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かめい堂のブログ一覧

2007年01月15日 イイね!

昭和のZ

昭和のZ ホンダZが路上を走り始めた、1970年。
 いっぱしのクルマ博士気取りだった
 小学生の僕は、この小さな2ドアクーペが
 カッコ良いのか、悪いのか?
 判断に悩んだ記憶がある。
 全体的なフォルムは好きなんだけど、
 尻に張り付く黒縁の窓枠、後に水中メガネと
 称されたプラスティックの窓枠が
 理解できなかったからだ。

空気を切り裂くマイクロクーペがリアウィンドゥを取り囲む突起物で破綻してしまう図は、
純な心を持つ少年にとってみれば、あまりに高度なデザイン定義だったのかもしれない。
今、改めて。
当時のカタログ、F4ファントムと並ぶオレンジも誇らしげなZを見ると。
ホンダデザイナーの意図が見え隠れしないでもない。
きっと、この窓枠は ...

ジェットエンジンの排気口なのだ 冷や汗2

GE製のターボジェットエンジンを積み、マッハ2以上で飛行することができたマクダネル製
ジェット戦闘機はスピードの権化なのであって、尾翼下で真っ赤に燃焼する2本の排気口は、
音速の象徴だったのかもしれない。

360ccの排気量にして、36ps。
実に、リッターあたり100psの出力を誇った自然吸気の2気筒空冷エンジンは、
本田技研工業のエンジン屋魂が炸裂した高回転型ユニットであり、9,000rpmで36psを
叩きだしたという。

超音速ジェットのもつシャープな感覚を具現化すべく、エアロダイナミクスなボディを
身にまとった昭和のZ。
そのテールを飾るのはどうしたって、ジェットエンジンのイメージが必要だった、のかな?


一方、誌面右下のフェアレディ。
Zを名乗る以前の、1960年から発売が開始された、SP型である。
ヨットハーバーを背景に、いかにも太陽族なこのショットは、所得倍増計画に踊る
ニッポン・サラリーマンの励みになった、のであろうか。
ステアリングを握る男性が左側にいることから、大陸向けの輸出モデルであったことが知れる、
初代フェアレディ SPL212 。
サイドフェンダーを波のように横切る白と赤のツートンカラーから容易に連想される、
デザインの出所は ...
そうなのだ、このクルマ。
Chevrolet Corvette の表現を拝借した、ダットサンの夢のカタチなのかもしれない。

フェアレディ登場から遡ること6年前の54年に市販された、初代コルヴェット C1。
その情緒的なスタイリングとは裏腹にエンジンもトランスミッションも旧態然とした
雰囲気スポーツなクルマであったわけだけれど、富める国アメリカをリフレインするには十分
説得力を持つのであって、当時のニッサンが参考書に崇めても不思議はない、と思う。

大勢の人に愛されて欲しいと願って名付けられた、フェアレディ。
その通り愛すべきカタチに仕上がっている、SPL212 。
でもきっと。

愛するにはお金が必要だったんだろうなぁ、と思わせるファッショナブルな写真が良い感じである。
Posted at 2007/01/15 16:40:24 | コメント(6) | トラックバック(0) | book | クルマ
2007年01月15日 イイね!

日本車なつかし物語

日本車なつかし物語 先の年末年始は大掃除だけが(!)
 過ごすべき予定とされていた僕は、せめて
 冬休みらしいなにかをと考えた末に、
 本を読もうと思った。
 駅前の本屋ではなく、近所の公立図書館。
 言葉を覚えだした三歳児だって
 自前の絵本を持つというのに、
 言葉を忘れだした中年男は
 雑誌すら買うことも許されないのか?

