
ジャズを聴くようになると目にするのが
ブルーノートというクレディットだ。
ジャケットの片隅に記載された
BLUE NOTE が
音階を示すブルーノートスケールのことではなく
ジャズのレーヴェルらしい、とわかるのに
そう時間は要しないけれど。
BLUE NOTE は素晴らしいジャズレーヴェル、
だと理解するには、もう少し
ジャズに詳しくならないといけない。
アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、バド・パウエル、マイルス・デイビス、
ジョン・コルトレーン、クリフォード・ブラウン、キャノンボール・アダレイ、,,,
ビバップ、ハードバップ、そして、モードへ。
めくるめく思いで聴き込んだ多くのジャズ・アルバムのその中心に、ブルーノートはあった。
BLUE NOTE、ジャズそのものではないか!
このレーヴェルさえ聴いていればジャズは十分だと、そう思ったのだけれど。
ある意味で正しく、ある意味で間違えていた、のだった。
ブルーノートはジャズの歴史でもあるけれど、それが全てではないからだ。
どうにも不思議なことがあったのだ。
例えば、ビリー・ホリディや、エラ・フィッツジェラルドや、サッチモが。
ブルーノートで吹き込んだ作品がない、ってのはどういうわけだ?
例えば、コルトレーンや、マイルスや、ビル・エヴァンスが。
生涯で発表したアルバムの割にブルーノートでのリーダー作が少ないのは、なぜだ?
1939年
ニューヨークのアパートメントで産声を上げた、ブルーノート。
その躍進の始まりは、ジャズに魅せられてアメリカへと渡ってきたベルリン出身の若者、
アルフレッド・ライオンの情熱と確かな耳、なのである。
資産も伝手もない彼は、既にジャズシーンで活躍する大物ミュージシャンを呼ぶ力がない。
ビリーも、エラも、サッチモも、ライオンにとっては高嶺の花だったのだ。
でもニューヨークには、才能を秘めながらも闇に埋もれる名もなき若いミュージシャン達が、
ストリートのあちらこちらに溢れているではないか。
彼らのためにレコーディングの場を用意しよう
とはいえ、レコーディングには、それを世に出すためには、金が必要だ。
他の仕事を掛け持ちながら、身銭を減らし、一枚一枚と創り出すジャズアルバムはやがて、
ジャズファンの間で評判となっていく、のである。
ライオンは言う。
エキサイティングなことに彼らはいま、僕の前で演奏している
初めて彼らの音を聞ける僕は、世界一の幸せ者なんだ。
ジャズ専門レーヴェルとして一定の評価と収入が得られるようになった頃、
ブルーノートには、マイルスや、コルトレーンや、エヴァンスが、出入りしていた。
でも彼らは、もっともっと多額のギャラを受け取れる程に、一流に育っていたのだ。
ライオンに許された資金では彼らのエモーションに見合う対価を払うことはできない。
大手レーヴェルからの移籍を話を受け、ブルーノートを巣立つミュージシャン達。
でも、ライオンは言う。
僕は彼らを束縛したくない。
それが、彼らのためになることならば ...
はじめてのブルーノート
整形外科医を本業とする、ブルーノート・コンプリート・コレクター小川隆夫さんが
書き下ろした、100のコラム。
その中に、答えはあった。
ブルーノートの創始者であるアルフレッド・ライオンは、ビジネスマンであることより
ジャズファンであることを優先する、純粋な男である。
アーティストの才能を信じ、可能性を読み取り、意思を尊重した、プロデューサー。
だから大物ミュージシャンの作品はなく、一流へと育ったミュージシャンの作品も少ないのだ。
それでも、ホレス・シルバァーやアート・ブレイキーのように、ブルーノートに忠誠を誓う
一流ミュージシャンがいたのは、ライオンのジャズにかけた想いと人柄のおかげなんだと思う。
100のコラムは、ブルーノートに関する裏話でもある。
Cool Struttin' / Sonny Clark
あのピンヒールの美脚、その持ち主はデザイン事務所のアシスタント・レディだった
なんて話は、ジャズファンにはたまらぬ逸話だったりする。
タイトル通り、初めてブルーノート作品を耳にする方はもちろんのこと、
ブルーノートをまた聴いてみようと思うジャズファンにもお勧めの、この本。
秋の夜長。
Somethin' Else / Cannonball Adderley でも聴きながら読んでみてはいかがでしょう?
Posted at 2006/10/20 16:52:26 | |
トラックバック(0) |
Jazz | 音楽/映画/テレビ