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かめい堂のブログ一覧

2006年05月15日 イイね!

BMW物語

BMW物語駆け抜ける歓びを極めた
ドライビング・カンパニーの軌跡


そんなサブタイトルが付くにはこの本が、
BMWというバイエルンの独立系自動車会社の
その誕生から現在に至るまでの光と影を、
一人のモータージャーナリストの目を通して
語られているからである。


車名に BMW という文字が見当たらない BMW に乗ってる僕は、
書店でこの本を見かけた時、買って読むには至らないと思ったのです。
でも...、ちょっと。
手にとって目次を眺めれば、第6章のタイトルが妙に気になる。

究極の大失敗 ... the Ultimate Blunder
本物を追求するすべての人々から羨望を集めるというエクセレントカンパニーが
犯した失敗劇とは、なんだ?
ボンネットを開けないと BMW という文字を見ることができない BMW に乗っている僕は、
もしかして MINI にまつわる話ではないか?
そう直感したのです。

バイエルンの青い空と白い雲を切り裂く十字のプロペラ。
風前の灯火であったラウンデルマークを戦後の痛手からいち早く復活させ、
その後40年も赤字を出していない、ホンダよりも純利益率が高いといわれる
賞賛すべき経営方針を取る BMW が、唯一。
判断を誤ったとされる出来事、それは。
英国ローバー社の買収とその後6年間に及ぶ80億ドル以上の損失。
その大失態の主役、
90年代初頭の BMW の舵取りを任されていた "Bernd Pischetsrieder" CEO。
実質上のオーナーとされる大富豪クヴァント家の怒りを買い
退任へと追い込まれたピシェツリーダー社長が実は、
mini の生みの親であるアレック・イシゴニスの甥であったりするところは。
単純な暴走と言うよりもたぶん、
偉大なる叔父の自動車工学上の奇跡を自らの手で存続させたい
そんな自動車ファンとしての強い気持ちが、経営者としての冷静な判断を鈍らせたのではないか ...
そう、僕は思うのだけど。

現在はVWグループの会長であるベルント・ピシェツリーダー博士と、
ドイツを代表するスペシャリストであるヴォルフガング・ライツレ開発担当重役。
当時の BMW No.1、No.2。
というよりも ...
純粋に自動車を愛する二人のカーマニアが巨額の赤字に喘ぐ英国の名門企業の姿に
戦前の BMW を重ね合わせ、救いの手をさしのべた。
歴史は、そうは言ってはいないのだけど。
BMW を去った二人のその後が想像されることとは反対に、相変わらず華々しいことから。
ライツレのシンパが未だにたくさん、BMW 社内にいることから。
手元に残された MINI が BMW の新しいビジネスモデルとして独り立ちし、利益を生んでいることから。
キドニーグリルの付かない BMW に乗っている僕は、そこに志のある話として受け取りたいのです。

僕らが New MINI というクルマに惹かれ、購入し、愛用している今という現実は、
BMW という会社が犯した歴史的な大失策のおかげである、のだけど。
同時にそれは、堅実なる BMW が一瞬思い描いた、夢の跡 ....、なのかもしれません。

舵取りが交代し、究極のブランド戦略をひた走る、2006年の BMW、そして、これからの BMW が、
MINI ブランドをどんなふうに育てていくのか?
クヴァント家の冷静な意見と潤沢な資金をバックボーンに、究極のドライビング・マシンを創造し続ける
バイエルンの自動車メーカー。
その100年近い歴史を知ることで、次の MINI が見えてくるような気がする、そんな本です。
Posted at 2006/05/15 15:19:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | book | クルマ
2006年03月15日 イイね!

東京、鎌倉、横浜、名庭を歩く

東京、鎌倉、横浜、名庭を歩く時代劇嫌いの鬼嫁が積極的にチャンネルを合わせた、大奥シリーズ
その最終章である華の乱において、大奥を牛耳る桂昌院と共に強烈な存在感を放っていた、柳沢吉保。
シリーズ全てに出演した北村一輝さん演じる、その男。
五代将軍綱吉の側用人でありながら大いなる野心を抱いていた柳沢吉保の名を、どこかで聞いたような、気がしてならなかったドラマ、
大奥 -華の乱-

弥生3月、卯月4月
暖かな陽気、お散歩はいかがでしょうか?

