
3/7時点での 長女の運転記録
・一旦停止無視 1回。
・サイド引いたまま運転 1回。
・ライト点けずに運転 1回。
・晴れてるのにリアワイパー作動 1回。
・5速で右折
毎回。
・
助手席の僕の胃の痛み PRICE LESS
みなさんこんにちは。
41にもなってこれを脇に挟めってか!! ヒカルです。
くまモンww カワユスwwwww
ドクターイエロー のお話。
先月末、藤枝市内を取引先の社長を乗せて渋滞にハマってた時の事。
すぐ前に 新幹線の高架橋があったんですが そこを通過した新幹線を見て
俺・社長
「今の黄色くね?」
そうです、ドクターイエローだったんです。
え?ドクターイエロー知らない?
そりゃ覚えなきゃ。 じゃ いつ覚えるか?
(またAUTO兄のをパクってしまった)
ってことなので みなさん覚えてくださいね。
ドクターイエローは「新幹線電気軌道総合試験車(しんかんせんでんききどうそうごうしけんしゃ)」と呼ばれる[1]。「ドクターイエロー」と呼ばれるのは、車体色の黄色に由来している。
東北新幹線区間等では、白ベースに赤の塗装の編成である東日本旅客鉄道(JR東日本)E926形が使用され、「East i(イースト アイ)」(正式名称は「電気軌道総合試験車(でんききどうそうごうしけんしゃ)」)と呼ばれる。用途が同じ車両なので本項にてまとめて記述する。
これらの試験車による検測結果は、東海道・山陽新幹線においては新幹線情報管理システム (SMIS) 、東北・上越・長野新幹線においては新幹線総合システム (COSMOS) に送られ、それぞれ乗り心地の向上や安定した集電、信号トラブルの未然防止などを目的とした保線作業のデータとして使用される。
これらの非営業用車両の車両形式は、「系」や「型」ではなく「(900系)○○○形=がた(○○○○番台)」と表記する(例:900系923形3000番台=T5編成)。
車両
単独の軌道試験車であり、921-1(登場時は4000形4001号)、921-2の2両が存在した。
検測走行時の最高速度は160km/h。丸みを帯びた箱形車体で、前面は非貫通3枚窓、在来線の軌道試験車と同じく3台車を装着する。測定機器の電源用として、ディーゼル発電機を搭載していた。
車体塗装は淡黄色で、窓下に青色の帯を巻いていた。帯の部分に車両番号を書き文字で記載していた。921-1は鴨宮モデル線区投入時からこの塗り分けだったので、ドクターイエローカラーの元祖はこの921形である。検測時は、開業前では試験編成に、開業後は911形ディーゼル機関車などに牽引されていた。後述する1000形B編成を改造した922形0番台(T1編成)には軌道検測機能がないため、922形10番台(T2編成)が登場するまで、単独で運用された。
なお、後述の922形10番台・20番台に組み込まれている921形とは、形式および用途は同じながら外観はまったくの別物である。
921-1 在来線の軌道試験車をベースに設計され、1962年に4000形4001号として東急車輛製造で製造され鴨宮モデル線区に投入された(東海道新幹線開業直前に921-1と改番)。正面中央上部に、車両編成番号表示窓が設置されている。 自動車用ディーゼル発電機を使用して、低速で自走することができた(車庫内での入れ換えなどに使用)。全長は18mで、正面窓が側面まで回っている。 被牽引では200km/hでの計測も可能であり、このため1978年5月より東北新幹線先行試験区間の小山試験線に投入され、翌1979年に同じく東海道・山陽新幹線から移転した961形とともに、各種試験・測定に使用された。 東北新幹線の試験終了後の1980年、廃車解体された。 921-2 1964年の東海道新幹線開業に合わせ、増備車として旧形客車(マロネフ29 11)の改造により製造された。921-1との違いは細かい部分のみで、正面中央上部の車両編成表示窓の省略、正面窓が車体側面まで回っていない、窓の配置が若干異なる、全長が17.5mと短くなっている程度である。性能上は単体では自走できず、測定項目も921-1より少なかった。 921-1より早く、1975年末に廃車となり、翌1976年に浜松工場の車体解体設備で解体された。
