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hikarunthe3rdのブログ一覧

2013年04月13日 イイね!

飛べない豚はただの豚でござる の巻

飛べない豚はただの豚でござる の巻 オーストラリア・Aリーグのプレーオフ準決勝が12日に行われ、元日本代表MF小野伸二の所属するウェスタン・シドニー・ワンダラーズがブリズベン・ロアーと対戦し、2-0と快勝した。小野は先発出場して、72分には左足の鮮やかなループシュートで得点。チームの2点目を挙げ、勝利に貢献した。

 試合後、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズのトニー・ポポヴィッチ監督とブリズベン・ロアーのマイク・マルビー監督が、小野を称賛した。リーグの公式HPが伝えている。

 ポポヴィッチ監督は、「シンジはスペシャルな選手。クラブに彼がいてくれることに興奮しているよ」と、小野を絶賛。マルビー監督も、「天才の瞬間だったね。それに、彼が才能を見せたのは、初めてではないんだ」とコメントし、芸術的な得点に舌を巻いた。

 小野は今シーズンからウェスタン・シドニー・ワンダラーズに在籍。リーグ戦では、チーム2位の7ゴールを挙げ、レギュラーシーズンの1位獲得に大きく貢献していた。



ということですが そうですか。



この活躍をみて、今日の静岡ダービーはなんとか勝ちましたけど

現在どん底エスパルスのゴトビ監督はどう思ってるのか聞きたいくらいですが

単純にこのループシュートは素晴らしいシュートでした。











http://www.youtube.com/watch?v=vJfSf_kYrUI







天才 ですね。





でも 小野伸二のループシュートっていったらやっぱこれです。















http://www.youtube.com/watch?v=g0dvVyYhm9s








天才! ですねっ!!








みなさんこんばんは。



もういらねぇ ヒカルです。





なにがもういらないかというと、













ガッツリ系ラーメン のお話。






昨日12日、焼津に「らーめんブッチャー」がオープンしました。

いわゆる二郎インスパイア系という、豚の餌大盛りラーメン屋です。

おとなり静岡市につづく、県内4店舗目のお店です。



オープン初日なのできっと混むと思い 14時過ぎに行きました。

それでも10人くらい並んでいました。

そして5分ほど経ったころ、 背後にあの男が。

















そうです。


麺処サガミでは ざるそばを10枚食し、

豚骨すぎ多では 替え玉を6回繰り返す、平成の怪物、 わきちゃん登場。





食券を買い テーブルに座ります。

頼んだのは 

僕がふじそば、麺大盛り・野菜増し。

嫁はふじそば、野菜増し・脂少な目。

















ほんとに富士山みたいwww



こんなもの食って 体にいいわけがない。






そして我らが師匠、わきちゃんは、

・ふじそば、麺大盛り・野菜増し・トッピング焼豚・ライス。






















ちょww ライス食うのかwwwww



まさに他の追従を許さない食べっぷり。

実写版千と千尋のお父さんを見た気がしました。








そして 今日。

嫁から話を聞いたらしく、

「ずるい。食べたい。」 と恐ろしいことを言う ウチの子供たち。



しかたがないのでまさかの2日連続。


そしてせっかくだから昨日のにプラス焼豚トッピング。





































今日もおいしゅうございました。










さすがのボクでも しばらくラーメンいらねぇ!  です・・・










Posted at 2013/04/13 23:41:15 | コメント(13) | トラックバック(0) | お昼ごはん | 日記
2013年03月28日 イイね!

サクラサクでござる の巻

サクラサクでござる の巻ブラジルW杯アジア最終予選B組 ヨルダン2―1日本(26日、ヨルダン・アンマン、キング・アブドゥラ・インターナショナル・スタジアム) アルベルト・ザッケローニ監督(59)が選手に異例の謝罪を行った。引き分け以上でW杯出場権が得られた26日のヨルダン戦で1―2と敗れ、「W杯を決められなかったのは自分の責任」と発言。出場がお預けになったことで今後の強化プランも白紙になった。ただ優位は変わらず、6月4日のオーストラリア戦(埼玉)以降の2試合で勝ち点1を取れば出場が決まる。日本代表は試合後に解散し、欧州組と国内組に分かれて27日に帰国した。



ということですが そうですか。



まぁ当然プレッシャーもありました。

本田・長友は確かに必要だし、単純に戦力ダウンは否めなかったし

アウェイの洗礼もありました。

ザックの選手起用もイマイチで とくにケンゴは絶対に使うべきでした。

遠藤は相手にコロコロ読まれてると思ったのかな。





がしかし!

