何度も読みたいので・・・・メモ^^;。
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湖川友謙VS安彦良和・・・と言っても、別に二人に確執があったとか、喧嘩したとか、そんな醜聞めいたことではない。
イデオンとガンダムを巡って、この二人は否も応もなく比較され、結果、湖川の作画が「大衆(大勢のアニメファンも含む)」から過小評価された・・・ということを伝えたいだけだ。
だが、その評価が同時に、イデオンという作品の在り方をも端的に伝えてくれる。
二人とも出身は奇しくも同じ北海道紋別郡遠軽町。同じ高校の先輩、後輩と聞く。いづれも若くして台頭し、画期的な作品の根幹に携わり、富野喜幸と共同作業をすることによって大きく飛躍した。
だが、湖川は結局、熱狂的だが局地的な支持にとどまったのに対し、安彦は少なくともアニメ業界の中では揺るぎなく、絶対的な栄誉を与えられた。
二人に対する評価は、そのままイデオンとガンダムに対する評価と一致すると言って、ほぼ正しいと僕は思っている。
安彦良和は1947年に生まれた。彼が「勇者ライディーン(1975年放送)」の人物造形を勤めたのは若干28歳頃。当時の主流であった熱血的少年マンガ路線から外れた、どこか少女マンガ的な柔らかさを持った彼の人物造形は当時の少女たちを魅了し、巨大ロボット作品でありながら女性ファンを多く獲得したことは有名だろう。彼はその後も「わんぱく大昔クムクム」「ロボっ子ビートン」「無敵超人ザンボット3」と人物造形を手掛け、そして「機動戦士ガンダム」を契機に一気に名を成すこととなった。この時、齢若干32歳頃。
それだけでなく、ガンダムと同時に雑誌リュウに「アリオン」連載を開始。見事、マンガ家としても成功を納める。天才と呼んで一向に差し支えないだろう。
ただしガンダムにおける富野との関係は、恐らく従来の監督と作画監督のそれを超えたものであり、せめぎ合いと言ってよい対立があったようだ。
富野は言う。「安彦君は達人。誰も真似できない。彼は"それは演出の領域でしょう!?”というところまで踏み込んでくる」と述懐した。それはすなわち、「演出家の言うことを素直に通さない、扱いづらい絵描き」という気持ちの裏返しだろう。たぶん、演技はもちろん、どのように役者を動かすか、物語全体の中でのこの場面の役割は何か、絵コンテの根幹(すなわち作品の根幹)に関わる領域まで、安彦は自分の意思を主張したのだと思う。劇場用製作においても、安彦は構成に悩む富野に「シャリア・ブルの話はいらないんじゃない?」など、作劇に関わる部分まで意見を述べている。
これは監督(演出家)の立場からみれば越権行為だろう。富野は「これでは自分の作品ではなくなる」という危機感があったのではないか。しかし、富野とても無視できない説得力が、安彦の意見にはあったのだと思う。自身が表現の塊のような安彦には、黙々と富野のコンテを画像化することに満足できなかっただろう。二人はぶつかるべくしてぶつかったのだと思う。
だが、この二人の葛藤は、当事者の精神的負担や苦痛を無視すれば、作品の完成度を著しく向上させたに違いない。二人が激しく対立したからこそ、「巡り合い宇宙」が完成したのだ。
どんなに個性的な人間であっても、個人の才能には限界がある。異質な才能・思想が衝突すれば、崩壊も起こりえるが、一人々々では成しえない高みに届くことがある。衝突したならば、衝突する相手の提案以上の考えを示さねばならない。その時、己一人では得られない発想が生まれる可能性がある。
あるいは知らず知らず、衝突する相手の思想・技量が自分のそれと融合し、更なる高みに届く可能性がある。
例えば「あしたのジョー」における梶原一騎とちばてつや、あるいは映画における黒澤明と三船敏郎、または音楽界のジョン・レノンとポール・マッカートニーの関係がそうだったのだろう。
「巡り合い宇宙」は富野、安彦、どちらが欠けても、あの独特の冷めているようでいて熱気の籠った流麗な映像は生まれなかったのではないか。
しかし、こうした才能の衝突と融合は、言わば真剣で切り合うかのごとき行為なのかもしれない。日々、激しい心理的葛藤が繰り広げられる。消耗される精神力はただ事ではない。何しろ、互いに一家言持つ達人同士の戦いなのだから。故に、長続きしない。いずれ、袂を分かち、それぞれの世界に帰っていく。初代ガンダム以後の二人の関係は、表面的な共同作業に留まるものとなった。
また、そうした作品製作を巡る戦い以外にも、二人の共同作業が継続できなかった理由があると思う。それは、「政治を、政治に関わる人々をいかに描くか」についての姿勢が決定的に相容れなかったからではないだろうか。
二人が共同作業を継続しなかったのは、ニュータイプの概念を安彦が嫌ったという側面もあるとされる。だが、実は安彦は富野の政治の描き方が自分の信条と違いすぎると感じたのではないか。逐一、具体的に説明するだけの準備はない。だが、富野も安彦も60年代の政治の時代を強く経験した世代だ。当時の学生運動が分裂したように、彼らは互いに「お前の考え方は受け入れられない」と感じたのかもしれない。
安彦は庶民に近い立場から政治を描こうとする。彼は為政者、あるいは政治活動団体の長とは距離を置いた主人公を好む。えてして主人公は庶民にも成りきれず、さりとて為政者の側にもつけない彷徨う存在となる。他方、富野が最も描きたいのは為政者だ。本当は優れた為政者による世直しをしたいという欲がある。最も優れた政治体制は、圧倒的に優れた独裁者によって成されるべきだと考えている。だが、そんな理想的な為政者は存在しえないし、為政者そのものを描くことは庶民(観客)の反発を産むと計算しているのか、為政者そのものを主人公にはしない。だが、彼の主人公は為政者に密接に関わっていく。
この視点の違いが、二人を分けたのではないか。
しかし、だ。個別に活動することによって、彼らは表現の「自由」、自我を通す「自由」を手にいれ、秀作をものにするのではあるが、かつての「才能の衝突」時代を上回る作品を生み出すことはできなかった。その後に生まれた作品も優れてはいるのだが、やはり「あの時が最高だった」と「衝突の時代」を顧みられてしまうのだ。
「個別の時代」で「衝突の時代」に匹敵する傑作を残したのは、ジョン・レノンの「イマジン」くらいか?
