
村上春樹さんが書いた、ポートレイト・イン・ジャズ
26人のジャズメンの中に、デクスター・ゴードンがいます。
彼は言います。
映画ラウンド・ミッドナイトを最後まで見通すことはつらい。
質の問題以前に、この映画は一つの喪失の記録だからだ。
Round Midnight
フランスのベルトラン・タヴェルニエが監督した人間ドラマ。
50年代のパリ。
ニューヨークからやってきた初老のサックスプレイヤー、デイル・ターナーはブルーノートで連夜、素晴らしいステージを展開する。クラブへ入る金もない貧乏なデザイナー、フランシスは毎晩、店の外へ漏れるデイルのサックスに聞き入る。
彼は神のように吹いたよ。
一人、お留守番をする小学生の娘に、デイルの素晴らしいプレーを説明するフランシス。
そんな日々が続いたある夜。
演奏を終え店から出てきたデイルは、路地に立つフランシスを見つけ、こう言う。
ビールを奢ってくれるか?
急速に仲良くなっていく二人ではあったが、フランシスはデイルの体調を気遣うあまり、時に、厳しく接する。何度となく病院に担ぎ込まれるデイルは、アルコールなしでは生きていけぬ男だったのだ。
初老のデイルを気遣うフランシスは別れた女房から金を借り、献身的なまでにデイルを世話する。そんな友の姿を見たデイルは、ついに改心し、アルコールを断つ。
サックスプレイヤーとしての誇りを取り戻したデイルは、生まれ故郷のニューヨークへと帰る。
しかし、そこに待ち受けていたものは、あまりに哀しい結末だった。
この映画について春樹さんが語った冒頭の言葉は。
主人公であるデイル・ターナーを演じた、デクスター・ゴードンその人に対して、なのかもしれません。
Dexter Keith Gordon
レスター・ヤングの流れを汲むティナー・サックス・プレイヤー。
ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカーの洗礼を受け、ビバップの第一人者となるも、ドラッグ中毒によるトラブルで投獄。30代のほとんどを刑務所で暮らす。
社会に戻ってきた60年代、時代はソニー・ロリンズであり、ジョン・コルトレーンであった。時代遅れのティナー奏者はヨーロッパへ活動の場を求め、見事に復活する。
故郷に帰った晩年、腎臓疾患が原因で67年の短い生涯を閉じる。
映画の中のデイル・ターナーと、ジャズマンであるデクスター・ゴードン。
その生き様は、ほとんど同じである。
マイルス・デイビスが怒り、訴えた、アメリカの人種問題。
新しい音、技法を追求し、インプロヴィゼーションに心身をすり減らすジャズメン。
クール、ビバップ、モード、と独自のスタイルを創造しながらも、ぞんざいに扱われ、ひっそりと生涯を閉じる黒人プレイヤー。
故国を捨て、遠くヨーロッパで活躍せざるを得なかった、50年代のジャズ奏者。
アメリカという国が犯した間違いを。
ジャズという音楽が内に秘める魂の叫び声を。
映画ラウンド・ミッドナイト、そして、デイル・ターナーことデクスター・ゴードンを通じて。
春樹さんは感じたのか。
この映画が公開された、86年。
僕は、British Leyland 製の mini 1000 に乗っていた。
20代の若造には渋すぎる内容ではあったけど、バックに流れる音楽の素晴らしさは耳に残っていた。
Rover mini に乗るようになった 40代。
再び観たこの映画は、村上春樹の想いも手伝って、あまりに切なかった。
そして、BMW MINI に乗る今。
車内で聞くこのCDに、デクスター・ゴードンの素晴らしさを感じるのである。
ただのセリフとは思えぬ、デイル・ターナーの言葉。
なぁ、フランシス。
この世の中には、親切が少ないよ。
デクスター・ゴードン自身が言いたかったことなのかな?
Posted at 2006/02/24 15:46:38 | |
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