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かめい堂のブログ一覧

2007年01月26日 イイね!

Julian Edwin "Cannonball" Adderley

Julian Edwin "Cannonball" Adderley 【火の玉】アダレイが実は、
 【人喰い】アダレイだったという噂のある
 Julian Edwin "Cannonball" Adderley
 もちろん本当に人を喰うはずもなく、
 人まで喰ってしまいそうなくらいの大食い
 だったことから付いたあだ名が、Cannibal
 というわけで、言われてみれば確かに。
 人喰いらしいルックス、である。
 このアルバムジャケットは、特に ...

那須湖から突き出る両脚。
まるで犬神家の一族を象徴するシーンのような黒いオブジェの脇で、
もの憂げにこちらを見返す御仁が、キャノンボール・アダレイその人。
左手で支える管楽器から連想されるように本職はアルト・サックス・プレイヤーで、
間違っても【人喰い】ではないのだ。
でも、人をくってしまう存在ではあったのかな?
そう思うのはこのアルバムに収められる、1961年の音にある。

CannibalCannonball へとなまり、ファーストネームを忘れ去られたアダレイは、
なまってしまったニックネームの方が実は正しいとでも言いたげに、豪快なブロウを信条とする。
彼の操るアルトサックスは文字通り、弾丸、なのである。
余計な小細工はなしに、サックスの単純で明快で泥臭い音色を素直に吹ける人なのであって、
僕らがジャズという言葉からインスパイアする調べに最も近い音を出す、ミュージシャンだと思う。
そんな火の玉アダレイが何故に、ビル・エヴァンスと競演したのであろう?

Bill Evans といったら、当時のジャズ世界で一、二を争うほどの繊細なる男なのであって、
神経質で、内省的で、気難しい様子は、坊さんになり損ねたジョン・コルトレーンと相通じるほど、
マジメで取っつきにくい(感じがする)男なのに。
豪快で華麗なアダレイと、繊細で叙情なエヴァンスとの、対座。
魂のサックスと頭脳のピアノは、両立できるのか?
アルバムのクレディットを読んで浮かぶ最初の疑問も、1曲目を聴いた瞬間に杞憂であると知れる。

Walts for Debby
あまりにも有名な彼の代表的なナンバー Walts for Debby が、このアルバムの最初の曲だ。
驚いたことに、出だしのエヴァンスのピアノ。
とっても楽しそうに弾いていまいか?
スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)と組んだ、同じく61年、Village Vanguard で
記録された Walts for Debby では、抒情詩的で耽美的で少し沈んだピアノを披露したエヴァンスも
ここでは、リリカルな響きは微塵も感じられないのである。
心から楽しんでプレイしている、そんな印象だ。
陽気なキャノンボール・アダレイが、あの堅物をリラックスさせたのかしら。

Know What I Mean? 、オレの言うことわかる?
タイトルが物語るアダレイの気持ちはわからないけれど、このアルバムは素晴らしい。
これからジャズを聴こうとする人にも、ジャズを聴きすぎて食傷気味の人にも、
お勧めできる一枚、である。
じっくり聴き込んでその世界に浸るのもいいのだけれど、なんだろう?

風呂上がりの居間で、所在なさげに、汗が乾くのを待つ夕暮れが似合うような。
場末の酒場で、疲れたママさんを相手に、目的もなく時を過ごす夜が似合うような。
都会の迷路で、働いた自分を褒めながら、目的地もなく走り回る MINI が似合うような。

僕の言いたいこと、わかりませんねぇ ... 、これでは 冷や汗2
Posted at 2007/01/27 16:26:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | Jazz | 音楽/映画/テレビ
2006年10月20日 イイね!

