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かめい堂のブログ一覧

2007年02月22日 イイね!

3G MINI

3G MINI  良くも悪くもこのメダマに象徴される。
  ベストセラーモデルの正常進化は、
  ベストセラーだったモデルに乗る者へ
  羨望と安堵の、相反するふたつの心を創る。
  3rd Generation MINI
  サー・アレック・イシゴニスが生んだ
  20世紀工業製品の奇跡から数えて
  3世代目となる新しい New MINI は僕に、
  複雑な想いを抱かせる存在だ。
  獲得と喪失
  得たものは最新のテクノロジィだ。
  失ったものは懐古なフィロソフィだ。
アングロサクソンの繊細な線をゲルマンの無骨な線で描き直す 3G MINI は果たして、
どのような魂を持つのであろう?

惜しむべきはフロントフェンダーだ ふらふら、と思う。

MINI であることを主張する全体的なフォルムに破綻はなく、むしろ、
拡大されたフロントグリルや量感を増したヒップラインなどは、初代 mini に先祖返りしたか
のような錯覚を覚えるほどに、ミニなディティールを構成する。
が、しかし。
初代 mini から続いた豊かなフェンダーラインは消失してしまった。
911 Porsche にも通じる女のふくよかな太腿、運転席から眺める妖艶なる二本の峰は、
フェティストの期待を裏切るように平面化されてしまったわけで。
21世紀の女性はスレンダーである、と言わんばかりの変身に嘆くデブ専も多いのではないか?

時代と社会の要求から嵩上げされたボンネットは内部に6cm高の空間、
万が一の時、歩行者を守るためのクラッシャブルゾーンを持つ、と言う。
そのためにヴォリューム感を増したフロントセクションはミニをビッグに見せる効果も
併せ持つようで、そのあたりが。
初代 mini を愛し、初代 BMW MINI に乗る僕にとって、素直に肯定できない部分でも
あったりする。

でも、続くキャビンスペースが。
+20cm(?)のボディ長と観音開きのテールエンドで結ばれるのであれば、
この立派な鼻先も納得のカタチなのである。
そうなのだ、このフロントセクションは。

トラヴェラーのためにある 冷や汗2

というわけで。
まだ見ぬ Traveler に大いなる期待を抱いてしまう、3世代目の、新しい New MINI なのだった。


良くも悪くも今後は、BMW色が濃くなると思われます ...
昨年秋に聞いた担当氏の言葉通りプレミアムメーカーのボトムレンジを担う FF 2BOX Car は、
Premium Cpmpact の上質さに更なる磨きをかけて一族の一員であることを誇示するけれど、
商売上手な BMW の魂胆が見え隠れするインテリアの媚び方は、
在りし日の哲学を失ったようでもあり、少しばかり寂しいのもまた、事実。
もっとも MINI という名の BMW と思えば。

素晴らしいクルマであることに間違いはない、と思われ 考えてる顔
Posted at 2007/02/22 13:51:00 | コメント(9) | トラックバック(0) | new mini | クルマ
2007年02月15日 イイね!

加齢なる MINI

加齢なる MINI 限りなく50に近い40代の集団を
 僕は知らない。
 学舎の友とか、仕事場の友とか、
 暮らしの中で関わりを持った同世代の
 集団はもちろん知っている、のだけれど。
 日々生活する上でまったく接点のない
 限りなく50に近い40代の、それも男だけの
 集まりっていうのは、どう考えたって
 (僕の人生には)有り得ないはずなのだ。

例えば下町特有の、祭りの時季になると自然発生的に集まる氏子集会とも違う。
例えば集合住宅独特の、問題発生時に強制的に集められる住民集会とも違う。
例えばPTAお約束の、学校行事開催時の逃れられないお父さん集会とも違う。
日本橋の、あの一夜を過ごした、限りなく50に近い平均年齢の面々を結びつけたモノは、
一台の小型車だったのであって、その事実に僕は改めて。
MINI というクルマに文化意識を感じ取ったのである。

