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みどりカッパのブログ一覧

2013年12月28日 イイね!

今年もお世話になりました~。

今年もお世話になりました~。“あっ”と言う間の年の瀬です。

みんカラって2度目の年越しがやって来ました。

う~ん、年々1年が早いと感じますねぇ、歳だなぁ・・・


今年は例年に無く感慨深い年でありました。

まず‐私ライフ的には「BJT」熱狂大騒動‐コレに尽きます。



よもや航空不毛地帯である我が街界隈でこんな事が起こるとはユメユメ思いませんでした。

あ~大変楽しかった。

で、BREITLINGからサンタさんまで来るとは、ホント‐幸運でありました。



みんカライフでは、今年も沢山のみん友さんが出来ました。
なんだか‐立派‐な一人前っぽい感じです、大した事してないのにゴメンなさい。
そして、お誘いして頂いた方々、X号に“イイね”して頂けた方々、折々にコメを頂けた方々ありがとうございます。

で、ココでの今年一番はコレに尽きるでしょう。



※画像はイメージです。

とんだ大事件から、感動的なオチまで、一部始終を見守って頂けました皆様(および当事者様)に感謝致します。

また‐自分の“殻”を破ってしまった(破って頂いたのか??)

“超”ふれんどりぃなこの方との出会いも忘れてはなりませんね‐



※画像はイメージです。

人生楽しい限りであります。

いろいろな場所のみん友さんができた事で、天気予報やらなんやらで、皆様に思いを馳せている私です。
寒いんだろうなぁ~・・とか、暑いんでしょうなぁ~・・等、春夏秋冬で感じ入っております。

そうそう、“お世継ぎ誕生”な方もいらっしゃいましたね、まだまだ大変でしょうが、愛おしい日々を心に刻んで頂きたいと思います(当分イクメンしてネ)

あんまり人前には出ない私でありますが、どうぞ皆様改めてココではこれからも宜しくお願い致します。

ただねぇ、正直申しまして“毒”が効いてきた自覚のある私。
コレは大変困りましたねぇ、皆様の格好イイ愛車が、格好良く見えてしまい過ぎるのは私価値感の変化にちょっと戸惑っているし、不健康な限りです。
くれぐれも“毒”に感化されない様に頑張りたいと思います。


来年はどんな年になるでしょう‐

ま、無病息災、家庭円満、無事故無違反(無検挙)コレに尽きるんですが‐

X号はもしかしたら‐、万が一‐、とんだ“風”が吹いたら‐

私人生の未知なる世界へ突入してしまう‐かも‐しれません。

※かも‐です。かも‐ね、 -かも、だからね。
(結局“毒”が効いて来たって事なのかしらん)

皆様も良いお年をお迎え下さい。
皆様のご家族、愛車に素晴らしい年が来ますように、平和な日本が続きますように。
そして来年も宜しくお願い致します。



あ、ちなみに私、仕事納め‐は、31日です。
いわゆる“大晦日”です。1年の最後の日です。
エラいなぁ、ボクってぇ。本当に働きモンだなぁ~・・・

で、ちなみに私、来年の仕事初め‐は、1日です。
いわゆる“元旦”です。1年の最初の日です。
エラいなぁ、ボクってぇ。本当に働きモンだなぁ~・・・

嬉しくって“涙”出ちゃうなぁ・・・


もう、嬉しくって嬉しくって、さめざめと“涙”出ちゃうなぁ・・・
Posted at 2013/12/28 21:22:46 | コメント(8) | トラックバック(0) | 小話-車無し | 日記
2013年12月24日 イイね!

フ~ジコちゃ~ん‐の誘惑

フ~ジコちゃ~ん‐の誘惑偉大なるみん友神方に深くこうべを垂れて教えを請います。

嗚呼、ど素人な私から見て“毒の媚薬”を四方八方に撒き散らすみん友神方よっ!!

