MX-6は1992年1月~1995年まで販売されたクルマだ。
ピラード2ドアハードトップでボリュームのある曲線を多用したスタイルは当時新鮮であった。

排気量は、2000ccと2500ccの2グレードをラインアップしていた。
正面から見たらこのようなスタイルです。

内装では当時新しかったインストパネルシフトで話題を呼んだ。

以外にも特別仕様車として“マツダスピードバージョン”2000ccがあり、
専用色“シルバーストーンメタリック”ラインアップされていた。
(下部写真は“マツダスピードバージョン”仕様にしたMX-6である。)

このクルマも期待されて、発売されたが“マツダの経営危機”の問題等あり、
またしても“短名車の一台”が誕生した瞬間でもあった。

オートザム・クレフは1992年5月~1994年3月まで発売されたクルマだ。
クロノスの兄弟車のクルマとして誕生した。
排気量は2000ccと2500ccの2グレードをラインアップしていた。

ちなみに内装はこんな感じでした。

兄弟車のクロノス・アンフィニMS-6が復活したカペラと入れ替わる形で、生産終了したが
“オートザム店”ではカペラはラインアップされないままクレフの生産を終了した。
またしても“短名車の一台”が誕生した瞬間でもあった。

ユーノス500は1992年2月~1995年まで発売されたクルマだ。
排気量は1800ccと2000ccの2グレードをラインアップしていた。
キャッチコピーは“追い求めたのは10年色褪せぬ価値”

自動車デザイン界の最大の巨匠とされる“ジウジアロー”が「小型クラスでは世界で、
最も美しいサルーン」と評した完成度は高かった。
塗装技術に関しても(高機能ハイレフコート塗装)特許を取得したばかりの耐久性が高く鏡面の
ような滑らかな仕上がりになっている。(当時のマツダの最新技術である)

1996年4月 マツダフォード傘下に入り、フォード主導での経営再建の道を進む。

これに伴い“ユーノス店”は“アンフィニ店”と統合し“マツダ・アンフィニ店”が誕生する。
この混乱はリストラ新規開発の凍結などによる技術力の低下、車種ラインアップの
削減による商品力の低下につながり、とくに日本国内では従来からのマツダ車ユーザーの
他メーカーの流出を招き、人気の下降、中古車査定価格の下落、営業力とディーラー網の
弱体化などを引き起こし販売不振を深刻化させ、後々までマツダの経営を苦しめた。

2001年 マツダ本社宇品第二工場閉鎖。

マツダ氷河期に入る・・・・・
マツダ 短名車列伝 “MX-6・オートザム・クレフ・ユーノス500”
1996年4月 マツダフォード傘下に入り、フォード主導での経営再建の道を進む。
シリーズ5を終わります。 間違えがあったらごめんなさい。

明日の、マツダ 短名車列伝 “フォード傘下”に入り車種絞り込みの為、
消えていったクルマ“ランティス・アンフィニMS-8” について
紹介していきたいと思います。(上部写真はランティス4ドアクーペ)
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2012/09/29 06:56:16