1960年を前後して生まれた男たちは、思春期の多感な時期にスーパーカーブームを経験している。
カムシャフトは一本より二本の方がエンジン回転の上昇に追従しやすく、
360度で一回転するクランクシャフトに動力を与えるピストンの数は12本が理想的に滑らかであり、
最重量物であるエンジンは車体の中央に位置することが慣性の法則に従うバランスだと、
ランボルギーニやフェラーリを通じて覚えたのである。
だから、クルマには一家言持つ者が多いのだ、と思う。
そんな男たちが、だ。
一本のカムシャフト、4本のシリンダー、前輪にオーバーハングしたエンジン位置の、
21世紀の今となっては当たり前すぎる仕様の MINI を、楽しい、と言う。
乗っても、走っても、眺めても、楽しい! と言うのだ。

MINI に乗る者へなら、なんの言い訳もなくその思いは伝わるが、
同じ技術様式を持つ他の FF 2BOX Car を操る人々には多少の説明が必要となる、その要因。
シンプルながら高度にデザインされたインテリアや、
舵とダイレクトに反応する車台のゴーカートフィーリングや、
英国の懐古主義をバウハウスの流儀でモダナイズしたエクステリアを、
持てる語彙力の全てを動員して話したとしても ...

でも、それで。カローラとどう違うの?、と。

確かに言葉で語れる違いはない、のかもしれない。
自らステアリングを握り、アクセルペダルを踏まぬ限り、MINI の楽しさはわからない。
しかしながら、紙に書かれた仕様書が同じであればカローラとの違いを認めない人々は当然、
のようなクルマの試乗すらしないのであって、価値観は永遠に平行線、なのである。
だから、あの夜の加齢なる集団は。
横並びを善とする時代に教育を受けた世代としては、誠に希有な存在と思えたのである。

クラウンを頂点とするニッポンの自動車ヒエラルキーからはみ出してしまった男たちが、
一兆円企業トヨタの思惑ではマークXに乗ることを望まれる世代の男たちが、
ジェンダーフリーの波を受けて家族の犠牲となるべき存在の男たちが、
選んでしまった MINI とは、いかようなクルマなのであろう。

一般社会においてはクラウンの足元にも及ばない小さな記号性しか持たず、
中間管理職に望まれる立派なトランクボックスを持たないハッチバックスタイルで、
犠牲となる家族の不満をかわす手段はセンターメーターくらいしか持っていない、
有効なる存在価値をアピールできない MINI が加齢族に愛される理由とは、なんであろう。
その答えを駆け抜ける歓びに求めるのは簡単であるが、ではなぜ。

本家本元たる3シリーズに、乗らないの?

やはり、文化なのだと思う。
先代から続く半世紀にちょっと足りないブランドの歴史が語る MINI の存在そのものが、
テクノロジィやヒエラルキーを超えて訴えかけてきたのだと、そう思う。
だって、あの夜、日本橋に集いし加齢なる一族の平均年齢は。

ミニの年齢と一緒なんだもの 冷や汗2
Posted at 2007/02/15 15:40:15 | コメント(13) | トラックバック(0) | new mini | クルマ
2007年01月28日 イイね!

パオが語る我が家の真実 (5)

パオが語る我が家の真実 (5) 人は生涯で、
 20万個のモノを使いながら生活する、らしい。
 えっ、そんなに? とも思うけれど。
 歯ブラシや綿棒のような生活雑貨品から
 家具や家電に代表される耐久消費財まで、
 多くのモノに囲まれて暮らしているのは確かだ。
 道具を創り、それを利用し、更なる工夫を加え、
 生活を楽に、便利に、豊かに変えてきたのが、
 人の歴史なのだから。

モノが人の価値観を形成する部分はある、と思う。
生まれた瞬間から始まる記憶の蓄積は例えば、
産着の柔らかさや、揺りかごの温もりや、ガラガラの音色など、
大人になってしまった今となってはもう想い出すのが難しい印象であっても確実に、
頭の引き出しの奥底に収まっているのだし、
その後の人生に出逢った岐路で大いなる判断基準となった場合もある、かもしれない。

僕が幼かった頃、ニッポンはまだ貧しかった。
高度成長期の真っ直中にはあったけれど、1ドルが360円もした時代であるから
舶来品なんて言葉が三種の神器以上に有り難がたられたのであって、
海外製のモノなんて間違っても庶民の家には存在しなかった(と思う)。
幼子が遊ぶオモチャは当たり前のように Made in Japan だったし、
それを疑問に感じることもないほどに情報が乏しい社会でもあったのだけど。
ある日、僕は気がついてしまった。

なんで同じ赤なのに、赤が違うのだろう?

