「宇須岸(河野)館跡」-函館市
箱館という地名の由来(函館市元町周辺史跡)
2006年12月03日
享徳3年(1454)津軽の豪族安東政季に従って、武田信広(松前氏の始祖)、河野政通らが蝦夷地に渡来しました。
政通は、当時「宇須岸」と呼ばれていたこの地に「館(たて)」を築いたが、これが「宇須岸河野館」で、その大きさは市立函館病院から元町公園に至る東西約92m、南北約115m、四方に土塁を築き、乾壕を廻らしていたところから、「箱館」と呼ばれるようになり、地名発祥の基となりました(明治2年「函館」と称されました)。
永正9年(1512年)アイヌの反乱で河野季通(政通の子)ら一族が敗れたため和人は亀田に移り、箱館は以後百余年にわたって衰退しました。
箱館は宝永年間(1704~1711)になって、住民の増加に伴い相次いで寺院が建ち、また、寛保元年(1741)には松前藩の亀田奉行所が「河野館」跡地に移されるなど、再び栄えてきました。
寛政11年(1799)幕府は東蝦夷地を直轄地とし、享和2年(1802)この跡地に箱館奉行所を設置しました。この頃から高田屋嘉兵衛の活躍などもあって箱館は大きく発展しました。箱館奉行所庁舎は、明治に入ってから開拓使の庁舎となり、その後、北海道庁函館支庁庁舎となるなど、「河野館」跡は函館の行政の中心地でありました。
この地は近世には市立函館病院などが建っていましたが、現在は駐車場となっています。
画像の高台上に市立函館病院がありました。
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