おやおや、安彦VS富野の話が長くなってしまった。これはこれで是非とも、言い残しておきたかった。後日に書き直しをする気にはならないので、このままでご容赦を。
では、安彦の話に戻ろう。安彦には才能が横溢していた。彼はアニメーターとして達人だっただけではなく、人物やメカを造形する才能、マンガを描く才能、映画監督としての才能にも恵まれていた。
彼の人物、メカニックを含む造形感覚の卓越性を疑う者はいないだろう。人間はおろか、ロボットまで安彦が描きなおした方が遥かに美しく格好いい、というのは言いつくされているだろう。初代ガンダムも大河原邦男の原案よりも安彦の線になる造形の方が繊細さも兼ね備えて、より美しい。
それを上回る代表的な逸話が、「超電磁ロボ・コンバトラーV」の主役ロボの造形を巡る話だ。ポピー(村上克司)が設計したロボットの造形を安彦が変更したため、玩具の金型やら製造工程やらの大幅な変更を要したので、ポピーが激怒した、という話である。これについて触れると回り道がすぎるので、詳しくは触れない。いずれ。
とにかく、安彦良和は特異的な存在だ。更に彼はマンガ家としても成功する。
通常、アニメーターがどんなに優秀だとしても、マンガ家としての才能は別だ(それは湖川もそうだった)。枠が固定したアニメの画面設計と、自在なコマ割りという「文法」「語法」を持つマンガとは似て非なるものだ。だから、アニメーターがマンガを描いても、つまらないことが多い。
ところが、安彦はマンガ家としても、マンガ界全体からみても無視できない地位を獲得している。彼はマンガのコマ割りに対応できたのだ。
更に、アニメ映画監督としても一定の秀作を残した。残念ながら「ヴィナス戦記」の興行的失敗を理由にアニメ業界を引退した形になったが、「クラッシャージョー」「アリオン」そして「ヴィナス戦記」のいずれも、なにがしかの欠点はあるかもしれないが、決してないがしろにできない完成度を示した作品に仕上がっている。監督としての安彦の画風・作風は一言で表せば流麗。柔らかな線が官能的で、しかし内に秘めた(政治的な)激情の迸るものだ。
本当に彼がアニメの現場から身を引いたことは大きな損失である。だが、映画監督を続けるには、正直すぎるというか、図太さにかける人柄なのかもしれない。
フランシス・コッポラ監督なぞ、何十億という金を使って失敗しても平気だという。映画監督とは、本来、それくらい神経が太くないとできないものなのだろうが、安彦はその点で優しすぎたのだろう。
(この項、続く)
(承前)
さて。
そんな逸話の多い安彦と比べられたのが、湖川友謙である。ガンダムの後のイデオンであったがために、安彦の後の湖川であったために、彼は一般大衆(くどいが、アニメファンも含める)からは実は不当に過小評価されてしまったと言える。
過小評価? それはおかしいではないか、あおりを主体とした湖川タッチは一世を風靡した・・・とおっしゃられる向きにはこう反論したい。
アニメファンの大半は、恐らくイデオンや湖川の画風を支持しなかったと思いますよ、と。安彦の画風に比べると暗いとか、とっつきにくいとかと言って・・・・。
湖川友謙は1950年に生まれた。
彼は東京ムービー(現トムスエンタティメント)でアニメーターとしての活動を開始し、以後はフリーとしてタツノコプロの作画に関わりつつ、その技量が業界内で評価されるようになり、やがて東映動画で「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」、TV版「銀河鉄道999」の人物造形と総作画監督を務めるに到った。「愛の戦士たち」に先立って、小国一和名義で「無敵剛人ダイターン3」の敵役の人物造形を行っている。
湖川が「愛の戦士たち」の作画監督を務めたのも若干28歳頃。そしてイデオンに携わったのが30歳。決して安彦の業績と比べても遜色がない。
振り返ると興味深いのだが、「愛の戦士たち」は安彦が絵コンテを描いており、また有名な公開時の宣伝ポスターの古代進と森雪が寄り添う画は安彦が描いている(製作者の西崎が安彦を重用していた故と言う)。湖川と安彦の因果は、出生地に始まり、この湖川の実績の中でも重要作品である「愛の戦士たち」でも巡りきている。
「愛の戦士たち」は白土武による劇画様の男性的な描線に比べ、より洗練された描線となっている。画として、非常に「見通しのよい」印象を与える。更にここでも彼はあおりの構図を多用している。
不思議なことに、「愛の戦士たち」は製作者西崎と原作者松本の個性が際立っていたためか、これだけの成功作であるにも関わらず、湖川が作画監督であるという印象が弱かった。僕もイデオンに夢中になっていた頃でさえ、そんな事実に気づいていなかったほどだ。
言われてみれば、実に湖川の画なのだが、ヤマトという最大公約数的な作品であるがためか、彼の体臭、個性が穏やかに抑えられ、その代わりに湖川の「技術力」「描写力」が素直に提示された映像になったのではないかと僕は思う。
つまり、湖川友謙という人間を意識せずに、ただ「あ、うまい画だな」「丁寧な動きだな」と感じることができる映像に仕上がっているということだ。
