今日は萩の城下町を散策です♪
萩城は全国の数ある城の中でも最高にドラマチックなお城です。
これまでの城巡りは1日3城ペースでの突貫訪問でしたが、萩城は城下町巡りを含めてたっぷり1日かけて訪問することにしました。
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時は慶長9年(1604年)。関ヶ原の合戦で西軍の総大将であった毛利輝元は東軍の将、徳川家康により周防・長門・安芸・石見・出雲・備後の6ヶ国120万5千石から周防・長門の2ヶ国37万石に大幅減封され、失意のうちに家臣団とともに広島城を離れて長門の国に入ります。毛利氏による長州藩の始まりです。
輝元は萩の地を訪れ、三方を海に囲まれ岬の突端に聳える指月山の山麓に城を築くことを決め、築城を始めます。
思えば4年前、輝元は関ヶ原の合戦では西軍の総大将でありながら大阪城から一歩も出ず、“戦わずして敗れた”ことに深い悔恨の念を抱いていたことは想像に難くありません。
いずれ雲霞のごとき家康の軍勢がこの地に押し寄せる時はこの山を頼みに最後まで戦い抜く、輝元はそう決意したに違いありません。輝元は山麓の城とともに指月山の山頂に堅固な石垣に守られた詰めの城を築きます。
長州藩は大量の家臣団を抱え、江戸期を通じて藩の財政は困窮を極めたといいます。長州藩士は藩祖輝元が家康から受けた仕打ちを代々語り伝えたことでしょう。徳川幕府に対する鬱勃とした思いが幕末、尊皇攘夷の名のもとに討幕の炎として一気に燃え上がります。
300年続いた徳川の世を終わらせ、近代国家日本の礎を築く大きな時代のうねりは、この萩の地から始まったと言っても過言ではありません。猫の額のような萩の地から、窮鼠猫を噛むが如く、時には猫の手を借りながら日本の夜明けの扉を押し開けた長州藩士たちの活躍を輝元は草葉の陰でどのような思いで見つめていたのでありましょうか。(完)
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・・・などと妄想しながら昼飯も食わずに萩の城下町を5時間ほど徘徊していました(汗)
午前10時に萩城に到着。何やら雰囲気が・・・和服の女性が多いです。
600円で和装の女性から抹茶を頂ける!(しかも萩城の入場料込み!)・・・こんな機会はめったにありません。吸い寄せられるように受付へ・・・
#大阪の某メタルスパイ氏がこれこれウルサイので・・・( ̄▽ ̄;)
抹茶はお城の内外4会場のいずれかで頂けるようです。場内の萩市指定文化財「花江茶亭」で頂くことにしました。庭園を見ながら頂くお茶は格別です♪( ´▽`)
2時間ほどで萩城内をくまなくチェックした後、城下町へ。
高杉晋作の実家を見たり…
木戸孝允の実家を見たり…
町中にやたらある長屋門を見学したり…
あっという間に3時間が過ぎて、さすがにバテてきました(汗)
バテた時は…
またまた夏みかんです!( ̄▽ ̄;)
疲れた時は糖分に限ります♪
陽も傾いてきたところで、萩を後にして次の目的地…
晩メシです!
「道の駅 萩シーマート」へ。
「浜料理がんがん」というアタマが痛くなりそうなお店で店長のおすすめランチを注文。
#何故かランチが終日提供されているそうです…
お腹がいっぱいになったところで、笠山展望台へ♪
平らな島が点在している風景は珍しいと思います。
#ここからの風景は日本の夕陽百選に選ばれています。
日没間際の夕陽を見るには1時間ほど早過ぎましたが、日暮れを待っていると日が暮れてしまうので、今日の宿泊地、津和野に向かいました。
ホテルの窓から。萩の月♪
#津和野だけど…( ̄▽ ̄)
明日は津和野城を訪れた後、帰途に着きます。
(本日の走行距離:129.7km)
Posted at 2014/05/03 07:46:02 | |
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