• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!

「七飯峠下台場跡」-七飯町

箱館戦争緒戦地
2006年08月30日
カテゴリ : 北海道 > 観光 > その他
慶応4年(1868)10月、蝦夷に脱出した榎本旧幕府軍は、鷲ノ木に上陸後、人見勝太郎ら30人に嘆願書を持たせ箱館府に派遣しました。
人見らは現在の国道5号線(大沼国道)にほぼ重なる道筋を辿りました。標高1,131mの駒ケ岳西山麓を踏破するルートです。
その後、人見隊は降雪の中を進軍し、茅部町を越えた“峠下”で宿営。この地は西の江差方面への分岐点でもあり、山裾をはしる森と峠下をむすぶ街道を扼し、また森と箱館まで届く優れた眺望を持つ要衝でした。そしてニシン漁の盛んな頃には遊女屋もあった宿場町でした。その中の最も北側の宿屋に宿泊したそうです。
 対する箱館府・松前藩・弘前藩の総兵300人余は五稜郭を発ち、10月22日午後10時頃、藤城に集結し峠下に向かったという。
 そして集落内でかがり火を焚いていた見張りを発見し発砲。深夜のことといい、これが箱館戦争の実質開戦の火蓋となりました。

 弘前藩兵は、北側の山から銃撃し、集落内に突入。しかし人見隊は巧みに移動しながら側面反撃をした。そこに大鳥圭介軍先遣隊も到着。銃撃戦は夜は徹して続いたが、新政府軍は敗退しました。
 10倍もの兵力+大砲があった新政府軍が敗れたのは、銃のほとんどが一発ずつ銃口から弾を込める旧式銃だったからだという。火縄銃も多かったらしい。
 対して榎本軍は薬芙付弾丸の新式銃が大半で、新政府軍が一発撃つ間に10発も撃ち返すことができたらしい。
 装備の差に加え、人見勝太郎らは、関東から会津まで硝煙の中を潜り抜けてきた歴戦の士ばかりで、戦の駆け引きに、雲泥の差がありました。
 この戦いで、榎本軍では伝習士官隊の山本泰次郎が重傷を負い、鷲ノ木に後送されたが11月9日に死亡しました。
これが榎本軍の最初の戦傷死者で享年19歳でした。

イイね!0件




関連コンテンツ

関連情報

この記事へのコメント

コメントはありません。

プロフィール

「職場が変わって・・・大汗」
何シテル?   08/07 20:19
本業として幕藩史研究家。戦国は卒業し藩史・城郭など近世幕藩研究家として主に執筆活動中。仕事外で三國志・史記等も研究中。細々とやってます。 副業で建築士(構造設...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

リンク・クリップ

北海道日本ハムファイターズ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2007/04/24 16:08:17
 
CONSADOLE SAPPORO OFFICIAL SITE 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2006/07/11 14:28:39
 

愛車一覧

ホンダ インテグラ ホンダ インテグラ
2代目の愛車です。 名機B18C。 新車から14年経ちましたが、今でも私には十分速いと思 ...
ホンダ ビガー ホンダ ビガー
初めて買った愛車で新車でもあります。 何か急にとりつかれたように状況を考えず無心でアクセ ...
ホンダ アコード ホンダ アコード
2006年10月1日に納車されました。 3ヶ月待ちでした。 ユーロRではないファミリー ...
ホンダ フィット ホンダ フィット
去年(2005年)、妹夫婦が買ったもので、おかげでDC2が私に下りてきました。兄が妹のお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation