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かめい堂のブログ一覧

2006年09月06日 イイね!

鬼嫁ツーリング日記 ... 旅の終焉

鬼嫁ツーリング日記 ... 旅の終焉ブルーノタウトによれば、建築の堕落である東照宮を
まるで覆い隠してでもいるかのような森が左手に見えた時、いろは坂を無事に下りきったのだ、と僕は理解した。
頭は痺れてはいるが首は自由に動くし、
中禅寺湖で取った昼食も戻すことなく胃に中にある。
無事生還、という言葉は、こんな時に使うのだろうか。
沼田からではあったが、日本ロマンティック街道の
90km弱を制覇した鬼嫁も、テンションは高い。
ランナーズハイならぬ、ドライバーズハイな状態に。

この嫁、案外、運転が好きなのか?
そんなことを考えながら、神橋手前の日光金谷ベィカリーでパンを買う。
実のところ旅を計画した時点では、ここでも一泊する予定だったのだ。

日光金谷ホテル
明治6年に創業し、大正11年に英国皇太子殿下が宿泊された、由緒正しき老舗ホテル。
御用邸を取り巻く国内外の、交歓、社交の場として反映したここは、大正浪漫の宝庫でもある。
大正ロマンを求める今回の旅の、その終焉にはもってこいの宿であったのだけれど。

平日に4日間も休めるほど、世の中は甘くなかったのである 冷や汗2

しかるに3泊4日の旅が2泊3日に短縮された僕は、泣く泣く金谷ホテルを諦めたのである。
四万、法師を優先した以上、金谷の大正浪漫はまた別の機会に味わうこととし、
あのレトロなレストランで頂ける美味しいパンをせめてもの、旅の土産にしようというわけだ。

日光宇都宮道路より東北道に合流し、東京を目指す。
首都高へと接続するこの高速道の最後のSA蓮田まではハイテンション鬼嫁がドライバーを務める。路面を照らす灯りが流れるように後方へと過ぎ去る様がメトロノームのように眠気を誘う、
その瞬間。
夢心地に聞こえた質問が、僕を覚醒させた。

レーシングスクールって、運転が上手になるの?

なっ、なんと、申された?
レーシングスクールって、アンタ。

通う気でいるのか? ふらふら
Posted at 2006/10/01 16:44:51 | コメント(5) | トラックバック(0) | 温泉紀行 | 旅行/地域
2006年09月06日 イイね!

鬼嫁ツーリング日記 ... いろは坂

鬼嫁ツーリング日記 ... いろは坂路面を伝う雨水が進行方向へと流れを変えたことで
分水嶺を越えたのだ、と知れる。
ただし。
知れたのはコ・ドライバーなのであって、肝心の
ドライバーは知れていないところが問題であった。
山とは登れば下るものだ、が。
激怒する細井数子のような激しい雨と、
微笑む美輪明宏のように怪しい霧と、
初めて挑む本格的な峠道。
漂う妖気に幻惑された鬼嫁は、地形が読めないのであった。
アクセルを踏んでもいないのに、徐々に速度を上げる MINI 。

もうっ、壊れてるんじゃない? ぷっくっくな顔

自分が理解できぬ現象を人のせい、いや、機械のせいにする悪癖はどうにかならんのか ... 冷や汗2

男体山が造りし大いなる湿地帯を分断する、国道120号。
日光へと向かう、視界の開けた一直線の穏やかな下り道は、今日のような悪天候の中でも
ドライヴィング・フィールに満ちた、素晴らしきカントリーロードだ。
故郷に丘陵地帯を持つ MINI がこの区間を気持ち良さげに快走するのは当然であるし、
そのメッセージをステアリング越しに受け取った鬼嫁が勘違いするのもまた、理屈なのだ。

思えばここ、中禅寺湖畔で一休みしたついでに、運転席を交代すべきだったのだ。
この先に控えるは、いろは坂。
28のカーヴを組み合わせ標高差500mを一気に駆け下りる、いろは坂。
その存在を忘れていた僕は、調子付いた鬼嫁のその峠魂に、同意してしまったのだ。

