「唐津城址」②
投稿日 : 2006年11月12日
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「正保城絵図」の「肥前国唐津城廻絵図」から本丸、二ノ丸の拡大部分です。
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「二の門外堀・北ノ門」跡です。
この堀は二の門外堀と呼ばれ、唐津城の二ノ丸と三ノ丸を区画する大事な堀でした。堀の東側中程には、二ノ門と呼ばれる門が藩士の出入りを見守っていました。
三ノ丸に住む藩士は、この堀を渡り藩庁へ出仕していました。
この堀の西側には「時の太鼓」とか撞鐘堂と呼ばれる時計台があり、二ノ門外堀の北東側には海に向かって北ノ門と呼ばれる門が開いていました。
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「二ノ門堀跡」別位置です。
唐津藩初代藩主寺沢志摩守広高は慶長7年(1602)から7年をかけて築城しました。この時、松浦川の河口を満島山(現・唐津城一帯)東側に付け替え、二ノ丸と三ノ丸の間にあった旧川筋を堀に活用したといわれています。
この堀は二ノ門堀とか二ノ門外堀と呼ばれていました。
三ノ丸に住む藩士たちはこの堀を渡って登城していました。
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「埋門・埋門小路跡」
ほとんどの唐津藩士が住んでいた唐津城三ノ丸北側には、海に面して石垣が築かれていました。
この石垣の中程に埋門と呼ばれる海岸へ出るための出入口門が開いていました。門を入って西側には五間丁馬場があり、門から南側へ向かって埋門小路と呼ばれる通路がありました。
この小路を通って、藩士が唐津神社や外曲輪の町に出かけたと思われます。
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「三ノ丸辰巳櫓」です。
この櫓は唐津城三ノ丸の東南隅に建てられた見張りや防御のための矢倉です。
江戸時代初期、正保年間の「正保城絵図」に描かれており、築城当時から築かれていたことがわかっています。
明治の廃藩後解体されていましたが、平成3年度に修復したうえで平成4年度に新築復元されました。
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三ノ丸辰巳櫓の狭間から柳堀を見下ろした画です。
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三ノ丸辰巳櫓から本丸天守閣を望んだ画です。
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