小黒雄一郎氏が編集長を務めるWEBアニメスタイルが、2006年に湖川に8時間に及ぶインタビューを行った。ネット上で無償で公開されており、その充実した内容は一人でも多くの人の目に触れてほしいと思う。
(第一回:http://www.style.fm/as/01_talk/kogawa01.shtml)
この長時間インタビューは湖川友謙を知る上で、非常に参考になる。彼の人柄、価値観がまこと端的に表出しており、読んでいて腑に落ちる言葉が次々と顕れる。これは今後、貴重な資料になるだろう。
このインタビューから感じられることは、彼の強烈なまでの職人性だ。
あおりを含む構図はもちろんのこと、動き、配色に到るまで一家言を有した姿勢を示しており、例え有名アニメーターであっても技術が不足していると判断されれば、容赦のない批判を浴びせられている。
彼が重視するのは、構図、動き、配色について、観察や理論に裏付けられた技術を持っているのかどうかだ。彼にしてみればアニメの作画技術はあまりに感覚的であり、技術ともいえない程度のものでしかなくて失望したこと、なぜ理論を踏まえた作画が行われないのかと憤慨せずにはいられなかったことなどが、このインタビューでは再々、語られている。
「あおりがきちんとかける人はいなかった。ガッチャマンの宮本貞雄さんでさえ、僕から見ればあおりがわかっていなかった」
「僕があおりの技術を教えた人が、他の会社で"これは湖川のあおりで、うちのあおりじゃあない"と言われた。あおりは本来、基本的な技術だ。個性で変るものではない」
「パースを描ける人はほとんどいなかった。安彦さんも描けていなかった」
「歩く動作、走る動作、これをきちんと描ける人はいなかった。僕の動きの見本を“間違っているから直しておいてやったよ”と言われたことがあったが、間違っているのは相手だったので大きなお世話と思ったものだ」
・・・・これを傲岸不遜とみるか、卓越した技術者の当然の自負、自尊心と見るか。読者によって変わることだろう。だが、僕は科学者のように理詰めで画を把握しようとする湖川の姿勢に敬意を表せずにはいられない。ただし、一緒に仕事をするにはかなりの覚悟がいるだろう。仁徳は得られそうにない。
彼はこう語っている。「師匠と呼べる人はいない」。
ある意味、全て自分で築き上げてきたという自負。孤独と裏合わせかもしれない。
映像の職人として高度の技術と、それを周囲に浸透させるだけの気力、厳しさを持った湖川であるが故に、富野は彼を自分の作品の作画担当の責任者としてサンライズの現場に招き入れた。何しろ、当時の日本サンライズの作画の程度は、決してほめられたものではなかった。
だいたいが「ザンボット3」は予算がないからと作画監督がおかれなかった。だから逆に金田伊功の画が生き残ったのかもしれないが、結果論だ。ガンダムにしても安彦の担当した回は確かに優れた仕上がりになっているが、他の作画監督は安彦の人物設定表をうわべだけなぞって、自己流で描きすぎた(当時のサンライズにはそれでよしとする風潮が強かった)。中村一男、青鉢芳信、山崎一男、富沢和雄・・・・山崎一男はまだ彼なりに人物設定に近づけようという努力が感じられるが、中村や青鉢の描線は明らかに自己流を貫きすぎていた(※1)。安彦は作画水準を維持したかったのだろうが、自分が作画監督を担当した回はほぼ全ての原画を自分で描いていたとか。このため、途中で過労により倒れ、途中降板したことはあまりに有名だろう。
通常の疲労であれば何ヶ月も病休を取ることはあるまい。だが、彼はガンダムのTVシリーズの作画に以後、復帰することはなかった。「アリオン」の連載も長期中断となった。要するに短期間では回復できないほどの病状であったということだ。恐らく過労どころの病状ではなかったのではないか(※2)。
以後のTVガンダムの作画は相当に劣化した。人によって意見は異なるかもしれないが、少なくともバンクという使いまわしの映像が特に戦闘場面で極端に増え、たまに新たな作画をみかけると「ひさしぶり!!」と呟いてしまった。
だからこそ、「巡りあい宇宙篇」は熱狂的に受け入れられたと思う(※3)。
ウィキペディアの「サンライズ(アニメ制作会社)」の記載にあるように、サンライズは経費削減のために根幹である製作現場の人員を全て外注にしているという。要するに正社員として雇用しない方針というわけだ。中心となる人員も現場の人員も全て一時的な雇用で集められているということになる。
この方式は、製作に関わる人員がある意味、横一列になっている状況だ。縦の序列がないので、帰属意識が育たない。個々の作画プロダクションが「俺は俺の流儀でやる」という意識が強くなるだろう。その結果、作画の質が一定しないし、肝心の映像水準が「安かろう、悪かろう」というものとなりやすかった。
富野はこの状況を打開したかったのだろう、「湖川さんには失礼な言い方ですけど、サンライズ周辺で湖川さんしかいなかったから、湖川さんを使わざるをえなかったということに尽きますね」という表現をしているが(「富野由悠季全仕事」キネマ旬報社1999年刊)、サンライズの作画体制を改善するためのてこいれとしての湖川友謙起用であったという見方は正しいと思っている。
