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かめい堂のブログ一覧

2006年08月04日 イイね!

ビアンキ嬢と行く、明治生命館

ビアンキ嬢と行く、明治生命館スクラップ・アンド・ビルドな街、東京にしては、
珍しくも動態保存される希有な建物だ、と思う。
明治生命館
日比谷通り、二重橋。
皇居のお堀に面して存在を主張するこの魅力的な建物は、
重要文化財にして明治安田生命の本社機能の一部を担う、
現役のオフィスビルでもある。
その誕生は、昭和9年(1934年)。
あと少しで喜寿を迎えるこの古めかしきビルは、
東京大空襲を生き延びた戦後の生き証人だ。
終戦後、実に11年もの長きに渡りこの建屋を利用していたのは、
アメリカ極東空軍司令部、いわゆる、GHQである。
特に2階の会議室は対日理事会の会場としても使用された、という。

対日理事会、連合国軍最高司令官の諮問機関。
アメリカ、イギリス、ソ連、中国の、4カ国代表で構成されたこの理事会は、
戦後のニッポンをどうするか?を問う、マッカーサー総司令官も出席する重要な機関でもあった。
東京裁判への強い影響力をして、靖国へもつながるA級戦犯問題などは当然話し合われた、
のではないだろうか?

2階から6階までの5層を貫くコリント様式の円柱が、
そんなふうに、軍事オタクの想像力を掻き立てるのかもしれない。
思えば古代ギリシア、アテネに次ぐ第二のポリスであったコリントスは、闘う都市でもあった。
ペロポンネソス戦争、コリントス戦争、マケドニア戦争を経て最終的に、
ガイウス・ユリウス・カエサル・"シーザー" の手に落ちたその流血の記憶が、
繊細優美なるこの円柱に込められてはいまいか。

2,000年の時を経て。
東洋の、いち都市に列柱を蘇らせたのは、戦前の日本を代表する建築家、岡田信一郎。
歌舞伎座、ニコライ堂、日銀小樽支店などを手がけた、様式建築の第一人者である岡田信一郎が、
最後に図面を描いた明治生命館は、モダニズム建築が芽生えた昭和初期の丸の内界隈で、
厳格なほどにクラシカルであったのだ、と思う。
それは日本最初の生命保険会社である明治生命に、安定性や永続性を願ったから、なのかもしれない。

そんな、素晴らしきネオ・ルネッサンス様式の建屋の裏手には、無味乾燥なる高層ビルがそびえ立つ。
21世紀に誕生した、明治安田生命の本社ビルである。
縦横比が薄く、いまにも倒れそうな、お世辞にも美しいとは言えないビルではあるけれど、
昭和を代表する文化財を守るための苦肉の策であったのだから、ちょっとは許せるかしら。

二重橋の交差点より、新旧ふたつの明治生命本社ビルを眺める。
わずかに70年の時の差が数字以上に離れて思えるのは、なぜだろう。
建築技術の進歩以上に僕らが失いつつある、文化的な豊かさの方が大きい、ということだろうか。
それはまるで ...
mini と MINI のように感じらるから、不思議なのである。

いや、もちろん、MINI は文化的な豊かさを持つクルマではありますが 冷や汗2
Posted at 2006/08/04 15:42:07 | コメント(7) | トラックバック(0) | bicycle | 旅行/地域
2006年07月11日 イイね!

ビアンキ嬢と行く、日銀

ビアンキ嬢と行く、日銀 住宅ローンがジワリジワリと金利を上げ始め、
 当初3年1%固定、以降変動金利で35年ローンを
 組んでしまった友の家計を直撃してしまった裏には、
 この写真の背景に映る日銀の政策変更がある。
 月々の支払いにして2万円も増えた、その理由。
 ゼロ金利政策の解除、である。

 21世紀を迎えたばかりの日本経済。
 負の10年は終わった、その見通しは明るい。
 日銀は、'99年より導入したゼロ金利政策を
 わずかに18ヶ月で解除する。
 しかしこの読みは、甘かった。
2000年、秋。
突如として始まったITバブル崩壊は、日本の経済を奈落の底へ向けて失速させた。
無担保コール翌日物に金利を上乗せするにはまだ、時期が熟していなかったのだ。
金融政策の錯誤を指摘された日銀は、思い切った手段を取る。

量的緩和政策
2001年3月から始まったそれは、一国の中央銀行たる日銀が当座預金残高を増額する、
資本主義国家としては異例中の異例、ウルトラCの美技、なのかもしれない。
物価の安定を優先する日銀と景気の回復を優先する政府との間で揺れ動く量的緩和政策は
その後、5年もの長きにわたって日本経済を下支えしてきたのだ。

