さいね、お願いね‐)

後生大事にとっておいたこの手紙、差出人はGF 受け取ったのは高校卒業直後、
今から30年以上前!!
当時の“かのじょ”ではありません、GFです。
でも時を経て、ひっそり白状しますが、ボクは貴女に淡い気持ちを感じてました。
以前から上げてる様に中坊の頃から‐軍用機バカ‐だった‐オレ‐はその見返りで高校入試時に大いなる人生の分岐点を迎えました。
まずはそのエピソードを。
受験勉強なんてほとんどせずに基地通いばかりしていた‐オレ‐は当然の報いとして志望校にことごとく落ちまくりました。
人生最初の挫折です、かなり世の中を舐めちぎってた結果です。
中3の担任に言われるまま、滑り止めで受けていた(受けた記憶すら無く‐)高校にしかたなく通う事になります。
入学式の日‐
小中から近所なツレと一緒に登校しつつ、周りを見てふと思い立つ‐
『おい、この学校って男女別の日に入学式すんのか? 野郎ばっかりじゃねぇか』
『・・・お前・・・バカ??』
『貴様と同じ位バカだからココにいるんだが悪い??』
『ここ男子校な‐』
う・そっ?!?!
こうして早くも人生2度目の挫折をセットでBAD方面にチョイスしてしまった瞬間を迎えたのでした。
当然やさぐれ方向に邁進する事になります、不健康帰宅部へ入部です、学校生活の全てに無関心でした、極力この空間に滞在したくありませんでした。来る日も来る日も基地通いに拍車をかけて‐現実逃避‐へハマって行きました。
‐
オレの世界‐へ引き籠り状態デス。
で、GFの事なんですが貴女とは生まれが2日しか違わない‐母親同士が院内で知り合った生まれる前からのママ友同士でありました。
双方寿退院にて以後、さようなら、お元気で。
ところが幼稚園で再会して(母親同士)双方ビックリ。
それでも住居はそこそこ離れていたから卒園以降は再びさようなら、お元気で‐な間柄でした。
(※だそうです、ココまでの私記憶はまったくありません、因みに微笑ましい幼稚園児だった貴女は私のお嫁さんになりたがっていたそうです‐この点に関しては、念書かなにか残しておいて欲しかった限りです‐と後々所帯を持つまでは思ったりした時もありましたっけ)
貴女が律儀だったのかお母様に促されていたのかは知りませんが(間違いなく後者だろう)折に触れ、年賀状やら暑中見舞いやらが時々届いていたのですが‐
つど、母上に強要され、半ば嫌々、義理に感じて返信だけはしていた様に記憶します。
(そもそも‐卒園アルバム以来の面影すら見知らず‐)
‐元気にグレてます、不本意ながら所ジョージの後輩になってしまいました‐
(※当時は恥ずかしかったんですが、今の所ジョージさんの大成ぶりにちょっと自慢事に変わってます)
みたいな返信をしたんでしょうが‐どういう風の吹き回しか知りませんが、
突然貴女から
“再会しよう”と返信が届いたのでした。
記憶が確かならば多分高2の頃です、お互い16才位です、センチメンタルジャーニーです。
以降便宜上“いよちゃん”とでもしておきましょう
(実際かなり似てるお名前)
全然乗り気じゃありませんでした。
対人無関心、(表向き)女の子無関心全開モード中でした、ジェームス・ディーン状態です、理由なき反抗まっただ中でした。
(一応、オレ名誉の為、添えますが折々に“かのじょ”とかいない訳でもなかったんですが‐)
と言う打診が来たゾ‐と渋々母上に報告した所、親同士が懐かしんでトントンと再会の場がセットアップされ(それは貴女の家)‐
だりぃ~なぁ~、だった汚い男子高校生‐オレ‐は‐
雷に打たれる事になったのでした。
そうです、“いよちゃん”は恐ろしく魅力的な女性になってたって事です、コレまさに‐想像を絶する‐
(まぁ、想い出は時と共にドンドン美化されて行くし、手の届かなかった“高嶺の花”は一際なんでしょうが、私の記憶の中で“いよちゃん”程、エクボも愛くるしいチャーミングな女性に出会った記憶がありません、貴女談‐確かにそうだと知ったけど森尾由美さんに美形似た娘でした)
