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2014年05月18日 イイね!

[Argentina] Pininfarinaの置き土産

[Argentina] Pininfarinaの置き土産久方ぶりの旧き佳きアルゼンチン車シリーズ、第5回です。

第1回 序 + Fiat 600
第2回 独自のクーペたち
第3回 Nostalgic Heroといえば、Torino。
第4回 いつかは、Falcon。


前回、Ford Falconが同国における車種別生産台数第2位であることとともに、では「第1位は何だと思いますか?」と問いを投げてから、はや丸4年(汗)。 間を開けすぎですが、晴れてその第1位の車種を取り上げたいと思います。

その車種とは、じゃーん、Peugeot 504です。 フランスでは1968年にデビュー、後継車である505が1979年に登場した後も1983年まで約15年間作られたロングセラーの中型車で、日本にも一時期ディーゼルの「504D」が導入されていたのでご記憶の方もいらっしゃるかと思います。 デビュー当時としては斬新だったつり目の異形角形ヘッドランプ(今につながるプジョーのつり目の原点)やお尻下がりのリヤ周りなど、特徴的なデザインはピニンファリーナによるもの。

そのプジョー504は、アルゼンチンでは本国デビュー翌年の1969年に早くも生産を開始、以来1999年まで30年間にわたって現役を続けた長寿モデルとなり、生産累計は約50万台に到達。 その時点での同国最多生産車種に輝いたのでした。

Peugeot 504 - Cabildo y Juramento
1983年のとある街角(実はこの中に504は3台写っています) posted by (C)corno4

これまでに取り上げたRenault TorinoFord Falconと比べると、なぜか台数の割に存在感が薄いというか、地味な印象を個人的には持っているのですが、同国の中型車市場において生粋の欧州車は少なかったことから(FalconもTorinoも米国車ベースでした)、そのハンドリングを初めとするシャシー性能やテイストが多くの人から愛され、需要を支えたことは想像に難くありません。

さてさて。

そんなプジョー504もまた、ロングライフ車の常として幾多の延命策が施されることになります。といってもフランスでの生産が終了するまでは目立った独自の動きはなく、基本的にオリジナルの美しいピニンファリーナデザインのまま、パワートレインの追加や改良を加えつつ約15年間の「前半生」を全うします。 1600ccガソリンのセダンのみで始まったバリエーションは後に1800、2000、2300ディーゼルを加え、ボディタイプもワゴンやピックアップを追加。 中でもJaegerの5眼メーターや調整式ヘッドレスト付き本革シートを備えた上級バージョン(1800XSE、2000SE)や、高性能仕様"TN"は70年代後半のハイライトでした。

Peugeot 504
504 GR(お隣は1世代前の404) posted by (C)corno4

変化が起きるのは、まさにフランスで生産を終了した1983年のこと。 「504 GRII」と銘打ったマイナーチェンジモデルが登場、80年代らしい大型バンパーや「サッコプレート」的な太幅サイドモールが採用され、フロントグリルやリヤコンビランプの変更などが独自に施されます。

Peugeot 504 GRII
504 GRII(遠方にも緑色の504が2台) posted by (C)corno4

Peugeot 504 GRII
Peugeot 504 GRII posted by (C)corno4

Peugeot 504 GRII
Peugeot 504 GRII posted by (C)corno4

その後、1987年に改めて前後まわりのフェイスリフトを敢行、「504 SR」シリーズに。 よりスッキリしたデザインの樹脂製バンパーが採用されたほか、フロントグリル変更(横バー5本→3本)、リヤのコンビランプ変更とナンバープレート位置変更(バンパーへの移設)などこまめな変更がありましたが、内容は小規模なものでした。

Peugeot 504 SRII
Peugeot 504 SRII posted by (C)corno4


そして、さすがにそろそろ打ち止めかな・・・と思う頃になった1990年のこと。

なんと、リヤ周りに驚きの大手術が!!