そんな思い、下町には不要なことらしく、ジャージ姿のおじさん達でごった返す図書館。
生活環境が近寄っていると考えることも似てくるニッポンの社会で、
本を買えずに借りてみようと思うオヤジは多い、のであろうか。
とにかく、人気作家や流行作家が書き下ろした作品は軒並み、貸し出し中にある。
書棚は、大晦日のアメ横は特売品コーナーを彷彿とさせる虚ろな空間の連続なのであって、
この年末年始、暇な貧乏人は案外、多かったようである。

あ”~、白石一文がないー 泣き顔

意中の作品に振られた鬼嫁は、さ行の書棚を恨めしそうに見つめる。
でも僕は、大丈夫だ。
読みたいジャンルが大多数の方々とは違うのだから問題はない、と。
意気揚々、いつもの鉄道コーナーへ行ってみるが、驚いたことにそこも。
本が少ないのである。
鉄道ジャーナルも、鉄道ファンも、鉄道ピクトリアルも。
いつ行ったって、売れ残りの大根みたいにしなびた雑誌がどういうわけか。
年末のその日は、どこにもなかったのである。

貧乏は知恵を豊かにする。
人類誕生以来のこの真理は今を生きる僕にも当てはまるのであって、
鉄道系が品薄であれば、他の乗り物を探すまでだ。
日本十進分類法に従い、5類 技術・工学・工業、6類 産業、を重点的に探す。
売れ残りの本の中には面白そうな専門書が数多く見受けられるけれど、
ボディの構造解析や内燃機関の仕組みは、大掃除の合間には相応しくない内容と予想される。
もう少し肩の凝らぬ、面白そうな本はないか?

そんな中で見つけた本がこの、カタログで見る - 日本車なつかし物語、である。
著者は、高島鎮雄さん。
高島さんといったら、創生期のカーグラフィック誌を陰で支えた博識の自動車評論家であり、
かつて誌面を埋めていたクラシックカーの記事などは、夢中で読んだ覚えがある。
これは珍しくも掘り出しもの、である。

発売当時の貴重なるカタログ写真で語られる、日本車なつかし物語
その中身は、次回へ続く ...
Posted at 2007/01/15 16:34:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | book | クルマ
2006年11月02日 イイね!

八月の路上に捨てる

八月の路上に捨てる捨てられるのは男、だ
タイトルを見て、そう直感する。
犬でも猫でも子供でもない。
恋人、夫婦、不倫。
どんな関係の男女にしろ、
陽炎の立つ真夏の路地に捨てられるのは
頑固で意固地で我が儘な男なのだ。
頑固で意固地までは同じでも
身勝手なところが素敵な女は捨てる立場。
三行半を出すのが男だった時代は江戸の昔に忘れ去られたのであって、平成の今という時代、男が女を捨てたなどという話は小説として面白みがない。
だから、たぶん。
朽ち果てていく男の哀れな様が、懇切丁寧に書かれているのだろう。
その結末を、読むべきか?

問題があった。
この刺激的なタイトルの本を、妻の居るリヴィングで読めるのか? という、大きな問題が。
なぜなら僕が読む小説はミステリーに限られるのであって、
このような作品を読んでいるだけで、妻の注意を引き付けてしまうからだ。
路上に捨てられる男の話を読む、捨てられる候補の姿を見た、女は。

捨てられる準備を始めたか あっかんべー

そう受け取るに違いない。
これは読んではいけない ...
手に取りかけた本を書棚に戻した僕は、本屋を出て、9月の路上を歩いて帰ったのだった。

夏と秋の狭間で低気圧と高気圧ウがロウロする、10月のある日。
この本、読んでみる?
妻から渡されたのは、これだった。
ついに ...

捨てる準備を始めたか げっそり

前もって。
捨てられる心構えができるようにこの本を渡すとは、鬼の目にも涙、武士の情けである。
策士の奇策を知るためにも、読む必要があった。
夢中でページをめくること、1時間と少々。
あっという間に読み終わった、八月の路上に捨てる
僕の予想とは違っていた。

捨てられるのは男でも女でもない。
お互いが共に過ごした歳月、想い出、愚かさが、捨てられるのである。
友なら言えたことが男女の仲になると、言いにくくなったりする、ものだ。
それが夫婦ともなれば、もっと単純なことでさえ、相手に伝えることは難しい。
コミュニケーションを断たれた男女の行く末は、別れ、しかない。
一度割れた壺は、接着剤で修復することはできても、ヒビまでは直せないのだから。
そんな男と女のはかなさを綴った作品であったのだ。

