2010年11月30日
星野勘太郎氏(ほしの・かんたろう、本名・建夫=たつお=元プロレスラー)25日、肺炎のため死去、67歳。葬儀は親族のみで済ませた。後日、お別れの会を開く。
昭和36年に日本プロレスに入門。42年には今年8月に亡くなった山本小鉄さんとタッグチーム「ヤマハ・ブラザーズ」を結成、米国などで活躍した。49年に新日本プロレスへ移籍。平成7年に引退し、プロモーターを務めていた。 ~~~コピペ~~~
山本小鉄さんも亡くなったと思ったらそのタッグ仲間の星野勘太郎さんも亡くなってしまいましたか。しかし67歳とはまだ若いのにな~。
星野勘太郎といったら魔界倶楽部が有名でしたよね。星野勘太郎が「ビッシビシ行くからな!覚悟しておけ!」ってのが名台詞でもありました。
たまにトップロープから何かをしようとしてそのまま滑って転んでしまったシーンは結構有名ですよね。まあリングシューズじゃないから滑ってしまうんですけど。
それに星野勘太郎の得意技はヘッドロックしてからの連続パンチ。他に目立った得意技は無いんですけど、小さい体で戦うレスラーといった感じですね。
天国でも山本小鉄さんとヤマハブラザーズ再結成でもしてるかな。改めて星野勘太郎さんのご冥福をお祈りします。
Posted at 2010/11/30 23:03:30 | |
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格闘技ネタ | 日記
2010年08月29日
元プロレスラーで解説者としても活躍した山本小鉄さんが28日午前6時42分、低酸素性脳症のため亡くなった。68歳。横浜市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。
山本さんは1963年に日本プロレスに入門。星野勘太郎とのヤマハ・ブラサーズで人気を集め、1972年にはアントニオ猪木が中心となった新日本プロレスの旗揚げに参加。1980年現役を引退し、コーチ業の傍らテレビ解説者として活躍した。
後進の育成にも熱心で、その熱血指導ぶりから「鬼軍曹」とも呼ばれた。07年には仙台女子プロレスを指導するなど男女、団体を問わずプロレス界を盛り上げる活動を行った。 ~~~コピペ~~~
新日本プロレスでの解説としても有名な山本小鉄さんがお亡くなりになりました。小鉄さんの解説は非常にリズミカルで、聞く者を魅了させた人でもありますね。
後にマサ斎藤さんが解説になりましたけど、山本小鉄さんの方がやはり良かったでした。たかが解説だけど、それだけでも観る者、聞く者にも関心を寄せる良き人でした。
おいら以前新日本プロレスが長野に来た時(確か長野県体育館だった)に行ったんですけど、試合終わった後に山本小鉄さんが出口付近で待ってたんですよ。
そしたら全員ファンの方に「気を付けて帰って下さいよ!」「ありがとうね。また宜しくね!」なんて握手しながら見送ってくれる姿が今でも鮮明に覚えています。
誰にでも親しみあって、それでいて厳しく熱心な姿が皆に慕われてたんだと思います。そういやラッシャー木村さんも享年68歳だったんだよな~。
改めて山本小鉄さんのご冥福をお祈りします。っつ~かこのすぐ下にある「イイね!」っていうの不幸な文章書いてても台無しになってしまうよね。やめてくんない?