Peugeot 504SRX (azul)
Peugeot 504SRX posted by (C)corno4

Peugeot 504SRX (marron)
Peugeot 504SRX posted by (C)corno4

どこかAlfa 164(1987年)を彷彿させる横一線のスリークなコンビランプが、504の独特のお尻に実にうまくはまっている・・・ 尻下がりを逆手にとって、トランクリッド後端をそのままランプ化したようなそのカタチを初めて見たとき、かなりの感動を覚えたのを憶えています^^。

それもそのはず、この手術は伊ピニンファリーナが携わったプロジェクトだった由。 これまた同時期の初代105/115系Alfa Romeo Spiderの最終型(シリーズ4、1992年)のリヤ周り大手術がそうだったように、「ロングライフで頑張っているピニンファリーナ車」へのピニンファリーナからのご褒美というか、納得のいくカタチで最期を迎えさせようという愛情のような気もしてきたりして、これは実に「名マイナーチェンジ」だなあと思ったのでした。

504XS
Peugeot 504XS posted by (C)corno4

エクステリアでは他に新たなフロントグリルやアルミホイールが与えられ、また機構面でも505用2.0リッターエンジンの採用やダッシュボードの全面刷新など、出来る範囲で広範なアップデートが施されており、もうしばらくの間現役を続ける体勢が整えられたのでした。

Peugeot 504SRX (blanco)
Peugeot 504SRX posted by (C)corno4

そんな504は、その後も小改良や廉価版グレード追加・バリエーション見直し等を経て、大手術から9年を迎えたミレニアム直前の1999年にとうとう生産を完了。 後進の405と306に道を譲り、30年間に亘ったモデルライフを終えたのでした。


<おまけ>

晩年はタクシーとしても大活躍した504(主に2.3ディーゼル)。
Av. del Mayo - 504 Taxi
Av. de Mayo - 504 Taxi posted by (C)corno4

Peugeot 504 Taxi
Peugeot 504 Taxi posted by (C)corno4
Posted at 2014/05/18 19:17:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | coches argentinos | 日記
2010年04月25日 イイね!

[Argentina] いつかは、Falcon。

[Argentina] いつかは、Falcon。第1弾第2弾第3弾に続く、シリーズ第4回です。

前回触れたように70年代を通じて経済が低調に推移する中で、各社にとって「既存モデルを如何に永く売り続けるか」は生き残るための大事なテーマとなりました。 そして幸か不幸か、それがまた「独自モデル」を生むひとつの要因となりました。 中でも60年代のモデルを80年代、更には90年過ぎまで延命させて頑張ったいくつかのモデルは、「国民車」的な存在となっていったのでした。

その代表格ナンバーワンだと思うのは、フォード・ファルコン(Ford Falcon)です。

ファルコンと言えば、近年はオーストラリアにのみ存在するフォードの大型FRセダンとして名を知る方も少なくないかと思います。 アルゼンチンのファルコンも、元を辿れば豪州ファルコンと同じく、本家アメリカでシボレー・コルベア等と共に1960年に華々しくデビューした"コンパクト・カー"たる初代フォード・ファルコンがそのルーツです。 豪州フォードがその後独自のフルモデルチェンジを重ねて進化していったのに対し、リソースに乏しいアルゼンチンでは基本ボディを変えずにマイナーチェンジだけで30年間保たせた点が最大の(根本的な?)違いです。

さて、米国に遅れること2年、1962年にアルゼンチンデビューしたファルコン 【第1世代】 は、その時点では米国向けモデルと大きく変わるところのない2.8L直6エンジン+3速MTの中型セダンでした。

Falcon '63 Futura
Falcon '63 Futura posted by (C)corno4

その後米国モデルを追って1963年にフェイスリフトを受けます 【第2世代】 が、1964年に米ファルコンが角張った形へとモデルチェンジをしたときにこれを追わず、別の道を歩み始めます。 (米国ではその後1966年に更にフルチェンジするものの、1971には早々と消滅してしまいます)

1965年に、初のアルゼンチン独自フェイスリフト 【第3世代】。 このとき3.0Lエンジンが追加されます。

Falcon '65 Futura
Falcon '65 Futura posted by (C)corno4

続く1970年に、上級グレードの4灯化を初めとする、やや大掛かりなマイナーチェンジを実施 【第4世代】。 2.8Lが消えて主力が3.0Lに移るととともに、最上級の「Futura」には3.6L/132HPの新エンジン+4速MTという新パワートレーンが搭載されました。

Falcon '70 Futura
Falcon '70 Futura posted by (C)corno4

そして1973年には、上級グレードの角形ヘッドランプ化を含むフロント周り+リア周りの一新など、ボディパネルにまで手を加える大規模なマイナーチェンジを実施 【第5世代】。 加えて166hpの3.6Lハイチューンエンジンを積む「Sprint」というスポーティグレードも登場。 アメリカンでもユーロピアンでもない、独特の雰囲気を持つ「国産中型セダン」としての地位を確固たるものにしました。 この1973年モデルを見たとき、子供心に「これはすごくかっこよくなった!」と思いました(笑)。

