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Miki.Raikkonenのブログ一覧

2018年03月04日 イイね!

#29 綾金観音

#29 綾金観音曹洞宗長流山金泉寺、第三番札所であり、本尊は十一面観世音。

松野観音から県道16号線に戻り、喜多方市街方面に戻ります。濁川を渡り信号を右折、直進すると次に伺う高吉観音が直ぐですが、浄化センターの近く豊川町米室綾金集落の綾金公会堂の向かいに在りました。

鎌倉末期の元弘元年(1331)、蘆名盛宗が建立し十一面観音像を安置したとされます。盛宗は会津大鎮守六社を束ねる諏方神社(会津若松市本町)も創建してる事から積極的に領内整備を行っていた事が窺えます。

金泉寺は蘆名氏の庇護もあり最盛期には20余の僧房を擁する大寺院として隆盛しましたが、こちらも伊達、蘆名の戦火により多くの堂宇、記録、寺宝等が焼失、蘆名氏が常陸に逃れると衰微しました。江戸初期の寛文年間に石伝和尚が再興し現在に至ります。傍らには子育薬師堂も建立されています。

露の身の 夢幻の 世の中に 身を綾金と いで祈るらん

『綾金っ!!』

…緒方恵美さんに叫んでもらいたいわ〜m(^^;)
Posted at 2018/03/04 17:13:56 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 日記
2018年03月03日 イイね!

#28 松野観音

#28 松野観音曹洞宗物宝山良縁寺、第二番札所であり、本尊は千手観世音。

二月末日、会津はまだ雪深いですが喜多方に所用が有ったので一緒に喜多方コースを巡ってきました。今年の冬は長いです。雪も日中に降るので消えません。

喜多方プラザ近隣の知人宅から県道16号線に戻り道なりに飯豊山や蕎麦で有名な山都方面へ西向、濁川を渡った慶徳町松舞家松野集落に在りました。

本尊は奈良期天平年間、行基上人が会津巡錫の際、彫刻した三体の霊像の一体を基に開いたとされる慈福山千光寺の古仏でしたが、千光寺が廃寺となると当地に遷されるも江戸中期元禄年間の火災で焼失、その後、荒廃を危惧した有力者の星氏により新たな仏像が奉納され、胎内に焼失した旧本尊の灰を納めたと伝えられています。

境内は鉄棒やブランコが有り子供達の遊び場といった雰囲気です。豊穣の大地と後方の雷神山、東向きの御堂…四季折々、また御詠歌の通り朝夕も趣ある御堂を容易に想像出来ました。



朝日射す 夕日輝く 大山寺 松野の里に 晴るる薄雲

16号線に接続する広小路に戻ると、道の真ん中で猫が毛繕い…長閑な午後の始まりでした。m(^^*)
Posted at 2018/03/03 20:34:34 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年02月10日 イイね!

#27 遠田観音

#27 遠田観音曹洞宗福聚山大光寺、第九番札所であり、本尊は千手観世音。

大木観音から再度県道21号線に戻り、更に県道61号線を経由してR121(会津縦貫道)の袂、日橋川の畔の遠田集落に向かいました。

ナビでは登録が無いのは無論、核心の番地が無かったり、各資料の住所も何だか不鮮明、目的地検索で一番有用だったのはスマホやiPad等のナビ機能を有するマップアプリでした(苦)。ま、慣れて来ると「あの杜っぽいね」ってニュータイプ的な勘が働く様になります(笑)。

それと今更ですが、表記する本尊はあくまでも観音堂のものです。大半は廃寺等で問題ありませんが、存続している寺院の場合、本堂本尊と当然異なるので誤謬では有りません。

大光寺の創建は不詳ですが、平安初期には三十六坊や三重の塔が有り、七間四方の観音堂は柱に金を鏤め、屋根は檜皮葺、日橋川の水面に映る繁栄ぶりは壮麗を極めたと云われます。

他堂にも言える事ですが、巡礼の時季が良くなかったですね…こちらも春はサクラ、秋はイチョウ、そして背景に四季を通してバラエティに富む飯豊連峰を楽しむ事が出来るそうです。

後の世を 願う心を 照らすらん 遠田の沖に 出づる月影

こちらを以って越年となりました。残るは喜多方コース七堂と、柳津、西会津の番外二堂です。

まだ雪深い会津、春の訪れを待って結願の旅へ向かいます。m(^^*)
Posted at 2018/02/10 17:22:42 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年02月07日 イイね!

