第1弾、
第2弾、
第3弾に続く、シリーズ第4回です。
前回触れたように70年代を通じて経済が低調に推移する中で、各社にとって「既存モデルを如何に永く売り続けるか」は生き残るための大事なテーマとなりました。 そして幸か不幸か、それがまた「独自モデル」を生むひとつの要因となりました。 中でも60年代のモデルを80年代、更には90年過ぎまで延命させて頑張ったいくつかのモデルは、「国民車」的な存在となっていったのでした。
その代表格ナンバーワンだと思うのは、フォード・ファルコン(Ford Falcon)です。
ファルコンと言えば、近年はオーストラリアにのみ存在するフォードの大型FRセダンとして名を知る方も少なくないかと思います。 アルゼンチンのファルコンも、元を辿れば豪州ファルコンと同じく、本家アメリカでシボレー・コルベア等と共に1960年に華々しくデビューした"コンパクト・カー"たる初代フォード・ファルコンがそのルーツです。 豪州フォードがその後独自の
フルモデルチェンジを重ねて進化していったのに対し、リソースに乏しいアルゼンチンでは基本ボディを変えずに
マイナーチェンジだけで30年間保たせた点が最大の(根本的な?)違いです。
さて、米国に遅れること2年、1962年にアルゼンチンデビューしたファルコン 【第1世代】 は、その時点では米国向けモデルと大きく変わるところのない2.8L直6エンジン+3速MTの中型セダンでした。
Falcon '63 Futura posted by (C)corno4
その後米国モデルを追って1963年にフェイスリフトを受けます 【第2世代】 が、1964年に米ファルコンが角張った形へとモデルチェンジをしたときにこれを追わず、別の道を歩み始めます。 (米国ではその後1966年に更にフルチェンジするものの、1971には早々と消滅してしまいます)
1965年に、初のアルゼンチン独自フェイスリフト 【第3世代】。 このとき3.0Lエンジンが追加されます。
Falcon '65 Futura posted by (C)corno4
続く1970年に、上級グレードの4灯化を初めとする、やや大掛かりなマイナーチェンジを実施 【第4世代】。 2.8Lが消えて主力が3.0Lに移るととともに、最上級の「Futura」には3.6L/132HPの新エンジン+4速MTという新パワートレーンが搭載されました。
Falcon '70 Futura posted by (C)corno4
そして1973年には、上級グレードの角形ヘッドランプ化を含むフロント周り+リア周りの一新など、ボディパネルにまで手を加える大規模なマイナーチェンジを実施 【第5世代】。 加えて166hpの3.6Lハイチューンエンジンを積む「Sprint」というスポーティグレードも登場。 アメリカンでもユーロピアンでもない、独特の雰囲気を持つ「国産中型セダン」としての地位を確固たるものにしました。 この1973年モデルを見たとき、子供心に「これはすごくかっこよくなった!」と思いました(笑)。
Falcon '73 Futura posted by (C)corno4
Falcon '73 Sprint posted by (C)corno4
なお、ステーションワゴン版たるルラル(Rural)も1968年に登場していました。下に開くテールゲートが60年代っぽいところですが、画期的なことに、このステーションワゴンはアルゼンチン・フォードの独自開発ボディでした。
Falcon '73 Rural Deluxe posted by (C)corno4
更にもう1つ、ファルコンにはこの1973年モデルからランチェロ(Ranchero)というピックアップバージョンも加わりました。 これまた農業国のアルゼンチンらしい独自ボディで、地方部はもちろん都市部でもかなりよく見かけました。
いずれにせよ、バリエーションが大きく拡がったこの1973年モデルの頃が、たぶんアルゼンチンでのファルコンの黄金時代だったのだろうと思います。
Falcon Ranchero posted by (C)corno4
その後、5年を経た1978年(=サッカーのワールドカップ開催&優勝の年!)に改めてのマイナーチェンジ 【第6世代】。 しかしこのときはATが追加されたことを除けばヘッドランプが変形角形2灯になったりテールランプがちょっと変わったりした程度のぱっとしないフェイスリフトで、苦しい台所事情が透けて見えるよう。 さすがのファルコンも、そろそろ寿命が尽きてきたかな・・・と寂しさを感じずにはいられませんでした。
Falcon '78 Deluxe posted by (C)corno4
ところがどっこい、そのまた4年後の1982年に、史上最大?のマイナーチェンジが敢行されたのでした 【第7世代】。
これには正直驚きました。 古いOHV直6だけだったエンジンラインナップにOHC直4の2.3Lを追加したことに始まり、ダッシュボードの全面変更、トランク開口部の拡大やスペアタイヤ位置変更(トランク側方→トランク下)など、細かいところまで改良が加えられたのです。 エクステリアも、リアを中心にCピラーからテールランプ周りまでを一新。 ボディラインにビルトインされた大型テールランプに加え、新造形のアルミホイール、細身になったバンパーと一体化してボディをぐるっと取り巻く樹脂モールディング等により「80年代らしさ」を醸し出すことに成功します。 デビュー以来最上級グレード呼称として親しまれてきた「Futura」を捨て、他モデルに合わせた欧州系の「Ghia」としたのもこのときでした。
W126時代のメルセデスSクラスを彷彿とさせる淡いグリーンのツートーンやブラウン系のツートーンを始め、カラーリングにもセンスを感じさせるものがあったのが個人的にはとても印象的で、この期に及んでエレガントさを感じるほどでした。
Falcon '82 Ghia posted by (C)corno4
Falcon '82 Ghia posted by (C)corno4
Falcon '82 Ghia posted by (C)corno4
Falcon '82 Ghia posted by (C)corno4
実際には、同時期に生産していたフォード・タウヌス用など手持ちのパーツを最大限活用(流用)した「切り貼り」的なマイナーチェンジではあったのですが、ここまでスッキリ上手くまとめたことに敬意を表したいと思います。
Falcon '82 Deluxe posted by (C)corno4
この後、1987年に最後の小規模マイナーチェンジ【第8世代】。 トピックはディーセルを追加してタクシー需要に応えたことくらいで、どちらかというと原価低減が目立つ仕様変更でした。 いくら延命策を打ったとは言え、ファルコンは以前のようにアッパーミドル層をメインターゲットとして狙える状態ではなく、もはや「どんがらの大きい無骨な実用車」として低価格寄りの需要にシフトしていたため、これは致し方ないところだったでしょう。
そんなわけで、この最終期に至ってなお、というかむしろ、最初から実用車であるランチェロは元気に販売を伸ばしていた気がします。
Falcon '82 Ranchero posted by (C)corno4
そして1991年。 約30年に亘ったアルゼンチン製ファルコンの歴史は、遂に終わりを迎えます。
累計生産台数は、ステーションワゴンやピックアップなどのボディバリエーションを含めて約50万台(うちセダン42万台)。 国産車の累計生産台数記録では第2位でした。(第1位は何だと思いますか?)
Posted at 2010/04/25 11:39:52 | |
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