哀れで無知な我を導きたまえ-決しておケツを蹴ることなかれ、

ただただ、我の素朴な疑問にお答えくだされ~、

決して、決して、パタパタ煽ったり、おケツを蹴らないでお出まし下され~。



って、事です。
ケツ蹴らないでね、あと、優しくしてね。



我がX号 215/60R/16/95H 7J ってタイヤとホイールで構成されているのは同胞方もご存知の筈。
3.5ℓ型は235/45R/18/94W 8Jですよね、で、250G SパケにもOP設定がありますよね。

この純正な組合せってのは本来2.5ℓなり3.5ℓのエンジンが発揮するトルク等諸元性能を適切に路面伝達するべく決定されてるのでは無いかと、素人的に邪推するんですけど-

例えば、例えばですよ、仮定の話として、
そんなにブッ太いタイヤにしたら宝の持ち腐れじゃん。
(燃費も落ちそうだし、ブレーキ性能付いて来なそうだし、うるさくなりそうだし、バカ高いし)
でも250Gでみん友神方みたく18インチにしたいじゃん-とかド素人が発想した時に225/45R/18/95Wってのは-アリ-なんでしょうか??

で、このサイズの公称タイヤ外径が662mmで純正16インチの661mmと1mmしか違いませんってのも好都合に感じる所ですけれど、18と記載されていながら、推奨されるホイールが7.5Jです。
7.5Jなホイール設定が無いから8Jで大丈夫-と売らんかな兄さんの見解ではあるものの-

コレって、気持ち“引っ張り気味”って形容になるんですかね??
要は、ちょっと無理無理チビ・パンツ履きますよ、だからタイヤ外径が縮みますよ-って事になるんでしょうか??

挙句に235よりも乗り心地が硬くなるよ、寿命短いよ-みたいに波及するんでしょうか??

それから~このタイヤ225って謳ってる割に公称タイヤ巾が220mmなんです。
ま、先に掲げました様にそれでも純正より5mm程太くなる単純計算なんですが、やっぱり組合せ的におかしいでしょうか??

ちなみに8Jなホイールはインセット+42って事は純正16インチが7J+40なんでホイール中心が2mm引っ込むけどホイール巾加味したら10.7mm位出っ張って、タイヤが2.5mm出る計算だから、今よりトータル13mm位出っ張るって事になるのかなぁ??
(ってのはツライチとか興味無いんですぅ~、機械式駐車場パレットに収めるのにあんまり出っ張ると入らなくなるんですぅ~・・・)
12/26追記修正です。
勘違いでした。リム幅広がってもタイヤトレッド幅が基準になるんで215→220って事は半分の2.5㎜変化にインセット差を加味して0.5㎜出っ張る理論値ですね~。


とか、素稿書いてから調べたら、アレ?? 現行クラウン・アスリートとかマジェスタって225/45R/18で18インチの8Jホイールで純正設定してるんですね、まったくノープロブレムって解釈でイイんですかね??
最近の燃費重視とか意識してこの設定なんでしょうか?? 
自重100kg軽いマークXの方がクラウンよりタイヤ太いって意外~。



WEB上にはこのサイズのタイヤの適用ホイール範囲が7J~8.5J位ある様なんで売らんかな兄さんは正解って事ですよね・・・

必要の範囲でタイヤ巾小さければ、財布に優しいし、ノイズ小さいだろうし、燃費悪化しないんじゃないかと思う反面、タイヤ直径小さくなるとバランス悪いのかなぁ~など悶々としております。

だったらいっそ18インチの7Jホイールってのも同種であるんでイイのかな??と思ったら、ホイールの車両適合一覧の130系には8Jしか掲げられていないし、タイヤも純正準拠で235って掲げられてる~・・・どうなのかなぁ??

タイヤショップの兄さんを信用しない訳では無いのですが、お店遠いんである程度整理してから再訪したいと思ってます・・・って、

オイオイ何を満々してるんだね?? 俺。




嗚呼っ!! 凄ぇっ!! 俺っ!! なんだかみんカラの一員っぽいっ!!
コレも全て“毒の媚薬”を醸し出すみん友神方々のおかげかっ??
(特に-目前降臨された2名様ウラミマス~)

で、私インチアップ効果は単純にドレスアップしか考えてません。
出来るだけ乗り心地を損ないたく無いし、静音性も捨てたく無い、勿論ぶっ飛ばさないし、コーナー攻めないし、ローダウンしません。燃費気にして乗る車じゃないけど、捨てがたいファクターではありマス。


じゃぁ大人しく16インチでイイやんけ-な自分も根強くおります。
(宝飾物は無縁な人生でございます)

あくまでも現状ケース・スタディ-です。
実は意外な『ひょうたんから駒』事件があったりしてます。
結末いかんによっては長々とカミングアウトしたいと思います。




♪逝けっ!! 逝けっ逝けっ!! ガッパま~ん♪

♪買えっ!! 替えっ買えっ!! ガッパま~ん♪




-とか鼓舞して頂かなくて結構ですから、近しい神々のアドバイスなり見解をお聞きしたいと考えます。


ルックス重視のにわか感染軟弱モノには
225/45R/18/95Wタイヤと18インチ8Jなホイールで充分である
-のかっ??


