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かめい堂のブログ一覧

2013年07月17日 イイね!

レクサス惨敗

レクサス惨敗仮にもし。ISとか、GSとか、LSとかに乗っていたなら
見て見ぬふりをしたであろうタイトルに足が止まる。
幸いにも自分は
Intelligent Sport にも、Grand Touring Sedan にも、
Luxury Sedan にも縁のない人間だから本を手に取る。
奥付を読む ...
2006年6月発刊
著者は、大学教授とノンフィクションライター。

区内の図書館、5類 技術 - 537 自動車工学、トヨタ・レクサス惨敗
時は2005年、8月。米国自動車業界を震撼させたレクサスは、鳴り物入りで日本上陸を果たす。
最高の品質と販売・サービス を売り物に、143店舗のディーラーを新設しトヨタが総力を挙げての
船出であったが ... どうも芳しくない。
2005年末までに(たったの4ヶ月で)2万台! という目標には大きく及ばない、1万2千台がやっと
という有様は、トヨタにしては珍しいくらいの大誤算。これを惨敗と言わずしてなんと言おう ...


4ヶ月で MINI 一年分を売ったのだからこれ以上
何を望む? とも思うんだけど、日本レクサスの
描いていた青写真は壮大であった。
(新規ブランドにもかかわらず)1年で6万台は売る!
計画であったらしい。ところが、スタートダッシュの
かかったこの4ヶ月で 1万台少々の実績は前途に
暗雲を漂わす数字で事実、
翌年(2006年)の上半期も1万台少々しか売れず ...
さすがにこれはマズイと思ったか、当初予定の半分
3万台まで目標値を切り下げ、
なんとか計画を達成したんだそうであります。
では。計画と実績の大きな乖離はどこに原因があったのか? というのが本書の趣旨で
四六判 236ページにわたり(ビジネス書らしく)解説がなされているわけですが。
う~ん、どうなんでしょう?
痺れるタイトルから期待されるほど中身は説得力がないというか、凡庸でありました。
まぁ。この手の本から感銘を受けることは少ない自分ですが、それにしても
日本レクサスの惨敗理由が サービスとホスピタリティを取り違えてしまったから ... ってのは
少し短絡的すぎるような気もしたり。
 そもそもホスピタリティとはなんぞや?
 万人向けの想定しうる範囲内でのモテナシ
 サービスであり、
 個人に対する No と言わぬオモテナシ
 ホスピタリティである、と。
 まぁ、よくはわかりませんが。
 笑顔 0 円のマクドナルドはサービスで
 お客様の問題を解決する信条(クレド)を持った
 リッツ・カールトンがホスピタリティと言うのでしょう。
   米国ではリッツ・カールトンだったレクサスも
   日本に上陸したらマックになってしまった?

物作りの権化、カンバン方式のトヨタ自動車は、効率など考えずに顧客のためを思う
リッツ・カールトンの商いとは相容れないわけで、そこがレクサス惨敗の理由とするのは
もっともらしい気もすれど。そもそも、商品自体に問題はなかったか? とも思ったり。
自動車業界に身を置かない著者は、それを理由にハードウェアについての指摘はしていない。
本書はあくまでも米国で成功したレクサスがなぜ日本では受け入れられなかったのか、
その理由を探る本であるのだから ...

例えば、僕が。ペッパーホワイトな MINI を買った
2005年の頃、イタルデザイン率いるジョルジェット
ジウジアーロが線を引いたジャガーケンジントンの
成れの果てに乗ろうと思ったら。
マクドナルドのアリストよりもリッツ・カールトンの
GS だろうと、大理石の床が眩しいディラーへ行った
だろうか?
カッシーナの白いソファに座り、
キャビンアテンダントのような女性が微笑みと共に
持ってきたお茶をすすりながら、TマークがLマークに
変わることで 100万円の上乗せになっても自分は
満足だぁ~と考えたであろうか?
つまりは、そこだ。レクサスと名乗ったところで見ても乗っても(?)、トヨタはトヨタ。
BMWとロールスロイス、VWとベントレーほど明確な差がトヨタとレクサスにはなかったゆえに
日本の人々はレクサスへ足を運ばなかったのではないか? と、ワタシ的には思うわけで。
  まぁ、それを言っちゃおしまい。236ページもの本にはなりませんから~