量的緩和が誘導するゼロ金利
それは、金融機関が貸し付ける長期ローンの利子にも連動する。
バブル期には6%でも安いといわれた住宅ローンは35年固定金利でも、2%そこそこの大バーゲンだ。
3000万を30年で借りたとしたら、1%の違いは数字以上の大きさだ。
月にして2万弱、総返済額で600万の差(たぶん、それくらい)に化けてしまうのだ。
そんなわけで僕を始め、この時期にマンションや家を購入した友は多いのだけど。
問題は、デベロッパーや提携銀行が勧める短期固定型を選んでしまった人達だ。
なぜなら、今月。
日銀は、量的緩和政策を解除するからである。
気配で動く金融商品は既に、半年後を予見して金利を上げ始めた。

短期固定期間を終え、変動金利へ移行する今年、そして、今月から。
月のローン返済額が2万円も増えた冒頭の友は、僕に言う。
しばらくはクルマなんて買い換えらんないなぁ、と。


1896年に竣工された、日本銀行本店へと足を伸ばす。
ベルギーの中央銀行を模範としたネオ・バロック建築は、
この国の経済を先導する中央銀行に相応しく、秩序と威厳にあふれる。
設計したのは、江戸の末期に生を受けた、辰野金吾博士である。
東京駅丸の内口も設計された明治、大正の建築家は、100年後の日銀をどう考えていたのだろう?

政府に干渉されない独立性を持つと同時に、民の幸せを第一に考えよ

そんな願いが込められているように想う、石造りの本館なのであった。
Posted at 2006/07/11 17:31:06 | コメント(6) | トラックバック(0) | bicycle | 暮らし/家族
2006年07月07日 イイね!

ビアンキ嬢と行く、吾妻橋

ビアンキ嬢と行く、吾妻橋首都高、6号向島線を走ると忽然と姿を表す
なんとも形容し難い金色のオブジェを目にした時、
この下には巨大な公衆トイレがあるのではないか?
そう思った僕は下町の美意識に畏敬の念を抱いていた。
ところが、これ。
体から出るもの、を象徴しているわけではなかったのだ。
口から飲む、麦酒会社が持ち主である、と。

なんたることでしょう? ふらふら

麒麟麦酒と猛烈なるシェア争いを繰り広げるアサヒビール。
その本社に、このオブジェ。

躍進するアサヒビールを象徴する炎という説もあるけれど、
つぎたての美味いビールという説もあるけれど、
孫悟空が操る觔斗雲(きんとうん)という説もあるけど、
誰がどう見ても。
うんち、だ。

この巨大なうんちは、フランス人デザイナー、フィリップ・スタイクの手による。
ヴェルサイユの薔薇を知るおフランス人は、排泄物も金色なのか、と大いに納得したが、
その実、おフランス人のそれが黄金色なのかどうかは、今もって定かではない。
ではないけれど、独特の曲線美に Déesse を感じてしまった僕は、やはり趣味が悪いのかもしれない。
趣味の悪さは、これを認めた当時のアサヒビール経営陣と周辺一帯の住民にも言えることだけど、
15年を経過した今、このうんちは風景の一部である。
浅草、向島、本所、吾妻のランドマークとして立派に機能している、うんちくんでもある。

デザイナーが意図したフラムドールには見えない、金色のうんち。
それは、庶民から愛されるシンボルであり、隅田川の守り神でもあるのだ。
このオブジェを飾った20世紀の英断に、間違いはなかった、のだ。
下町のはずし加減は、そこに息づく企業にも伝染する、んだね。

この街の大らかさに畏怖の念を抱く、吾妻橋からの景観。
それもあと5年の後に、また変化する。
おそらくは、このうんちの背後に。

世界最大のタワーが完成するから、である 考えてる顔
Posted at 2006/07/07 15:28:23 | コメント(7) | トラックバック(0) | bicycle | 旅行/地域
2006年06月15日 イイね!

ビアンキ嬢と行く、半蔵門

ビアンキ嬢と行く、半蔵門、と文字の付く乗り物は
自動車であれ自転車であれ
自らの意志で移動できるところに最大の利点がある。
自らの意志が労働を嫌がる朝でも
の付く乗り物で出勤すれば気分も変わる。
鉄の男である僕にしても、
209系のVVVFインバータ音よりは
ブロワーに武装されたペンタゴンの音の方が
気分爽快に出掛けられる、というものだ。
だけども。
立ちはだかるのは、家計を預かる鬼嫁であった。
原油価格高騰の煽りを受け、\140/Lを挟んで乱高下するプレミアムなガソリンを
育ち盛りの坊主のように食べ尽くすプレミアムなコンパクトを、たかが通勤ごときに使うな!、と。
仰せの通り
しかるに僕は、オルガン式ペダルをケージ型ペダルに踏み換えて家を出るわけだけど。

都内における自転車は、同じを名乗る自動車よりも、さらに自由である。
一方通行も、乗り入れ禁止場所も、停める場所も、制限されないからだ。
これほど自分の意志に見合った乗り物もないのではないか?