なにしろ、外注集団の弊害は湖川参加後も容易には解消されていない。
「蒼き流星SPTレイズナー」の作画監督および人物造形を担当した谷口守泰(アニメアール代表取締役)は、「装甲騎兵ボトムズ」で、塩山紀生の造形のキリコの髪型が典型的な軍人カットであったのに反発し、もみあげなどを意図的に長くして差別化を行ったことがある。寄せ集め集団の弊害の最たるものだ。ある意味、キリコ・キュービーの人間設定を根幹から否定したようなものであり、作品に対する背反行為だろう。だが、それがあたかも武勇伝のように語られる風潮があった(※4)。
とはいえ、湖川と富野は馬があったようだ。それ以上にお互いの技量を認め、信頼感も強かったようだ。前述の「富野由悠季全仕事」でも互いに敬意を持っていることは言葉の端々に感じられる。WEBアニメスタジオのインタビューでも、2000年代にはいって久方ぶりに二人が再会した時に大いに喜んだという逸話も湖川の口から語られている。
有能な演出家と有能な作画家の幸福な出会いであったと思われる。湖川は例えば「発動篇」の最終の転生の場面は、彼の価値観にはそぐわない展開であるとしながらも、「でも僕の仕事は、製作発表会でも話した通り、あくまでも富野さんの意向を作画面で助けることでしたから」と、物語設計には異議を挟まない姿勢を貫いている。他方、作画については例えば「色彩設計の決定権を監督より与えられました」「キャラの色に関しては色指定のスタッフが作ってきたザブングルに対し、“この色に変えて”と言えば、監督も“はい、わかりました”というしかなかったんです(笑)」という裁量権を富野は湖川に許した。
この「互いを尊重し、互いの領域は完全に信頼して任せる」という関係であったからこそ、イデオン、ザブングル、ダンバイン、エルガイムと5年に渡る共同作業が続いたのだろう。
(この項、まだ続く!!)
※1:しかし、そうした「個性的」な画風を好んだ人もおられる。ブログ「アニメと作画の考察」2009年7月28日の記載では、mineralharvest氏は安彦離脱後の作画を支えた青鉢と山崎の功績を讃えている。
http://mineralharvest.blog96.fc2.com/blog-entry-297.html
※2:安彦の離脱は様々な余波を産んだ。雑誌「アニメージュ」1979年12月号の表紙は、本来、安彦が描きおろす予定であったが、この病気のため、急遽、シャアの原画を掲載したという逸話がある。ところがこれが好評で、翌1月号はルパンが振り返る動きを大塚康雄の原画で表現するという試みも成された。その際の編集付記で、「(原画3枚で描いてみてはという編集部の提案に対して)原画3枚では動きは出せない。最低5枚はいる」として、大塚がこの表紙を描いたという事情が伝えられたりしている。
残念ながら上記の表紙を継続して掲載しているHPやブログはないようだ。オークションでサムネイル画像がいくつかみかけたが、さすがに転載するわけにはいかない。アニメージュの公式HPで閲覧可能にしていただけるとありがたいのだが、費用面でそうもいかないのだろう・・・。
アニメージュ表紙以外にも、彼の病休中に発売されたキングレコードのLP「機動戦士ガンダムⅢ:ドラマ編 アムロよ・・・」のジャケットも、リンゴをかじるアムロの原画となっている。
※3:個人的には劇場版ガンダムという決定版があるので、TVシリーズの価値はどうかと思うところが強い。確かに「戦場は荒野」などの話は完全に削除されているし、ビグロー対ガンダムも割愛されているという難点はあるものの、やはり完成度の高さで僕は劇場版を重視する。
だが、それでもTVシリーズを熱愛する人も多いし、例えば評論家の氷川竜介もガンダム・ポータルサイトの文章で「ネイティブの持つ迫力と情報量」でTV版ガンダムを強く支持している。
http://www.gundam.info/content/6
「日本アニメ史学研究序説」の北野太乙も劇場版ガンダム(特に巡りあい宇宙)は富野が神がかってしまい、雰囲気がTVシリーズと大幅に変ってしまったことを負の評価としている。彼もまたTVシリーズをより支持する立場のようだ。
今回でこの項を終わりにするため、くどく、長い文章になってしまった。ご容赦を。
(承前)
約5年間継続した富野と湖川との共同作業は以下の通り。
TVシリーズ「伝説巨神イデオン」
劇場版「THE IDEON」
TVシリーズ「戦闘メカ・ザブングル」
TVシリーズ「聖戦士ダンバイン」
TVシリーズ「重戦機エルガイム」
以上の5作品。
ただし、ザブングルでは個性的な人物造形を示したものの、この作品の前半の製作期間は劇場用イデオンの製作期間に重なっており、当然ながら湖川はイデオンに集中しており、彼が作画監督として参加したのも全50話中の第1、27、33話に留まっている。内容的にもザブングルへの湖川の関わりは中途半端に終わったと言えるだろう。