勿論、理にかなって
“素人は辞めておけ”
も大歓迎致します。

どうぞ、よろしく哀愁‐・・・じゃなくてスニカーブルース。
Posted at 2013/12/24 20:08:10 | コメント(8) | トラックバック(0) | 小話-車入り | 日記
2013年12月21日 イイね!

シンサイバシ、ば~し、バ~シ~♪

シンサイバシ、ば~し、バ~シ~♪“姫”がこの歳になるまで指折り数えて楽しみにしておりました。

チャンスは2年間のみ‐です。

1年で2回だけ‐都合4回だけ‐1回あたり全国で20組だけ‐

の狭き門を突破しましたよ。

BREITLING WATCH ACADEMY for Kids当選でした。


小自慢お許し下さい、我が家宝の一つなお時計様であるBREITLING。
数年前から、この催しを開催しておりまして、対象が小5、小6のお子ちゃま(のいる親子)だけな企画であります。

普段お時計様のメンテナンスを担っておられる方々直々に、お父様(orお母様)所有のお時計様の中身がどうなっているのかを教えてくれて、且つお子ちゃま達に実技体験をさせてくれるんです。
本職の方同様の制服である白衣まで着せてもらえるんです。



ま、“キッザニア”の上を行く体験教室とでも言いましょうか??

もうほとんど私の願望でありましたが、“姫”が対象年齢となった暁には、どうしても参加したかったんです。

今夏は外れてしまいましたが、2度目の応募にて当選通知なお電話を頂きましたヨ、行って来ましたヨ。



“やっほ~~~いっ!!”

テナントビルの1Fはこの2ブランドが入っておりました。
ハイ、ココはみん友様への手土産って事で‐











で、我らが目的地のエントランスはこんな感じ。
も~この先は、BREITLING一色でした。






ま、以前小話しました様に、私のお時計様(唯一の宝飾品でもあります)は“姫”誕生がきっかけとなって手に入れた‐それも身重な嫁さんが私のおケツを飛び蹴りして購入に至った-一品であります。



淡い未来像としていつの日か、コレを“姫”に譲るか、“姫”人生の節目に-父ちゃん勝手に-ペア・ウォッチ仕立ててやろう-な夢を見ておりました。



ちなみに何ひとつ大勢に影響無かったけれど、この時計のストップウォッチ機能で嫁さんの陣痛間隔を計測したし、この時計で“姫”誕生の歴史的時刻を確認したし、この時計と共に初めて“姫”を抱いて父ちゃんになったんです。



たった1本‐それも11年前購入のオーナーを大切にしてくれるBREITLINGはやっぱり選んで良かった一品であります。




春先-販売代理店の“兄さん”には、ちょっと気まずい思いもしたし、ココで大人気無い事を八つ当たってしまいましたが、この際“コロ”っと忘れちゃいましょう。

“姫”が大人になったら、やっぱり仕立てちゃお~っと、
‐と強く感動した半日でした。


また、みやげまで貰っちゃって、みん友さんには内緒だなぁ~




Posted at 2013/12/21 21:00:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小話-車無し | 日記
2013年12月19日 イイね!

ムカつかないでネ♪

ムカつかないでネ♪今日は‐

ひたすら「自慢ぶっこき」に来ました。


実は‐

2度目なんです。
なにが来るか予想はしてたんです。

自慢ぶっこきですっ!!!

