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かめい堂のブログ一覧

2008年08月01日 イイね!

妻の自転車物語

妻の自転車物語 なんでこうなるのかは、よくわからないが。
 10ヶ月も前から周到に準備を重ねてきた僕は
 未だに着地点へ到着していない、というのに。
 太政大臣たる、妻は。
 おおまつりごとのまえつぎみ、の鬼嫁は。
 新車を買う!と宣言なされた。
 この、突然の漫言は、だがしかし。
 本人にとっては熟慮の結果であるらしく ...

官位を持たぬ僕には反論の余地も残されていない 冷や汗2 ...、のであった。

曰く、
 アンタの欲しいクルマよりも使い勝手が宜しい
 アンタの欲しいクルマよりも価格が安い
 アンタの欲しいクルマよりも便利

である、と。
アンタの欲しいクルマは、君も惚れたクラブマン、とは思うけれど。
車輪が二つ減るだけで、100分の1まで減額されるイニシャルコストには説得力がある。
おまけに僕らの暮らす、迷路のように路地が入り組んだ、パーキングスペースに乏しい街では、
自動車よりも自転車に分があるのは、確かだ。
でも、自転車なら。

素敵なフォールディング・バイクがあるんじゃない?

あれは、ダメ ぷっくっくな顔 、なんだそうで。

フラッと立ち寄った八百屋で 茄子一箱 \198! だった、とか。
看板に誘われて入った酒屋で スポーツ飲料一箱 \898! だった、とか。
気になって行ってみた雑貨屋で 布団一枚 \498! だった、とか。
家計に敏感なワタシの触手が反応する一瞬は、その荷物をどうやって持ち帰ろう? なんて
自問自答するうちに、諦めざるを得ないわけで。
未練を残しながらペダルをこいで帰る道が ...

ワタシには、許せない ボケーっとした顔 、らしい。

つまりは。前カゴと荷台の付いた自転車が欲しい、ということである。それなら、
歩いて5分のホームセンターで売られるママチャリ、ジャスト1万円で事足りるんだけど。
ママチャリもなんだかねぇ~、と渡されたのが写真にあげた4台の自転車である。
ネットで検索したであろう結果のプリントアウトに並ぶは、左上から時計回りに
  Bianchi PRIMAVERA Ladies
  Trek 7000 WSD
  Bianchi PIZZA FAMILLY
  Raleigh MR6 MARION CLASSIC
と。車両店頭渡し価格 5万円以下で揃えられた、女性向けのシティサイクルである。

軽量性と剛性の相反する性能を実現するアルミフレーム、
柔軟性とコストを両立するハイテン鋼フォーク、
機能性と信頼性を提供するシマノ・コンポーネンツ。
伊・米・英の、老舗自転車メーカーが送り出すモデルだけに、手抜きは見あたらない。
どれも。いい自転車、だ。
自転車通勤族である夫の、心の琴線に触れる、見事な選択。

敵ながらアッパレ、なり 考えてる顔
Posted at 2008/08/01 11:49:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | bicycle | 暮らし/家族
2006年11月04日 イイね!

ビアンキ嬢と行けなかった、サイクルショー

ビアンキ嬢と行けなかった、サイクルショーCycle mode international 2006
日本最大のサイクルショーが幕張で開催される、
その日。朝から僕は浮き足立っていた。
なんたって、参加ブランド 400、
参加車輌 1,500 台以上、である。
自転車通勤族の末席でお茶を濁す者として
これは是が非でも行かねばならぬ
今秋最大のイヴェントなのである。
ところが、幕張までの移動手段が決まっていなかった ...
自転車のショーなのだから自転車で行きたいと思う本能と、
それはいかにも無謀だと思う理性が闘う、土曜日の朝。

電車で行きましょう ウィンク

妻の、この一言で。
僕らはJR東日本のお客さんとなったのである。
確かに自転車で出掛けたとしたら、幕張に着いた頃にはショーは終わっていただろう。
10:00から8時間しかオープンしていないショーを堪能するには、最も確実な交通手段、
JR東日本が提供する首都圏の大動脈を利用するのが正しい。
それにしてもなぜ、僕は MINI を選択しなかったのだろう?
いつもなら MINI で行く街なのに ...
このところの MINI に対するモティベィションの低さを物語っているのだろうかと、
自問自答しながら着いた幕張メッセで、とんでもないことに気がついた。

カメラを忘れたぁ ふらふら

2003年のビアンキ嬢に代わる2007年のビアンキ嬢を探す僕は、
意中の君を写真に記録しようと考えていたのに、GR Digital は玄関に置き忘れてきたのだ。
それでも1,500台の自転車達は、僕を待っている。
Specialized、TREK、cannondale、LOUIS GARNEAU、そして、Bianchi が。

めくるめくバイクの中に、お目当てのビアンキ嬢はあった。
イタリアで組まれたシンプルで美しいアルミフレームにカーボン製のフロントフォーク。
通勤で使うには惜しいくらいのスピードバイクは、14万弱のプライスタグが付く。
まさに、CAMELEONTE な愛人になりそうな予感はある。
2007年のビアンキ嬢はこれで決まり!