芥川賞の受賞で話題になってから、読んでみたかったのよぉ うれしい顔

なるほど、この本を読むにあたって、のような理由付けができるのか。
妻の、策士たる所以は、この言い訳のうまさにある。
ボタンの掛け違いから離婚を選択するに至った主人公に夫を重ね合わせ、
いつかはやってくる夫婦間バトルの責め口上に利用するに違いない ... 、きっと。

路上に捨てたい女、路上に捨てられたい男、まだまだ捨てたくないラヴラヴな男女。
一読されてみては、いかがでしょう?
Posted at 2006/11/02 14:10:40 | コメント(8) | トラックバック(0) | book | 趣味
2006年07月23日 イイね!

東京都電慕情

東京都電慕情幼い頃、たぶん、
小学校へ上がろうかという年頃だったと思うのだけど、
母と日本橋三越へ行った記憶がある。
そこへ何しに行ったとか、何を買ってもらったとか、
肝心なことは忘れてしまったのだけど、
何で行ったのか、は覚えている。
路面電車、だ。
日本橋三越前の電停で降り、中央通りを横断し、
三越の中へ入った、はずなのだ。

あぁ、そうだったよねぇ
懐かしそうに頷いてくれるのは、昭和40年よりも前に生まれし者たちだ。
それ以降に誕生した方々はもう、地下鉄世代。
日本橋の、三越前に、路面電車が停まった、などという話は、我が鬼嫁を筆頭に誰も信じてくれない。
確かに日本橋を渡る、上野広小路から新橋に至る往復4車線の中央通りには、
路面電車が走ったと思われる線路や、乗降客のための電停など、痕跡の跡形はない。
もしかして僕の、黄色い路面電車で日本橋は、記憶違いであったのだろうか。
相変わらず通う近所の図書館で、その答えを見つけた。

林順信著 東京都電慕情 JTB刊

そこに再現されるは、昭和40年代初頭の東京。
23の区に分けられた日本の首都を東西南北に、41の系統と、213Kmに及ぶ営業距離で網羅した
路面電車の記憶である。
銀座に、浅草に、上野に、赤坂に。
それぞれの街を走る、佇む、路面電車の写真は、当時を知らない者にとってもなぜか、郷愁だ。
そして、日本橋。

あった
往復4車線の中央通り、その中より2車線は、石畳が敷き詰められた路面電車のゾーンである。
日本橋三越と三井信託銀行の狭間に、電停がある。
標識版に刻まれる名は、室町一丁目。
うん、確かに。
三越の建つ場所は、中央区日本橋室町一丁目、だ。
ここで降りたのか?

おそらくそうなのだ。
幼い僕は母に手を引かれながら路面電車に乗り、この電停を降りたんだ。
ネルソン提督をお守りするかのようにうずくまる二頭のライオンに迎えられ、
ルネッサンス様式の、ただならぬ雰囲気のデパートへと、入ったんだ。
羅針盤のような半円形の階数表示がもの珍しい蛇腹式のエレベーターに乗って。
オモチャ売り場へ行ったのだ、と思う。

今日は帝劇、明日は三越
の時代、このあたりは多くの人々で賑わっていたことが40年前の写真から、うかがい知れる。
昭和42年7月の、室町一丁目の電停には、三越の紙袋を下げた女性達が電車を待つ。
歩道から、まだそれほど走るクルマの少ない車道を、電停目指して渡るサラリーマンもいる。
銀座へ向かう40系統の路面電車を操る、運転士さんの開襟シャツが、妙に粋だ。
写真に撮られた風景はどこまでも、のどか、なのである。