湖川は「ザブングルではギャグの動きをしたかった」「骨のない動きを試してみたかった(トム&ジェリー的動きだろうか? 筆者)」そうだ。しかし、それも果たせなかったとみてよいだろう。
また、エルガイムでは作画の統括者的立場に「後退」しており、作画監督として名前を連ねていない。エルガイムにおける湖川については、後述するように、言わば左遷されたようなものだった。
こうしてみると、やはり湖川の作品と言えるのは、イデオンとダンバインに尽きるということになるだろう。特にダンバインでは、イデオンで成熟度を増した己の画力と、彼が鍛え上げたスタジオ・ビーボォーの威力がいかんなく発揮され、少なくとも彼らが参加した回では当時のTVアニメとしては究極の映像が展開された。全49話中、第1、2、10、15、18、19、23、25、28、29、33、34、37、40、42、45、47話と1/3以上の作画を務めるという快挙を成し遂げている(※1)。
しかし、湖川と富野は、杉野昭夫と出崎統のような数十年にも及ぶ関係を築けなかった。
なぜだろうか?
以下は前述の「富野由悠季全仕事」181頁からの一部引用だ。
「そして『エルガイム』の時に、キャラクター・デザイナーとして永野君を使ったのは、僕が強制的にやらせてしまったことであって、湖川さんには申し訳ないと思いますが、今でも(1999年:筆者注)間違いではないと思っています。湖川キャラクターの問題というのもあるんです」
「だから永野君の、まだ画は下手かもしれないけど、このユニークなところは絶対に拾って、ビジネスをやるということはこういうことなんだから、我慢しろと僕は言いました。『エルガイム』の時は申し訳ないけど、「あなたは一度引っこんでくれ」と言わざるを得なかった」「『エルガイム』で湖川さんをああいう立場にしたのは僕です。それは本当に申し訳ないことだったと思うけれど、湖川さんそのものの画やキャラクターを評価しているからこそ、あれだけ使いもしたし、評価しているからこそ、逆に毒の部分もわかっています。それから、それ以後使えなくなったことに関しては僕の問題ではなくて、湖川さん個人の問題ですから、僕は関与出来ませんし、評論する気もありません」(以上、傍線は筆者)。(※2)
・・・ここには深く読めば、また湖川の富野に対する気配りのこもった発言を読めば、いかに「重い」やりとりが当時、二人の間で成されたか、推測することができる。
更に付け加えよう。
―― 富野さんと仕事をする機会はないんですか。
湖川 難しいでしょうね。『エルガイム』の後で「1年待って」と言われて、20年経ってますから。
(WEBアニメスタイルanimator interview 湖川友謙(6)画の技術と画の魅力より http://www.style.fm/as/01_talk/kogawa06.shtml)
突き詰めれば、富野が「湖川の絵では新しいファンはついてこない」と判断したのだ(※3)。イデオンに始まり、ダンバインまで共同作業を続けた結果、湖川が潜在的に求めている画風は、大衆に受け入れられるには(まことに残念だが)あまりに先鋭すぎていると、彼は評価したのだろう。まだ「深夜アニメ」という「閉ざされた」視聴者を対象にした事業計画をたてるような時代ではなく、「開かれた」視聴者を前提としてアニメが製作されていた時代だった。いや、深夜アニメでもアニメファンという閉ざされた視聴者に充分に配慮しているが、湖川の画風はそのアニメファンからも十全に受け入れられていなかった。
TVアニメの範疇の中で、ある意味、究極の映像となった「ハイパー・ジェリル」で、富野も行くところまで行ったと考え、これ以上、湖川の感性で仕事を続けても客は来ないと考えたのではないか。
その結果、より商売に成りえる才能を求めて彼は永野を重用した。そして、ある種の閑職へ湖川を追いやった。それだけではない。湖川との共同作業をやんわりと、まるで、嫌らしい言い方を承知で言えば、女と別れる時のお手本のような上手な終わらせ方をした。
「ビジネスをやるということはこういうことなんだから、我慢しろ」
湖川ほどの気難しい職人肌の男に、上のごとき理(ことわり)を説いて、納得させた上、「また一緒に仕事をしようね」と期待を持たせるようにして終わる。相手は、それが口先だけと知りながらも、受け入れている。
僕はこのインタビューから富野の人間的な凄味を感じて、ぞくっとしたものだ。
悔しければ彼に倣って職場の人間を諭してみよ、納得させてみよ。容易ならざることはすぐにわかる。
ただし、だ。
「この画風では受けんわ」と見切りながら、その一方で自身、絵心がある富野は、湖川の画風を愛してしまったようだ。だからこそ、本来、商売には向かない、大衆受けしない画風と思いながら、富野は巧みに湖川の魅力を引き出すように尽力した。その珠玉の成果が「発動篇」であり、ダンバインであったのだと思う。
