以下、長文・駄文ですのでご注意ください!
私が最初に坪尻駅に行ったのは私が小学校4年から5年のときです。年がばれますが約40年前ですね。
その当時つるんで遊んでいた仲の良い友人と行った記憶があります。
当時私の住む田舎の学校の規則では小学生だけでは遠くへは行っては駄目と決められていました。中学校でもそうでしたが校区外へ行くときは保護者と一緒という決まりです(^_^;)
まあ今もある意味で子供だけで出歩くのは危ないですが…
しかしうちの親はそのあたりは比較的ゆるやかだったこともあり、小遣いをもらうと同じような考えの友人と子供だけで隣町の駅まで自転車で行ってそこから列車に乗って大き目の商店街や商業施設まで遊びに行っていました。
小学生の小遣いですから何かを買うとかというのではなく、自分の家の周りとは違う街の雰囲気や風景を楽しんでいたと思います。冒険のようなものですね。街をうろうろしておなかがすくとパンとかうどんとかを食べては帰ってくるというパターンですね。数駅分、列車に乗るだけでもえらい遠くへ行った気分でした。多度津駅とかで何十分も停車するので普通列車でも時間が今よりずいぶんかかりましたしね。
カメラに興味があっても当時は子供には高価で今時分の我が家の子供たちのように自分のカメラで鉄道の写真を撮るということもありませんでした。
当時ちょくちょく行くところといえば丸亀市の商店街や坂出市のニチイ(今はイオンですが)や高松市の瓦町の商店街でした。瓦町以外いまはほとんどがシャッターを閉めていますね(T_T)/~~~
その後は、遠出がだんだんエスカレートして子供ながら一人で県外へも出かけるようになりました(笑)
ところで当時、私がよく乗っていた普通列車(失礼ながら鈍行と呼んでました(^_^;))といえばDE10が牽引するのが普通でした。非電化ですから当然ですが。急行や特急は別にしてそれ以外で気動車は少なかったですね。
そして客車は木造でした。正確には車体は鋼板かも知れませんが床や壁に至るまで木でした。以前は蒸気機関車が引っ張っていたものでしょう。シートも背もたれまでも木製でブラインドも木製というのも珍しくありませんでした。シートが直角で座面も公園のベンチのように硬かったですね。
車内の銘板を見ると昭和10年から昭和15年製(当時で車齢40年です!)というのが普通でした。なぜ記憶しているかというと当時は自分の親と同い年の列車だと感心したからです。
客室は新幹線やJRの特急車両のようにデッキと仕切られておりコンパートメントになった車掌室もついていました。あと、今では安全面から考えられないのですが手動のドアは常に開いた状態で全開が当たり前でしたね。もちろん最後尾の貫通扉はありませんでした。さすがにデッキの部分と客室の間にはドアがありましたが。(乗客の落下事故も稀にありましたね)
そして決まって最後尾はトイレのある車両をつないでました。さすがにトイレは水洗でしたが下を覗き込むと線路がもろに見えるタイプで「駅停車中にご使用はお控えください」とアナウンスのあるものです。線路には白いちり紙がよく落ちていましたね(笑)
でも当時の客車でもこれだけはすごかったというのは洗面所ですね。それはトイレの反対側に別個に仕立てられていて大きな鏡の下の陶器製の洗面の2つある蛇口からは必ず熱いお湯と水が出たことですね。これが珍しくて用も無いのによく手を洗いに行った記憶があります。
また、貨物室と客室が備わる荷客車も連結していたような気がします。
大きく話がそれましたがそんな少年時代の中、ぶらりと訪れたのが坪尻駅です。
はじめは駅の名前が小学生ながら面白くてどんなところだろうと思ったことと、当時、地図帳(笑)で見て徳島の山の中の駅というイメージで行き先を決定したのを覚えています。
あのころは今のように秘境駅ブームでもなくほんとうのただの山の中の駅でした。
現在は駅の周りに線路内への立ち入り危険防止のため柵や手動式の踏切がありましたが当然ありませんでした。廃屋は当時から廃屋だった気がします。
そして、駅の待合い室の横にはまだ下駄箱がありました。中には革靴やズック靴(古い)がたくさんありました。人がいないのに靴だけあって、よく見ると比較的新しめのものや大部分は埃をかぶったものが多かったのがなんとも不気味で不思議でした。
家に帰りこのことを興奮気味に親に話したことを覚えています。
実はどうして靴があったのか、その理由がわかったのはあのときから30年以上がたった今から数年前ですが…なんでも、地元の通勤や通学で列車に乗る方が駅に来るまでの道中が険しい山道なので長靴などを履いてきて、駅においといた革靴や運動靴に履き替えて通勤、通学していたそうです。その名残なのですね。私が見たものは。
小学生2人だけで少し心細いながら何も無い山の中の駅の周りをうろうろして、わくわくしながらたくさんの(といっても今思うと数本です)通過する列車と確か貨物列車を1つ見送りました。
目の前から数メートルの鼻の先を通過する列車の迫力とスピード(思えば今の下りの南風と比べるとかなり遅かったでしょうね)に友人と驚いたり感心した覚えがあります。
そうこうしながらたわいも無い話をして時間をつぶしました。
えらく待ってやっときた帰りの列車に乗って帰ったのが思い出です。すごい遠くへ行ったという印象で次の日に学校で自慢したような、そんな小学生でした。
そのとき一緒に行った友人には今でもたまに会いますが当時のことを覚えているでしょうか?
DE10の走る姿を久しぶりに見て当時のことをいろいろ思い出しました(^_^)
坪尻駅の横の川です。これがスタンプにも描かれている滝と思われます。
予定では秘境トロッコ列車の最後の姿を見送りに行くつもりです。
Posted at 2016/11/22 18:29:53 | |
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鉄ちゃん^^ | 日記