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かめい堂のブログ一覧

2007年05月30日 イイね!

wipe out !

wipe out ! 御者の時代、手綱を操る者と
 飼い葉をエネルギィとする牽引力とを
 隔てるものは、何もなかったけれど。
 運転手の時代ともなると、
 ハンドルを握る者とガソリンを
 エネルギィとする動力との間には、
 一枚のガラスが介在することになる。
 それは枯れ草よりも圧倒的なパワーを持つ
 化石燃料がもたらした禁欲的な速度、
つまりは、相対的に発生する空気の壁から乗員を守るための風防装置なわけで、
来るべき高速時代の幕開けを告げる重要な保安装置でもあったのだ、と思う。
オッパイ星人の力学によれば、
時速100Kmで受ける風圧はFカップに相当する弾力性があるわけで、
それは確かに運転手への煩悩を遮断する意味でもなくてはならないものだった。
だから、自動車の大衆化を促進したT型フォードですら、フロントウィンドゥは標準で
装備されていたのだと、そう考える僕だけれど。
では。
ウィンドシールドを扇型に、包み込むように往き来するワイパーとは、
Fカップに触れるための、愛染の触手なのであろうか?

その観点から見れば、21世紀の MINI が持つワイパーは愛に満ちている。
衣擦れの如く艶めかしい音を奏でながら優雅にガラスを舞う二本のアームは、
20世紀の mini の、はた織機のような機械音と共にぎこちなくガラスを往復するワイプ行為とは
比べるまでもなくアダルトなのであって、その辺が、若い女性に持て囃される BMW MINI の
隠れた才能なのかもしれない。
例えて言うなら、
酸いも甘いも経験した加齢族と、失恋を知らぬメイド族との、ことに対する余裕の違いであろうか。

が、そんな愛の手も。
直に触れる指先は一枚のゴムであることに、変わりはない。
アルト47万円(だった)にしても、ロールスロイスファントム4700万円(を越える)にしても、
フロントウィンドゥの水滴を拭うのは、ゴム製の刃を持つワイパーブレードである。
粛々と回転する高性能なサーボモーターを使っていても、
凝ったリンケージを介し払拭する面積の広大さを誇っていても、
トリガーは雨天感知センサーの自動認識であっても、
このゴム製の刃がなくては水滴を拭えぬワケで、
そこに価格差100倍を埋める正当な理由は見当たらない。
フロントウィンドゥを愛撫する指先の差は、
格差社会が叫ばれる現代においても不思議なくらい平等なのである。

だから、BMW が世に問う Premium Compact も18ヶ月を過ぎれば。
しまい忘れた吹き流しのように乱舞するゴムの切れ端を見るようになってしまうのであり、
オッパイ星人の見果てぬ夢を遥か彼方へと追いやってしまうのである。

雨の朝、出勤途中の交差点、wipe out しない水滴

で。このままではマズいよなぁ、きっと 冷や汗2
Posted at 2007/05/31 14:17:44 | コメント(6) | トラックバック(0) | new mini | クルマ
2007年05月01日 イイね!

MINI の、一年半

MINI の、一年半 やっぱり時の移ろいは早いのであって、
 我が家の mini が MINI へと代替わりして
 18ヶ月目に入った、今月。
 過ぎ去った1年と6ヶ月で、
 (ジジのように)成長するわけはないけれど、
 同じ名を名乗りながらも一回りほど
 大きくなったことは事実の MINI が
 小さかった先代と同じくらいに充実した
 カーライフを提供しているのは間違いない。

間違いはないのだ、けれど。
少しばかり充実度が足りないような気がするのは、
クルマに対する思い入れ感が少々、希薄であるからかもしれない。

MINI なのに、mini らしくない 冷や汗2

その一言で表現できる思い入れ感の乏しさが実は、クルマとしての完成度の高さに起因すると
気付いたのは、初めてのオイル交換をした先々月のことだった。

オイル交換は、16,000Kmを目安にしてください

納車時、担当氏の説明は我が耳を疑う内容であったが、それが21世紀の仕様なのである。
20世紀の mini との間を隔てる40年超の歳月は、3,000Kmごとに義務づけられたオイル交換を
一挙に5倍以上もの距離へと持続させたのであり、技術の進歩とはこういう一面もあるのだ、と。
加齢族の入口に立つ僕は、思う。

遅々として進まぬオドメーターの数字は、
早々に歩むカレンダーの月日を追いかけるわけでもなく、いつの間にやら一年を過ぎてもまだ。
オイル交換はいいわけねなんて一幕もあったわけで。
これは感嘆すべきことではあれど同時に、嘆息すべきことでもあったのだ。
なぜなら、ば。
メンテナンスフリーはフィーリングスフリーでもあって、
保守の容易性(とアッセンブル化)は作業を担当すべきオーナーの心情を通り越した位置にあり、
もはや僕らがボンネットを開けるのはメダマリンを見る時くらい、にしてしまったからである。
メダマリンを持たない僕はだから、
最後にボンネットリリースレヴァを触ったのはいつだったのか?
思い出せないほど、MINI の口を開けたことがない。