富野と言う監督は、本質的に特定の人物と長く組んで仕事をしたいとは考えない男ではないか。つまり、その作品に最も相応しい、その作品のためだけの制作関係者を適宜、集めて、映像を作りたいと考える人間なのだと思う。米国の映画製作者のような発想が非常に強い人間なのだ。だから、要である作画監督や人物造形の担当者が、ほぼ作品毎に変ってくる。
逆に言えば、そんな男がよくも5年間も湖川と組んだな、と思う。それは湖川の画風への愛情の裏返しでもある。売れない画風だが、自分の感性はこれが好きだと言っているのだ。
ある意味、ダンバインなどは湖川と心中覚悟の作品だったかもしれない。それまでは多少、控え目にしていた富野自身の独特の台詞回しを全開にして、それこそ商売にならないような、人気が出なくてもおかしくないような、富野自身の灰汁(あく)を煮しめて人前にさらした作品がダンバインだった。すなわち、商売を度外視してとことん湖川の画風の灰汁に付き合ってしまった作品なのではないか(だからクローバーが潰れた???)。
“こんな絵じゃ売れないよ”とわかっていた。
“でも、俺、この絵、好きなんだよね・・・”と呟き、しばし苦楽をともにしてから、“皆を食わせるためにはお前の絵じゃ無理だから、ここは身を引いてくれ”と湖川に言った。
富野という男、恐るべし。
さて。
湖川も、自分の大衆性に関する限界を踏まえた上で、受け入れてくれた、付き合ってしまってくれた富野に感謝しているのではないかと僕は想像している。
自分の方向性は間違っているとは考えていない。でも、人気は出ない。それを嘆くつもりもさらさらないが、そんな自分の意欲を買って、売り出せるように手配してくれた人に感謝せずにどうしていられよう。
湖川の富野への気持ちを集約すると、こうなるのかもしれない。知らぬ輩が勝手を言うな-と叱られそうだが。
しかし、イデオンが、ダンバインがなかったら、今の湖川はありえなかった。実力のある作画者だから、重宝はされたかもしれないが、脚光を浴びることはなかったのではないか? 彼が評価する須田正己のように、実力に凄まじく反比例して過小評価されたのではないか(※4)。湖川は今も富野への敬意を失っていない。
上記の「「1年待って」と言われて、20年経ってますから。」という寂しげな一言のあとであっても、富野との微笑ましい再会の逸話を彼は語ってくれている。私としては、次に記す彼の妻にまつわる逸話も含めて、是非とも実際のインタビュー記事に目を通してほしいと思う。
WEBアニメスタジオのインタビューを読んでいて微笑ましいが、切なくなるのが彼の妻の言葉だ。
「女房は、僕の画をいいとか上手いとか言った事なかったんですよ。」
「例えば、他の人の原画と僕の原画がありますよね。比べる事があると「私、こっち(他の人の原画)がいい」って言うんですよ。多分ね、冷たかったんだと思うんですよ、僕の画が。」
上記の他にも、妻の面影が自分の手掛ける人物の造形に反映されていることが多いと湖川は語っている。
微笑ましいとしたのは、言葉の端々に感じられる湖川の妻に対する強い慈しみ。
切ないとしたのは、妻が指摘した、湖川の限界―すなわち大衆性の欠如のこと。
妻の言葉は、実は湖川の弱点を最も的確に突いている。
湖川の画は理詰めで描かれ、そこに籠められた情報と洞察力は、わかる者にはわかる。
だが、人とは必ずしも理論だけで動くもの、生きるものではない。
理論もない、でたらめなような感性だけで描かれたものであっても、その感性が大衆の機微に触れれば人気を博する。例えば若い人はご存じないが、下手くそどころではなかった小林よしのりの「東大一直線」の初期の絵だ。こんな絵で商売になるのか、というマンガが人気を博してしまった。
妻の言葉は、そうした人の本質を突いたものなのだ。
あなたは凄い。でも、その凄さをわかってもらえるとは限らない。ただ、かわいいだけのものがあなたの絵よりも受けることがある。
湖川は、妻の言葉を通して自分の限界を認識したかもしれない。
例えばかわいらしさ。それは湖川になくて、安彦にあったものだ。
湖川の目からみれば、安彦すらも技術的に問題のある絵を描いていた。パースがわかっていなかったと。だが、大衆は技術的に申し分ない湖川の絵よりも、ある種の色気を伴う柔らかさを持つ安彦の絵を支持した。
ゆうきまさみがアマチュア時代に月刊OUTに掲載したマンガの中で「イデオンはキャラが暗いから嫌いだ」と言ったいがぐり頭のファンを1コマだけ描いて「こういった奴がいたんだ」と記したことがある(※5)。
因みにやはりゆうきはOUTの掲載マンガで、湖川に「オリジナルを描きなさいよ」とたしなめられる場面を描いている。安彦には「人のキャラで商売するな」と抗議された逸話がさりげなくさしこまれている。
そうなのだ。とどのつまりは、湖川の絵が一般受けしなかったのは、暗いとみなされたからだ。僕の周りにもいた。「イデオンのキャラ、暗いから嫌い」と堂々と(当たり前か)語った女子が。
この「かわいくない」という要素は、湖川が何万言費やしても乗り越えられない限界だった。それを彼も、奥様の言を通して自覚していたのだと思う。
なぜ、彼の画はかわいくなかったのか。
たぶん、彼が日本人顔が好きだったからだろうと、僕は思う。
