2006年11月01日
贖いの日々
今日は会社で交通安全講習の日でした。
年に一度、警察の人を講師に招き、日々の交通安全について指導を受ける日なのです。
免許更新の際に見るような、交通事故の悲惨さのビデオをが上映されるわけですが、今回は最近大問題となっている飲酒運転がテーマ。
主人公が飲酒運転で人を跳ね飛ばして過失致死、その後一家は地獄の日々…と言う内容でした。
そしてその際頂いた、交通犯罪者の後悔の手記『贖いの日々』を読むと、事故による悲惨さだけじゃなく、その後の生活にいかに影を落とすか…と考えさせられました。
冷たいようですが、飲酒運転で事故を起こした人は自業自得なんで、
その人に対しては何ら心が痛みません。
ただ被害者や加害者の家族は…
一瞬の油断が大事故に…とはいろいろな場面で言われますが、
車の事故も本当に一瞬の出来事なんですよね。
仕事柄毎日運転しますが、運転していて一度も怖い場面に会わない日、
というのは本当にまれ。
自分の不注意であったり、相手の車の不注意であったり色々ですが、
ドライバーは常に事故の危険にさらされていると言えるんじゃないでしょうか。
(情けない話ですが、私も睡魔にはしょっちゅう襲われていますし)
免許を取って数年経ちますが、アレほど嫌いだった車が
いつの間にか好きになってました。
同時に、クルマを運転して事故に遭ったらどうしよう、
なんていう気持ちは今やおきません。
故に、危険が口を開けて待ち構えていたら、ストンと入っちゃうんじゃないか、と。
事実、今年私は軽度で済んだとはいえ事故を起こしています。
これも不注意でした。
あの時は、本当にバンパーを擦った程度で相手に怪我が無く良かった。
飲酒運転だろうが不注意だろうが、事故を起こし取り返しの付かない事態になれば、罪を償うと言う事ではすまないと思うのです。
飲酒運転は言語道断ですが、運転中不注意がゼロの人はまずいないと思います。
その不注意ゼロは無理でも、減らすことにより事故の確率も落とせると思うんです。
自分の友人でも変な自信を持ったり、意味不明な理屈を捏ね回して暴走運転や迷惑運転する人が何人かいるんですが、クルマは走る凶器です。
大事な車との思い出を汚さぬように、自分自身の人生を棒に振らないように、気をつけてクルマと付き合っていきたいですね。
今日の1曲:償い(さだまさし)
※ビデオの後でこの歌が流れたのですが、余りにも切ない歌詞です↓
償い
作詩・作曲:さだまさし
月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり
僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ
たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に
ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた
人殺し あんたを許さないと 彼をののしった
被害者の奥さんの涙の足元で
彼はひたすら大声で泣き乍ら
ただ頭を床にこすりつけるだけだった
それから彼は人が変わった 何もかも
忘れて 働いて 働いて
償いきれるはずもないが せめてもと
毎月あの人に仕送りをしている
今日ゆうちゃんが僕の部屋へ 泣き乍ら走り込んで来た
しゃくりあげ乍ら 彼は一通の手紙を抱きしめていた
それは事件から数えてようやく七年目に初めて
あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り
「ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました
だから どうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に
主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど
それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
手紙の中身はどうでもよかった それよりも
償いきれるはずもない あの人から
返事が来たのが ありがたくて ありがたくて
ありがたくて ありがたくて ありがたくて
神様って 思わず僕は叫んでいた
彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの
やさしい人を許してくれて ありがとう
人間って哀しいね だってみんなやさしい
それが傷つけあって かばいあって
何だかもらい泣きの涙が とまらなくて
とまらなくて とまらなくて とまらなくて
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Posted at
2006/11/02 00:53:15
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