10・20番台 [編集]
10番台は11号、20番台は21号の2両が存在した。
T2編成(後述)からは、電気・軌道の検測を一元的に行うため、新製された922形の5号車に組み込まれることになった。車体断面は922形と同一であるが、車体長は17.5mと短く、車体は測定条件を満たすために強固な鋼製で、自重は60tを超えていた。
921-11は922形10番台(T2編成)、921-21は922形20番台(T3編成)に組み込まれていた。
941形(電気試験車→救援車) [編集]
鴨宮モデル線区で運用されていた1000形A編成を、モデル線区投入の2か月後(1962年8月)に電気試験車に、さらに1964年に救援車へと改造したもの。最高速度200km/h。
元々は白地に青帯だったが、救援車への改造にあわせて黄地に青帯になった。その後再改造され、元々1灯式だった前照灯は2灯式に、前面窓は0系に合わせ2号車は曲面ガラスから平面ガラスに改造されたが、1号車の曲面ガラスと両車の車両編成番号表示窓は残された。幸いにも救援車としての出動は一度もなく、1975年に0系1・2次車の廃車が本格化する前に、浜松工場に新設された車体解体設備の輪切りのテストのために廃車解体された。
1号車 (941-1) :資材室
2号車 (941-2) :救援要員用座席(40席)・工具棚
922形 [編集]
0番台 [編集]
1964年6月に、モデル線で運用されていた1000形B編成を、A編成の電気試験車→救援車の改造と同時に、電気・信号系の測定車に改造したもの(軌道系の測定はできなかった)。最高速度200km/h。のちにT1編成とも称される。
元々は白地に窓周りが青色の塗色だったが、改造にあわせ黄地に青帯になった。その後再改造され、元々1灯式だった前照灯は2灯式に、1号車の前面窓は0系に合わせ曲面ガラスから平面ガラスに改造された(4号車は比較試験のためもともと平面ガラスであり1号車のみ改造)。しかし、車両編成番号表示窓と256km/hの記録のプレートは残された。1975年に0系1・2次車の廃車が本格化する前に、941形同様に廃車解体された。
1号車 (922-1) :信号・通信測定車
2号車 (922-2) :電気測定車
3号車 (922-3) :資材車
4号車 (922-4) :電気測定車
922形10番台T2編成
初代T1編成が老朽化、運用面での不都合も多く、博多開業も迫っていたので、1974年に新製された電気軌道総合試験車である。 T2編成とも称する。922形6両 (922-11 - 922-16) に921形軌道検測車 (921-11) を挟み込んだ7両編成で、全車とも日立製作所で製造された。0系16次車と同時発注のため、側窓が大窓になっている。登場当初は昼間に運用されたが、1986年に東海道・山陽新幹線が220km/hに速度向上してからは夜間の運用が主になった。JR化後は東海旅客鉄道(JR東海)に所属。後記するT4編成の登場で2001年1月26日の東京から博多への検測を最後に運用を終了し、同年10月2日から5日にかけて廃車、解体された。
1号車:通信・信号・電気測定車
2号車:データ処理車
3号車:電源車(観測ドームあり)
4号車:倉庫・休憩室(ボックスシートを装備。583系電車の開放式B寝台下段に類似した構造となっており、寝台としても使用できる。)
5号車:軌道検測車(921形、3台車で短車体)
6号車:救援車(観測ドームあり)
7号車:架線磨耗測定車
外観からわかるように0系をベースとした車両であるが、初期の0系電車の外観における特徴の一つである車体側面の脱出口を本車両は装備していない。
なお、後述のT3編成と自動分割併合試験を行うため、1986年に7号車先頭部の連結器に改造が施され、前頭部の外観が多少変化した。これは結局現在のところ東海道・山陽区間においては実用化されていないが、後に東北方面での新在直通運転における自動分割併合の実現に貢献することとなった[2] 。