富野の小説「リーンの翼」に湖川が寄せた画は、日本人男性の特徴を強調したものだった。基本的には一重瞼で、やや垂れ目の面持ち。それが日本人男性の典型的な特徴だ。
何故(なにゆえ)か、戦後教育、米国の文化侵襲のためか、否、遡れば明治維新の西洋化を志した頃からか、我々日本人は己の民族的特徴を嫌悪し、欧米人、特にアングロサクソン系人種の相貌を美しく感じるようになっている。CMを観ていても、本国では無名だろうに、白人系俳優がやたら跋扈している。
しかし、湖川の画、特に男性の相貌は典型的な日本人顔なのだ。そして、彼もそうした日本人顔が好きなのだ。
たぶん、湖川の画が暗い、と謗られるのは、日本人が己の人種の顔を暗いと感じているからに他ならないと、僕は思っている。それは、残念なことだ。だが、日本人の多くはそのように感じるように「調教」されている。
最新の湖川の画は「宇宙戦艦ヤマト復活篇」で観ることができる・・・はずなのだが、僕はまだ観ていない。単に暇がなかっただけだが。予告編でみる限り、彼の作風はますます今の流行から離れて、親父臭くなっている。地味な作風になっていると思う。
それをつまらないと言われても、僕は苦笑するしかない。
湖川はマンガについて、でたらめな技術で描いても許される世界と、批判的な言動を残している。しかし、僕にはこの言葉は、マンガで成功できなかった悔しさと感じられる。マンガでも成功した安彦に対する悔しさ(あえて劣等感とは言わない)の裏返しではないかと感じられる。
確かに、湖川のマンガはつまらなかった。メロドラマのできそこないのような内容だった。
それに、例えば服飾に関する感性も、決してよいとは言えない。イデオンでも武士の正装に着想を得たバッフ・クランの服飾はまだしも、人類側の軍の制服は、まるで1960年代の共産圏の何かのようなダサい仕上がりになっていた。
そうした一般受けのための微妙な感性が、湖川を安彦と区別したと言ってよいだろう。
だが、そう言いつつも、メカニックの描写なら湖川も安彦に負けず劣らず卓越していた。本来。相当におもちゃおもちゃしていて、洗練されているように見えないあのイデオンが格好良く見えたのは、湖川の画力の成せる技だ。発動篇はもとより、接触篇における月面基地突入場面で、ソロシップ艦上でミサイルを撃ちまくるイデオンの存在感は、個人的に一際印象に残っている。
発動篇終局でのイデオン崩壊の場面の作画は、湖川が修正したらしい。これは確かに迫力のある映像となった。彼が「みせしめ」として修正しなかったソロシップ崩壊の映像は、実際、紙細工がひしゃげるような中途半端な映像だった(でも、修正してほしかった)。
僕は湖川友謙を写真でしか見たことがない。だが、彼の人となりは1枚の顔写真からでも十分に想像することができる。
八の字眉毛でありながら、気弱さを微塵も感じさせない一重瞼の眼光鋭い容貌―。そこから受ける印象は、妥協を許さない技術者というものだ。生半可な知識で議をふっかけようものなら、理詰めでこてんぱんに叩きのめされそうな、芯の通った表情をしている。それはイデオンを担当した若き日の時代から、白髪が交じるようになった現在も変わらない。
この項の最後に、言い残したいことがある。
僕が墓場に持っていく映像は何かと言われれば、ためらいもなく「発動篇」の名を挙げる。アニメでは他に「カムイの剣」だろうか。ガンダムも大好きだが、それでも「発動篇」の前では霞んでしまう
ガンダムにとどまらない。黒澤明の名品、傑作。スター・ウォーズ。ブレード・ランナー。これら凄作を押しのけて、それでも僕は墓場に「発動篇」を持っていく。
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なぜ?
1980年代のことだ。「巡り合い宇宙」やイデオン、ダンバインのハイパー化や、意味不明の台詞が頻発した「Zガンダム」を持って、富野は神がかった(考え方がおかしくなった)という意見が出るようになった。これはイデオンの頃のことだが、かのスタジオぬえの宮武一貴なぞ、アニメック誌上で「イデオンを理解するためには宗教を理解できないとダメ」と、冗談かもしれないが口走ったこともある。
俺は言いたい。なぜ、そうなるかな。大の大人がよってたかって。
ニュータイプだの、イデだの、そんなものはしょせん富野にとっては狂言回しでしかない。物語を進める、まとめるのに便利な道具としての概念でしかない。
彼が直截に伝えたかった、映像で示したかったのは、人間なる存在の愚かしさ、哀れさ、悲しさ・・・これしかないのだ。
人はどうしてわかりえないのか。どうして争うのか。人の世をよくする、人同士がいたわり合い、社会をより良い方向へ進ませることはどうしたらできるのか・・・・。
以前にも書いたが、ニュー・タイプになれば、分かり合えるかもしれないよね、というのがガンダム。ところが、富野は「でも、ニュー・タイプっつってもしょせん絵空事だよね」と己の発想を呪うかのごとく、人類の革新どころか、ニュー・タイプを戦争の道具-強化人間にまで貶めた!! 貶めたのだ、自ら!!