例えば、皇居周辺。
下町から山の手へ向かうには、どうしても横切らなくてはいけないニッポンのへそ。
江戸の五街道が交わるここは、車線が複雑に入り組む、交通の要所。
東海道から、中山道から、甲州街道から。
仕事で、遊びで、ただなんとなく、やってきた。
タクシーや、はとバスや、バイクが交わる、渋滞のメッカ。
コンプレッサーもただの飾り物となってしまうこの界隈を、自在に走り回れるのは。

自転車しかない、のである 自転車

徳川と下界を隔てたお堀を取り囲むように整備された、周回路。
己の肉体に蓄積される脂肪を嫌う、強い精神力を持つ方々が自分の足で走られる、5Km少々の遊歩道。
その半分、大手門から半蔵門かけての2.5Kmを、時に時計回り、時に反時計回りで走る、通勤時間。
大都会の中心とは思えぬほど濃い緑の中で、
行政の中心とは思えぬほど澄んだ空気の中で、
朝のジョギングを楽しむ人々の脇を、僕は軽快に駆け抜ける ...

頭の中にあるイメージはそうなんだ。
そうなんだけど、足が悲鳴を上げる。
だってここは、登りがキツイんだもの。

半蔵門、そこは、山の手の入口。
かつては将軍が脱出するために設けられた、今となっては、開かずの門。
こわばった足を休めるために一息入れるこの場所で、僕は。

今日一日のブログを、ではない、仕事の段取りを、考えるのだ 冷や汗2
Posted at 2006/06/15 15:22:39 | コメント(3) | トラックバック(0) | bicycle | 趣味
2006年05月05日 イイね!

ビアンキ嬢と行く、荒川ロード

ビアンキ嬢と行く、荒川ロード究極のオープンカー、それは。

自転車 ... 、だった 冷や汗2

MINI に次ぐ我が家の乗り物は、
僕のクロスバイクと妻のフォールディングバイク。
そのクロスバイク
イタリアの蒼い空、チェレステグリーンであったなら
わかりやすかった Bianchi なのだけど。
なぜか、我がビアンキ嬢は地味なオレンジゆえに、イタリアンバイクと識別されることは少ない。
まぁ、通勤自転車なのだから色気は要らない、のだけど。
そのフォールディングバイク
アメリカの奇才、ドクター・ダホーンが考えた、折りたためる自転車。
小径タイヤながら7段の変速機構を持つ、本格派。
カリフォルニアの陽光に映えるであろう色鮮やかなオレンジなのに
埃と錆と油にまみれた、今や単なるママチャリ。
まぁ、お買い物自転車だけに生活感が大事、なのだけど。
そんな可哀想な自転車達に本来の元気を取り戻させてあげようと、サイクリングに出掛けたのでした。

目指せ!東京湾
荒川サイクルロードを走ってみようぢゃないか 自転車

我が家の裏手、自転車で5分の距離に漂う、荒川。
そこは東京湾へと注ぐ大河。
その荒ぶる川には、スーパー堤防沿いに自転車専用の道路があるのです。
四つ木付近からは河口まで、わずかに 8Km。
途中、葛西橋へ分岐すれば、江戸川サイクルロードを経由し葛西臨海公園まで行ける、この道を。
クロスバイクとフォールディングバイクの組み合わせで僕らは、走ったのでした。

時にコンクリート、時にアスファルトで固められた、どこまでも続く平坦な道。
頭上にそびえる首都高C2環状線を日よけに、アゲインストな潮風を浴びながらペダルを漕げば、
これはこれで、駆け抜ける喜びに満ちあふれているではないか。
そう、MINI ばかりが喜びでは、なかったのだ。
鳥のさえずり、川のせせらぎ、潮の香り、草の匂い、初夏の柔らかい陽の光
オールウェイズ・オープンとは、このことか。

やがて目の前に広がる、東京湾。
遠くに汽笛を聞きながら眺める、水平線。
こんなところに自転車で来ている自分が、実に不思議な感じ。

やっぱ、自転車だよねぇ~ わーい(嬉しい顔)
それは、帰路を考えていない呑気な夫の言葉であった。

あ”~、折りたたんでタクシーで帰えろっかな、ワタシ あっかんべー
なんとも現実的な鬼嫁、なのね。
Posted at 2006/05/07 17:16:03 | コメント(4) | トラックバック(0) | bicycle | 趣味

プロフィール

東京の下町で暮らしております。 ノスタルジー香る街並みに巨大な電波塔が完成し 足下の住民は悲喜こもごもでありますが ... 昭和の情景にも平成の風景にも違...
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