夕暮れの東京湾にやってきた。
今年はこれで最後、見納めです。
そこそこ風があって、空気が澄んでいて
遠くまでクッキリ見える。
向こう岸の東京の、ビルどもがよく見える。
ビルどもですよ。偉そうに建ちやがって。
その東京を妖しげな粒子の雲が覆ってる。
黄砂なのか水蒸気なのか怨念なのか、しらないけど
あの空の下に住んでいる東京人には
頭上にこんな雲があることは、きっとわからない。
こうして離れてみるからこそ、見えるものもある。
夕日を待って写真を撮った。
工場からは、独特のニオイが漂う。
ガスのようでガスではない、とてもケミカルな、ひとが作ったニオイ。
この人工の塔たちは、対岸の東京人からも見えることだろう。
でもこのニオイはわからない。
近づいているからこそ、わかるものもある。
そろそろ帰ろうかな、と思ったけど
背後の海が気になる。
いい感じに日が沈んでいる気配がするぞ。
来てみて正解でしたよ、絶景哉、絶景哉。
まさに水平線に日が沈むところでした。
夕日に逆光気味に照らされた富士がとても美しい。
この景色は、富士山の向こう側に住んでいる人にはどう見えるのか。
順光の、橙色のあかりに照らされた富士は、美しいのか。
美しいかもしれないし、そうではないかもしれない。
もしかしたらこの景観は書き割りで、向こう側なんてないのかもしれない。
銭湯の壁絵の富士みたいに。
見えないモノを見ようとしても、それが本物かどうか確かめる術がない。
ひとの心も然りでございます。
写真をとっていたひとたちが幾人かいたけれど
ぽつりぽつりと帰っていった。
ひとり、海をずっと見てる青年だけが残った。
この、たそがれている青年は、何を思ってるんですかね。
いろいろ想像はできるけど、そしてそれは大方ハズレないのだろうけど
所詮は、見えないモノだ。正しいかどうか確かめる術はない。
今年は、見えないモノを見ようとする機会が多かったような気がする。
勝手に向こう側を想像して、見た気になって、失敗する。
見えないモノを見ようとしても、自分に都合のいいものしか見えないのにね。
日が暮れて、湾の向こう岸に、キレイな鉛筆と分度器が見えた。
あれはきっと東京タワーとお台場の観覧車だ。
たぶんそうだ。
見えてるものだから、誤解ではない。
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♪ 見えないモノを見ようとする誤解、すべて誤解だ。 BUCK-TICK
Posted at 2015/12/28 11:57:14 | |
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