はじめてのブルーノート

はじめてのブルーノートジャズを聴くようになると目にするのが
ブルーノートというクレディットだ。
ジャケットの片隅に記載された BLUE NOTE
音階を示すブルーノートスケールのことではなく
ジャズのレーヴェルらしい、とわかるのに
そう時間は要しないけれど。
BLUE NOTE は素晴らしいジャズレーヴェル、
だと理解するには、もう少し
ジャズに詳しくならないといけない。

アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、バド・パウエル、マイルス・デイビス、
ジョン・コルトレーン、クリフォード・ブラウン、キャノンボール・アダレイ、,,,
ビバップ、ハードバップ、そして、モードへ。
めくるめく思いで聴き込んだ多くのジャズ・アルバムのその中心に、ブルーノートはあった。

BLUE NOTE、ジャズそのものではないか!
このレーヴェルさえ聴いていればジャズは十分だと、そう思ったのだけれど。
ある意味で正しく、ある意味で間違えていた、のだった。
ブルーノートはジャズの歴史でもあるけれど、それが全てではないからだ。

どうにも不思議なことがあったのだ。
例えば、ビリー・ホリディや、エラ・フィッツジェラルドや、サッチモが。
ブルーノートで吹き込んだ作品がない、ってのはどういうわけだ?
例えば、コルトレーンや、マイルスや、ビル・エヴァンスが。
生涯で発表したアルバムの割にブルーノートでのリーダー作が少ないのは、なぜだ?

1939年
ニューヨークのアパートメントで産声を上げた、ブルーノート。
その躍進の始まりは、ジャズに魅せられてアメリカへと渡ってきたベルリン出身の若者、
アルフレッド・ライオンの情熱と確かな耳、なのである。
資産も伝手もない彼は、既にジャズシーンで活躍する大物ミュージシャンを呼ぶ力がない。
ビリーも、エラも、サッチモも、ライオンにとっては高嶺の花だったのだ。
でもニューヨークには、才能を秘めながらも闇に埋もれる名もなき若いミュージシャン達が、
ストリートのあちらこちらに溢れているではないか。
彼らのためにレコーディングの場を用意しよう
とはいえ、レコーディングには、それを世に出すためには、金が必要だ。
他の仕事を掛け持ちながら、身銭を減らし、一枚一枚と創り出すジャズアルバムはやがて、
ジャズファンの間で評判となっていく、のである。
ライオンは言う。
エキサイティングなことに彼らはいま、僕の前で演奏している
初めて彼らの音を聞ける僕は、世界一の幸せ者なんだ。


ジャズ専門レーヴェルとして一定の評価と収入が得られるようになった頃、
ブルーノートには、マイルスや、コルトレーンや、エヴァンスが、出入りしていた。
でも彼らは、もっともっと多額のギャラを受け取れる程に、一流に育っていたのだ。
ライオンに許された資金では彼らのエモーションに見合う対価を払うことはできない。
大手レーヴェルからの移籍を話を受け、ブルーノートを巣立つミュージシャン達。
でも、ライオンは言う。
僕は彼らを束縛したくない。
それが、彼らのためになることならば ...



はじめてのブルーノート
整形外科医を本業とする、ブルーノート・コンプリート・コレクター小川隆夫さんが
書き下ろした、100のコラム。
その中に、答えはあった。
ブルーノートの創始者であるアルフレッド・ライオンは、ビジネスマンであることより
ジャズファンであることを優先する、純粋な男である。
アーティストの才能を信じ、可能性を読み取り、意思を尊重した、プロデューサー。
だから大物ミュージシャンの作品はなく、一流へと育ったミュージシャンの作品も少ないのだ。
それでも、ホレス・シルバァーやアート・ブレイキーのように、ブルーノートに忠誠を誓う
一流ミュージシャンがいたのは、ライオンのジャズにかけた想いと人柄のおかげなんだと思う。

100のコラムは、ブルーノートに関する裏話でもある。
Cool Struttin' / Sonny Clark
あのピンヒールの美脚、その持ち主はデザイン事務所のアシスタント・レディだった
なんて話は、ジャズファンにはたまらぬ逸話だったりする。

タイトル通り、初めてブルーノート作品を耳にする方はもちろんのこと、
ブルーノートをまた聴いてみようと思うジャズファンにもお勧めの、この本。
秋の夜長。

Somethin' Else / Cannonball Adderley でも聴きながら読んでみてはいかがでしょう?
Posted at 2006/10/20 16:52:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | Jazz | 音楽/映画/テレビ
2006年08月05日 イイね!

