バスだね? アメリカの。
遠い昔を想い出すように老紳士はそう言った。
春うらゝの、隅田川。
穏やかな早春の水辺、
豊かな香りを鼻に含ませて嬉しそうに歩く犬のムスメに、
目を細めながら近付いてきた身なりの大変宜しい老紳士である。
アメリカのバスって、ナニ?
怪訝な表情の僕を見た御仁は、
これは失礼!とでも言うように言葉を補足した。
(この犬は)グレイハウンドでは、ないかな?
なるほど、そういうわけか。
グレイハウンド・バスなら僕も知っている。
乗ったことはないけれど。
映画やドラマで見た、鈍いステンレスの輝きが印象的な、長距離バスのことだ。
サイモンとガーファンクルはご存知ですかな?
それも知ってる。
ポール・サイモンの冷めた詩情をアート・ガーファンクルの天使の歌声が優しく包む、
'60年代を代表するアメリカのフォーク・デュオである。
アメリカという曲がありましてな ...
"Kathy," I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh ... 、だ
つぶやくように歌う Simon & Garfunkel の一節を僕も、思い出した。
中学に入ったばかりの頃、音楽友達のカズオくんと聴いた、America 。
キャシー、
ピッツバーグでグレイハウンド・バスに乗った時、僕はこう言ったのさ。
いまじゃミシガンは夢みたいだ。とね。
サギノーからヒッチハイクして4日。僕はアメリカを探しにやって来たのさ ...
あの。
アメリカ、だ。
小さなブラウン管から流れる、刑事コジャックの、警部マクロードの、鬼警部アイアンサイドの。
大きなスクリーンを活動する、真夜中のカウボーイの、ハリーとトントの、ガントレットの。
脇役であり、主役であった、大陸横断バス。
サイモンとガーファンクルの唄うアメリカの風景は、ドラマや映画にも確かに、あった。
あの世界観に憧れましてなぁ。乗りに行ったんですよ、ちょうどアナタくらいの頃
その御仁がバスに乗ったのはたぶん、今の僕よりももっと若かりし頃だった、と思う。
でもまぁ、そんなことはどうでもいいことで、1ドルが360円もした時代。
歌の世界に憧れ、ただただバスに乗るためだけに、アメリカへ渡ってしまったこの御仁の。
その想いとは何だったのだろう? 興味が湧いてしまったのである。
なぜ、そんなに乗りたかったのですか?
なんだろうねぇ ... 。自分もアメリカを探してみたいと思ったんかのぉ
ベトナムは地獄の様相を呈し、川崎はスモッグに覆われ、ビートルズが解散した頃。
ヒッピーを気取る若かりし御仁は、ありったけの金を掻き集めて海を渡ったのだ、と。
ボストンバッグひとつで飛び乗った大きなバスは東へ向かうとしか知らなかったけれど。
乗り合わせた乗客の希望と失望が臭気のように漂い、
様々な人種が放つ聞き取れない言葉が汗のようにまとわりつき、
どこまで走っても変わり映えのしない単調な車窓が自分の孤独感を増長させた、バスの旅。
想像とはあまりに異なる現実が気持ちを負の方向へ作用し始めた頃、話しかけてくれた、
後ろの席の黒人。
オマエ、カミカゼか?
イエス ... 。ノッ、ノー!
どこからともなく笑い声が上がり、車内にはフレンドリィな空気が流れ始めた ...
そんなバスの旅をしたんですなぁ、むかし
そして、バスの胴体には。
この犬の絵が。描かれていたんです、と。
犬のムスメは道で出会ういろんな人を呼び寄せてくれるけれど、
こんなロマンティックな話を聞かせてもらったのは、初めてである。
羨ましい限りの冒険談、その続きをもっと聞きたかったのだが、そこは落ち着きのないジジである。
立ち話に興じる老紳士と中年男よりも、もっと魅力的な人達がいる。
あら、可愛いわねぇ~ と微笑みを残しながら通り抜けていくお姉さん達のように。
では。ご機嫌よう
手を振りながら去っていく老紳士と別れを告げ、先を急ぐ犬のムスメの後を追いながら、
そういえば、あの御仁に聞きそびれたことがあったと気付く。
探していたアメリカは、見つかったんだろうか?
Posted at 2008/03/01 16:28:51 | |
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