そう思いかけたところで、COLNAGO を見てしまう。
やはりイタリアの芸術が宿る細身のアルミフレームが、クラシカルなほどに存在感を放つ。
ミラノ郊外のコルナゴ、半世紀に及ぶ歴史の中で。
スクーデリアフェラーリと共同でカーボンファイバー素材を開発した、先進的なブランド。
フェラーリの価値観と美意識を持つ、イタリアン・バイク。
2007年はコルナゴ嬢なのか?

繰上返済、優先! 他に使い道なし ぷっくっくな顔

夢一杯の僕は、鬼嫁のこの言葉で現実に帰った。
あらぬことを想像し鼻の下を伸ばす夫に、鬼嫁の態度は氷のように冷たい。
通勤時の、夫のささやかな楽しみなど、取るに足らぬことなのだ。

ショーとは見世物なのだから、見るだけ、のものなんですねぇ ... 冷や汗2
Posted at 2006/11/06 17:17:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | bicycle | 趣味
2006年10月23日 イイね!

ビアンキ嬢と行く、伝法院

ビアンキ嬢と行く、伝法院浅草寺の隣の浅草神社を
せんそうじのとなりのあさくさじんじゃ
と読めるようになったら、その時は。
もう立派な、大人だ。
寺は音読み、神社は訓読み、という
古来からの習わしによってそれぞれに読まれる
ふたつの神仏は、元々ひとつであったのだから
同じ字を用いるのは当然なのだけど、
そんな由来を知らぬ現代人は戸惑うばかり。

せんそうじんじゃで待ってるわ 揺れるハート

山の手に住まう愛しの君が残した言葉に、
その君は浅草寺にいるのか、浅草神社にいるのか、右往左往した下町の青年も数多い。
漢字をまっとうに読めぬお嬢様は世間知らずだが、そんな君を愛しく想う若者も愚かなのだ。

その浅草寺
推古天皇の時代まで遡る東京最古の寺院である。
千四百年にもなろうかという歴史は、棟の高い屋根が立派な本堂に象徴されるけれど、
雷門から続く表参道を庶民の娯楽の場、仲見世通りへと変貌させた大らかさにもあるような。
だからかもしれないが、雷門から本堂までを浅草寺と考える人も多い。
でも実際には、六つに区画された浅草公園の三つの区にまたがる広大な境内なのであり、
浅草神社も(別法人ながら)浅草寺に含まれるのである。

今は六区だけが言葉として生き残っているけれど、その昔は三区と称された伝法院周辺も
浅草寺の一部を担う由緒正しき場所なのだから、忘れてはいけない。
もっとも伝法院は、伝法心院。
住職の住む本坊であるのだから、僕らとは縁が薄くて道理であろうか。
けれども前の小路は、庶民の場である。

その伝法院通り
仲見世通りから西に折れ、六区ブロードウェイへと向かう、僅かに200mあまりの小路が
生まれ変わったのは、去年のこと。
安永六年に建てられた伝法院と時を同じくするように通り一帯を江戸の街並み塗り替えたのは、
六区に開業した新しい浅草の駅のためで、筑波方面からのお客さんをお迎えするにあたり
失礼のないよう整備した村おこしの一環、地域連携型モデル商店街の再構築でもある。
なるほど通りの両側に並ぶ商店には、木製の看板やのれんが掲げられ、瓦や格子戸も粋な、
ちょっとした江戸情緒を味わえる200mであることに、間違いはない。
とは言え。
足下にはアスファルトが、頭上を見れば電線が、背後に目を向ければコンクリートビルが ...
江戸の気分も、ちょいと冷めて、しまう部分もあったりする。

舞浜のテーマパークほど徹底した景観にこだわらなかった浅草。
来るもの拒まず去るもの追わずな下町気質が、規制とか規律とか強制を嫌うのだろうか?
それとも。
伝法院の奥に眠る本物の江戸が、そんな些細なことを気にさせなかったのか。
伝法院の庭園
そこは、あの小堀遠州が造園したとされる、4,000坪の江戸時代だ。
残念ながら非公開のこの庭は、寛永文化の空気を今に伝えているのだろうか?

