
お空の神様が最後に微笑んでくれたのだろうと万感の想いに包まれています。
ありがとう、そしてさようなら‐
大好きなF-4 PhantomⅡ最後の雄姿を心に刻むべく、実働部隊‐第301飛行隊が所属する百里基地へ空路撮影旅行して来ました。
行かなければ飛行の有無が判らない軍用機撮影を長く続けて来た中で悟りを開いたつもりです。
“撮れる時は撮れるし、撮れない時は撮れない”
だから、ジタバタしなくなったし、過剰な期待をする事も無くなったつもりでした。
でも、今回その時を迎えるまでの期間はずいぶんと一喜一憂しました。
その分、結果(収穫)は格別なものとなり生涯の想い出が新たに加わったように感じています。
最低限の希望として、とにかく快晴の元で最後のF-4雄姿を一目見たい願望だったものの、欲を言えば315号機と436号機に出会いたくて、特に436号機“蒼”を一度だけでも目の当たりにしたかったのでした。
昨年(2019年)の遠征は涙雨に終始‐
436号機は今年の4月‐つまりF-4運用最終年度となって早々に退役記念塗装が施され百里基地公式HPで紹介されました。
世はすでにCovid-19が影を落として、県外移動自粛が呼びかけられていた時期の為‐いづれ皆さまの前にお披露目しに行く計画なので待っていて下さい‐との注意喚起文に秋の航空祭シーズンには色々な場所で436号を追いかけられたら良いな‐と思っていました。
恐らく運用サイドとしても各地の航空祭出展を願っていたのではないかと思います。
日本の空を50年近く粛々と守って来たF-4に最後の華道を添えてあげたかったことでしょう。
436号機の美しい彩色とデザインを見る中で、ある1点だけが心に引っかかって、その事を想像すると漠然とした焦りを覚えていた私でした‐
初夏を迎え、夏になり、秋の気配が漂う頃になる間、436号機はあまり飛行回数が多くなく、地元マニアでも‐何度通っても撮れない‐と悲痛な声も少なくありませんでした。
勝手な憶測ではあるけれど、運用可能時間の大半を全国の航空祭へ出展する為に温存していたのではないかと思います。
その航空祭について今年は全国で一斉自粛中止とならざるを得なかった訳で、収束の見えないCovid-19情勢からそれは仕方の無いことです。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ‐を地で行くような、或いはPhantom(幽霊)のごとく静かに透けて見えなくなるような、ひっそりと終焉を迎えるのはマニアの端くれとして切ない気持ちでいっぱいな日々でした。
9月に入り315,436号機のペアが揃ってプロカメラマンによる空撮被写体として飛び出した情報が入って来た時点で、根拠無き憶測に過ぎないものの、私の中では確信が芽生えました。
記念塗装左翼上面に“1971~2020”と描かれており、年度末まで運用するならば“2021”なのではないか!? F-4最後の飛行隊として用途廃止した機体群や資器材の整理を完遂するには一定の期間と労力が必要な筈で年度末まで飛行訓練を継続しない可能性があるのではないか、それを暗示した“2020”なのかもしれない、そうであるとすれば‐
もう猶予はあまりない!!