ラジエターキャップを開けては冷却水の残量を確認し、
ゲージをウェスで拭き取ってはオイルの汚れ具合を確認し、
一歩下がってはシリンダーヘッドとブロックの漏れ具合を確認していた、20世紀の mini は。
今思えば、欠陥商品と思えるほどに手の掛かる工業製品である。
けれど、クルマとは不思議なもので、
そんな手間暇が、愛おしさになり、思い入れとなったりするものだ。

初夏の陽気が、ただそれだけで嬉しい黄金週間に、mini と過ごす時の持ち方。
プラグを磨いたり、
接点復活剤でアースポイントを整備したり、
コーキング剤でウェザートリップを補強したり、と。
やがてやって来る梅雨への準備期間でもあったりしたわけで、
そんな作業に費やした日々の匂いが5月の空気にはあったりする。

空気感を懐かしむくらいだから、今の MINI には全く問題がない、ということでもある。
駆け抜ける歓び眺める喜びに嘘はないけれど、持ち続ける悦びはあるのだろうか?
まるでトヨタのように手が掛からない優等生な MINI は、そんな意味で味が薄い。

ってなところに文句を付けるあたりが、昭和浪漫な僕のひねくれたところでもある ボケーっとした顔
Posted at 2007/05/01 16:27:34 | コメント(3) | トラックバック(0) | new mini | クルマ
2007年04月20日 イイね!

加齢なる MINI 、再び

加齢なる MINI 、再び 一台のクルマが幾人かの仲間を
 引き連れてくることはままあれど、
 一台の Premium Compact が
 引き寄せた新しい仲間達は少々、
 毛色が違うようにも思える。
 同じ店で買った、
 同じ主治医にかかっている、
 同じクラブ員同士である、
 つまりは ...

同じ地域に住む、同じ悩みを抱える、同じメンバーシップに括られる、という従来型の
クルマ仲間ではない、気がするからだ。
住む場所はマチマチであり、名医なしには維持できぬほどのトラブルを抱えているわけでもなく、
会員証なしには輪に入ることも許されぬ老舗クラブともワケが違う。
この集団、唯一の共通点は。

東京オリンピックを知る、だなんて ふらふら

いやいや、肝心の。根本的な資質があった。
BMW が世に放った MINI を我が子のように愛する加齢族である、ということを。

激動する20世紀を走り抜いた男たちが選んだ、
自分たちの世紀を代表する工業製品の奇跡、ADO 15 mini をモダナイズする、
新しい世紀の幕開けを告げた21世紀の MINI 、という事実は。
この夜、銀座に集った男たちに宿る、ある種の価値観とその一致、は。
団塊とそのジュニアに挟まれた、名も無い世代の思考、は。
年齢という柵で囲ってしまってはもったいないくらい、なのである。

話題は豊富にして、奥深い。
公共放送不始末、ゼネコン汚職、オリンピック経済効果といった、実にお固い話題を、
歯周病を直せば(おねぇちゃんと)キスができるようになれる ... 、というレヴェルで
語り合える者たちは、世の中広しと言えどもそうそうお目にかかれるものではない。
補足すれば。
気になる口臭が消え去り、若いおねぇちゃんとキスができる選択肢は増えても、
長年連れ添った奥様とだけはなぜか、口づけにならない、そうであり。
そんな夫婦道の真実がさり気なく披露されるあたりも、MINI な加齢族たる所以であろうか。

ドライヴァはエクステリアの一部であるとの名言を残すオープン隊と、
ドライヴァはインテリアを構成するオブジェと考える鉄屋根隊に、
微妙なる意識の違いはあれど、目立ってナンボのもん、では共通する価値観。
それは、スカジャンとアンパンマンに象徴されるコスチューム・プレイであり、
自我を主張することではメイド族と一線を画す、存在なのか。
俺様意識はあっても、ご主人様ぁ~♪とも呼ばれたい僕は、
加齢集団の入口に立つ非加齢族なのだと(少しばかり)安心した、第2回カレイ会議。
3回目はどうなるのであろう?

Let's Don に端を発する、加齢族。
MINI に乗るのはこういうことだ、という百聞を一見にして知らしめる集団。
それは単に ...

変な人たちの集まり、だったか 冷や汗2
Posted at 2007/04/20 16:48:03 | コメント(9) | トラックバック(0) | new mini | クルマ
2007年04月06日 イイね!

眠る MINI の生活

眠る MINI の生活 たったひとつの要因で。
 僕らの生活は大きく変わってしまった。
 小さな犬の存在が小さなクルマの実存を
 隅へと追いやった、平成19年の春。
 天には清く明るい空気が満ちあふれ、
 地には百花が咲き乱れる今日この頃、
 駐車場でスタンバイするボディも
 心なしか華やいでいるように感じられる
 MINI にとっては、2回目の春。

が、しかし。
走行距離は伸びない。
エンヂンに火が入るのは、ジジ・グッズを買いに行く時か、雨の日の通勤くらいなもので、
ツーリングはおろかドライヴと呼べる移動ですら、できていないのであって。
このままでは、マシーンとしての MINI に機械的な不具合が起きても文句は言えない。
言えないから、どこか遠くへ ...

