松前(福山)街道(国道228号線・追分ソーランライン)
松前半島の海岸を巡り、福山(松前町)と箱館(函館)を結ぶこの街道は福山街道とも呼ばれ、松前藩が成立した16世紀末以前から集落を結ぶ道として利用され、幕藩体制初期から、人馬継立が行われたという記録からも、この街道の利用が進んでいたものと思われます。また東蝦夷地統治の足掛かりとして通行されていました。しかし当時の道は草を刈り分けた程度のものであり、松前藩が幕府の巡見使を迎える時などに清掃や草刈りなどが行われる程度で、ほとんど整備されることはなかったといわれています。19世紀初めになると、今の道南地方に相当する地域には、ドサンコ(道産馬)が多く生息していたことから、馬を利用した荷物の運搬が行われていたようです。
福山(松前町)と箱館(函館)を結ぶこのルートで、福島~知内間は最も険しい難所であり、熊による被害が人々の通行を妨げていました。松前藩ではこの危険な区間は磯舟よりもやや大きめの中漕船を利用して海路を航行していました。
ようやく馬車が通行できる道路になったのは明治26年~27年で、木古内・知内・出石・一ノ渡まで新道が開削されてからでした。
その後、明治~大正に乗合自動車が開通しました。
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