天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも
という、小倉百人一首にもある有名な歌がありますよね。
阿部仲麻呂という人物が遣唐使で中国へ行って、
中国から日本に戻る時の、別れの宴の時に読んだ歌だといわれています。
【訳】天空を見上げて、振り返れば月が見える。我が故郷の大和の春日の三笠山にでた月だ。
詳しくは、
「恋は水色」さんの「心の歌-2」をご参照ください。
しかし、ちょっとネットで調べてみたら、この歌の解釈にはいろいろと疑問点があるそうなのです。
① 奈良県(大和)平城京からは、地理的に観ても、三笠山に月が上がる情景が確認できないのでは?
② 中国で読んだなら、なぜ「大和なる」と、有名な日本の地名を入れずに「春日なる」になかったのか?
③ 「三笠の山」といわれている山が、本当に奈良の「御蓋山」もしくは「若草山」だと、正式に証明されているわけではない。
④ 阿部仲麻呂が大和に長年住んでいたという、正式な記録は残ってないので、安倍には大和対する郷愁の念はないのではないか?
これらの疑問は、この歌は中国での別れの席で歌われたのではなく、
安倍仲麿が倭国から去る時に、九州沖の船上で作った歌だと考えれば解けてくるそうです。
詳しくはこちらの、
「古田武彦の古代史再発見」をご覧ください。
さらに、
地理的な状況などはこちらをご覧ください。
どちらの解釈が正解なのかは、阿部仲麻呂本人でなければわからないのでしょうが、
こういった、歴史の謎解きみたいな話は、個人的に大好きなのです。
わたしとしては、古田氏の九州離別説に賛成したいと思いますが・・・。
あーーーっ!!!
さらに驚くべきことが、もうひとつありました。
上記のことをいろいろネットで調べ、ブログを書いていて、
今さらながらに、ハッと気がついちゃいました。
わたし、来週の9/15~17に、こちらの日本人慰安旅行で、”西安”に行くのでした。
”西安”は昔の”長安”で、阿部仲麻呂が遣えた都のあったところです。
市内には、
「阿部仲麻呂記念碑」などもあるそうです。
こんなことを調べていなかったら、西安が長安で、阿部仲麻呂と関係があった処だなんて、まったくなんて知らなかったでしょうね。
西安に行く楽しみが、ぐんと増えましたねー。
でも、これは単なる偶然なのかな~?
さすがですねー、水色さん。
よくわからなのですが、改めて、おみそれいたしましたー。
このブログは、
「恋は水色」さんの「心の歌-2」を元に書かれています。
Posted at 2006/09/10 17:30:20 | |
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おもしろい歴史 | 日記