#26 大木観音

#26 大木観音真言宗紅梅山常安寺、第一番札所であり、本尊は十一面観世音。

青津観音から再度県道21号線に戻り喜多方方面へ約2km北上、阿賀川を渡り喜多方市塩川町に入ります。直ぐ左手の大田木集落に在りました。

こちらから巡礼を始めるのが本来の姿、こちらを発願所としたのは「願う心の大き」を擬したと文献等に有ります。立派な山門(仁王像がカワイイ)は有るものの非常に質素で、高名な巡礼の発願所のイメージで来られると面喰うかも知れません(苦)。

常安寺の創建は不詳ですが、当地の実力者だった大木左馬亮(常安長者)が自らの持仏を安置したのが始まりと伝えられています。伊達、蘆名の兵火により焼失荒廃しましたが、上杉景勝の慶長年間に再興されました。

この巡礼を通読して下さってる方はお気付きかも知れませんが、発願所と(定番)結願所は近いです。ただ、阿賀川を渡る必要が有るので、当時この順番で勧請されたと思われます。

阿賀川の畔のここ大木から右回りに喜多方市、会津若松市、会津美里町、会津坂下町の御池へと阿賀川の対岸へ再び戻って来る巡礼です。

万代の 願い大木の 観世音 あの世とともに 救け給えや

娘達が無事手から離れたら…そのお礼も兼ねて順番通りにゆっくりと、御朱印も頂戴しながら妻と再巡礼したいです。m(^^*)
Posted at 2018/02/07 22:04:41 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域
2018年02月04日 イイね!

#25 青津観音

#25 青津観音浄土宗示現山正徳寺、第三十二番札所であり、本尊は聖観世音。

御池観音から県道21号線へ戻り喜多方方面へ更に2㎞ほど北上、阿賀川の手前左手ある青津集落に在りました。

各資料が指し示す住所は管理する近隣の浄泉寺ばかりなのと、亀ヶ森古墳と同一とは露知らず、暫く集落内を迷走していました。また道幅は狭くNで正解でした(苦)。

亀ヶ森古墳は4世紀末築造と推定される前方後円墳です。県内最大、東北では雷神山古墳(宮城県名取市)に次ぐ規模で、当時の会津地方の歴史を知る上で大変貴重な存在です。

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当初の別当寺院である正徳寺(青木寺)は、こちらも「高寺」の三十六坊の1つの後身と云われ、室町末期の天文年間に岌円和尚により再興、永禄年間に松岩和尚が境内に観音堂を造営したとされます。

江戸初期の慶長16年(1611)に発生した会津大地震と、その後の大水により御堂が倒壊し、本尊は隣村に境内を構える現在の別当寺院である清光山浄泉寺の本堂で祭られる事になりました。

正保年間に現在地である亀ヶ森古墳の後円部頂上付近に御堂が再建され、以降、浄泉寺が引き続き管理しています。浄泉寺の創建は不詳ですが、これまた「高寺」の三十六坊の一つ「浄泉坊」の後身と云われ、南北朝期に生江大膳(蘆名氏家臣)により再興されています。

春は花 夏は青木に 繁りつつ 秋は紅葉に 染むる露しも

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…この手の争いは何時の世も何処の国でも変わらない様で。m(^^;)
Posted at 2018/02/04 17:14:44 | コメント(0) | 会津三十三観音 | 旅行/地域

プロフィール

「Fも完了。エビタイモケーよ。(^^;A」
何シテル?   11/12 15:48
初代ヴィッツやエボⅢを散々改悪した反省か、最近漸く真面になって来ました(苦)。
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