
お~この前のパーツで『アンカー』作った?(笑)
…走らせたいから某家電量販店連れてけ?(苦)
仕方ない…じゃ、またやるか!会津歴史散歩!(苦)
翌週、先回巡り切れなかった所をメインに+αを交えながら再散策、流石にマシン、メンテボックスを持ちながらは辛いので、フリを某家電量販店に置かせてもらってスタート!(苦)
先ずは山本覚馬・新島八重生誕の地碑を目指すのですが、ちょうど鶴ヶ城(会津若松城)を通った方が近いので県立博物館、三の丸から…
佐川官兵衛顕彰碑です。

先回の北越潜行の詩碑、新島八重像の並びですが、かなり文化センター寄り、クルマで目前はよく通るのですが、
4年ぶりの表敬訪問(苦)。
お濠で甲羅干しをする亀さんを横目に、
鶴ヶ城に登城仕り候(笑)。

本丸をほぼ一周して、この正門(鉄門)前からの構図が好きです(笑)。
その傍らに
上杉謙信公仮廟所跡が在ります。

跡を継いだ上杉景勝の会津加封に伴い、春日山城から移されたのですが、城内の西南の隅に安置されたという記録が有ります。城郭が当時と同一である確証も有りませんが、「城内」が本丸内を指すのであればこの辺りという事です。
関ヶ原の後、米沢減封に伴い米沢城(現上杉神社)へ、そして現在の
上杉家廟所に歴代藩主と共に祀られています。
桜には早かったですが梅がちらほらと。
西出丸経由で
R118 に渡ります、国道沿いにすぐ
日新館跡碑が在ります。

隣は新築経費を寄付した御用商人、須田新九郎頌徳碑ですな。
この城の向い一帯が藩校日新館だったのですね…商業高校と小学校が存在するのがその名残かも知れませんね。
実際の藩校は焼失しましたが、当時の図面や資料が残っており、市内河東町に
會津藩校日新館として完全復元されています。
その端にあたるのかな…
山本覚馬・新島八重生誕の地碑が在ります。

全くもって民家の前です(苦)。

実際はもう50m西だとか…同志社によって建立されますが、思うに快諾してくれたのがこちらの御宅かと。
「明日よりはいづこの誰か眺むらん なれし大城に残す月影」

会津藩が降伏し開城前夜に詠んだといわれる八重の歌が刻まれています。
そのまま裏通りを北上、某小学校の向かいに…在りました、
日新館天文台跡です。

日新館の、そして江戸時代の天文台としても現存する唯一の遺構です。現存部分は凡そ半分ですが、露台の高さはほぼ原状を保っていると推定されています。
映画『天地明察』で、会津中将保科正之が安井算哲(渋川晴海)を庇護している様に、天文学も盛んだった事が伺えます。昨年、日本天文遺産の第1回として藤原定家の「明月記」と共にこの天文台跡が選定されました。
R118 に戻り、会津のメインストリート?神明通り方向に向かいます(苦)。
いつも御榊でお世話になってる生花店付近が…
飯沼貞吉生家跡です。

壮絶な最期を遂げた白虎士中二番隊唯一の生き残り、歴史の貴重な証言者となりました。後に逓信界に進み、日本の電信電話の発展に貢献しました。
神明通りまで来るとアーケードの下に石柱が在り、小路を入ると…

瑞雲山興徳寺、
蒲生氏郷公墓碑です。

信長に愛され、秀吉に畏れられた家臣想いの勇将、燕尾形兜で有名ですね。
黒川を若松と改名し、文化産業の振興、現在の会津若松の礎を築いたのは彼です。因みに「鶴ヶ城」の通称も、その城の容姿も然る事ながら、幼名の「鶴千代」から、家紋の「舞鶴」からとも言われています。
「空風火水地」の五文字が刻まれた五輪塔で遺髪が納められてるそうです…稽古堂(生涯学習センター)の裏の杜はココだったのか(苦)。
そのまま繁華街を抜けた一角に、
甲賀町口郭門が在ります。

城下に16カ所設けられた郭門の現存する唯一の郭門、大手門として機能、最重要防衛口でした。
『八重の桜』ではここを攻め落とされ負傷した家老田中土佐(佐藤B作さん)が、同じく六日町口から撤退して来た家老神保内蔵助(津嘉山正種さん)と、医師土屋一庵邸で
「生まれ変わっても」「また会津でな」と、微笑みながら互いに刺し違えて自刃したシーンが一番泣けました…今、思い出しただけでも画面が歪みます(涙)。
…失礼(苦)、この地点もなだらかなクランク状の路上ですし、市内にはクランク状の交差点が数多く残っています。城塞都市の名残ですね。
某家電量販店でテスト走行、まだシビアになる以前だったので、同年代のプレーヤーと小一時間交流を楽しんだ後…
河井総督の埋骨遺跡も見ようと大寶山建福寺に赴きますが、境内には無く少々時間を要しそう(苦)。

仮埋葬地ですけどね。「おめさんにはわがらんこて」と声が聞こえた気がしました…流石、河井総督、簡単には攻略出来ません、てか勉強不足、出直して来ます(苦)。
小田山公園にでも駐車して、アームストロング砲の射程を確認しながら、ゆっくり拝見しようと思います(笑)。因みにここのシダレザクラも見事で会津では有名です。
この日の最後は義母に教わったらしく、自宅近くに氏郷公墓そっくりな墓が在ると息子が言うので、そちらに行ってみました。
確かに某ドラッグストアの裏に在りました、
蒲生忠郷公墓碑でした。

氏郷公の孫ですね。鶴ヶ城の天守を五層に改築したと伝わっています。夭逝したため改易、加藤嘉明が入部します。その加藤家も二代で改易、そして保科正之、会津松平家へと時代は進みます。
旧跡巡りは二次元の知識が、四次元のイメージになって頭に入るので好きです。会津は重厚な歴史を持つ街、ネタには事欠きません。また何かの機会に散策、投稿出来ればと思います。(゚∀゚)b
Posted at 2020/04/23 17:23:00 | |
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