Falcon '73 Futura
Falcon '73 Futura posted by (C)corno4

Falcon '70 Sprint
Falcon '73 Sprint posted by (C)corno4

なお、ステーションワゴン版たるルラル(Rural)も1968年に登場していました。下に開くテールゲートが60年代っぽいところですが、画期的なことに、このステーションワゴンはアルゼンチン・フォードの独自開発ボディでした。

Falcon '73 Rural Deluxe
Falcon '73 Rural Deluxe posted by (C)corno4

更にもう1つ、ファルコンにはこの1973年モデルからランチェロ(Ranchero)というピックアップバージョンも加わりました。 これまた農業国のアルゼンチンらしい独自ボディで、地方部はもちろん都市部でもかなりよく見かけました。

いずれにせよ、バリエーションが大きく拡がったこの1973年モデルの頃が、たぶんアルゼンチンでのファルコンの黄金時代だったのだろうと思います。

Falcon '78 Ranchero
Falcon Ranchero posted by (C)corno4

その後、5年を経た1978年(=サッカーのワールドカップ開催&優勝の年!)に改めてのマイナーチェンジ 【第6世代】。 しかしこのときはATが追加されたことを除けばヘッドランプが変形角形2灯になったりテールランプがちょっと変わったりした程度のぱっとしないフェイスリフトで、苦しい台所事情が透けて見えるよう。 さすがのファルコンも、そろそろ寿命が尽きてきたかな・・・と寂しさを感じずにはいられませんでした。

Falcon '78 Deluxe
Falcon '78 Deluxe posted by (C)corno4

ところがどっこい、そのまた4年後の1982年に、史上最大?のマイナーチェンジが敢行されたのでした 【第7世代】。

これには正直驚きました。 古いOHV直6だけだったエンジンラインナップにOHC直4の2.3Lを追加したことに始まり、ダッシュボードの全面変更、トランク開口部の拡大やスペアタイヤ位置変更(トランク側方→トランク下)など、細かいところまで改良が加えられたのです。 エクステリアも、リアを中心にCピラーからテールランプ周りまでを一新。 ボディラインにビルトインされた大型テールランプに加え、新造形のアルミホイール、細身になったバンパーと一体化してボディをぐるっと取り巻く樹脂モールディング等により「80年代らしさ」を醸し出すことに成功します。 デビュー以来最上級グレード呼称として親しまれてきた「Futura」を捨て、他モデルに合わせた欧州系の「Ghia」としたのもこのときでした。

W126時代のメルセデスSクラスを彷彿とさせる淡いグリーンのツートーンやブラウン系のツートーンを始め、カラーリングにもセンスを感じさせるものがあったのが個人的にはとても印象的で、この期に及んでエレガントさを感じるほどでした。

Falcon '82 Ghia
Falcon '82 Ghia posted by (C)corno4

Falcon '82 Ghia
Falcon '82 Ghia posted by (C)corno4

Falcon '82 Ghia
Falcon '82 Ghia posted by (C)corno4

Falcon '82 Ghia
Falcon '82 Ghia posted by (C)corno4

実際には、同時期に生産していたフォード・タウヌス用など手持ちのパーツを最大限活用(流用)した「切り貼り」的なマイナーチェンジではあったのですが、ここまでスッキリ上手くまとめたことに敬意を表したいと思います。

Falcon '82 Deluxe
Falcon '82 Deluxe posted by (C)corno4

この後、1987年に最後の小規模マイナーチェンジ【第8世代】。 トピックはディーセルを追加してタクシー需要に応えたことくらいで、どちらかというと原価低減が目立つ仕様変更でした。 いくら延命策を打ったとは言え、ファルコンは以前のようにアッパーミドル層をメインターゲットとして狙える状態ではなく、もはや「どんがらの大きい無骨な実用車」として低価格寄りの需要にシフトしていたため、これは致し方ないところだったでしょう。

そんなわけで、この最終期に至ってなお、というかむしろ、最初から実用車であるランチェロは元気に販売を伸ばしていた気がします。

Falcon '82 Ranchero
Falcon '82 Ranchero posted by (C)corno4

そして1991年。 約30年に亘ったアルゼンチン製ファルコンの歴史は、遂に終わりを迎えます。

累計生産台数は、ステーションワゴンやピックアップなどのボディバリエーションを含めて約50万台(うちセダン42万台)。 国産車の累計生産台数記録では第2位でした。(第1位は何だと思いますか?)

