「二股口古戦場」-北斗市
箱館戦争激戦地「土方歳三隊死守地」
2006年12月27日
あの新選組副長・土方歳三が死守した要害です。
明治2年(1869)、新政府軍は蝦夷共和国・榎本政権を討伐するため蝦夷地(北海道)に上陸し、江差山道を約600人で進軍しました。
対する榎本軍もその侵攻ルートを予想し、山沿いに散兵壕や台場を築き、下二股川の崖を挟んで迎撃体勢をとりました。榎本軍は土方歳三を隊長とする約300人が台場山に砲台を築き、要害・二股口で待ち構えました。
新政府軍が二股口の対岸に辿り着き戦闘が開始されたのは旧暦の4月13日でした。
川を渡り天然の要害である二股口を落とそうと何度も試みましたが、土方隊の猛反撃で押し返されました。
榎本軍の蝦夷地防衛戦で唯一勝利したこの「二股口の戦い」ですが、海岸線の攻防戦「矢不来の戦い」で別の榎本軍が敗れたため、土方隊は5月1日、陣地を放棄して五稜郭方面に退却しました。
この後、五稜郭の陥落となっていき、この地は文字通りの“最後の砦”でした。
※
画像上左:国道227号線中山峠2合目の古戦場入り口。
画像上右:台場山・激戦地
画像中左:激戦地遠望
画像中右:「土方歳三奮戦の地」碑
画像下左:「土方歳三隊戦死者之御霊」碑
画像下右:現代に造られた国道227号線と下二股口橋
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