先程届きました。





“姫”のお陰でBREITLINGからクリスマス・プレゼントが届きました。

勿論、“姫”に‐です。

でも、父ちゃん有頂天なんです。

こんな所も凝ってるんです。





開けると、分厚い板みたいなカード出て来るんです。







裏は、こんなです。
いかついお姉ちゃんじゃぁ、無いんです。
ポップ・アートなんです。欧米かっ!! なんです。P-51なんです。








箱は木製なんです。作りもしっかりしてるんです。

もう1回書きます‐2個目の‐箱なんです。自慢ぶっこきです。





開けても、凝ってるんです。








中身はスイス・チョコなんです。

めちゃくちゃ旨いんです。
明治もロッテもグリコも見劣りしちゃうんです。






‐の包みも、凝ってるんです。

実は、前回の包みだけ、記念に取って置いていたんですが、先程2年のストックを経てゴミ箱に投下されたんです。
だって、また中身付きが来たんだもん‐自慢ぶっこき‐です。








で、父ちゃん的に泣くほど嬉しいのが、コチラ。

今年熱狂大騒動だったBJT一色な、彼らのワールド・ツアー2013撮って出しなカレンダーです。




勿論、私これまた大ファンな徳永克彦氏のショットである事は言うまでもないんです。



どれもこれも『売っていないんです』

自慢ぶっこきです。

で、今月まだまだBREITLINGからのプレゼントは続くんであります。

自慢ぶっこきまみれでイケスカナイ私でした。
Posted at 2013/12/19 20:45:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 小話-車無し | 日記
2013年12月12日 イイね!

そしてボクは途方にくれる‐

そしてボクは途方にくれる‐

『10年経ったら笑い話になる』

私人生の支えな言葉です。
ちょっとピンチな時に思い浮かべるし、若人への激励でも使います。

偉大な大先輩から贈られたこの言葉は、その当時は、まったく信じがたいモノでした。
ただ‐背後から肩をポンと叩いてもらって、背中越しにかけて頂いた‐優しさ‐は心に沁みました。

あれから20年経ったそうです。

世の中、辛い事や苦しい事に直面されている方が多々いらっしゃると思います。
10年以上そんな風な方もおられるかもしれません、万人に当てはまらないかもしれません。

それでも、この節目に私20年前‐“人生の格言”を贈られた頃を振り返ってみたいと思います。
(※思いっきり長話で、つまらない件なんでお暇で無い方はスルーして下さい)





約1年程の、いわゆる“遠距離恋愛”に合致する環境を経て、当時、埼玉県在住な私と兵庫県在住な嫁さんは所帯を持ちました。
私月1頻度の単身高速ドライブ面会に疲れ果てた2人のオチ‐みたいな感じでした。

嫁さん希望、嫁さんセッティングの神戸な神前結婚式を親戚のみで執り行い、翌日から白浜‐伊勢‐(小松基地)-加賀屋を堪能するドライブ新婚旅行をして、埼玉のワンルーム・アパートへ帰り着き、翌日から2日がかりで2DKのアパートへ自分達だけで引越して、稼ぎ人私10日ぶり‐初出社でした。

“これから益々バリバリ働くゼっ!!”

な私を待っていたのは、上司、先輩、同僚、後輩達の祝福は予想通りでしたが‐

もひとつオマケが昼過ぎの全社員通知な社長示達。




『リストラクション挙行しま~す』



えっ!???




新居なアパートに帰れば、新妻嫁さんが家具選びな折込広告を見ながら喜々として待ち受けておりました。
見ず知らずの土地、半日誰とも語らず‐の反動とばかりに機関銃のごとく明るくしゃべりまくる彼女。
『クビです‐』とも言い出せず、悶々と数日過した職場昼下がりの裏庭ベンチ‐肩を落とした紫煙中に、普段厳しかった先輩からかけられた言葉が冒頭の一言でした。







結婚式から1ヶ月後、嫁さん初里帰りなお正月‐

『!?・・ま、呑もう』
『婿殿、今日はめでたい正月だ。ま、とことん呑もうではないか』

義父の言葉にどれだけ救われた事か‐

私にとって、義父義母含め姉妹家族に会うのは4回目。
ご挨拶、結納、結婚式とトントンと必要最小限の面会の後、家族になったとは言えまだまだこれから‐のタイミングでこれ程“重い”話を、それも寿結婚式以来の再会で、いわゆる初里帰りに‐、それも初正月に‐、手土産で持って行くのは最大のプレッシャーでした。
それを寛容に受け止めてくれたのが、義父筆頭な新しい家族全員でした。



私『資格』を駆使して勤労しております。
その点では場所、給与額を問わずば、ある程度勤労先を選べる立場でした。

会社都合の退職と言う事で、失業保険も即日適用ならば、会社提示の一時金積み増しに目が眩み、お世話になった諸先輩方同様“後ろ足で砂掛け捲る”様に、希望退職を選ぶ事にして神戸に移住する英断を下しました。