オヤジになって客観的に見れば、これは立派な‐
一目惚れ‐ちゅ~事ですよ。
但し‐
貴女には可愛らしい上に気品を感じました、育ちの良さが滲み出ていたような印象、近寄り難しデス。
かなり劣等感を感じた憶えがあります。
貴女の部屋は洋間でベッドでソファした‐オレの城は畳で布団で座布団でした。
貴女は小洒落た最新CDプレーヤー所有‐オレのは古臭いレコードなハイファイセット。
貴女は頭良さそうでした‐オレはバカ丸出しでした。
貴女は繰り返すけど美貌でした‐オレはニキビ面のじゃがいも野郎でした。
もぉ~全然つり合わない、ってか自分がこれ以上惨めになるのはイヤなのよ‐
当時はホントに色々な事を捨てたつもりの劣等感満載ガキだった事よ。
オレニカマワナイデクレ‐の筈が‐
その後、何度か行き来した憶えがあります、電話もかかって来ましたっけ‐
ついには“いよちゃん”はお友達を連れだって、無彩我が母校の文化祭に来てくれたりもしました。
返礼に女子校文化祭に誘われましたが、すっぽかして行きませんでした。
これは同級野郎におもいっきり恨まれた憶えもあります。
うん、どうしていいのか解らなくて、つっぱってたんです、蒼き頃の未熟ゆえ‐
今の時代ならメアド交換したり、LINEしたりしたんでしょう、大した労力も払わず親睦を深める術は山ほどあります、ま、“いよちゃん”にしたら幼馴染のよしみな無害なBFと捉えていた事と思います。
好奇心な対象でしかなかった筈だと大人になって想像がつきますが、当時は逢うだけでドキドキして敵いませんでした、青二才だった事よのぉ~。
そう言えば“いよちゃん”は巨人ファンでした、原選手ファンでした。
「後楽園一緒に行こう」
「巨人キライ、航空祭行こう(※なんてバカ)」
「ヒコーキ見たくない」
-など電話で語った憶えもあります。
東京芸術映画祭??だかなんだかの鑑賞に誘われた気もします、
当然
「RAMBO 怒りの脱出以外興味無い」と硬派って断りました。
こうして時々電話があって‐、時々手紙が来て‐、お互いの距離感も関係も何も変わらず、高校卒業を迎えたんでありました。
さて、こうして自分の面倒もろくろく見れなかった私ですが‐
‐現実逃避なオレ世界‐を3年‐以上費やして、秘めた決意がありました。
もう2度は失敗しない‐
大学には行かない‐自分のやりたい事をする。
と言う美しき(でも結局勉強したくない)大志を持って、その術を身に着けるべく専門学校へ進む事になります。
全寮制‐生まれて初めて親元を離れ、千葉移住です‐ぼっちになる‐不安から、気取って、自分から偉そうな手紙を“いよちゃん”に出した憶えがあります。
あわよくば、このまま時々連絡が取れれば、心の寄り所になるだろう‐みたいな邪心が多分にありました、弱い小僧でした。
春休み中には返事が無くて、千葉へ引越し‐実家から小包に入れられ転送された手紙が手元に届いたのは
『地獄の専門学校生活』が始まった後でした。
その返信がかの封筒な手紙です。
便箋2枚にはびっしりと自筆の可愛らしい女の子ちっくな丸文字が埋め尽くされてました。
自分の未来を切り開こうとする姿勢に感銘を受ける‐との激励が大筋でした。
男の大志を貫いて欲しい‐とも鼓舞してくれてました。
それから‐読み終わる頃には‐自失茫然‐だったんだけど、カナダに語学留学するのが急遽決まったと記されてました。
この手紙が届く頃はもう日本を発っている筈だ‐と。
私も負けないように頑張るネ‐と。
おおっ!! 成田空港ってすぐそこじゃねーのっ!!‐と絶句。
そして、最後の追伸一行がこの手紙を処分出来なかった‐と言うか、その後(女々しい自白だけど)どれだけこの一行を読み返しただろうと思える程、後の私の支えになっていきます。
そこには、
-あなたの用意で、ある場所へ、
‐