Posted at 2010/04/25 11:39:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | coches argentinos | クルマ
2010年02月12日 イイね!

[Argentina] Nostalgic Heroといえば、Torino。

[Argentina] Nostalgic Heroといえば、Torino。第1弾第2弾に続く、遅々として進むシリーズ第3回です。

最近こそBRICsを初めとする新興国でようやく各メーカーが母国ラインナップ外の「独自モデル」を作るようになってきましたが、「グローバル化」が進んだ80~90年代は発展途上国の自動車史に於いて概ね不毛な時期だったように思います。 60~70年代にそれなりに育って栄えた各市場独自のモデルたちが、もちろん合理的な理由があってのことながら、その時期どんどん消えていきました。アルゼンチンでも、60年代半ば、既に約20万台に達していた全需を背景に花開いた「国産車」たちが、後継車に恵まれることなく一生を終えていきました。

そんな「アルゼンチン国産車」の中で、クルマ好きな人たち(オヤジたち?)に今でも語り継がれている"Nostalgic Hero"の筆頭に挙がる(と私が思う)のは、Renault Torino(ルノー・トリノ)です。

え、何それ? ルノーにそんなモデルあったっけ? それにトリノって言えばイタリアだしフィアットの本拠地だし、仏ルノーのモデル名としてあり得ない! ・・・ごもっともです。 でもあったんです、そういうクルマが。

                              + + +

デビューは1966年。 当時、仏ルノーと米カイザー(後AMCに吸収の末、消滅)の合弁だったIKAルノー社が、米向けランブラー・アメリカンをベースに開発したモデルです。 ボディは、なんとピニンファリーナによるリデザインで、ランブラーとグリーンハウス部を共用しているにも関わらず、元が凡庸なアメリカ車だったとは思えない軽快でスポーティなスタイルに変貌(さすがPininfarinaです)。 バリエーションは4ドアセダンと2ドアクーペの2種が用意されていました。

 Torino
 Renault Torino Coupe TS ('73頃) posted by (C)corno4

 Torino
 Renault Torino S ('73頃) posted by (C)corno4

インテリアも、いかにもイタリアンGTらしいT字型インパネ(木目とシルバーの2種があった)をはじめ独自デザインを採用。 人口より牛の頭数のほうが多い^^アルゼンチンらしく、牛革をふんだんに使ったトリムも用意されました。

 Torino Grand Routier
 Torino Grand Routier ('76頃) posted by (C)corno4

一方でエンジンはランブラー用のOHVに代えて、ジープ向けに新開発された(Wagoneer用として1963年に登場)OHC・直6・3.0L/3.8LのTornadoエンジンを国産化して搭載。 高性能仕様はウェーバーの2バレルキャブレターを3連で用いて215馬力を発生、ZF製4速MTとの組み合わせで最高速205km/hを誇ったそうな。

これらにより、主にイタリア人とスペイン人をルーツとする(それぞれ人口の約40%)アルゼンチン人にとって、Torinoは「我が国のオリジナル車!」と誇れる国産GTカーとなり、長く愛されることになったのでした。

 Torino Grand Routier
 Torino Grand Routier ('76頃) posted by (C)corno4

逸話として、フィデル・カストロ元議長(キューバ)、カダフィ大佐(リビア)、故ブレジネフ元書記長(ソ連)がこのTorinoを愛用していたという話が残っているようです(wikiによる)。「非西側」のVIP(=米や西欧のクルマに乗るわけにはいかない)の目から見て、高級高性能車として一定の評価を得ていたということなのでしょう。 また、1970年の大阪万博においてもアルゼンチン館に展示されていたんですって。 その1台はどこに行ったのか?