塀の中の江戸時代と、外の江戸時代。
実と虚が共存する、伝法院通り。

摩訶不思議な空間なり 冷や汗2
Posted at 2006/10/23 15:36:08 | コメント(3) | トラックバック(0) | bicycle | 旅行/地域
2006年10月16日 イイね!

ビアンキ嬢と行く、勝鬨橋

ビアンキ嬢と行く、勝鬨橋もともと地表に道はなく、人の歩いた後が道となる。
道となった一本の線を人々が歩き始めると、休み処が、宿が、両替所が軒を並べ、やがて街ができる。
そんな人間の営みが今の都市の原型を造った一方で、人は水を恋しく思う生き物、でもある。
喉を潤し、手を清め、着物を洗い、船を浮かべる。
山の頂に始まる流れが創り上げた水の路は、
地表の道と同じように人を寄せ集め、
同じように街を創造してしまう。

のようなことを考えてしまったのは、ここが勝鬨橋だから。
隅田川を渡る幾多の橋の中で最も下流に位置するこの橋は、岩淵水門で分離した荒川の流れが
東京湾と出逢う河口付近に架けられた可動橋である。
上流に目を向ければ、左手に築地と銀座、右手に月島と晴海、正面には佃島。
東京湾が江戸湊であった頃よりこの界隈は、人と物の重要な接点だったのではないだろうか?
遠く西国や蝦夷の地から財や幸や災いを載せてきた船は、このあたりに着岸したようにも思えるけれど。
実はその頃、築地も月島も地図にはなかった、という事実。
東京の海岸線しか知らぬ僕には、江戸のダイナミズムを肌で感じることはできない。

江戸の街は今の東京から考えると相当に、内陸より、である。
日比谷から先は江戸湊、それも幕府直轄の軍港であったという。
だから、築地も月島もなかったし、両地を結ぶ橋も当然、不要だったのだ。
ではいつ、築地が、月島が、出現したのだろうか?

四代将軍、徳川家綱の時代、江戸は未曾有の大火に襲われる。
この明暦の大火は
江戸八百八町の大半を焼き尽くし、浅草の本願寺も、本堂を失ってしまったのだった。
西本願寺の別院が焼失したことは庶民にとって深い哀しみを生むけれど、黙っていないのが
江戸っ子だ。ところがどういうわけか幕府の不可解な政策は浅草への再建を許さず、熱き想いを
断念された門徒たちは、八丁堀沖にその地を求めるのである。
つまり、海を埋め立て、新しい土地を創り、そこに本願寺を建てよう、というのだから恐れ入る。
地を築く
だから、築地。
そして、築地本願寺。

一方の月島は、明治25年の誕生だ。
寺を建てるための築地と違ってここは、東京湾を広く深くすること目的に浚渫された土砂の再利用と、時の政府が掲げる富国強兵政策を支える新しい工業地帯を目指して造成された島なのだ。
島を築く
だから、月島(築島)。
でもなんで、もんじゃ?

江戸の埋立地と明治の人工島を結ぶ勝鬨橋が架けられたのは、大政翼賛会が結成された昭和15年、大東亜戦争開戦の前年である。
それは江戸と明治の掛け橋でもあると同時に、昭和の奢り、なのかもしれない。

神武天皇即位以来、2600年を数える昭和15年、大きな国際博覧会が開催される予定のあった
月島。
そのアクセスを容易にするための勝鬨橋であったのだけれど、それは同時に、
日本の国威を世界に知らしめる建造物でもあった、と思う。
欧米の技術に頼らない、設計から施行までの全てを日本人の手で成し得た勝鬨橋は、船舶が航行する際に中央より美しく跳開し、時の日本人に大いなる自負をもたらしたのではなかろうか。
それはテムズ川に浮かぶタワーブリッジのように、威厳に満ちた Bascule bridge だったのだ。

そんな歴史を持つ跳開橋も昭和42年を最後に、本来の機能を封印している。
自然が創った水の路よりも人の造った地表の道の方が、重要視されるようになったからだ。
隅田川よりも晴海通り。
船よりも、クルマ。

時代は、人と物の流れまでをも変えてしまう、のだね 冷や汗2
Posted at 2006/10/16 15:53:33 | コメント(4) | トラックバック(0) | bicycle | 旅行/地域
2006年08月22日 イイね!