終わったものはしょうがありません。

次のオーストラリア戦で勝てばいいんです。




過去、日本代表は4回 W杯に出場してますが そのすべてをアウェイもしくはセントラルで

決めてきました。


98フランス大会は いわゆるジョホールバルの歓喜で。


02日韓大会は 開催国なので予選免除。


06ドイツ大会は 対北朝鮮戦の中立地バンコクで。


10南アフリカ大会は 対ウズベキスタン戦の敵地タケシントで。




つまり、次の試合は、初めてホームで出場を決めるチャンス なんです!!


そう考えたら 今回の敗戦もポジティブに考えられますね。









みなさんこんにちは。



ドクターイエローの通過日時を間違えました。ヒカルです。



満開の桜と一緒に撮りたかったのに。









そんな  のお話。







ここ静岡は今 桜の見ごろです。

今週末がピークじゃないでしょうか。



そんな桜の写真を撮ってみました。


今回は嫁も撮りました。














































































































お前にカメラを持たせた俺が悪かったよwww












さて 今週末 お花見の人も多いと思います。

くれぐれも羽目を外しすぎませんように。
Posted at 2013/03/28 12:50:54 | コメント(9) | トラックバック(0) | 日常 | 日記
2013年03月26日 イイね!

ヨルダン戦は夜だn・・・なんでもないでござる の巻

ヨルダン戦は夜だn・・・なんでもないでござる の巻 ◇W杯アジア最終予選グループB 日本―ヨルダン(2013年3月26日 アンマン)

 日本代表は26日、W杯アジア最終予選第6戦でヨルダンとアウェーで対戦する。勝てば無条件で5大会連続のW杯出場が決まる大一番を前に、香川真司(24=マンチェスターU)はヨルダン戦をサッカー人生の中で最も重要な試合の一つに位置づけた。10年W杯南アフリカ大会出場を決めた09年6月6日のウズベキスタン戦はベンチ外。本大会でもメンバーから落選しただけに、4年分の思いをぶつける。
 芝生の状態を入念に確認した。冒頭15分のみ公開された公式練習。香川はピッチに姿を現すと、最初に手でボールを弾ませてバウンドをチェックした。





ということですが そうですか。

香川といえば 今や泣く子も黙っちゃうまさにナマハゲの敵ですが

実はワールドカップに出たことありません。

ここまでもW杯予選で思うような活躍をしきれてないのが実情です。

でも今日のヨルダン戦は ケガで本田が招集されていません。

今夜こそトップ下で存分にタクトを振り、5大会連続出場を 世界最速で

決めてもらいたいものですね。






みなさんこんにちは。


長女がもう車をぶつけたお ヒカルです。

身内じゃなんにも儲かりません。











ハーレーダビッドソン のお話。



友人のトシくんのハーレーが修理から上がったっていうので

2人で取りに行ったよ。

彼はこだわりがあるから 遠くのバイク屋に依頼してたよ。


行きはバイク屋までトシくんのボルボで向かったよ。




























彼はこう見えても 精力絶倫だよ。








片時もティッシュを手放さないよ。















長距離ドライブ後、バイク屋に着いたよ。





これがトシくん自慢のハーレーダビッドソン・ダイナだよ。



















もう原型を留めてないよ。 まるでゼファーだよ。




















さて バイクを引き取ったら 長い帰り道のはじまりだよ。

























































































遠すぎだよっ!!!!









P.S.







トシくんのハーレー画像はこっちでした。








Posted at 2013/03/26 14:27:11 | コメント(9) | トラックバック(0) | サッカー | 日記
2013年03月16日 イイね!