近所の図書館、今月の推薦図書。そうだ、散歩だ!
そう考えて借りてきたこの本に、柳沢吉保の名があったのです。

六義園
駒込の本郷通り沿いにある、華麗なる庭園。
この名庭の、かつての主人が、柳沢吉保だったのです。
天下太平の世、元禄時代に拝領した加賀藩前田家の下屋敷であったこの地に吉安は、7年もの歳月を掛けて造園した、とされています。
東京ドームの3.3倍、15万㎡にも及ぶ広大な庭園であったのに、現在はその半分。
8.7万㎡ほどに縮小されていますが、その女性的な美しさは健在なのです。

六義園で見ていたのか、吉安の名
本を読みながら、思わず漏らした独り言。
誰と行ったの?
すかさず問い返す鬼嫁の疑問はもっともかもしれない。
だって、誰と行ったのか、当の本人でさえも思い出せないのだもの。

100万人とされる、世界最大の人口を抱える都市であった、幕末の江戸。
近藤局長、土方副長が故郷を語る時、「たま」と言っていたことから、おそらくは、新宿あたりまでと思われる当時の江戸で、100万人のほとんどを構成する庶民は、2割の土地に住んでいたといわれます。
残りの2割が社寺、そして。
江戸の大部分、6割の土地を占めていたのが武家屋敷、だったのです。
その中でも各藩が江戸に設置した大名屋敷は破格の大きさで、尾張藩徳川家の戸山荘に至っては
44万㎡、東京ドームの実に、9.6倍もの面積があったそうなのです。
江戸城を取り囲むように存在していた武家屋敷、その数、1,000あまり。
将軍の御成ともなれば、一世一代の晴行事。
家主の権威を象徴するかのような広大な敷地では、互いを競い合うように、立派な庭園が造られていったのです。

今日の東京に残る江戸の風情は、そんな武士や大名達の見果てぬ夢の残骸、なのかもしれません。
水戸徳川頼房により築庭、その三男、水戸光圀により完成した、小石川後楽園
五代将軍綱吉の別邸であり、八代将軍吉宗の時代に養生所となった、小石川植物園
三代将軍家光の三男、松平綱重が埋立て、六代将軍家宣により庭園化された、浜離宮恩賜庭園
盛岡藩、南部美濃守の下屋敷であり、後に有栖川宮家の御料地となった、有栖川宮記念公園
信州高遠藩、内藤氏の中屋敷であり、子孫により東京都に返納された、新宿御苑

などなど。
そして。
ほとんどの庭園には、陰陽石が据えられていたそうです。
当時の武士、大名における最大の関心事であった、世継ぎ問題。
子孫繁栄の象徴として、庭園に持ち込まれた陰陽石。
はたして、どんな景観だったのでしょう?

その異様な石を、優美な空間へと昇華させた庭園がありました。
冒頭の、六義園。
綱吉を操るには大奥を掌握した方が早いと考えた、柳沢吉保。
女心をもてあそぶ男が創造した庭園は、濃密なエロティズムが漂う独特の世界。
そんな観点では見ていなかった、駒込の庭園。
もしかして、意中の君と訪れていたなら子宝に恵まれたかもしれない、六義園。

う~ん、しまった ... 冷や汗2 、のか?

明治、大正、昭和。
近代化へ突っ走る、時の政府により、その多くが破壊されてしまった江戸の景色。
もったいなくも思うけど。
そのまま残していたら、僕らも東京には住めなかったわけで。
まぁ、休日にぶらりと訪れて、江戸の残り香を感じるくらいが、宜しいのでしょうね。
Posted at 2006/03/15 15:13:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | book | 趣味
2006年02月22日 イイね!

