黙って俺に従え
恋人に、妻に、堂々とそう言えた最後の時代、
高度成長期がそろそろ終焉を迎える昭和40年に
発表された、男の相棒。
荒野を走破するジムニーと、
サーキットを駆け抜けたスカイライン。
空冷2気筒360ccと、水冷6気筒2000cc。
備えられたテクノロジィは目指す方向が違っても、
男たちの渇望を担ったに違いない2台のクルマ。
浪漫だよなぁ、と思うのは。
カタログを飾る写真の、往時の空気感である。
荒肌の岩山で夕日を見上げるジムニー、優勝トロフィに埋もれたスカイライン。
冒険心と顕示欲で記号された昭和の男たちは、鬼嫁などという言葉の存在すら知らぬ時代に
明るい未来へ向かって突き進んでいたのであろう、きっと ...
誌面、右側。
自然に挑戦する男のくるま、スズキ・ジムニーは昭和40年のデビュー。
軽自動車初の本格的な4WDカーは、ホープスター ON360 にそのオリジンを持つ。
そんな自動車メーカーが存在したとは知らなかったホープ自動車の軽四輪オフローダーを
製造権ごとスズキが買い取った時から、ジムニーの歴史は始まるのである。
センターデフを持たぬパートタイム四輪駆動ではあるけれど、
たっぷりと取られた地上高による
優秀なスリーアングル(アプローチ、デバーチャ、ランプブレークオーバー)、
頑丈なるラダーフレームに必要最小限のボディ、
非力ながらも耐久性に重きを置いた空冷エンジンなど、
自然と闘うことに徹したジムニーの清らかさは、実に男らしい。
37.8万K㎡しか面積を持たぬのにその7割を山が占めるニッポンで、駆動力が前後に分配される
四輪駆動車の有効性は誰もが思い付くところだけれど、
それを1,300mm以内の全幅で実現したところにジムニーの素晴らしさがあるのだ、と思う。
東西南北、ニッポンの山は、けものみち程度の狭い狭い道路ばかり。
ランドクルーザーのごとくアメリカンな巨体では、そのサイズを持て余して立ち往生する
場面もあったのでは、ないだろうか。
誌面、左側。
ポルシェに挑戦するくるま、プリンス・スカイラインのデビューは昭和32年であるが、
このカタログは2代目のS50型(昭和38年~)、それもスポーツヴァージョンたる、
昭和40年発表の GTA を紹介するものだ。
その前年、昭和39年の第2回日本グランプリ、GTクラス決勝。
打倒トヨタに燃えるプリンス自動車は、直列4気筒1500cc OHVエンジンの収まるエンジンベイを
拡張し、直列6気筒2000cc OHCエンジンを押し込めたGTヴァージョンを開発する。
レースに出場したこのスカイラインGTは、僅かに1周だけではあるけれど。
式場壮吉の操るポルシェカレラ904GTSの前を走った、のである。
10年、いや、30年は先を行っていた、ヨーロッパのスポーツカー。
大海原を優雅に舞うエイのごとく流体的に美しいFRPボディを身にまとい、
水平対向4気筒2000cc DOHCエンジンを腹に抱えた、
60年代を代表するミッドシップ・ロードゴーイング・レーシングカー。
たったの1周であろうが、このポルシェを従えてサーキットを駆け抜けたのだから、
その事実は衝撃的であった、のは想像に難くない。
羊の皮をかぶった狼伝説、スカイライン神話の始まりである。
輝かしいこのレース戦績をもってプリンス自動車には、スカイラインを求める人々のオーダーが
舞い込むのだけれど、レース仕様たるGTカーのこと、市販には少々問題があった。
ウェーバー製ダブルチョーク40DCOE型キャブレター、3連装。
イタリア製のキャブレターは高価であり、また、調整も難しかったために、
万人が手にすることも、乗りこなすことも、簡単ではなかったのである。
そこでプリンス自動車は、ユーザのお財布と度胸に応じて、
シングルキャブレターの GTA と、3連装キャブレターの GTB 、ふたつのGTを用意したのだった。
従って、このカタログに写るスカイラインGTA 。
羊の皮をかぶった狼の弟であり、飾られるトロフィを自身で獲たのかどうか、怪しい部分はある。
恐らくは兄貴分たるGTBのトロフィを借りた記念撮影ではないだろうか。
チャールズ・ブロンソンやスティーヴ・マックィーンが銀幕で活躍していた頃。
クルマが男の小道具として機能した昭和の時代。
ジムニーが野生を、スカイラインが獣性を。
男たちに眠る本能を目覚めさせた相棒、だったのかもしれないなぁ