阿佐ヶ谷の秋にジャズの風

阿佐ヶ谷の秋にジャズの風秋は、もの憂げな季節でもある。
これから始まる寒く厳しい冬を予感するせいか、
何事も前向きに走れないのだ。
そんな時こそ、ジャズなのだ。
というわけで、今年もあります。
阿佐ヶ谷 Jazz Streets 2006
街中にジャズが溢れる二日間。
ジャズファンも、そうでない人も、行けば楽しいジャズ祭り。
駅前広場にはアメリカ海軍第七艦隊のビッグバンドが、
商店街にはディキシーランドジャズの巡回が、
道路沿いの空き地ではストリートジャズの即興が、
ライヴハウスでは日本を代表するジャズマン、ウーマンが。
あちらこちらで奏でるジャズの音色に、身も心も躍るのである。

12回目を迎える今年、参加するメンバーもちょっと強力。
この祭りの趣旨を理解し、毎回出演される常連の山下洋輔(p)、マーサ 三宅(vo)を始め、
小林桂(vo)に大西順子(p)とは、豪華な布陣。
むろん、それぞれがそれぞれのデュエットやトリオやクィンテットだったりするけれど、もしかしたら。
どこかの会場で飛び入りして一緒にプレイするかもしれない。
そんな楽しみも、ジャズフェスティバルの良さである。

無料で楽しめるハイレベルなアマチュアジャズと、
わずかに、\3,000でノックアウトされる第一人者のインプロビゼィション。
青山はブルーノートとまた趣の違う、神楽殿や体育館や教会で聴くジャズは、ちょっと得した気分。

10月、最後の週末。
27日と28日は、ジャズな一夜をいかが?

ん~それにしても、阿佐ヶ谷という街は ... るんるん
Posted at 2006/08/07 17:33:35 | コメント(7) | トラックバック(0) | Jazz | 音楽/映画/テレビ
2006年06月29日 イイね!

BLUE TRAIN

BLUE TRAINjohn coltrane というサックスプレイヤーは
まるで、坊さんのような人だ。
伝え聞く話でしか知らないのだけど、
それでも彼の生きるスタイルは、
のつくほど真面目なのである。
それは、音楽あり、人生であり、神であり。
関心のあることは、とことんまで突き詰めないと
気が済まない性格なんだろうなぁ、と思うのだ。

突き詰めるという生き方はつまり、今が納得できないということであり、
そこから抜け出すためには、学ぶ、しかないのである。
生涯学習のサックスプレイヤー、ジョン・コルトレーン
彼が残した多くのアルバムに記憶されている音は同時に、
彼の抱く満足できない音の記録なのかもしれない。

マイルス・デイビスと過ごした最初の2年間。
俗に言う、マイルス五重奏団の一員として活躍していたコルトレーンは、サックスプレイヤーとしての
実力を開花させる直前であったのだが。
彼を蝕む、酒、煙草、麻薬の三重苦に、リーダーであるマイルスは引導を渡してしまう。
中毒症状と闘いながらも己の生き様を考える、コルトレーン。
ジャンキーとして過ごすのか、それとも、ジャズマンとして生き返るのか?

精神の目覚めの年、と自身が称した '57年、コルトレーンはセロニアス・モンクの助けを借り、
再び、ジャズシーンへと復活する。
そして、初のリーダーアルバム Coltrane、唯一のブルーノート作品 Blue Train を発表するのである。

Blue Tran
ブルーノートの作品らしくジャケットからいかしてるこの作品は、
バラードのイメージが色濃いコルトレーン作品の中では異色の一枚かもしれない。
後の作品では、必ずどこかに埋め込まれている愛や神というキーワードは、存在しない。
求道者よろしく坊さんになる以前の、コルトレーンの貴重な音である。
ジャケットから想像される、蒼いイメージは微塵もない。
バリバリと脳天に響く、三管編成の、ハード・バップ。
全てから解放された、自由奔放なコルトレーンの、ドライブするティナーサックス。
体温のような今日一日を締めくくるには、もってこいの暑苦しさ、でもある。

これぞジャズ、なのだ。

もっとも、日本では。
コルトレーンと言えば、Ballads であり、My Favorite Things であり、A Love Supreme で、あるのだけど。

   わたしは神の全能を、
   われわれが神を必要としていることを、
   神を信頼していることを感じ、
   繰り返し我と我が身に知らされてきた。
   今こそ言いたいと思う、何事であれすべて ...
   神と共にある、と。
   彼の慈愛は大きく、情け深い。
   彼の道は愛のうちにあり、それを通じてわれわれは存在する。
   それはまさに。
   至上の愛、である
Posted at 2006/06/29 15:13:53 | コメント(4) | トラックバック(0) | Jazz | 音楽/映画/テレビ
2006年06月03日 イイね!