 北米でメルセデス、BMWの牙城を崩したレクサス。
 日本でもそうなることを信じて疑わなかったトヨタ
 だったけれど。
 ドイツ勢の販売台数は落ちるどころか逆に
 伸びてしまった、現実。
 レクサス購入者の8割はトヨタからの乗り換え組とも
 言われ、なかなか思うようにブランドイメージは構築
 できていないようです。
 スピンドルグリルで起死回生となるのか? 
 いずれまたこのような本で検証されるのでしょう ...
Posted at 2013/07/17 16:46:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | book | クルマ
2008年01月21日 イイね!

時代を画した日本車の技術 10

時代を画した日本車の技術 10 ヨーロッパに生まれアメリカで大衆化された自動車
 だから、日本発の自動車技術はそもそも限られる。
 自動車の、100年と少しばかりの歴史の中で、
 日本製の本格的な自動車 - 初代クラウン - が
 誕生するのは、1955年。同じ頃、ドイツでは
 ガルウィングのメルセデスベンツ 300SL が、
 アメリカでは豪華なキャデラックエルドラードが
 路上を走っていた、という事実。

欧米との半世紀に及ぶ時間差は、1世紀以上もの技術的格差によって隔たれ、
内燃機関、操舵装置、制動装置、懸架装置、等々。
自動車の根本を成す基本的な技術は総て欧米のパテントに占められていたわけで。
ノックダウン方式による物真似製法でしか日本の自動車産業は成り立たないように思えた、
昭和33年。てんとう虫は誕生するのである。

全長 2,990mm、全幅 1,330mm、車両重量 385kg、最高出力 16馬力、車両本体価格 425,000円
てんとう虫ことスバル360は、国産初のオーナーカーとして人々の記憶にあるけれど実は、
時代を画す技術も、大いに含まれている、と。著者の桂木洋二さんは解説する。
旧中島飛行機のエンジニア、当時の日本を代表する機械工学の技術者達が英知を絞った証は、
3メーター以内の全長に大人4人を座らせたこと、
後にスバルショックと称される乗り心地の素晴らしさを実現したこと、
庶民の手の届く範囲で価格を設定できた(それでも大卒初任給の28倍はした)こと、である。
海の向こうでは British Motor Corporation の創る mini が産声を上げようとしていた、
まさにその頃、ニッポン発のベーシックトランスポーターは路上を走り始めたのである。

スバル360が自動車を身近なものにしたのは確かだけれど、世界と肩を並べるところまでには
残念ながら達していなかった。
まだヨチヨチ歩きの国産自動車メーカーを世界の人々に知らしめたのが、ホンダの、
F1への挑戦である、と本書は続く。

ボアストローク 58.1mm×47.0mm、V型12気筒、1,495cc、DOHC 4バルヴ、230馬力 / 12,000rpm
1.5リッター時代のF1、1964年のことである。
フェラーリでさえ、6気筒、気筒当たり2バルヴであった時代、
シリンダーもバルヴも倍に設計されたグランプリエンジンの登場は、どんなであったろうか?
フォーミュラ・ワンを肌で知る日本人が(事実上)いなかったこともあり、とにかく馬力を!で
設計してしまったエンジンだから、その重さとメンテナンスの悪さが災いし、
実際のレースでモノになるまで一年の歳月を要したけれど、65年、メキシコで遂に。
チェッカーフラッグを受けたのである。
日本のエンジン技術が世界に認められた瞬間でもあったのだ。