20番台 [編集]
T2編成の増備として、1979年に新製された。T3編成とも称する。T2編成1本では検測を行いつつ車両検査を受けることが困難であったため、T2編成が検査入場中は予備車である921形0番台で軌道検測を行わなければならなかった。921形0番台は最高速度が低く、運用上の問題が発生した[3]。それを防ぐために製造されたのがT3編成である。製造メーカーは3 - 5号車が東急車輛製造、それ以外は日立製作所である。
0系27次車(1000番台)と同時発注のため、側窓が小窓になっている。その他の仕様はT2編成に近いが、架線磨耗測定車が2号車、レーザー光線式架線摩耗測定装置の採用[4]、添乗員座席(0系普通車オリジナルの2+3列転換クロスシートを装備)がある等微妙な違いがある(軌道検測車は921-21)。T2編成同様、車体側面の脱出口は装備しない。
JR発足以後は西日本旅客鉄道(JR西日本)に所属。T4編成の登場で予備車になった。2001年にT2編成が運用を離脱し、2005年に当編成が後述の700系ベース車であるT5編成によって置き換えられるまでの4年間、東海道新幹線の全区間で運行されていた唯一かつ最後の0系タイプ車両であった。(JR西日本所属の0系が新大阪駅から鳥飼車両基地の間を回送線として利用したケースを除く)T2編成との外見上の相違は側窓の大きさのほか、最前部の連結器カバー(光前頭)がT2は白色、T3は黄色となっていた。
1号車:通信・信号・電気測定車
2号車:データ処理・架線摩耗測定車
3号車:電源車(観測ドームあり)
4号車:倉庫
5号車:軌道検測車(921形、3台車で短車体)
6号車:救援車(観測ドームあり)
7号車:休憩室
なお、前述のT2編成同様、1号車前頭部に自動分割併合装置が改造により装備されていた。
2005年9月30日に廃車となった[5]後も922-26が博多総合車両所で保管されていたが、JR東海に譲渡の上、2011年3月に開館したリニア・鉄道館で展示されている[6]。
0番台 [編集]
T2編成の老朽化と、東海道区間の300系以降の車両への統一に伴い、270km/hでの走行が可能な車両として、2000年に700系をベースに開発された。JR東海に所属し、T4編成と呼ばれる。1 - 3号車は日立製作所笠戸事業所、4 - 7号車は日本車輌製造豊川製作所で製造された(後述のT5編成も同様)。
T3編成までの軌道検測車(付随車)は、3台車の相対変位を測定する方式であり車体長も短かったが、T4編成以後はレーザー光を使用した方式に改良され、他の車輌と同じ2台車で車体長も同じになっている(T4編成からは、形式も923形に含まれている)。
先頭部には、前照灯の下方、車体中央に前方監視カメラが設置されている。また、尾灯がこのカメラの左右に配置されており、営業用の700系では尾灯となっている左右の2灯も前照灯(この灯火のみ、キセノンやHIDライトと呼ばれることもある、白色のディスチャージヘッドランプ)となっている。このため、前照灯は700系の4灯に対し6灯となり、視認性の向上が図られている。
車体色の黄色が、T3までの編成(黄色5号)に比べて明るく鮮やかなもの(マリーゴールドイエロー)となっている。また、2号車と6号車にはそれぞれ集電用1基、検測用1基のパンタグラフが搭載され、1両に2基のパンタグラフが並んでおり、営業車には例のない長大なパンタグラフカバーと相まって、ユニークな外観となっている。
なお測定走行時には、測定用パンタグラフは進行前方の車両、集電用パンタグラフは進行後方の車両のものを使用し、同一車両の2基のパンタグラフを同時に上げて走行することはない(試運転等、測定以外の特殊な運転の場合は除く)。
走行機器もベースとなった700系に準じているが、編成が短くなったことから、1ユニットを構成する車両数が4両から3両(M1c+M'+M2)に減らされている。それに伴い、新たに制御電動車 (M1c) が設定されたほか、従来は付随車に搭載されていた空気圧縮機や補助電源装置といった補機類が電動車に集約して搭載された。また、計測機器などの電源用および停電対策用として、M'車車内に210kVA電源装置および鉛蓄電池を搭載する。
