2016年02月17日
2/17起床5:55天気晴れ午後より曇り。
またまたクルマネタでは御座いません。フェイスブックですと仕事関係で知り合いも多く、ちょっと体裁も悪いので此方で気持ちを整理したく記します。
極めて私的なこと、したがってご気分を害される方は「そっ」とスルー願います。
2月8日午前8:52分、母が79年の生涯を終え天に旅立ちました。
入院から11日目の朝、病院より自宅へ連絡があり「私が駆けつけるまでに延命措置を行うか?」とのことでしたが、生前に本人・父・私とで約束していたとおりそのままで「良し」としました。結果、死に目には立ち会えませんでしたが後日病院に挨拶に出向き看護士の皆さんに様子を聞きましたところ、入院中は「痛いとかダルイと訴えることは無く、その「時」には眠るように呼吸と心臓が止まった。」とのことでした。
「癌」の痛みは苦しいと聞きます。体のだるさは相当なものだった様ですが、少なくとも長く苦しまずに逝けたことは彼女にとっても私たち残る家族にとってもある意味「幸せ」な事だったと思っています。
その後は父母の兄弟・親戚への連絡、通夜・葬儀の打合せ、公的対応、保険関係等々まるで仕事をこなすがごとく自分でも驚くほど冷静に淡々と物事を進め2/11通夜、2/12葬儀で母を送って来ました。
母が生前に書き残しておいたものが見つかったので、好きだった着物・帯・ペンと便箋・好物・家内が作った「酢豚」(好物でした)などを持たせ、すべてが彼女の希望通りには出来ませんでしたが、自分で選んであった遺影用写真・葬儀の席では本人が残していた「旅立ちの挨拶」も私が代読し、何とか満足してもらえたのではないか?と思いたいところです。
時が過ぎるのは早いもの。すでに10日が過ぎましたが遺品の整理はもう少し暖かくなってから父とゆっくり行うように考えています。
実は私、まだ一滴も涙が出ないのです。冷たくなった母に触れたときも、棺に納めるときも、最後の見送りのときも全く涙が出なかったのです。不思議です・・・・こんなものなのでしょうか??
今は、私がいくつになっても「幼子」のように子供扱いをされたことや彼女の「嫌」だったこともすっかり消えてしまい、輪郭はぼやけていても彼女に愛された「良い」思い出だけが写真とともに思い出されます。そして、まだ「ふとした時」背中に淡く母の気配を感じるんです。
最後に交わした言葉は入院させた日の帰り際
母 「気をつけて帰りなさい。」
私 「また、来るから看護士さんに我侭いわないようにね。」でした。
後悔が無い!といえば「嘘」になりますが時の流れとともに色々な事もひっくるめて受け入れていくしかないと思っています。
文字に記せば「何か?」この思い?心の中に芽生えたものが整理できるか?・・・そんな単純なものでは有りませんね(笑
ただ旨く表現出来ませんが、母(血縁者)の「死」というものに向合い改めて思うのは、言い尽くされた言葉ですが「日々を大切に生きる。」(大切の中には健康・仕事・家族・自分自身や社会との関りあらゆる物事・・・)ということになるのでしょうか?
「親」は亡くなっても「親」として「行く先を示してくれる」様に感じています。
纏まりのない記事にお付き合い有難う御座いました。
2/17徒然に
「お母さん、良く顔晴りました、お疲れさまでした。 僕のことは大丈夫です。どうぞ安らかに・・・」
Posted at 2016/02/17 15:28:26 | |
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2016年01月30日
1/30起床9:00天気曇り。
此れから記すものは残念ながらクルマネタでは有りません。ごく私的な想いをまさに徒然に吐き出すものです。気分を害される方がいらしたら先にお詫びします。
昨日、実家を訪ね色々な処理?をして来ました。
昨年から患っていた母を抱き上げ父とGSに乗せ病院に行きました。正月には何とか自分で歩いてクルマに乗り込めましたが短い間にすっかり弱ってしまいました。
肺転移、腹水、脱水による腎不全との診断により入院。
入院以外にも介護保険申請の調査立会い、医師、相談員との打合せ、実家に戻っての父へ此れからの見通しの説明、リアルな状況確認。
実に冷静に仕事を片付ける様に此れからの準備を一気に処理して来ました。
高齢な両親の様子を観ていたようで距離と自分のことを言い訳に構わな過ぎたかな?と少しばかりの後悔を感じながら・・・
病院のベットで看護師さんに寝返りをさせられる時にも痛がり「このままにして」と頼む母。看護師さんには必要なら痛がっても遠慮なく処理して構わないと伝え。
母には「もう頑張らなくて良いけど時々、痛いのは我慢して看護師さんに迷惑掛けない様に。」と話し病院を後にしてきました。
じつは昨日、自宅でやはり動くのを痛がる母を抱き上げた時、すっかり痩せて小さくなったなぁと感じながら、幼い時に母に抱かれた事、手を引かれて歩いた事、歯医者に罹る度にミニカーを買って貰った事、角を曲がるまでミラーの中で見送る姿、奥や身内の前で、余りに子供扱いするので悪態をていて酷い言葉を浴びせた事・・・
色々な記憶が蘇り複雑な想いに襲われました。
私は確かにこの人から身を分けてもらいこの世に生まれたのだと。
みんカラの友達(本当は先輩ですが)が「人は生きた様にしか老いる事は出来ない」と記しています。
母は生きてきた様に老いて来れたか?私は生きた様に老いて行けるか?
答えはまだ此れからでしょう。
私的で生地ない駄文失礼しました。
1/30徒然に
彼女が今晩、悪夢を観ず良く眠れること、残された時間を安らかに過ごせることを
Posted at 2016/01/30 19:08:09 | |
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2016年01月01日
新年あけましておめでとうございます。
昨年は、大変お世話になり楽しいCarLifeを過ごせました。皆様に感謝すると共に幸多き1年となりますように。
奥さんと軽くやりつつ「行く年来る年」を見ながらいつもどおりの新年を迎えています。
2016元旦 徒然に
まだまだ「先の事」と思っていたことが、実はそう遠くないところまで・・・
さて、どんな年になりますか・・・(笑
Posted at 2016/01/01 00:02:50 | |
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