ここをわかって欲しい。富野が本当に宗教がかって、「俺の言うことが正しいのよ」としたのなら、こんな自らぶちあげた理想を自分で破壊するようなことをすると思うか。どこが神がかっている!? 彼にあるのは絶望的なまでの現状認識だけだ。
だから、イデオンでは「一度、火の点いた憎しみの炎は消せはしない。ガンド・ロ・ワに焼きつくされ、浄化され、彼岸の世界にでもいかない限り」という物語のまとめ方をしたのだ。
イデオンとは人の業、消せない憎しみ、悲しみ、愛憎の迸る物語なのだ。そして、「発動篇」とは、そんな人の悲しみを描きつくした物語なのだ。
高校生の僕は、「発動篇」を観て言葉を失った。圧倒された。何に?
カララの温もりすら感じられるような柔らかな表情。ベスへの愛情のまなざし。
そのカララを失い、成すすべもなく、精根尽きて、阿呆のように泣くことしかできないベス。
そのカララを殺し、それでいてカララへの嫉妬を抑制できず、父親たるドバに癒してほしいのにそれもかなわず、死者のダラムに助けを請うて涙するハルル。
目にいれても痛くないほどに愛おしんだはずのカララを理解不能の民族の男に奪われ、妊娠までさせられた。そのカララを殺したという、男勝りのハルルに眼前で泣かれ、娘二人をどうしようもしてやれない、武士社会の頂点に立つ最高権力者であるはずの己のくそ愚かしさに、身を引きちぎられんばかりの涙を流すドバ。
「なぜ、私たちは生きてきたの!?」と血を吐くような言葉を吐いたカーシャ。
-そして、カーシャの死を看取ることもできず、ただひたすらに戦うことしかできない、操縦席を離れて泣きわめくことすらできなかった、コスモの、あの、涙。
僕は、あのコスモの涙以上に心を動かされた映像を知らない。
あえて言う。あのコスモの涙を描いたことで、湖川友謙は僕にとって、どんな芸術家よりもかけがえのない画家になった。
いったい、僕が観てきた映画、絵画の中で、あのコスモの涙以上に真に迫った映像はなかった。なぜなら、あの涙には本当のコスモの悲しさがあふれていたからだ。
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涙とは一体、何だ? 悲しみの涙であるならば、それは生きている者が、失った者へ贈る精一杯の愛情なのだ。涙は愛の顕れだ。
コスモがカーシャを思って流した涙の描線には、コスモの体温すら感じさせる、コスモのカーシャに伝えようとする思いが溢れんばかりになっている。
大量生産可能な芸術の中で、という縛りはあるにしても(※6)、古今東西の画の中で、今もすぐに脳裏に蘇らせることができるのが、コスモの涙なんだ。
湖川の画、塩谷翼の声、すぎやまこういちの音楽・・・・全てが完璧に調和し、痺れるようなコスモの痛みを、僕は感じた。
暗かろうが、地味だろうが、これほどの映像を、アニメファンが評価しないでどうする。
僕にとっては、湖川友謙は歴代最高のアニメーターだ。だから、次の感謝の言葉でこの項を終わりたい。
湖川先生、あなたは最高です。「発動篇」を僕に届けれくれて、ありがとうございます。
ああ、やっとこの項が終わった。ようやく「イデオンⅠ」に取り組むことができる。
※1:しかしながら、イデオン、ザブングル、ダンバインとTVシリーズ最終回の作画監督はなぜか坂本三郎が担当していた。決して悪いアニメーターではないのだが、目の表情などに野暮ったさが残ってしまう画風だった。なぜ、サンライズは、富野は最終回という重要な回を湖川に委ねなかったのか。特にダンバインについては今もって、憤懣やるかたない気持ちだ。
※2:ネット上では湖川の個人的な問題について、まことしやかにささやかれているが、僕としてはこれ以上、触れるつもりはない。
※3:しかし、だ。そういう富野自身、彼の作風は湖川と同様、大衆受けしない、していない。彼が心血を注いで凄まじい絵コンテを描いていることは事実だが、わかりにくいので大衆受けしていない。だから、湖川を更迭した彼自身、後日、Vガンダム以後、バンダイによって一時的にしろ、更迭されたに等しくなる。
※4:実際、湖川の口から彼の名前が出るまでは、僕は須田が凄いと認識していない。僕が彼の業績で知っていると言えば、「SF西遊記スター・ジンガー」だが、地味だったという感想しかない。海外発注が多かったからか?
※5:うろ覚えなので、少し違っているかもしれない。ゆうきのOUT時代に発表した作品の単行本は、もう手元にない。
※6:古今東西の名画、彫刻は無数にあり、それら全てをコスモの涙が凌駕する、とは言わない。だが、いわゆる芸術作品は、残念ながら実物をみないとその本当の凄さは伝わってこないという限界がある。展覧会で傑作を観た後、自宅で目録を眺めても、実物から受けた感銘の千分の一も感じられない。他方、浮世絵やアニメは、大量生産された映像そのものが本物という利点がある。