傾斜角40度、上級者向けダウンヒルコースのスタート地点で躊躇するのは、
これから降りるべき斜面がまるで絶壁に見えるからなのであって、
奈落の底を嫌う人間の本能に訴える景色だからなのだ、と思う。
下り線専用の第一いろは坂、その始まりである、、のコーナーを前にして、
思わずブレーキを踏んでしまった鬼嫁の眼下には、続く九十九折りのうねりが
焼額山の頂上から覗くエキスパートダウンヒルコースのように、迫っていたのかもしれない。

最大勾配が13.4%にも達する急激な下り坂の中、文字通り180度方向を変えるヘアピンカーヴが
28も連続するということは、それなりの走り方をしないと確実に、乗員は酔う。
そして今、ステアリングを握りし者は、走り方など構っていられぬ鬼嫁だ。
従って僕は。

この先、日光までの記憶がない、のであった ボケーっとした顔
Posted at 2006/10/01 16:28:22 | コメント(3) | トラックバック(0) | 温泉紀行 | 旅行/地域
2006年09月06日 イイね!

鬼嫁ツーリング日記 ... ワタシのSS10

鬼嫁ツーリング日記 ... ワタシのSS10フロントウィンドゥを激しく叩く雨。
浪漫な名前を持っていてもこのロマンティック街道が
恋を育む場所ではないことくらい、幾多の恋に破れてきた40代の僕にはわかる。
アウディクワトロを駆るミシェル・ムートン、ではない。
BMW MINI を操る鬼嫁にしても同様に、ロマンの欠片もない ...
と思ったのは、間違いだった。
ドライバーのロマンティックは止まらない、のである。

支配下にあるコーナリングマシーンが自分の意志に対し忠実に反応する様は、
嫁の、鬼の、部分を刺激するのだろうか。
ブレーキを踏み、ステアリングを切り、アクセルを煽る。
一連の秩序だった行動は、アメ(MINI)とムチ(小遣いの経済統制)による、
500円亭主のコントロール手腕と何ら変わることがない。
だから、峠道は楽しい。
そう言わんばかりの、笑みを浮かべた口元はどうしたものか。

右に左につづら折れるヘアピンカーヴは、
時に荒削りの茶色い山肌が迫り、
時に底なし沼のような樹海が口を広げ、
時に天空を目指すように傾斜が上がる。
10時10分に持った手と連動するように体を傾けるドライバーにつられたコドライバーも、
同じように上体を左右に揺らす。
いかん。

このままでは車酔いする げっそり

弥次郎兵衛のように揺れる三半規管があとどのくらいの許容範囲を持っているのか。
霧に霞むコーナーの先、目指す日光は中禅寺湖まで続く鬼嫁のSS10、
スペシャルステージの終了までは、まだ相当にありそうだ。
なぜなら、ば。
この山岳路に入ってから MINI の速度計は、30Km/hを越えていないからだ。
いかにリッター100馬力を誇る Cooper S でも、
いかに自分の意志に忠実なるコーナリングマシーンを操っていても、
いかに峠魂を燃やしていたとしても。

技術が伴っていない場合はただのクルマなのである 冷や汗2
Posted at 2006/09/28 18:00:11 | コメント(7) | トラックバック(0) | 温泉紀行 | 旅行/地域
2006年09月06日 イイね!

鬼嫁ツーリング日記 ... 最終レグ

鬼嫁ツーリング日記 ... 最終レグミシェル・ムートンも、かくありき ふらふら

木立に漂う霧を見て僕は20年前のWRCを連想した。
だけども、行く先を見つめるドライバーは。
80年代のグループBの華ミシェルムートンではない。
80年代の、教習所の華(だったか?)、我が鬼嫁だ。
だけども、コーナーに突っ込むクルマは。
圧倒的なトランクションを誇る四輪駆動の、アウディ・クワトロではない。
ゴーカートフィーリングではあっても単なる前輪駆動の、BMW MINI だ。
だけども、ここは。
モナコへと通ずるアルプスの山岳地帯ではない。
中禅寺湖へと抜ける標高2000m級の金精峠だ。

国道120号。
通称、日本ロマンティック街道。
ヴュルツブルクからフュッセンに至る、ドイツはロマンティック街道にインスピレーションを
頂いた日本ロマンティック街道は、小諸市 ~ 日光市を結ぶ全長230Kmの国道であって、
城下町、温泉町、宿場町、門前町、湖、森林、山々などなど、沿線の観光資源は豊富だ。
その上、大小様々なコーナー、起伏が組み合わされる、第一級のドライブルートでもある。
でもそれは、抜けるような青空があっての話。
今日のような天候の元では、危険きわまりない、命懸けのラリーコースではないか。

なぜ、この悪条件のもと。
ペーパードライバーに毛が生えた程度の鬼嫁がステアリングを握っているのか?