落成当時、4号車の屋根はマリーゴールドイエローであったが、2006年に700系と同じパールホワイトに塗り替えられた。これは、太陽光による外板温度上昇が車体を弓形に反らせる現象が観察されたためで、温度上昇を減らすことを目的として塗装が変更されている。
1号車:変電/電車線/信号/通信測定台・電気/施設測定機器
2号車:高圧室・電気関係測定機器
3号車:観測ドーム・電気倉庫・電力データ整理室
4号車:(軌道検測車)軌道検測室・施設データ整理室・施設倉庫
5号車:多目的試験・電源供給・観測ドーム・休憩室
6号車:ミーティングルーム・高圧室・電気関係測定機器
7号車:電気/施設測定機器(添乗室があり700系普通車と同様の車内。カラーの大型プラズマディスプレイも備える)
なお、923という形式称号は2代目にあたる。先代はレール探傷車が名乗っており、2代目923形が登場した時点ではJR西日本に923-2が在籍していた。
3000番台 [編集]
4号車の軌道検測用台車
2003年のダイヤ改正で高速化された東海道新幹線において、922形T3編成の210km/hでの検測運転では営業車両との性能差からダイヤに支障し、またT3編成自体の老朽化も進んでいたことから、これを置き換える目的で2005年に登場した。JR西日本博多総合車両所に所属し、T5編成と呼ばれる。2005年3月上旬にそれぞれのメーカーから陸上および海上輸送により博多総合車両所に運ばれた。
700系をベースとしており、仕様は923形0番台T4編成とほぼ同一である。T4編成との外観上の差異は、車体側面に博多総合車両所でメンテナンスを行う際のジャッキアップ時にリフトを差し込むための穴があること、および7号車屋根上のアンテナの有無(T4編成にはない)のみである。
博多総合車両所所属でありながら普段は東京に常駐しているため、保守を容易にするため台車もT4編成と同一にしてある。また、定期検査はJR東海に委託し、交番検査が東京交番検査車両所、台車検査・全般検査が浜松工場の施行となっている[8]。
T編成 編成表
運用 [編集]
主要駅停車の「のぞみ」(「ひかり」)検測と、各駅に止まる「こだま」検測の2種類があり、通常各タイプとも同じダイヤで営業時間帯に運転される。
「のぞみ」タイプと「こだま」タイプのどちらも、基本的に2日かけて検測を行い、1日目に東京 → 博多、2日目に博多 → 東京となることが多い。ただし、新大阪駅到着時にいったん大阪仕業検査車両所に入区することが多い。
東海道新幹線開通間もないころは、営業列車のない深夜に検測を行っていたが、営業列車と同じ速度で検測可能なT2編成(922形10番台)が1974年に登場してからは昼間に検測をおこなうようになった[9]。当時は「ひかり」検測は3日かけて[10]、「こだま」検測は4日かけて[11]行った[9]。
長ぇよっっ!!!
とにかく、東海道・山陽新幹線をたまに走る、見ると幸せになれるという新幹線なのです。
この話を家に帰って嫁にすると
嫁「見たーい!!DY見たーい!!!」
(なんでもかんでも略すな)
と言うので、完全非公開のドクターイエロー時刻表をね、
携帯の電話帳登録件数600件超の僕の人脈と、 あと
ドクターイエローマニアさんのサイトにある 運行予想表使って調べました。
出た答えは
「3月6日 12時49分大井川橋梁通過」
というもの。
そして、昨日。
大井川橋梁
電車好きの甥っ子にも見せたかったので 連れてきました
電車好きらしく、彼はすでにドクターイエローを
履いてます。
そしてついに、
上りのN700が通過したその時!!
キターッ!!!
もう大興奮!!!嫁が!!!
このドクターイエロー、2日かけて1往復します。
つまり 今日も通ります。
行ってきます。
Posted at 2013/03/07 09:52:56 | |
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