さて、デビュー以降、1970年、1974年、1978年にマイナーチェンジを重ねた後、Torinoは1981年に生産を終了、惜しまれながら15年に亘るモデルライフを終えました。 累計生産台数はセダン約4万台+クーペ約6万台の計約10万台で、クーペのほうが多いところにTorinoらしさを感じます。 当時からチューニングパーツは豊富で、今でも人気は高く、国内での位置づけというか人気具合は「アルゼンチンのスカイライン」とでも形容できるかもしれません。

 Torino ZX
 Torino Coupe ZX ('80頃・最終期) posted by (C)corno4

そんな人気を物語るのが、小規模コーチビルダーによる数々の改造車の存在です。 下に写真を挙げる2つがその代表でしょう。 ひとつはワゴン。 そしてもうひとつはフロント・リヤともに外板を大幅改変、低く構えたワル顔に大型ガラスキャノピーが特徴的な迫力のチューンドカー。 子供ながらに、「これかっこいい~!」と思った記憶があります。

 Torino Zafari
 Torino Zafari posted by (C)corno4

 Torino Comahue
 Torino Comahue posted by (C)corno4

日本のスカイライン(R34までの)がそうであるように、こういう「Nostalgic Hero」的なクルマは現代というより「ちょっと前」のものであり、これから出てくることはもう無いだろうなと思います。 20~30年後、現代のクルマを我々はどう懐かしんでいるでしょうね。

■ フォトギャラもアップしました:
Renault Torino (1) - 街角で見かけたTorinoたち
Renault Torino (2) - 当時切り抜いた雑誌広告より、他

■ おまけ(1):
Torinoのエンブレムはトリノ市の紋章をモチーフとした雄牛です。 後ろ2本脚で立ち上がったその姿は、フェラーリとランボルギーニを足して2で割ったようにも見えるのがちょっと笑えます(^^)。

 Torino Logo
 Torino Logo posted by (C)corno4

■ おまけ(2):
TVCMの動画を見つけました。 この70年代っぽさ、何とも言えません。



Posted at 2010/02/12 10:58:05 | コメント(4) | トラックバック(0) | coches argentinos | クルマ
2009年12月01日 イイね!

[Argentina] 独自のクーペたち

[Argentina] 独自のクーペたち前回に続く、シリーズ第2回です♪

1960年代後半、アルゼンチンの自動車工業は最初の最盛期を迎えます。 年間生産台数も20万台を超え、各自動車メーカーから母国には無い独自モデルが現れてきたのもこの時期でした。 中でも、他諸国に類を見ない「2ドアクーペ」を新設する例が多かったことが特徴的で、これは当時南米随一を誇った1人あたりGDP(*)や中間層の厚みが背景にあると考えられます。

というわけで、そんな独自の2ドアモデルたちをいくつかご紹介します。

1) FIAT 1500 Coupe


FIAT 1500 Coupe
FIAT 1500 Coupe posted by (C)corno4


1966年のこと、イタリア本国と同様にセダンやワゴン(ファミリアーレ)が生産されていた「FIAT 1500」のラインナップに、「Coupe」が誕生します。 中身はシャシーからエンジンまで基本的にベースとなったセダンに準じますが、デザインはなんとヴィニャーレによる独自のもの。 FRクーペらしいプロポーションに、スッキリしたノッチバックのスタイルがいい感じです。 なんとなく同時代のBMW2000CS/3.0CS(byガンディーニ)にも似ている気がします。 総生産台数は5年間で約5000台。 どうして本国でこのモデルが作られなかったのかはわかりませんが、ちなみにイタリアでは翌1967年に似たような性格の「124 Coupe」(第1世代)がデビューしています。

なお、この後、アルゼンチンでは「FIAT 1600 Sport」(1970-72)、「FIAT 125 Sport」(1972-78)と、十余年に亘ってこの系統のクーペは世代交代を果たします(いずれもイタリアに存在せず)。 最終モデルが積む1608ccのDOHCエンジンは、イタリアに於ける124 Coupe(第2世代)と同じ110CV仕様(125用のハイチューン版)だったようです。

2) FIAT 800 Coupe/Spider


FIAT 800 Coupe
FIAT 800 Coupe posted by (C)corno4


前項の1500 Coupeに遡ること1年、1965年には「FIAT 800 Coupe」及び「同 Spider」が発売されていました。 ベースとなったのは先日ご紹介した「600」で、従ってリヤエンジンです。 この時期、イタリアには「FIAT 850」が存在し、そのクーペ版たる「850 Coupe/Spider」がまさに同じ1965年にデビューしているのですが、なぜか違うものが南半球では作られました。

エンジンは767ccで、実は「600」と同じもの。 しかしこれまたデザイナーはヴィニャーレで、フィアット社内デザインによる850 Coupeとは趣を異にしています。 見方によっては2代目のパブリカっぽいですね(笑)。 これのオープンモデルとしてSpiderも存在していましたが、どうやらこれはアルゼンチンで初のコンバーチブルだった模様です。 考えてみれば日本でも、当時は今よりよっぽど多くの軽量オープンモデルが存在していましたね。