ジジはどうするの? ボケーっとした顔

そうなのだ。
この娘、予定される3回のワクチンが終了するまで。
他のワンちゃんと接することは禁じられているのであって、つまりは
5月の第一週を過ぎるまで、大手(足?)を振って外に出ることはできない。
ということは。
僕らが MINI で出掛けたら、誰もいない我が家にたった一匹、お留守番となるわけで。

いや~ん、可哀想 がまん顔

可哀想と思うのはなにも、鬼嫁だけではない。
父性に目覚めつつある僕にしても同じだ。
だから、MINI は。
駐車場で眠る日々が続いているのである。

積善館長寿館自在館
昨年、MINI と共に訪れた名湯、秘湯の館からは、期間限定のお得なプランを知らせる
お手紙が届き、温泉カメラマンとしては、なんとしても行きたいところだけれど。
仕事なら、どうにか都合も付けられようが。
相手がジジともなると ...

温泉ツーリングも泡沫の夢なる、清明の頃なのだった 冷や汗2
Posted at 2007/04/07 11:18:13 | コメント(3) | トラックバック(0) | new mini | クルマ
2007年02月23日 イイね!

パオが語る我が家の真実 (6)

パオが語る我が家の真実 (6) イチジクの葉で隠したことから始まった
 人間の羞恥心は、エデンの園を失楽した
 アダムとイヴの末裔により、
 虚栄心へと姿を変えて今に至る。
 隠すための葉は飾るための花となり、
 デコレェトすることで存在を誇張し、
 人は自我の欲求を満足させる。
 識別子たる装飾品は加速度的に差別化され、
 センスの貧富を視覚的なものに改める。

なるほど、というわけで。伊勢丹メンズ館なのね 冷や汗2

ヴァレンタインの贈り物を頂いた妻から同時に渡された一冊の、小冊子。
高付加価値時代の今、違いのわかる男女のために独自に開拓したブランドが群れを成す
ファッションの伊勢丹が、Barney's New York も真っ青な男の館をリモデルして早、3年。
その店内にディスプレイされる、紳士を飾る世界の小物を紹介したページは、
エデンの園で妖しく実る禁断の果実のようでも、あって。

少しは見習ってセンスを磨け exclamation×2 あっかんべー

という妻の無言のメッセージは理解できても、
紙の上で雄弁に物語る世界の小物たちを身に付けた自分の姿を想像できないところは、
500円亭主の、らしさでもあったりする。
着こなしのプロトコールを知らないから幸せなのか、それとも。
飾るべきところは他にある、ということか。

個性を彩るアクセサリィが機能するためには、それに相応しい人格を持つ必要がある。
単にブランド品、というだけではセンス良くならないあたりが、モノと人の関係における
面白いところでもあったりする。
幾多の試行錯誤を繰り返し、モノと人とがお互いに歩み寄ってバランスされるその関係は、
モノが人を育てている部分もあるように、思える。
いいモノが提供する世界を知らなくては、いいモノかどうかも理解できない。
モノに対する自分の中の評価軸は、接してきたモノの経験則に裏付けられているのだから。
そして。
いいモノを知らなくては、いいモノは造れない。
だから。
クリエーターと呼ばれる人々はモノに対する深い造詣の眼差しが必要なのではないか?

自動車を造る技術者は、いいモノを知っているのだろうか?
自動車を売る営業マンは、マーケティングという言葉を勘違いしていないか?
自動車会社の舵を切る代表者は、運転が好きなんだろうか?

クルマの表層だけで良し悪しを判断するべきではないけれど、
クルマに深層がなかったら、底が浅かったなら、そこから学ぶべきものは多くはない。
人を育てることができないクルマに、文化は宿らない。
そんなクルマに接して育った未来のエンジニアが、自分たちの進むべき道に迷った時、
参考となる過去はあってないようなものだから。

パオが発した、メッセージ。
文化と呼べるほどには高尚なものではなかったけれど、確かなことは。
そろそろ肩の力を抜いたら ... ?
という脱力系の言葉だったのかもしれない。
エンスーの神経を逆撫でする、機能的に裏付けのないレトロティックな表層が物語る言葉は、
飽和点に達した自動車業界における見事なカウンターパンチだったようにも思う。
硬直化する自動車ファンの思考を柔和させる効果は、少しばかりは、あったのだ。

妻が現代のパオと考える、我が家の MINI 。
性能よりも信頼を重んじる主婦が選んだ、我が家の MINI 。
1年と3ヶ月ばかりを暮らしてもなお、その輝きは失っていないけれど。
それに乗る僕らは。

ちょっとは MINI に似合うようになってきたのだろうか 考えてる顔
Posted at 2007/02/23 16:27:06 | コメント(4) | トラックバック(0) | new mini | クルマ

プロフィール

東京の下町で暮らしております。 ノスタルジー香る街並みに巨大な電波塔が完成し 足下の住民は悲喜こもごもでありますが ... 昭和の情景にも平成の風景にも違...
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