それが正解な施策かどうかは別として、世間的にも往来自粛が緩和され、むしろ景気回復を狙ったGo To機運も高まった9月中旬、いよいよ自己休暇申請と旅行算段をしました。
今回の遠征日程は自分の仕事上唯一まとまった休暇が取れる時期であり、これより手前でも遅くても連休取得は難しく‐晴天祈願と共に、どうかその日まで飛び続けて欲しい‐一心でした。
その後、本来ならば秋の航空祭シーズンとなる時期に連動するかのように航法訓練名目で巡業が始まります。
記念塗装を施した315,436号機のペアは過去にF-4が配備されていた各地へ向かう様になりました。
F-4最初の飛行隊‐301Sqは機種転換訓練飛行隊を兼ねて、全国のF-4操縦士を育てた経緯もあって‐どの基地へ行っても盛大な出迎え、そして最後の見送りをされているのが公式HP等で伝わって来ました。
ますます自分の中で焦り出します、巡業が終われば飛ばなくなってしまうのではないか!?‐
三沢‐千歳と2泊3日の行程で北部方面への航法訓練にて一段落し、暫く期間が空いたのは精神衛生上良かったです。
最低でも残り4個所を巡る筈‐
私日程の1週間前‐つまり11月第2週から西方面の航法訓練が開始され2機が築城へ向かったと伝わり、翌日には那覇へ到達したとも続報が入って来ました。
残りは推定2箇所‐石川県の小松と宮崎の新田原‐ここまで2箇所づつ連泊で巡っているように思え、そうであれば3日位百里不在になります。
もしも私が百里へ向かうのと入れ替わりに飛んで行かれてしまうと出会う機会が限りなく低くなってしまう‐
悪い想像をする毎に自分を諫めます、良くも悪くも思えば叶う・・
そんな事を思いつつ迎えた旅行前日は月曜日の午前中‐前週からマイナートラブルで週末を築城で過ごした436号機が百里へ戻り、315号機が単機で小松へ向かったと伝わりました。
これは喜ぶべきか、嘆くべきか・・
“撮れる時は撮れるし、撮れない時は撮れない”のが信条だけれど・・など想いながら荷造り完了した夕刻‐
315号機が小松、436号機が百里と別々の場所から上がった後、空中会合して揃って新田原に降りたと伝わります。
これで推定全ての基地を巡った事になるし、百里へ戻るのは明日以降。
私が百里(の撮影ポイント)へ到着できるのが明日10時頃‐
2機揃って撮れるかもしれない!! ‐心が震えました。
ああ、神様、どうか明日2機を無事に迎えることが出来ますように‐


翌朝、神戸から搭乗したSKYMARK機の出発ぎりぎりまでWEB情報をCECK、百里に降りてすぐに再CECK、大丈夫まだ新田原を上がっていない模様、早々今年はレンタカーを動員して、まずは午前中の離陸撮影場所へ移動。

気持ちが落ち着くと同時に欲が出て、風向き光線状態を勘案すれば14時過ぎ頃に戻って来て欲しい‐など都合良いことを考えつつ、ローカル訓練離陸撮影を満喫しながら午前中が終わりました。
撮影場所を移動します、思うことは誰もが同じで続々と人が集結。
午後のローカル訓練が始まり、いよいよ新田原からの帰投を迎えるだけとなって、もはや祈りに近い気持ちでした。
14時近くなっても沙汰がない・・・
301Sqにとって新田原は第二の故郷であり、長居するのではないか?日没間際に九州を上がる様では東の百里は日が暮れて撮影が出来なくなってしまう等々、逆にここまで出来過ぎたシチュエーションに再び落ち着かない心境に支配されそうになる・・
大丈夫、今日が駄目でも明日も明後日もココに居られるのだから‐何度も自分に言い聞かせ、それでも時間が刻々と過ぎ‐
そして‐
ついに待望の新田原を発った朗報が入った時は年甲斐もなく涙が出そうでした。
祈りは届いたと(勝手に)思います。
恐らくざっと見渡しても200人位は居たのではないかと思う面々の想いを酌むかのように2機はタイトなフォーメーションを維持しながら暖かい初冬の早い西日をいっぱいに浴びて戻って来たのでした。
初日にノルマ達成の安堵感ったら‐
後日談として‐
滞在中の3日間、まさかの436号機は全日ローカル訓練にアサインされ、その雄姿を存分に見せてくれたのでした。
翌日の離陸はコンバット・ディパーチャー、3日目はハイレート、両日共に戻りはT&Gからショートクローズ、そしていづれも+ハイスピードTAXIがあり、プチ航空祭のような、もうこれ以上を望んではいけない程の3日間でした。
神戸に戻った翌日‐
マスコミ公開を伴う緊急LIVE配信が空幕Twittreで告知され午前中基地上空AGG訓練がありました。
まさしくそれは航空祭のデモFLTのごとく
もしかするとF-4が見せた最後の機動飛行だったのかもしれません。
だけど、あと一日滞在していればとは思いません、
快晴の3日間で見たF-4が私にとって301Sq最後の雄姿であったことに悔いは微塵もありません。
さらに午後から基地内行事として301Sq壮行会が開催されたそうです。
間に合った、、
F-4ありがとう、、本当にありがとう、そしてさようなら‐
注記
301Sqの最終飛行がいつ頃になるのか私には判りません。
年内終了の可能性は私個人の危惧であり、過去の慣例では年度末近くまで飛行を続けていたと思います。 雑誌取材記事によれば全機の残飛行時間がゼロになるまで使い切る心つもりである‐との現隊長談話がありましたので今しばらくは飛行があるものと感じます。
いずれにせよ、1日でも長くF-4の飛行が続きますように、そして最後まで飛行安全が続き彼らが無事翼を畳む日を迎えられますように。