桂離宮と日光東照宮

桂離宮と日光東照宮東照宮へ行こうと思わせた、一冊の本。
昨年に借りた、桂離宮と日光東照宮
近所の図書館。
人影はないが蔵書だけは多い、土木・建築コーナー。
いかにもな専門書に混じって眠っていた建築家
宮元健次さんが書き下ろしたこの本は、素人の僕が読んでも面白かった。
東照宮へ行ってきた今。
また借りてみました。
冒頭に記されたタウトの言葉。

桂離宮の清楚な竹垣、詰め所の前房で来意を告げる。
玄関の間、これいつづく古書院控えの間、廣縁、そこから張り出された月見亭の竹縁、御庭。
泣きたくなるほど美しい印象だ。

日光の東照宮へ。
木深い杉木立、そのなかにすさまじい建築がある。
建築物の配置はすべてシンメトリー、眩ゆいばかりのきらびやかさ。
すべてが威厳的で少しも親しみがない。


時は、1933年。
日本に到着したばかりのタウトは直ちに、京都の桂離宮、日光の東照宮へと訪れる。
そこで目にした、公家の別荘と、将軍を祀る神社。
綺麗座敷な天皇芸術と、絢爛豪華な将軍芸術。
涙はおのずから目に溢れる桂離宮と、華麗だが退屈な東照宮。
同年代、同関係者により造られた、ふたつの歴史的建築。
なぜ、こうも対極的なデザインなのか?
おそらくはタウトも首をひねったであろう、この同根の異空間。
その後に判明した歴史的事実を加えながら、著者である宮元さんは推理していきます。

徳川家康を神として祀る宮寺として、徳川幕府により1616年に創建された東照宮は、
三代将軍家光の時代、1636年(寛永十三年)に大改築を受け、現在に至る。
一方の桂離宮は、八条宮智仁、智忠親王、父子により、1615 ~ 1662年にかけて造営される。
同じ寛永時代、その中心にいたのは家光公の側近、小堀遠州。
御所、二条城、大阪城の作事奉行を務めた小堀遠州の本業は、茶人。
千利休の流れを汲む将軍家の茶道指南役であった遠州は、大名、公家、旗本、町人などの幅広い交友関係を持ち、寛永文化サロンの中心人物でもあった。
その遠州が。
桂離宮を造営する八条宮親王、東照宮を改築する家光公に、それぞれ助言したという。
フランシスコ・ザビエルに始まる日本と西欧の出会い。
ルネッサンスからバロックへと変革するヨーロッパの文化、そして、建築技法。
それまでの日本には存在し得なかった新しい考え方が、遠州をはじめとした寛永文化サロンの面々に伝わっていた、とする著者の解釈。
事実、中世のヨーロッパにおける教会や庭園の設計デザインに見られる、パースペクティブ手法、
ビスタ手法、黄金分割手法が、桂離宮にも、東照宮にも存在する、と。

桂離宮と東照宮
奥行きを深く見せるデザイン、遠近感を強調するトリック、人間が最も美しいと感じる比率。
ヨーロッパの考え方を日本風に翻訳して造形された江戸時代初期の建築。
ドイツ人のタウトが300年の歳月を経て目にする、西欧建築デザインの反復。
東照宮への酷評、建築の堕落とは。
西欧造形の偽物を権威にまで昇華させた幕府の存在、だったのかもしれない。
精神的自由を尊重した桂離宮とは対照的に。

さて、こうなると桂離宮へも行ってみたい。
東照宮同様、歳を取ってからは訪れていないし (^^;
Posted at 2006/02/23 14:04:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | book | 趣味
2006年02月15日 イイね!

MINI PARTS CATALOGUE 2002 - 2003

MINI PARTS CATALOGUE 2002 - 2003クルマの部品を集めただけなのに夢中でページをめくれる本なんて、このミニ・パーツ・カタログをおいて他にない、のではないか?
少なくとも Austin Design Office Model No.15、先代 mini にお乗りの方なら、頷いて頂けると思うのです。
エクステリア、インテリア、足回り、エンジン、吸排気系、電装系、小物類、そして、ボディそのものまで。
掲載されるアイテムは、実に 5,000 点以上。
これらのパーツだけで新車を組むことが可能ではなかろうか、と思うほどに。
豊富な情報量と紙の重さに、圧倒されるのである。

夜な夜な眺めた、パーツカタログ。
  いい音のさりげないマフラー、RC40か、ロングマンか?
  いや、マフラー変えるならスリーブランチも入れた方が ...
  う~ん、やっぱコイルサスだわなぁ。

自分の mini に装着されるパーツをイメージして、思わず漏れる笑みと独り言。
さぞかし気味が悪かったのであろう妻にしてみれば。
諸悪の根源は この本にあり! とばかりに、資源回収へ回すタイミングを伺っていたのでした。
そんな鬼嫁の魂胆も知らず呑気にポストイットを貼っていた僕は、ある日。
玄関に積まれた古雑誌の山に、この本を発見したのでした。
他の雑誌はいいけど、この一冊だけは残して