TPSEPAではござらぬか の巻

TPSEPAではござらぬか の巻TPPへの交渉参加が

決まりましたね。





簡単に言うと 太平洋の周りにある国々の間では、ヒト・モノ・サービス・カネの移動を

ほぼ自由にしようじゃないか という協定です。





しかし、この僕の説明でも ?? って人がいると思うので

もっと分かりやすくお教えしますね。









環太平洋戦略的経済連携協定(かんたいへいようせんりゃくてきけいざいれんけいきょうてい、英語: Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement または単に Trans-Pacific Partnership, TPP,環太平洋経済協定、環太平洋連携協定、環太平洋経済連携協定、環太平洋パートナーシップ協定[1])は、環太平洋地域の国々による経済の自由化を目的とした多角的な経済連携協定 (EPA) である[2]。

TPPは、2005年6月3日にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国間で調印し、2006年5月28日に発効した。2011年現在、アメリカ、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、ペルーが加盟交渉国として、原加盟国との拡大交渉会合に加わっている。9か国による拡大交渉は、2011年11月12日に大枠合意に至り、2012年内の最終妥結を目指している[3]。




環太平洋戦略的経済連携協定は、2006年5月28日にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国で発効した経済連携協定である。

2006年1月1日に加盟国間のすべての関税の90%を撤廃し、2015年までに全ての貿易の関税を削減しゼロにすることが約束されており、産品の貿易、原産地規則、貿易救済措置、衛生植物検疫措置、貿易の技術的障害、サービス貿易、知的財産、政府調達(国や自治体による公共事業や物品・サービスの購入など)、競争政策を含む、自由貿易協定のすべての主要な項目をカバーする包括的な協定となっている。目的の一つは、「小国同士の戦略的提携によってマーケットにおけるプレゼンスを上げること」である[2](CHAPTER 16 STRATEGIC PARTNERSHIP Article 16.2: Objectives 2. (d))。

野田佳彦(当時日本の総理大臣)は、2011年11月11日に「交渉参加に向けて関係国との協議に入る」と表明した[4]。しかし、拡大交渉会合への参加は許可されず、交渉会合中の情報共有や協議には応じない方針が明らかにされている[5]。2012年11月12日の会合からカナダとメキシコが正式な加盟交渉国に加わった[6]。

環太平洋パートナーシップ協定への拡大 [編集]

2010年3月から拡大交渉会合が始まり、アメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルーが交渉に参加し、10月にマレーシアが加わった。2010年11月に開かれた2010年日本APECで、TPPは、ASEAN+3(日中韓)、ASEAN+6(日中韓印豪NZ)とならび、FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)の構築に向けて発展させるべき枠組みと位置づけられた。ASEAN+3、ASEAN+6は政府間協議の段階にとどまっているのに対し、TPPは交渉が開始されている。2011年アメリカAPEC(英語版)までの妥結と結論を目標にしていたが、大枠合意にとどまり「2012年内の最終妥結を目指す」と先延ばしされている[3]。

拡大交渉中のTPPについて、加盟国・交渉国に日本を加えた10か国のGDP(国内総生産)を比較すると域内GDPの91%を日本とアメリカの2か国が占めるため[7]、実質は日米のFTAだとする見方もある[8]が、あくまで原加盟国4か国間で発効している環太平洋戦略的経済連携協定の拡大 (Expansion) である。

原協定 [編集]

環太平洋戦略的経済連携協定 (Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement, TPSEP) は、その名の通り、環太平洋の国々における (Trans-Pacific) 戦略的な (Strategic) 経済連携協定 (Economic Partnership Agreement) である。 2005年6月3日にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国間で調印し、2006年5月28日に発効した。

当初は、Pacific Three Closer Economic Partnership (P3-CEP) として知られ、2002年にメキシコのロス・カボスで開かれたAPEC首脳会議でチリ、シンガポール、ニュージーランドの3か国間で交渉が開始された。2005年4月に開かれた5回目の交渉会合で、ブルネイは完全な交渉当事者として加わった。 この成立の経緯から、この貿易圏を構成する原加盟国4か国は Pacific-4 (P4) と呼ばれるようになった。

拡大交渉中のTPP協定と区別するために、原協定 (original agreement) は、P4協定 (P4 Agreement) と呼ばれることがある。

条文は、ニュージーランド政府サイト上で公開[2](#外部リンク参照)されており、日本語への私訳も複数存在している(日本政府からは、農林水産省から第3章の仮訳が公開されているのみである)。