早く連れて行ってネ‐ と添えられていたのでした。
時が経って確信するけれど、これは贈る言葉の社交辞令だった事でしょう。
貴女には大した真意は無かった筈です、大体、私が近況報告をしなければそのまま音信不通となっていた訳です。
まぁ真意なんてこの際どうでもイイんです。
小っ恥ずかしい事を惜しげも無く晒すけど、この一行を成せる為にもその後、死にもの狂いで勉強しました。
もう2度は出来ない‐やりたくない位、勉強した2年間でした。
勿論、全ては自分自身の為だったんですが、心折れそうな時、そっとコレを見ました‐何度も。
確かその夏にもう一度カナダからエアメールの絵葉書が届いた憶えがあります。
カナダの雄大な景色を背景にPT17ステアマン複葉機が佇んだ写真でした。
“いよちゃん”が、わざわざ飛行機な絵葉書を探してくれたのか、偶然見つけて“飛行機バカ”を想い出してくれたのかは判りません・・・そうだ‐この絵葉書はどうしたんだっけか・・・
エアメールの送り方が判らなかったんで返信しませんでした‐ってか、“いよちゃん”のオーダーにはまだまだ応えられない未成年小僧のままでした。
2年後‐修学して社会人になったからと言って、貴女の願いが叶えられる訳ではなかったんで、まだまだやらねばならない事が山積みだったし、そこを目指すのが明確な自分の願望そのものでした。
もっとも、その頃には仕事が楽しくて楽しくて、もう貴女も手紙の事も忘れてたと思います。
多分、処分するのは忍びなかったんで、月刊誌のバックナンバーに挟んだんだと思う、その経緯すらいつそうしたのかさえもはや忘却の彼方‐
まぁ、それにしても20代はクソクソに働いたし、勉強したし、遊んだし、目まぐるしく日々が流れて行ってました‐刻々と諸々の事柄を過去へ押しやって行ったもんです。
10代後半に青春は無かったけれど、20代前半は私の輝く青春時代でした。
その日々もまた遠い遠い想い出です‐
‐オレ‐今アラフィフなおっさん、鼻毛が太くなって白くなって来たオヤジです、油断すると腹が出ます、まだ頭頂は進化してません、幸い妻子持ち、最近部屋をパンイチで歩いていると娘に嫌悪されつつあるお年頃。
態度と愛車は“部長級”だけど、冴えない平社員な社会の端くれ男。

って事は、“いよちゃん”は同い年のオバハンだ(でも、きっと綺麗だろう)どこかで私と同じように家族と共に幸せに満ち溢れた日々を過ごしているだろうし、もう全然こんなショッパイ事は記憶の片隅にも無い事でしょう。
でも‐
オレ出来ます。
胸張って、今大見栄が切れます。
追伸一行のオーダーを叶えてさしあげる事が可能です。
決して、早くではなかったけれど‐
恰好イイじゃないか‐オヤジな‐オレ‐・・・
(一応、自画自賛しておこう)
ありがとう、いよさん、
あの一行が‐オレ‐の支えの一部になったのは明白です、手に入れましたよ。
あなたとご家族に幸あれ‐頂いた手紙は忘却の彼方へ飛ばしてしまいましょう。
仮に‐今でも望むならば‐なんなら貴方の家族も一緒に連れて行ってあげられます。
伝えるすべはなかった筈だけど、時巡り、偶然からこの仮想空間で報告しときます。
さて、一部のみん友さん方に残します。
車に首ったけな独身貴族方よ、“恋”して下さい、人生のいろどりが変わる筈です、成就しなくたってイイじゃないか‐
オヤジはそう思う。
念の為に添えますが、私は自分の人生に後悔はしてません(共学には行きたかったけど)、今の平凡な生活に‐それを共に支え合っている家族に感謝しつつ‐満足してるし、後ろめたさもありません。
忘れていた切ない気持ちを瞬間想い出して綴ってみたもんですが、それはそれで青臭かった頃の人生の大切な1ページだと思ってます。
はい、おわり、おわり~。
‐もしここまでたどり着いた方がいらっしゃれば、誠に失礼致しました、もうこう言うネタは生涯(恥ずかしいんで)上げませんからどうか許してネ‐
(後日恥ずかしくなって消すかも~)