幼馴染みのなかで一番のハイカラさん、としゆきくんが持っていたプラスティック・ブロックは、
それまでに見たことのない、衝撃的なまでに鮮やかな、色彩だったのだ。
LEGO
箱に書かれた社名は、ひらがなでもカタカナでもなく、読めるはずもなかった僕は、
レゴって言うのよ、と。
としゆきくんのお母さんに教えられた。
ウチのはダイヤブロックだけれど、としゆきくんは違うのか ...

単にお金の問題ではなかったのだと、大人になって理解した。
としゆきくんのお母さんは、愛する息子に世界の赤を体験させたかったのだ、と思う。
デンマークの産んだ玩具が放つヨーロッパの色を、
スポンジのように知識を吸収する幼年期の頭の中へ、
確かな記憶として植え付けたかったのだ、と思う。
残念ながら我が親は、自分たちの愛する息子はニッポンの赤で十分と考えてしまったようだが、
その違いは40年後の、お互いの立ち位置の違いとなって開花する。
レゴブロックで育った彼は、美大の教授となり女学生に囲まれて暮らしている、のだもの。

持って生まれた才能もあるのだろうけれど、育つうちに身に付く才能もある。
どんなモノに囲まれて育ったの?
人の器とは案外、そんなことで形成されていくのかもしれない。

使う人間に刺激を与え、新たな価値観を紹介し、生き方までをも変えるパワーを秘めたモノは、
その深層に込められた創り手のメッセージを具現化した表層を、身にまとう。
奇抜なフォルムも、そう成らざるを得ない理由があってのことだから使い手は納得するのであって、
カタチだけのモノとはそこが、決定的に違うのだ。

我が家にコロナが来るまで親父殿の足は50ccのスーパーカブだったのだけれど、
左手にクラッチレヴァのない(つまりは右手にしかレヴァが付いていない)左右非対称の造詣は、
変なカタチだ!と思っていた。
蕎麦屋の出前持ちがおかもちを左手にぶら下げながら運転できるように、と。
本田宗一郎さんが考えた、それまでにないバイクの乗り方(片手乗り!)を実現するため、
当時としては非常に高度な自動遠心式クラッチまで組み込んだが故の必然的なカタチであったと
後に知った時は、ホンダというメーカーが只者ではないと恐れ入った瞬間でもある。

して、ニッサン・パオはどうなのか?
馬力や豪華さを競い合っていた世紀末の国産自動車の中に突如として現れた、
クラシックなフォルムのその深層に、なにかメッセージは込められていたのだろうか?
Posted at 2007/01/29 16:46:22 | コメント(5) | トラックバック(0) | new mini | クルマ
2007年01月07日 イイね!

巳の刻の、オフ

巳の刻の、オフ  草木も眠る丑三つ時より活動する僕は、
  寅の刻卯の刻辰の刻と立て続けに
  三つのオフ会へ参加してもまだ、
  巳の刻であることに驚く。
  早起きは三文の得
  昔の人の残す言葉は含蓄深いけれど
  実際のところ、江戸の市中では
  屋台の蕎麦が十六文とされるから
  三文の値打ちなど雀の涙ほど、であろうか?

ともあれ、10Lのバケツが百円ショップで買える世の中だ。
わずかに三文であろうと相応の価値はあるのであって、早く起きるってことは一日を
こんなにも長く、有効に使えるという、あたりまえのことに感動した僕は、
この後に続く更なるオプションツアーも参加することにした。

巳の刻のオフは、寒風下のソルティドッグ祭り!
潮風が吹きすさぶ内房での半日、参加する MINI のボディは。
ウィッカベースのカクテルを引き立てるグラスの塩、Rimmed with Salt にデコレートされ、
冬の陽光を浴びてキラキラと輝く様は、洗い落とすに惜しいほどではあったけれど。
ナトリウムの結晶が鉄を侵食する前に、除去すべきである。

そうだ、洗車だ exclamation×2

あのフェティシズムを再び味わえるとは、なんと趣のあるオフ会であろうか。
千葉方面隊の聖なる洗車場、カレスト幕張を目指す国道127号線。
碓氷峠にアタックする峠のシェルパ、EF63型による協調運転を髣髴とさせる MINI の
一糸乱れぬ隊列は、休日の、のどかな海沿いの道を晴れやかに演出するのであって、
フロントウィンドゥ越しに感ずる対向車線からの視線は、頬に痛いほどである。