奇跡的に書棚に戻すことを許された、パーツカタログ。
愛読した CG誌を廃棄してでも、何故、この本に執着したのだろう?
Rover mini のドレスアップが終わっていなかったから?
いや、もしかして予感があったから、なのかもしれません。
表紙に写る黄色い MINI に。

MINI PARTS CATALOGUE 2002 - 2003
おそらくは、初めて New MINI が登場したカタログだったと思います。
毎年のようにチェックしていた僕は、この号がショックだったのです。
表紙の真ん中に居座る不細工な MINI はなんだ、と。
本来の mini が下で小さくなっているのは何故だ、と。

流れ始めた時を止めることは出来ない。
ADO15系 mini に乗る者が教科書のように崇めるパーツカタログに、BMW MINI が登場してしまった。
mini freak が、BMW MINI を、ミニと認めた、ということなのだろうか。
BMW MINI をミニと呼ぶには、まだ抵抗のあった僕。
このカタログの巻頭を飾る New MINI のパーツ特集を、改めて読むとは思わなかったなぁ 冷や汗2
Posted at 2006/02/15 16:27:37 | コメント(4) | トラックバック(0) | book | 趣味
2006年02月14日 イイね!

ひと・クルマ・30

ひと・クルマ・30Car Graphic 創刊30周年を記念して、30人の著名人にクルマを語ってもらった1992年発刊の別冊CG。
マリリン・モンローが短い生涯を終え、
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領がキューバ海上を封鎖し、
てなもんや三度笠の放映がスタートした、1962年。
自動車への深い愛情と夢を持った3人の青年が立ち上げた
Car Graphic。
その創刊号は、メルセデス・ベンツ 300SL の特集でした。

Mercedes Benz 300SL
1954年から3年の間、わずかに 1,400台しか作られなかった伝説のスポーツカー。
強靱なチューブラー・スペース・フレームにガル・ウィングを備えた軽量アルミボディを被せ、職人が一台一台、丹精に組んだクルマ。
本国でさえ一部の特権階級しか持つことを許されなかった非常に高価な 300SL を、少ない外貨割り当てにより舶来品が庶民の夢であった昭和37年の日本で、まだ名もない自動車雑誌がテストする。
この途方もないプランを実現させたのは、若き小林彰太郎さんの情熱以外、なにものもないであろう。
直列6気筒、SOHC、2996cc、240ps、25.9Kgm
世界初の機械式燃料噴射装置を装備した 300SL は、スタンディング・スタート 1/4 マイルを16秒以下でこなす高性能車である。
まだ、東名高速も、谷田部高速試験場もない、1周わずかに2kmしかない村山運輸省機械試験場が唯一のテストコースだった時代に、300SL のハンドルを握るには、どれくらいの勇気が必要だったのだろう?

創刊号に見られる小林彰太郎さんの情熱は、その後も衰えることなく、日本の自動車界 - メーカー、運輸省、評論家、愛好家などなど - を巻き込んで、今に至ります。
自動車における【暮らしの手帖】でありたい、と小林さんは書かれています。
市販車を自ら購入して長期間テストするCG名物 長期レポート は、そんな氏の思いが詰まった企画だったのですね。

30周年記念誌に選ばれた30人。
建築家、漫画家、レーサー、ファッションデザイナー、自動車デザイナー、自動車設計者、モータージャーナリストなど、様々な方が好きなクルマについて語っています。
中でも、ADO15 mini、Citroen 2CV、Citroen DS の3台を favorite car に挙げる方は多く、洋の東西を問わず思い入れも相当なものです。
確固たるコンセプトを革新的な技術とシンプルな装いで具体化した、クルマ本来の魅力があふれているからなのでしょうか。

この本に携わった方々に共通する、クルマへの愛情。
こんな素敵な世界が、まだまだ続くといいですね♪
Posted at 2006/02/14 17:34:10 | コメント(4) | トラックバック(0) | book | 趣味

プロフィール

東京の下町で暮らしております。 ノスタルジー香る街並みに巨大な電波塔が完成し 足下の住民は悲喜こもごもでありますが ... 昭和の情景にも平成の風景にも違...
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