2013年現在働いている職場‐への転職を狙って移住した訳なんですが、当時は“欠員も求人も無いヨ”とあしらわれ、履歴書だけ預かって貰い貯蓄を食い潰して1年位フラフラする覚悟だったのです。

お嫁さん始め、ご親族に申し訳が立たない。定職の可能性があるのなら、是非親御さんの近くへ行きなさい』と我が両親にも後押しされた結果でもありました。
・・・一応長男なんだけど・・・


3月一杯で退職し、4月から神戸でプータロー生活がスタートしました。
新婚5ヶ月目にして‐完全無職‐です。
義父のツテでアパートだけは確保したものの、他は何のアテも無く。
一緒に辞める事にした先輩方に囲まれていた関東では深く考えませんでしたが、独りぼっちになって鬱蒼とした気分であった様に記憶します。

若さ故に、打算も勝算も何も持ってはいませんでした。

程無く義父の知人が営んでいた建築関係のバイトをする事になります。
ここでも沢山の方々にお世話になりました。
今までの日常とまったく異なる世界を垣間見る事で自分の人生観や価値観に幅が広がった経験だったと思います。当時はかなり受身だったけれど‐

バイト君の割りに、顔も効く様になり、望む職場からの求人は無いものの衣食住に困る事も無くずるずる月日が経って行きました。

所帯を持ってから13ヶ月、無職になってから早10ヶ月、今年こそは吉報がありますように‐など思った2回目の正月明けにとんでもない事が起こります。





‐阪神淡路大震災‐





街はめちゃくちゃ、ライフラインは寸断、誰もの日常が崩壊した一瞬でした。

今思えば、背負うものが無い自分は‐マシ‐だったんだと考えます。

嫁さん実家がぐちゃぐちゃだった事と家族で寄り添い生きる事で精一杯だったので、何日も実家にとどまったと記憶しますが、落ち着いた頃、自分の住処へ戻ると数え切れない程、前職の先輩方から安否確認の留守電が入っていて泣けました。
と言うか、この先自分がどうなるのか不安以外の何もありませんでした・・・


バイト先の緊急復興工事な、てんてこ舞いも一段落して来た夏頃、いよいよ‐真剣‐に自分人生の舵取りを決断する事にします。

狙っていた職場を念頭に神戸へ移住した為、今までいくつかあった好意のオファーを袖にして来ましたが、自分の中で腕が錆びる焦りよりも、この街で生きていけるのだろうか‐の不安の方が大きくなって来ていました。

郷土愛‐を持たない私には、申し訳ない表現だけれど、神戸は人が普通に暮らして行ける街には思えない程、崩壊混沌としていました。



そんな折に愛知県岡崎と大阪南部の会社から立て続けにオファーを頂きました。

特に、愛知県な職場は雰囲気も良く、何より業務多忙につき現職よりも先に資格拡張してもらい事業拡大に手を貸して欲しい‐と言うやり甲斐あり、魅力的なオファーに感じました。

無職亭主ながら、生まれ育った土地で暮らし、復興に励まし合う友人に囲まれた嫁さんには申し訳ありませんでしたが、私の中では、ほぼ岡崎へ移住する覚悟でした。
但し嫁さんには面と向かって言い出すきっかけがなかなかありませんでした。




今でも嫁さんは“唐突電話でビックリしただけで申し訳無かった”と詫び続けますが、バイト中に最寄の公衆電話から岡崎へ行く決意をした‐と電話した時の想像以上な嫁さんの動揺振りが後の人生の分岐点となりました。

そんな訳で結局大阪の仕事を選ぶ事にしました。

神戸に居続ければ、いずれ初心な職場の求人もあるかもしれない‐と思い直します。
大阪の会社が楽しければ、それはそれで働き続けてもイイだろうとも考えました。

もう一度、当初自分が狙っていた職場に確認するも、相変わらず求人予定は無い‐との事でしたから、決意を固め、大阪の会社でお世話になる事にしました。
実に1年8ヶ月振りの‐定職‐でした。

ところが、Door to Doorで2時間半の電車通勤を要する上、初心に還って業務前の自主清掃などしますので、定時勤務でも家を出るのは5時台、帰宅が21時台と冬の夜空ばかり見る日々に辟易でした。

