「やあ、お変わりなく」
なんつって、久しぶりに会う人に言うけれど
一年もすれば、カラダを構成する分子は
ガラリと入れ替わってて、
お変わりありまくり、なんだって。
肉も骨も歯も、思考以外の部分はみんな入れ替わってる。
以前と同じような佇まいがそこにあるから
変わらないように見えているだけで
分子レベルでは別物なんだ、って本で読んだ。
春になって、桜が散ると、川に花びらが流れてて
淀みにそれが溜まってるのを見かける。
淀みから下流に、少しずつ花びらは流れて行くけど
それを補う花々が流れ着くので
淀みの花びら溜まりは、なくならない。
この淀みが、きっと、生命なんだと思う。
花びらには、淀みに溜まる義理はない。
流れて行っても別に問題はない。
だけど、なぜか、そこに淀む。
なぜかしら。
それが、生命のシンピってやつなんでしょう。
やがて流れて消えていくけれど。
今週末に、ちょっとぶりに会う人がいて
その人に俺はきっと「変わんないね」って言う。
でも、実は、半年前のそのひととは、別の分子のカタマリだ。
俺もそうだ。
だから、なんだって訳じゃないけれど
会わない間に、何が流れて消えて、何が残って
何が溜まったのか、ちょっと気になる。
カラダを構成する分子の、またそれを形作る原子は
カラダを作るために生まれた訳じゃなくて
以前は、何か別のものの一部だったんだって。
それは、宇宙の星の屑かもしれないし
車にはねられて死んだ猫の皮かもしれないし
新垣結衣の吐息かもしれない。
リサイクルの果てに、なぜかしら、ここで淀んで
私をかたち作っている。
そんなふうに考えると
諸行は無常なんだなって思う。
わが世誰そ常ならむ、ですよ。
そのうち私も、何か別の物になる。
惑星の残滓とか
ボールペンのインキだとか
新垣結衣のゲップとかに。
別のものになる前に
できることはしとかないとって思う。
そんなことをつらつら考えながら
The Birthdayの「カーニバル」って歌をきいて
週末に思いをはせる。
君と一緒にどこかへゆこうって歌。
ねずみ色のマフラーをして
しけた塩味のクラッカーを持って行こう。
私も行きたいな、ういのおくやまけふこえて。
そしてきっと、浅い夢をみて酔っぱらうのだ。
最後にチバはこう叫ぶ。
『夢はひとつ 朽ち果てて 砂になって 宇宙の塵さ』
チリになっちゃうのは、もう少し先でいいな。
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♪ カーニバル The Birthday
Posted at 2014/02/27 23:40:34 | |
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