しかし自意識過剰に踊る僕の MINI はやがて、千葉県警が県民の安全を願って設置した
幾多の信号機により、隊列から分断される。
トレイン走行とは言え、各々に運転手を持つクルマのことだ。
あくまでも協調運転なのであって、伯備線は出雲へ向かうDD51重連総括制御のように、
終着駅まで連なって走れるとは限らないことを、忘れていた。

さて、困った ふらふら

僕の MINI には、ナビは搭載されておらず、地図も積んではいない。
他力本願な行動は幕張の位置を遥か彼方へと追いやったけれど、幸いにも後続車がいた。
ルームミラーに映るブリティッシュ・レーシング・グリーンな MINI は確か、
幕張洗車隊の一員ではなかったか。
というわけで僕は。

後続の MINI の方向指示器を頼りに、京葉道を北上したのである 冷や汗2
Posted at 2007/01/11 16:11:30 | コメント(6) | トラックバック(0) | new mini | クルマ
2007年01月07日 イイね!

辰の刻の、オフ

辰の刻の、オフ抜群の企画力と類い希なる統率力、そして。
隅々まで気配りの行き届いた幹事さんのおかげで
楽しくも密度の濃い2時間と30分は、
東海道を疾走する500系のぞみ号の如く、
瞬く間に過ぎ行く。
モーニングコーヒーに含まれるカフェインが
中枢神経に作用する軽い興奮よりも更に強力な
アドレナリンが脳内に働きかけているのだろうか?
やはり、on なオフ会、なのである。

家に帰り着くまでがオフ会です。皆さん、くれぐれも気を付けて ...

親分さんの、心温まる大人の一言でお開きとなった、Let's DON 2007 new year's meeting
この素晴らしき集いを実現して下さった幹事さんの晴れやかな表情と、
別れを惜しむ皆の名残惜しそうな姿が印象的であった、朝日に輝く海ホタル。
その余韻に浸る間もなく。
木更津人工島に集結した色とりどりの MINI はそれぞれに、イグニッション・スタート。
ここから先、更なるオプションツアーが控えているとは、本家本流たる Let's DON のこと、
5分で早々に解散する千葉方面隊とは雲泥の差、なのであって。
しかし、僕は ...

呑兵衛会の去り際の美学、を知らなかった。
かなや組はもう、出発してますよ~
ナイトメアーなるジャック・スケリントンが低気圧の生んだ冷たい強風の中、
アイドリングする MINI の車内で暖を取る僕の所まで、わざわざ教えに来てくれた。
この心優しきアフターケアはハロウィンタウンの人気者なればこそ、なのだ。
取り残されたパーキングエリアで僕は一人、合点がいった。

なるほど、この離脱の早さをもって。オフ会と言うのだな ふらふら

時は既に、辰の刻。
江戸の昔より、飯を炊く時間である。
川崎の弘法大師にお会いしたい気もしたが、木更津まで来たからには
富津漁港で水揚げされた海産物を喰わずに帰られようか。

アサリにハマグリにサザエに、ホタテ。
舌もとろける活貝に食い倒れてしまったとしてもそれは、弘法にも筆の誤り、というもの。
出がけに鬼嫁が渡してくれたお小遣いは、\3,000なり ... 、と。
今時の小学生より手持ちが少ない僕だ。
\4,200まで用意される豪勢な貝焼きセットもここは、もっとも庶民的なAセット \1,800 で
質素に我慢を試みるが、大エビの追加メニューは平民の心を萎えさせる。
残高を気にしつつ食する活貝とエビのコラボレィション、その甘美たるや
磯のアワビの片想い、なのである。

カメさん、写真、写真 exclamation×2

隣に座る気配りのA型、ここ漁師料理の店かなやまで先導してくださった幹事さんが、
ブログネタになるであろうこの貝焼きを記録するように勧める。
その配慮は大変有り難かったのではあるが ...

もうほとんど食べ終わった後だったのは少々、心残りなのであった 冷や汗2
Posted at 2007/01/09 15:52:11 | コメント(6) | トラックバック(0) | new mini | クルマ

プロフィール

東京の下町で暮らしております。 ノスタルジー香る街並みに巨大な電波塔が完成し 足下の住民は悲喜こもごもでありますが ... 昭和の情景にも平成の風景にも違...
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