さすがに毎日生きている心地がしない程消耗しましたし、蓋を開けたら給与がバイト時よりも安価である‐と言う体たらくでした。
定職の安堵感とは裏腹に、まだまだ人生の展望が描けない日々でした。

随分経って嫁さん曰く“今だから言うけど、あの頃給料日前に50円しか無かった時があった”と笑って打ち明けられました。
それでも今まで一度たりとも嫁さんから家計の愚痴を聞いた事がありません。
嫁さんには感謝します。

それはそうとて、ココでも仲良くしてくれる同僚達が沢山出来て随分心理的には助かりました。
『資格』を駆使するものの、業務内容は前職と異なる会社で‐
“なんでもしますっ!! 新卒者の様にコキ使って下さいっ!!”と啖呵を切って頑張ったつもりです。

試行採用の半年が過ぎ、ようやく正社員の辞令を貰って同僚達に拍手で祝福された、その晩‐

当分封印する覚悟だった(2013年現在の)会社から求人の電話連絡がありました。

なぜ‐今‐・・・な気分でした‐半年前に予定無し‐と言われたのに・・・

3日程寝れずに悩んだ挙句、新たな同僚達の中でも特にお世話になっていた2人の先輩に事情を吐露すると、
“初心貫徹。君の人生何を選んでも僕らは仲間だ”と背中を押してくれました。

自分の不義理が後ろめたい一方で、人の情が身に沁みました。

こうして、私は僅か7ヶ月で大阪の会社を辞め、そして無職から2年1ヶ月目に‐望む‐職場へ身を置く事になった訳です。




人生は判らないものだな‐と思う事は多々あるけれど、魅力的に感じた岡崎の会社はその後、業務中の重大死亡事故を起こしてしまい会社整理されてしまいました。

あの時、公衆電話でのやりとりの結果が違う会話であったならば、自分はどうなっていたのだろう、或いは自分の人生は続いていたのだろうか‐など思ったりもします。

大阪の会社も世間の荒波にのまれ、私退職から10年後、戦後まもなく起業した長い歴史を閉じました。


とどのつまり、若かった事もありますが私は大した努力もせず(と言うか何をすれば判らなかった)、おろおろするだけの青二才でした。
だけど、沢山の人に助けられ、支えられて、ここまでやって来れたんだと感じる訳です。
また自分意志の及ばぬ所で、人生は翻弄されるものだとも感じます。

人の半生‐それぞれに波乱万丈なストーリーがある事でしょう。
私なんて序の口なのかもしれません。また、私人生にはまだまだ山も谷もある事でしょう。

‐でも、

明けない夜は無い筈です。

笑える日はきっと来るんだと思います。




どんなに辛い事があったって、それは年月が解決してくれる場合もあると感じます。



どうしたら良いのか判らない時は、流れに身を任せてもイイんだと思います。

そして辛い事にも意味はあるんだと感じます。
それが自分の巾となる時が必ず来る筈です。




『10年経ったら笑い話になる』



先輩は正しかったと思います。私は今、微笑む事が出来ます。

自分だけの成果であるとは到底思いません。家族達には一際感謝です。
ここまでの人生、自分であり続けられたのは嫁さん始め家族が寄り添ってくれたからだとつくづく思います。
だから仕事が終わればちゃんと家に帰ろうと思ってます。

‐必ず家に帰る‐のが私のルールです。



甘い新婚生活もへったくれも無かった我々は元々淡白・物欲無しな嫁さんにも助けられ、今まで行事も物質的なオブジェも取り交わした節目なんて皆無です。



つまらない事でスネる“姫”を一喝して説教した過日の晩。

“姫”は泣き寝入りし、私はPCにて“みんカラ”り、嫁さんは録画したドラマをヘッド・ホンにて視聴する暗がりリビングで‐

“あっ!! 今日で20年だったヨ”

“あっそ、“姫”のスネっぷりでめでたく無かったねぇ”

“ホントに~”

“明日‐元町ケーキ‐でも買って帰る??”

“太るからイランわ”

“あっそ‐”

健康‐、平凡‐、な20回目の結婚記念日が‐普通‐に過ぎて行きました。

‐長話おわり‐
Posted at 2013/12/12 20:01:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小話-車無し | 日記

プロフィール

「今年のたんプレ♪ そして今日でIS号とは満4年♪」
何シテル?   08/08 06:18
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