それにしても、なぜ。
路面電車は廃止されてしまったのか。
二本の足で歩く人間は水平面での移動に適した動物であり、垂直方向の移動は苦手なのである。
にもかかわらず東京は、線路を地下に埋めてしまった。
その結果、僕らは。
電車に乗るのも、降りてからも、階段を使うことになってしまった。
車窓に広がる、美味しそうなお店や、面白そうな路地を、知ることができなくなってしまった。
定時性、速達性、快適性は、今にも受け継がれてはいるけれど。
もっとも大切な、乗降の容易性を失ってまで、線路を地下に施設したわけが、
モータリゼーションの波であったことに、いち自動車ファンとして複雑な思いを抱いてしまうのだ。

パーソナルな移動手段が追いやった、パブリックなる交通手段。
気軽に乗り降りできた、路面電車。
Light Rail Transit なこのシステムこそ、いまの東京に必要なのかしら。

そんなことを考えてしまう本、なのでした 考えてる顔
Posted at 2006/07/23 20:07:46 | コメント(4) | トラックバック(0) | book | 趣味
2006年06月17日 イイね!

中田英寿、鼓動

中田英寿、鼓動マイアミの奇跡を起こしたイレブンの中にナカタがいた。
ブラジルにとってはマイアミの屈辱となってしまった 96年、
アトランタ五輪、男子サッカー、一次リーグ。
Jリーグではないナカタを見た、初めての試合だ。
その前年よりベルマーレ平塚で走り始めた
韮崎高校出身のミッドフィルダーを知ってはいた。
でも。
ナカタが蹴るボールは空しく転がる場面が多い
ように思えたのだ。
なぜあの男は、人のいないところにパスを出すのだ?
どうしてあの男は、トラップできない速い球を送るのだ?
西野監督はこの男に、何を期待しているのだ?

そのナカタがピッチに立った、マイアミで。
ロベカルやベベットが立つ、同じ芝の上で。
世界中のメディアが見つめる、オリンピックで。
Brazil 0 - 1 Japan 、である。

貴重なる1点を入れたのは、伊東だ。
お膳立てをしたのは、城であり、前園だ。
この1点に、ナカタは絡んでいない。
ほらね、生意気な高校生気分の抜けない奴に国際試合なんて、ムリムリ
素人評論家の大いなる誤算、である。

それから1年が過ぎようとした翌年春の、国立競技場。
幸運にもチケットを手にできた僕は、日韓戦に挑むナカタを見た。
空の上から俯瞰しているかのように左右へ送り出される正確なパスは、韓国のディフェンスを翻弄する。
これは、すごい!
ナカタのパス、その先にあるのは、相手のスキ。
そうか、誰もいないところに蹴っているのではなかったんだ。
そこが唯一の得点できるスペースであり、その場に走っていない味方が悪いのだ。
意地悪で速い球を蹴っていたわけではないんだ。
相手をかわすにはその鋭さが必要であり、球を止めることのできない味方が未熟なのだ。
もしかすると、(ベルマーレの)ナカタは(ジャパンの)ヒデなのか?

'98年、フランスW杯。
20世紀最後の大会にして、初めてニッポンが戦うことを許されたワールドカップ。
イレブンの中心にヒデがいた。
アトランタからわずかに、2年。
ニッポン代表にヒデあり、だったのだ。


そんなことを想い出しながら僕は、また、この本を読んでいる。
マスコミに多くを語らないヒデが多くを語ったライター、小松成美さん。
彼女のまとめた800枚の原稿用紙が教えてくれるヒデは、
魔物が巣くう巨大なビジネス市場の中で、
プロのサッカー選手でありながら純粋なるサッカーファンであることを貫く、一人の青年だ。
窮地にあるニッポンが前へ進むためには、ヒデの強い意志を見習わなくてはいけない。

応援する僕らも 手(パー)
Posted at 2006/06/17 16:43:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | book | 趣味

プロフィール

東京の下町で暮らしております。 ノスタルジー香る街並みに巨大な電波塔が完成し 足下の住民は悲喜こもごもでありますが ... 昭和の情景にも平成の風景にも違...
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