それは、初夏の十和田樹海ラインで汚点を残し、真夏の碓氷峠でリベンジを果たせなかった
鬼嫁に宿る執念とも言える峠魂に、大正ロマンを求める旅のシナリオが加算されたからであって、
MINI の限界性能を試すためでも、助手席に座る僕の度胸試しでもないのだ。
度胸はないけれど老婆心は持ち合わせている僕は、年取った母親のように言ってみた。

この霧じゃ無理だ。引き返すか、(運転を)交代するか 冷や汗2

無理じゃないもん。行くよぉ~ ぷっくっくな顔

1985年、グループBの生んだ恐竜たちがラリーファンを魅了していた頃。
ミシェル・ムートン女史も、この程度の霧で怯むはずはなかった。
絶頂期の彼女を支えたファブリツィア・ポンズのように僕は、

コ・ドライバーの責任を果たすべき、だろうか?
Posted at 2006/09/28 17:56:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | 温泉紀行 | 旅行/地域
2006年09月05日 イイね!

鬼嫁ツーリング日記 ... 法師乃湯

鬼嫁ツーリング日記 ... 法師乃湯弘法筆を選ばず、の弘法大使が小川の底砂より
湧き出る湯を発見したのだ、という。
だから、法師温泉。
だから、法師乃湯。
醍醐天皇より弘法大使の諡を贈られた空海が、その信念をくまなく説いて回った巡錫の途中、上州高崎より越後へと渡る折り、この地に立ち寄ったとしてもなんら不思議ではないけれど、本当に京を出立してこんな山奥にまで来たのだろうか?

弘法大使の開湯伝説は全国各地に点在する。
いかに信念の塊であっても歩くことが主な移動手段であった時代に、九州から東北に至る、
その多くは深い山間に眠る湯を発見したとは、どうにも疑わしい。
けれどもここは、その名を拝借する法師温泉であるから、もしかしたら正しいのかもしれない。
いや、名前よりも。
言い伝えに説得力を持つのは、法師乃湯、そのものの存在だ。
現代に生きる僕らの想像する昔が、その薄暗い湯殿の中に隠されている。
檜の板と丸太を組み合わせた湯船の底に敷き詰められた黒い玉石の、その下に。
源泉がある。

そうなのだ。
今僕は、源泉の真上にいる。
42.9度の石膏泉は人為的な手を何ら加えられることなく、この湯船に満ち溢れる。
加水も加温もない、地の力だけが育んだ湯は、生まれ立てであることを証明するかのように
時折、湯玉を連れてくる。
敷石の隙間よりプクッと顔を出した空気の泡は、僕の肌をくすぐるように水面を目指す。
この感触は ...

蔦温泉と同じではないか

初夏の北東北で味わった至福の一時が、晩夏の北関東にもあったとは。
日帰り圏内でもあるこんな近場に奇跡の秘湯があろうとは夢にも思わなかった僕は、
蔦の湯を想い出しながら法師乃湯を満喫するけれど、でも、なんだろう?
パンチに欠ける、ような気もする。
同じ源泉直結の温泉でも蔦の湯は、もっともっと力強くなかったか?
この湯は、50年前に降った雨の、その後なのだと言う。
僕が生まれる前に三国の山々を潤した雨が半世紀もの間、地中で濾過され熱せられ、
そして再び、地上に現れてきた泉なのだ。
だから、優しいのか?

杉、ブナ、モミジ、檜。
様々な木材を利用した湯殿に月明かりを導く、ギヤマン窓。
積善館は元禄の湯と同じ洋風のウィンドゥフレイムは、大正ロマネスクでもあり、
鹿鳴館のようでもある。
明治28年に建てられた法師乃湯。
やはりここは。

文明開化の湯、なのだ いい気分(温泉)
Posted at 2006/09/26 17:28:53 | コメント(4) | トラックバック(0) | 温泉紀行 | 旅行/地域

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東京の下町で暮らしております。 ノスタルジー香る街並みに巨大な電波塔が完成し 足下の住民は悲喜こもごもでありますが ... 昭和の情景にも平成の風景にも違...
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