日本の自動車産業の発展に大きく寄与するとともに、世界の中で存在感を示し、
日本の自動車メーカーが飛躍した原動力となった技術を集めた、時代を画した日本車の技術
グランプリ出版から2005年に発刊された本書に収録される、10の技術。その他には ...
 ・世界で唯一の、マツダ・ロータリーエンジン
 ・トヨタ生産方式を確立した、80点主義のカローラ
 ・アメリカ人の心に届いたスポーツカー、ダットサン 240Z
 ・マスキー法を世界で初めて達成した、ホンダ CVCC エンジン
 ・ラリーフィールドを制覇する、スバル水平対向エンジンと全輪駆動システム
 ・燃費効率から生まれた、トヨタ・ツインカム・エンジン
 ・高出力と使い勝手を両立した、ホンダ VTEC エンジン
 ・次世代動力の提案、トヨタ・ハイブリッド・システム
と、並ぶ。
どれもこれも、なるほどの技術だけれど。
ここにない、素晴らしい技術もあるような気がする。
例えば、ポルシェを破ったスカイライン GT-R、のように。

技術や技術者の問題ではなく、メーカー首脳陣の定見の無かったものは、
あえて取り上げなかったとする著者の選択は、一読者としても共感するところである。
羊の皮をかぶった狼(GT-R)も、井戸の中の蛙(国内専用車)であっては、時代を画した技術
とは、言えないのである。

それにしても面白いのは、技術から見えるメーカー像。
無理をせずに万人受けするポイントを限られたコストで実現するトヨタはカローラそのものだし、
大勢の人を乗せるためのミニバンを低重心化し走りに振ってしまうホンダはグランプリ屋だし、
あくまでも理想像を追い続けるスバルはやっぱり飛行機屋の血筋である。
しかし。ニッサンの姿は、なんだろう?
技術の日産をうたいながら、世界に影響を与える(与えた)技術を育ててきたのであろうか?

そこがちょっと気になる本だったのでした 冷や汗2
Posted at 2008/01/21 16:32:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | book | クルマ
2008年01月15日 イイね!

写の雑誌

写の雑誌 アサヒカメラ、日本カメラ
 カメラ毎日が息絶えた(?)今、写真趣味の世界を
 牽引する双頭の雑誌であり、例えて言うなら。
 鉄道ファンに対する鉄道ジャーナルのようなもの
 であろうか。実際、その息の長さは驚異的だ。
 アサヒカメラの創刊は、昭和元年!
 戦前どころか、関東大震災の記憶もまだ新しい頃に
 誕生した雑誌なんであるからして。

僕のような駆け出しの動物カメラマンには、豚に真珠のような月刊誌である ブタ

アオリ、ケラレ、置きピン、開放、バルブ、被写界深度、645、パースペクティブ、等々。
例によって例のごとく、誌面を埋め尽くす難解な写真用語が敷居の高さを際だたせるけれど、
根気よく読み続けるうちに、なんとなく。
なんとなくではあっても言葉の意味が理解できるようになってくるから、
興味ある分野の専門誌は、継続的な抜き読みが欠かせないのである。

加齢の、駆け出しの動物カメラマンにとって、この二誌を完読するのは並大抵ではない。
初めて知る言葉をスポンジのように吸収できたのは20代前半までであり、
40代も後半にさしかかると、ひとつの言葉を覚えるのにふたつの言葉を捨てるようだからだ。

どうして。そうなるの? 冷や汗2

印象的な写真に添えられた、撮影データ。
シャッタースピード 1/125秒 開放F値 11 ISO感度 100 絞り優先AE。
ひとつひとつの意味は理解できても、その全てが絡み合って完成される写真であるから、
それぞれがどのように影響し合うのか、察することができない。
撮る基本をわかっているようで、わかっていない事実が露呈する瞬間なのである。

だからこそ、読まなくてはいけないアサヒカメラ日本カメラ
月初めに図書館へ行く僕だけれど、先約が入っていて借り出せない時もままある。
僕の住む地域、案外、素人カメラマンが多いのであろうか?

そういえば、この前の三連休。
下町の商店街ではデジタル一眼レフをぶら下げた集団が思い思いの風景を切り取っていたから、
写真ブームは水面下で盛り上がっているのかもしれないなぁ ...
Posted at 2008/01/17 16:43:59 | コメント(2) | トラックバック(0) | book | 趣味
2008年01月14日 イイね!