Jazz Samba Encore !

Jazz Samba Encore !ワールドカップイヤーの今年、
Samurai Blue を応援するのは当然のことだけど。
僕にとってのワールドカップは昔からブラジルと
相場が決まっている。
さすがにペレの時代は記憶にないけれど、
神様、仏様、ジーコ様の頃より僕は、
ブラジルサッカーの虜なのだ。
カナリア軍団の流れるような身のこなし
欧州の強者どもも太刀打ちできぬあの動き
その源はどこにある?

サンバだ♪
ロナウジーニョの足技、アドリアーノの強さ、カカの色気
2/4拍子、独特のリズムを刻むサンバの国でなくては存在しえぬ、イレブンなのだ。
浅草サンバしか知らぬ僕は躍動するあの国のビートを、メディアを通じてしかわかりえないのだけど、
スタン・ゲッツが63年に発表したこのアルバムに、その片鱗を感じることはできる(ような気がした)。

白人のサキスフォン・プレイヤーであるゲッツがブラジルの音と出会った、1963年。
名作、GETS / GILBERTO が誕生する。
ジョアン、アストラッドのジルベルト夫妻とアントニオ・カルロス・ジョビンの協力の下
ブラジルの民族音楽であったボサノヴァを全世界に知らしめた、Jazz史に残る一枚。
イパネマの娘があまりに有名なこのアルバムを、本来ならば記すべきなんだろうけど。
あれはボサノヴァであって、サンバではない。

だから、Jazz Samba Encore ! なのである。
末尾にアンコール!のワードが追加されたこのアルバム、名の通り続編である。
初代 Jazz Samba は、チャーリー・バード( Charlie "BIRD" Parker ではないことに注意 )をギタリストに
迎えて吹き込まれた、初のボサノヴァ・アルバム、と歴史は言うけれど。
僕としては、その後の GETS / GILBERTO こそがボサノヴァであり、
パート2である Jazz Samba Encore ! に、ブラジリアン・ジャズを感じるのだ。

もちろん。
アメリカ生まれのチャーリー・バードがラテンのリズムを刻む Jazz Samba もまた名作ではあるけれど、
ネィティブ・ブラジリアンがサポートするGETS / GILBERTOJazz Samba Encore ! には、(ブラジルの音という意味において)及ばないのではなかろうか。
この続編でゲッツのサックスと競うは、ルイス・ボンファのギターである。

LUIZ BONFÁ
秀作、黒いオルフェ、の作曲者。
59年に公開された映画、黒いオルフェはリオのカーニヴァルを舞台にした哀しき恋愛映画。
狂乱するサンバの街で繰り広げられる貧しい青年と純粋な娘の、オルフェス神話。
この映画を彩る音楽は、ボンファとジルベルトのコンビ。
そうなのだ、彼らにはやはり、サンバの血が流れているのだ。

だから、Jazz Samba Encore ! STAN GETZ & LUIZ BONFÁ なのである。
6月22日の決戦を前に、このアルバムを聴くべきなのである。

とはいえ、このアルバムもタイトルとは裏腹にボサノヴァであった。
ロナウジーニョの超バランスを理解できるかもしれない、2/4拍子は刻まれていない。
サンバではないけれど。
これからやってくる真夏を、太陽が輝く浜辺を、陽炎が沸き立つ午後の街を。

想うには最高の一枚、クールなボサノヴァなのだ 考えてる顔
Posted at 2006/06/03 16:00:12 | コメント(4) | トラックバック(0) | Jazz | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

東京の下町で暮らしております。 ノスタルジー香る街並みに巨大な電波塔が完成し 足下の住民は悲喜こもごもでありますが ... 昭和の情景にも平成の風景にも違...
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59年の誕生以来、姿形を変えることなく造り続けられた mini が遂に生産終了となったの ...
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