房総のむらっ、てのがあるんだけど ...
前途に迷う僕に行くべき先を教えてくれた見知らぬ
おじさんではあったが、行き方までは。
指南して頂けなかった。
(東関道)富里ICで降りて成田山新勝寺方面。
たぶん、看板が出てるから。あっ、そうそう。
ナビで大丈夫だよ。一応、名所だから ...
ん~。名所ではある、と思うけれど。
(MINI に)ナビはありませんからぁ~
ご自慢のクラウン、ナビは標準で装備されるものと信じる団塊紳士に、
バイエルン発のプレミアムコンパクトでは電子的経路探索装置はオプションなんです、と。
わざわざ伝える必要もないであろう。
あっ、そうですね。ナヴィで行きます。どーもありがとうございましたぁ
が、しかし。この道でよいのだろうか?
成田山新勝寺をやり過ごし、
房総のむら。ここで左折という看板を見て北西へ進路を変えた
僕だったけれど、走る道は観光地に続くとはとても思えぬほど、心細い。
千葉県道18号成田安食線。生活道路のようなこの先に、江戸情緒は存在するのだろうか?
楽天的な気持ちに対する不安がジワジワと増してきた頃、再び見えた、
房総のむら看板。
おぉ~、あったよ~
千葉県立房総のむら
印旛沼を見下ろす51ヘクタールの丘陵地帯に再現された、江戸の街。
大木戸越しに垣間見える元禄時代、
てぇへんだぁ~と叫びながら走るのは、うっかり八兵衛か?
ごめんなさーい。ワンちゃんは入れないの
かげろうお銀、ではなかった。
千葉県の職員であろう受付嬢が、門をくぐろうとする犬のムスメをたしなめる。
なっ、なんと申される。綱吉は生類憐みの令を知らぬ、とは
まてよ、ここは下総、印旛村。印旛沼を開拓した田沼意次は安永時代の老中ではなかったか?
家治の頃は生類も、憐れんではもらえなかったろうて。
時代背景が異なれば、天下の法令も効を成さない。
江戸市中を意気揚々と歩くお犬様の図、は。残念ながら拝めそうにもない、のであり。
新撰組!や
蝉しぐれのロケでも使われたという江戸の街並に後ろ髪を引かれながら、
大木戸を後にした僕らは、むらの西側に広がる
印旛沼が見える遊歩道へと分け入る。
深い木立の中、足に優しい土の上を嬉々として歩く犬のムスメに従いながら散策すれば、
忽然と現れる茅葺きの民家。重要文化財にして、御子神家の住宅だそうである。
1779年竣工、佐野友右衛門設計、施工業者不明、とのこと。
安房地方の典型的な民家、直屋型とされる建築手法は、
居間を設けた床間と台所を設けた土間がひとつ大きな屋根の下に同居する。
リヴィング・ダイニングといったところか?
馬屋を連ねた曲家(南部曲家とか有名ですね)とは異なり、人間優先の使い勝手の良さそうな
住居であるが、では。
独立した馬屋があったのだろうか? 或いは、馬は不要の生活をしていたのだろうか?
土間限定とはいえ中に入ることも触ることも許された、安永時代の住居。
高い天井と立派な梁が創り出す物理的にも心理的にも優れた居住空間が、羨ましい。
縁側と囲炉裏の文化は、日本の情緒なんだね。
平成の集合住宅に住まう自分としては、230年もの歳月が与えた民家の進歩って、ナニ?
そんな疑問を覚えてしまうのであった。
渋滞する京葉道で出会った親切なおじさんの一言で訪れてみた、房総のむら。
再現された江戸の街並は味わえなかったけれど、むら周辺に移築された本物の江戸と
明治(旧学習院初等科正堂。これも素晴らしい!)に出会えて、妙に幸せだったのは僕だけ
だったようであり、帰途についた車中で妻は言うのであった。
ゴールデンウィークは続く。明日はもう少し遠くへ行こうぜぇー
文化的体験だけでは満足しない、犬のムスメと人間のおかーさん、である

Posted at 2008/05/19 15:38:52 | |
トラックバック(0) |
dog life | ペット