なお、イタリアでもごく少数、ボディ前半が同じ?と思われる「Fiat Vignale 850」というモデルが生産されたようなのですが、ボディ後半の形は違います。 これまたどんないきさつがあったのかわかりませんが、なんとも不思議です。 生産打ち切りとなる1970年までの総生産台数はCoupeが約7800台、Spiderが約1200台。 さすがエントリークーペ、市場規模を考えるとなかなかのヒット作だったと思われ、住んでいた頃もかわいい姿をよく見かけました。

では、今回はFIATのクーペ集ということで、このへんで(^^)。

注(*): 今や想像だに及びませんが、日本の1人あたりGDPがアルゼンチンを抜いたのはこの頃で、なんとそれまでは逆でした。 1966年のデータだと、日本=1058ドル(世界31位)/アルゼンチン=1266ドル(同25位)。



Av. de Mayo - Obelisco
Av. de Mayo - Obelisco posted by (C)corno4

おまけ写真: 旧市街中心部の朝のひととき。 奥にオベリスク(ブエノスアイレス市設立400年記念塔)を望む。

Posted at 2009/12/01 21:42:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | coches argentinos | クルマ
2009年11月04日 イイね!

[Argentina] FIAT 600 (但しイタリア製に非ず)

[Argentina] FIAT 600 (但しイタリア製に非ず)昨日、年末に向けて?物置の整理に取りかかったところ、よくあることではありますが古いアルバムに目がとまり、しばし楽しく眺めるひとときを過ごしました。 そんな懐かしい写真の中に、忘れていたのですがクルマを写したものが結構あったので、この場を借りて紹介してみようかな、と思いつきました。

実は私、小さい頃に日本を離れていた時期がありました。 そう、いわゆるキコクシジョってやつです・・・でもいたのは英語圏とか先進国とかそういう場所ではなく、日本から見て地球の真裏、南米のアルゼンチンでした。 幼稚園の年長から小学5年まで、かれこれ6年間。 ですからまあなんというか、今でも第2の故郷みたいな感じがすることがあります。

で、それはさておき、私がいた70年代の同国では、国内自動車産業保護のために自動車輸入は完全に禁止されていました。 つまり、走っているクルマは基本的に全て国産車。 軒並み欧米大手メーカーブランドのものではありましたが、中には独自モデルがあったり、元は同じでも独自の進化を遂げたりするモデルがあったりして、本国モデルとの違いを調べたりすることはcorno4少年の楽しみの1つであったりもしたのでした。

とまあ、前置きが長くなりましたが、これから気が向いたときに70年代を中心とするアルゼンチン国産車についてアップしていこうと思います。 興味が湧く方が多くいらっしゃるとは思えませんので、基本自己満足でやります(笑)。 でももし何かアンテナに引っかかるものがあったときは、反応いただけると嬉しいです。


IMG_0002s
FIAT 600S posted by (C)corno4


さて、記念すべき初回はやっぱりまずイタ車からでしょ、ということで、FIAT 600です!

かの有名なNuova 500の陰に隠れて存在感の薄い600ですが、そのチンクに2年先立つ1955年にデビューした、ジアコーザ博士の最初の代表作なのですよね。 アルゼンチンでの「600」のデビューは1960年のことで、以後「600D(1962)」、「600E(1965)」、「600R(1972)」、「600S(1976)」と進化、生産が打ち切られる1982年まで32年間にわたって当地で最もベーシックな大衆車の1つとして愛され、「FITITO」(ちっちゃいFIAT)という愛称までありました。 私の記憶では、街中にもっともはびこっていたのがこの600だったように思います。 いろんな色の600が、そこらへんを縦横無尽に走っていました(^^)。

最初の写真:
この白い600はヘッドランプが小さく、ドアが珍しい後ヒンジ。 初期の「600D」と思われます。 

2枚目:
この赤いのは、独自の黒グリルを付けた最終期の「600S」。 ゴム製のオーバーライダーがまた70年代っぽいです。

3枚目:
FITITOが2台いるシーン。 ブエノスアイレス中心部の、とある大通りでの午後のひとコマです。(友人撮影)


Buenos Aires 1
Buenos Aires 1 posted by (C)corno4
Posted at 2009/11/04 23:32:46 | コメント(6) | トラックバック(0) | coches argentinos | クルマ

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