鉄の雑誌

鉄の雑誌 鉄道ファン、鉄道ジャーナル、Rail Magazine
 鉄道ピクトリアルがこれに加わったなら、
 鉄道趣味人を志す者には十分すぎる教科書で
 あろう専門誌なんである。例えて言うなら、
 カーグラフィック、モーターマガジン、エンジンの
 3誌を同時に読むようなもの、であるが。しかし。
 趣味人口の多さやバイヤーズガイドの性格も
 併せ持つ自動車専門誌なら、いざ知らず。

利用客は多くとも趣味人は少ないと思われる、
オタク系に分類されるが故にブックカバーなしには小脇に抱えることも躊躇われる、
個人では所有することは到底ムリと考えられる鉄道の、その専門誌が。

幾多もあるってのは、どういうわけだ? ふらふら

昭和36年創刊の鉄道ファン、昭和42年創刊の鉄道ジャーナル、昭和58年創刊のRail Magazine
鉄道ピクトリアルに至っては、昭和26年の創刊である。
一番新しいRail Magazineですら四半世紀の歴史を持つ、実に歴史の長い雑誌ばかり。
ということは。
鉄マニアは門外漢が考える以上に、存在するのであろうか?
はたまた。
僕のような隠れ鉄っちゃんの存在が、雑誌の存続を支えているのか?

実に。興味深い 考えてる顔

とは言え。
鉄道という同じ題材を扱っていてもそれぞれに性格が異なる、これらの雑誌。
美しいヴィジュアルと編集子の情熱が文面に漂う鉄道ファン
鉄道の将来や鉄旅のロマンを問う鉄道ジャーナル
大判の誌面を生かした写真が見事なRail Magazine
車両や運行に関する技術を追求する鉄道ピクトリアル、と。
同じ月の号を手に取ったとしてもその内容は見事に違うのであるからして、
鉄を志す者としては一応、全てに目を通してみるべき ... 、なのか?

全誌に共通するのは、難解な専門用語と文字の多さである。
転換クロスシート、短絡、セクション、1M2T、貫通型、GTO素子、過電流ブレーキ、,,, 等々。
機械、電気、電子、物理、構造、建築、環境、流動経済、時に政治までにも及ぶ
鉄道専門用語のわからなさは、自動車用語の比ではないような気もする。
そんな理解不能な言葉が延々と続くテキストの、その文字量の多さ!
文字単価は相当に安いのではないかと心配になるくらい誌面を埋め尽くした文章に、
編集子、及び、編集長の鉄道に対する熱き思い入れを感じたりする。

活字離れが進む、今という時代。
それでも、軸のぶれない無骨な雑誌が数誌も発刊されている、鉄道の世界。
読者を絞り込むことで内容に深みを与える、鉄道雑誌。
それに比べて、近頃の自動車雑誌の。

底の浅さはどうしたものか 冷や汗2
Posted at 2008/01/16 16:53:59 | コメント(3) | トラックバック(0) | book | 趣味
2007年01月16日 イイね!

昭和の相棒

昭和の相棒 黙って俺に従え
 恋人に、妻に、堂々とそう言えた最後の時代、
 高度成長期がそろそろ終焉を迎える昭和40年に
 発表された、男の相棒。
 荒野を走破するジムニーと、
 サーキットを駆け抜けたスカイライン。
 空冷2気筒360ccと、水冷6気筒2000cc。
 備えられたテクノロジィは目指す方向が違っても、
 男たちの渇望を担ったに違いない2台のクルマ。

浪漫だよなぁ、と思うのは。
カタログを飾る写真の、往時の空気感である。
荒肌の岩山で夕日を見上げるジムニー、優勝トロフィに埋もれたスカイライン。
冒険心と顕示欲で記号された昭和の男たちは、鬼嫁などという言葉の存在すら知らぬ時代に
明るい未来へ向かって突き進んでいたのであろう、きっと ...