ビアンキ嬢と妻と、Mariage Frères

ビアンキ嬢と妻と、Mariage Frèresジョージア午後の紅茶で済まされることの多い我が家ではあるけれど、たまには、本格的な喫茶を楽しみに行くことだってあるのです。
スターバックスやタリーズの美味しさと気楽さでも十分ではあるのですが、もう少し。
上質で、贅沢な時間を過ごしたい時は、
マリアージュフレール銀座、が宜しいかと。
ただし、紅茶を嗜む場所であるところが、珈琲党としてはちょっとばかり残念、なのです。
でも。
本格的なティーサロンで味わう、正式な紅茶というものは
趣旨替えしたくなるほどに、美味いもの。
そう、マリアージュの、17世紀から続く茶法は、通を唸らせると共に、門外漢にも優しいのです。

パリ4区、ゲイの街マレに本店を構えるマリアージュフレールが、銀座はすずらん通りに
この直営店をオープンさせたのは、たしか、90年代半ば頃だったと記憶するのですが、当時。
おフランスなシトローエンに乗っていた僕は、
おフランスなルノーサンク(それも、バカラ!)のオーナーであった女友達と一緒に、
おフランス人気取りで、銀座の新しいティーサロンのドアを開けたのでした。

東インド会社もこんな感じであったのだろうか?

そんな異国情緒が漂う植民地風の店内に、清潔なリネンの制服を着た店員さんの規律正しさは、
ヨーロッパ人のアジア観を知らしめるジオラマ空間。
かつての宗主国を面影に持つサイゴンはドンコイ通りにでも迷い込んだような、
アールデコな色調のメゾン・ド・テはだけれども、文明開化以降、ジョージアン様式の煉瓦造りで
ロンドンの街並みを模倣してきた銀座にとって、
重厚なるヴィクトリア調のティーサロンが相応しかった街にとっては、
異国の中の異国、とでも言うべき存在だったのではないか。

そもそも紅茶、英国でないの?
ビートルズを愛唱し、
ツェッペリンを愛執し、
シャーロックホームズを愛読し、
mini を愛欲する自分は、
トワイニングや、
ジャクソンや、
ハロッズや、
フォートナム&メイソンが紅茶なのであって、フォションなどと。
名前からしておフランスな紅茶は飲むに値しない、と本気で考えていたけれど。
その頃の僕は、シトローエンなのである。
セーヌ左岸で産まれし奇妙なクルマは、オックスフォードが育てたミニマムなクルマとは違った
価値観を僕に提示してくれたのであって、
カフェオレばかりがフランスではないのかもしれない、と。
そう考えるようになった頃でもあるのだ。

サンクのオーナー女史は慣れたような口ぶりで、32ヶ国、450種類(オープン当時)の茶葉から
好みの一品をギャルソンに伝えた。
僕は ... 、と言えば。
日の名残り、やぐらを組んだ3枚の皿が実に英国なアフタヌーンティー・スタイルを望んだけれど、
ここはサロン・ド・テなのであって、ティー・サロンではないのだ。
サンク女史が勧める、実は苦手としていたフレーバー・ティーを啜ってみたのだ。

マルコポーロ
東方見聞録を連想するそのお茶は、中国の果実と花。そして、ティベットの不思議な花と果実。
漂う芳香は、日出ずる国においても、不思議なほどに甘くせつない。
アールグレィの上品さにパッションを加えたような、香りのエロスだ。
さすがに、ブリジットバルドーや、ナタリー・ドロンや、ジェーン・バーキンを生んだ国の、
紅茶なのだ。

以来、マリアージュの紅茶は、日東紅茶で育った僕を魅了して止まない。
だから時間と懐に余裕のある時は、この紅茶の館を訪れたいのだけど、ただ一点、難点がある。

全館禁煙

それはまぁ、香りを楽しむ空間に紫煙が邪魔なのはわかるけれど。
ヤニ臭くなくて素敵♪と微笑む鬼嫁の気持ちも理解できるけれど。

同じ嗜好品なのに、あまりに冷たい仕打ちと思われ 冷や汗2
Posted at 2006/08/22 17:11:47 | コメント(7) | トラックバック(0) | bicycle | グルメ/料理

プロフィール

東京の下町で暮らしております。 ノスタルジー香る街並みに巨大な電波塔が完成し 足下の住民は悲喜こもごもでありますが ... 昭和の情景にも平成の風景にも違...
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