1996年4月 “マツダフォード傘下”に入った為、これを境に“フォード主導”での生産車種を
絞り込みに入る。そのため“短名車”が次々と現れることとなった。
ここからは、“フォード主導”での生産車種絞り込みによって消えていった“短名車”を
紹介していきたいと思います。

ランティスは1993年~1997年にかけて販売されたクルマだ。
ちなみにランティスとは、ラテン語で“秘密の城”という意味があるそうだ。
「THE SPORTS BOOY研ぎ澄まされた走りのボディ」をコンセプトに
開発されたクルマだ。

マツダのミドルクラススポーティ4ドアクーペとセダンがあった。
エンジンは1800ccとV6・2000ccの2グレードをラインアップしていた。
内装はこんな感じだったようです。

もともとは別車種として開発されていた。秀逸なデザインや優れたハンドリングとともに、
安全性能にも力を入れていて“1996年衝突安全基準適合第1号”であった、
ランティスは現在も各所から高く評価されているという。

GRAPHIC誌による販売当時の誌上テストにおいて、0-400m:16.0秒を
記録した。これは当時のGRAPHIC誌のテスト記録の中で、2000cc自然吸気
エンジン車としての最高記録であった。エンジンがV型6気筒であること、この車が当時唯一の
衝突安全基準適合車であった故の重量のハンディがあったことを考慮に入れると、
極めて優秀な加速性能であったと言えるだろう。

マツダ・ランティスは、販売当時“全日本ツーリングカー選手権”に4ドアクーペが参戦
していましたが、成績は散々な結果に終わりました。当時マツダでは販売不振からくる
レース部門へ割り当てられる予算が少ないこともあり、パワフルなV6エンジン等を
熟成させることが出来なかった。

1994年6月 ランティス4ドアスポーツクーペ“マツダスピードバージョン”が
発売された。詳細は不明であるが“マツダスピードのエアロ”を装着して、
専用色は“ブリリアントブラック”と“シルバーストーンメタリック”と
“クラシックレッド”の3色を用意した。(下部写真は“マツダスピードバージョン”
ではないが“マツダスピードバージョン仕様”のランティス4ドアクーペ)

“フロントリップスポイラー”

“サイドステップ”

“マツダスピードマフラー”

“リアウイング”

いろいろと話題を呼んだランティスだったが“フォード主導での生産車種絞り込み”や
国内での4年間の販売台数は“4万3300台”だったことの問題などもあり、
一代限りモデルとなってしまった。

アンフィニMS-8は1992年3月~1997年まで販売されたクルマだ。
マツダ・ペルソナの後継車として誕生した。
ペルソナのコンセプトであった“インテリアイズム”を継承したモデルで、
当時はユニークな“インストゥルメントパネル”インパネシフト(ジグザグ型の
ゲートを持つ AT セレクター)を採用していた。

排気量は2000ccと2500ccの2グレードをラインアップしていた。
途中全車に運転席エアバックを標準装備するなど安全面での向上を図ったが、
“フォード主導での生産車種絞り込み”のため一代限りモデルとなってしまった。

マツダ 短名車列伝 “ランティス・アンフィニMS-8”
シリーズ6を終わります。間違えがあったらごめんなさい。

明日の、マツダ 短名車列伝 “フォード傘下”に入り車種絞り込みの為、
消えていったクルマ “ユーノス800・オートザム・レビュー”
(上部の写真はユーノス800)
Posted at 2012/09/30 07:41:47 | |
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