Posted at 2010/08/29 20:39:34 | |
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格闘技ネタ | 日記
2010年05月25日
24日、腎不全による誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため、68歳で死去した元プロレスラー、ラッシャー木村さん=本名・木村政雄=は、国際プロレスのエースとして活躍。全日本プロレス移籍後はジャイアント馬場との丁々発止やマイクパフォーマンスで一躍人気者となった。昭和の名物レスラーがまた逝った。
木村さんは1965年、大相撲からプロレスに転向。国際プロレスでは日本マット界初の金網デスマッチを決行し、「金網の鬼」と呼ばれた。国際の消滅後は新日本、全日本、ノアを渡り歩いたが、人気を決定的にしたのは81年9月、新日本の大会でのマイクパフォーマンスだった。
アニマル浜口、寺西勇を引き連れて乗り込んで観客を挑発する場面。マイクを握った直後に「こんばんは、ラッシャー木村です」と律儀にあいさつし、緊迫の会場で失笑を買った。これがビートたけしのネタにされたことで、世間にはギャグとして広まった。
木村氏とリング上でやり取りを繰り広げた全日本プロレスの渕正信選手(56)は 「僕もよくMCのネタにされたけど、最後のほうは『渕、もっとネタないか。オレも年だから思いつかない。お前が考えろ』と振ってくるようになった。『冗談じゃないですよ』なんて言いながら、結局一緒に考えたりね。マイクパフォーマンスには独特のこだわりがあって、『マイクはな。わかりやすく、ゆっくりしゃべんないといけないんだよ』と教えてくれた」と振り返る。
元プロレスラーで格闘技ジャーナリストの片岡亮氏は「実際に戦った経験はないが、取材で大変お世話になった。取材では地味で口数が少なかったが、いつもパフォーマンスでしゃべる内容を考えていた。時事ネタだとか、開催地の地元ネタだとか。馬場さんはマット上でのパフォーマンスをみっともないと嫌っていたが、まじめに練習して人柄の良いラッシャーさんだけは認めていた。あのルー・テーズも馬場、猪木、木村の3人で一番強いのは木村だと言っていた。悪役だけど、一番悪役にふさわしくない、人のいいレスラーという印象が強い」と語る。
「生涯現役」を宣言し、2002年には馬場を抜いて日本人最高齢のレスラーになったが、04年に引退を発表。関係者によると、脳梗塞で車いすでの生活を余儀なくされていたという。
~~~コピペ~~~
2004年から脳梗塞で車いす生活してたのは知りませんでした!そこまで体悪かったんですね。04年の引退した時の口調がもう聞き取れない位でしたよ。
あのマサ斎藤も同じ様な喋り方でしたので、パンチドランカーなどに見られる症状だそうです。ですんでラッシャー木村さんも脳がかなりやられてたんでしょうね。
金網デスマッチで「金網の鬼」と呼ばれましたけど、これには裏話が。会社からやれと言われて、断れなかった性格でついやってしまったのが始まりだったそうですね。
「兄貴ぃ~!」ってのが一番のセリフでしたよね。昭和のプロレスを代表するレスラーがまた1人亡くなられましたけど、天国でジャイアント馬場さんと会ってるかな?
あの面白いマイクパフォーマンスと会場を和やかにするムードはラッシャー木村さんならではだと思いました。改めてラッシャー木村さんのご冥福をお祈りします。
Posted at 2010/05/25 22:02:08 | |
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格闘技ネタ | 日記
2009年10月27日
一昨日に行ったDREAM.12で桜庭和志とゼルグ弁慶ガレシックのYou Tube動画です。携帯からは見れませんのであしからず。
地上波でこういうのやってくんないかな~。最近立ち技主体のK-1だけやってるけど、やっぱ総合格闘技のDREAMを見たい人は何人もいると思うし。
しかし桜庭和志は殴られても殴られても足を外さないのは凄いな。80発以上も打撃喰らってもそれでも離さないのがサムライ魂って感じです。
Posted at 2009/10/27 20:54:07 | |
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格闘技ネタ | 日記
2009年06月14日
あのノアの社長兼選手でもある三沢光晴選手が亡くなったそうです。ちょっとビックリしました。
三沢選手はエルボーが有名ですけど、昨日の試合で齋藤彰俊選手のバックドロップ喰らって動かなくなってしまったそうです。
過去にも後藤達俊選手が馳浩選手にバックドロップをしてそのまま意識不明になり病院送りになった事もありました。
後頭部からの打撃は恐ろしいですよね~。しかも受け身全く取れない状態での攻撃ですから。
46歳というまだまだ頑張れる年齢でしたのに非常に残念です。三沢光晴選手のご冥福をお祈りします。
Posted at 2009/06/14 01:08:31 | |
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格闘技ネタ | 日記