誌面、右側。
自然に挑戦する男のくるま、スズキ・ジムニーは昭和40年のデビュー。
軽自動車初の本格的な4WDカーは、ホープスター ON360 にそのオリジンを持つ。
そんな自動車メーカーが存在したとは知らなかったホープ自動車の軽四輪オフローダーを
製造権ごとスズキが買い取った時から、ジムニーの歴史は始まるのである。
センターデフを持たぬパートタイム四輪駆動ではあるけれど、
たっぷりと取られた地上高による
優秀なスリーアングル(アプローチ、デバーチャ、ランプブレークオーバー)、
頑丈なるラダーフレームに必要最小限のボディ、
非力ながらも耐久性に重きを置いた空冷エンジンなど、
自然と闘うことに徹したジムニーの清らかさは、実に男らしい。

37.8万K㎡しか面積を持たぬのにその7割を山が占めるニッポンで、駆動力が前後に分配される
四輪駆動車の有効性は誰もが思い付くところだけれど、
それを1,300mm以内の全幅で実現したところにジムニーの素晴らしさがあるのだ、と思う。
東西南北、ニッポンの山は、けものみち程度の狭い狭い道路ばかり。
ランドクルーザーのごとくアメリカンな巨体では、そのサイズを持て余して立ち往生する
場面もあったのでは、ないだろうか。


誌面、左側。
ポルシェに挑戦するくるま、プリンス・スカイラインのデビューは昭和32年であるが、
このカタログは2代目のS50型(昭和38年~)、それもスポーツヴァージョンたる、
昭和40年発表の GTA を紹介するものだ。

その前年、昭和39年の第2回日本グランプリ、GTクラス決勝。
打倒トヨタに燃えるプリンス自動車は、直列4気筒1500cc OHVエンジンの収まるエンジンベイを
拡張し、直列6気筒2000cc OHCエンジンを押し込めたGTヴァージョンを開発する。
レースに出場したこのスカイラインGTは、僅かに1周だけではあるけれど。
式場壮吉の操るポルシェカレラ904GTSの前を走った、のである。

10年、いや、30年は先を行っていた、ヨーロッパのスポーツカー。
大海原を優雅に舞うエイのごとく流体的に美しいFRPボディを身にまとい、
水平対向4気筒2000cc DOHCエンジンを腹に抱えた、
60年代を代表するミッドシップ・ロードゴーイング・レーシングカー。
たったの1周であろうが、このポルシェを従えてサーキットを駆け抜けたのだから、
その事実は衝撃的であった、のは想像に難くない。
羊の皮をかぶった狼伝説、スカイライン神話の始まりである。

輝かしいこのレース戦績をもってプリンス自動車には、スカイラインを求める人々のオーダーが
舞い込むのだけれど、レース仕様たるGTカーのこと、市販には少々問題があった。
ウェーバー製ダブルチョーク40DCOE型キャブレター、3連装。
イタリア製のキャブレターは高価であり、また、調整も難しかったために、
万人が手にすることも、乗りこなすことも、簡単ではなかったのである。
そこでプリンス自動車は、ユーザのお財布と度胸に応じて、
シングルキャブレターの GTA と、3連装キャブレターの GTB 、ふたつのGTを用意したのだった。

従って、このカタログに写るスカイラインGTA 。
羊の皮をかぶった狼の弟であり、飾られるトロフィを自身で獲たのかどうか、怪しい部分はある。
恐らくは兄貴分たるGTBのトロフィを借りた記念撮影ではないだろうか。


チャールズ・ブロンソンやスティーヴ・マックィーンが銀幕で活躍していた頃。
クルマが男の小道具として機能した昭和の時代。
ジムニーが野生を、スカイラインが獣性を。

男たちに眠る本能を目覚めさせた相棒、だったのかもしれないなぁ 考えてる顔
Posted at 2007/01/16 17:22:56 | コメント(4) | トラックバック(0) | book | クルマ

プロフィール

東京の下町で暮らしております。 ノスタルジー香る街並みに巨大な電波塔が完成し 足下の住民は悲喜こもごもでありますが ... 昭和の情景にも平成の風景にも違...
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