原協定の構成 [編集]
主文 (Main-Agreement) 序文 (PREAMBLE)
第1章 設立条項 (INITIAL PROVISIONS)
第2章 一般的定義 (GENERAL DEFINITIONS)
第3章 物品の貿易 (TRADE IN GOODS)
第4章 原産地規則 (RULES OF ORIGIN)
第5章 税関手続き (CUSTOMS PROCEDURES)
第6章 貿易救済措置 (TRADE REMEDIES)
第7章 衛生植物検疫措置 (SANITARY AND PHYTOSANITARY MEASURES)
第8章 貿易の技術的障害 (TECHNICAL BARRIERS TO TRADE)
第9章 競争政策 (COMPETITION POLICY)
第10章 知的財産 (INTELLECTUAL PROPERTY)
第11章 政府調達 (GOVERNMENT PROCUREMENT)
第12章 サービス貿易 (TRADE IN SERVICES)
第13章 一時的入国 (TEMPORARY ENTRY)
第14章 透明性 (TRANSPARENCY)
第15章 紛争解決 (DISPUTE SETTLEMENT)
第16章 戦略的連携 (STRATEGIC PARTNERSHIP)
第17章 行政および制度条項 (ADMINISTRATIVE AND INSTITUTIONAL PROVISIONS)
第18章 一般的条項 (GENERAL PROVISIONS)
第19章 一般的例外 (GENERAL EXCEPTIONS)
第20章 最終規定 (FINAL PROVISIONS)

付属書 I シンガポール (Annex I Schedule of Singapore)
付属書 I ブルネイ (Annex I Schedule of Brunei Darussalam)
付属書 I チリ (Annex I Schedule of Chile)
付属書 I ニュージーランド (Annex I Schedule of New Zealand)
付属書 II 原産地規則 (Annex II Specific Rules of Origin)
付属書 III サービススケジュールその1 (Annex III Part One of the Services Schedules)
付属書 IV サービススケジュールその2 (Annex IV Part Two of the Services Schedules)

拡大交渉 [編集]

原協定の第20章 最終規定の第1条および第2条において、「別段の合意が無い限り、この協定に投資に関する章と金融に関する章を盛り込むことを目的として、この協定の発効(2006年5月28日)から遅くても2年後までに交渉を開始する」と定められている。 これに従い協定の拡大交渉会合が開かれており、現在も続いている。

拡大交渉に伴い、拡大交渉中の協定は 環太平洋パートナーシップ協定 (Trans-Pacific Partnership, TPP) と表現されるようになったが、内容は、環太平洋戦略的経済連携協定 (Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement, TPSEP, P4) の拡大である。

拡大交渉会合までの流れ [編集]

2008年2月4日、アメリカ合衆国通商代表部(以下、USTR)のスーザン・シュワブ代表(当時)は、アメリカが投資と金融に関する交渉に参加すると表明し[9]、その後、リーマン・ショックから1週間後にあたる2008年9月22日に、USTRのスーザン・シュワブ代表は、原加盟国4か国の代表と共に交渉の立ち上げの声明を出し、アメリカは最初に追加された交渉国となった[10]。

翌日の2008年9月23日に、オーストラリアは参加の検討を発表した[11]。

2009年11月14日に、アメリカは改めて表明を示し、その中で、バラク・オバマ大統領は初めてTPPに係合する意向を発表し、USTRのロン・カーク代表は輸出拡大と雇用確保などのメリットを強く訴えている[12]。

2010年3月14日に、ペルーのペレス貿易観光大臣は交渉参加を発表した[13]。

拡大交渉会合の流れ [編集]

2010年3月の第1回の拡大交渉会合から、アメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルーの4か国が交渉国として拡大交渉会合に加わり、2010年10月の第3回から更にマレーシアが加わった。

2010年11月14日、2010年日本APECの最終日、原加盟国と交渉国の計9か国の政府首脳はバラク・オバマ米大統領を議長とし、「2011年のAPECまでに妥結と結論を得ることを目標にしたい」との呼びかけに賛同した[14]。

2011年11月12日、ホノルルでの2011年アメリカAPECの会合で、交渉は大枠合意に至り、オバマ米大統領は今後1年間での最終妥結を目指すことを明らかにした[3]。

大枠合意 [編集]

2011年11月12日に拡大交渉は大枠合意に至り、輪郭が発表された[15]。その中で、以下の5つが「重要な特徴」として挙げられている。
1.包括的な市場アクセス(関税その他の非関税障壁を撤廃)
2.地域全域にまたがる協定(TPP参加国間の生産とサプライチェーンの発展を促進)
3.分野横断的な貿易課題(TPPに以下を取り込みAPEC等での作業を発展させる) 1.規制制度間の整合性:参加国間の貿易を継ぎ目のない効率的なものとする
2.競争力及びビジネス円滑化:地域の経済統合と雇用を促進する
3.中小企業:中小企業による国際的な取引の促進と貿易協定利用を支援
4.開発:TPPの効果的な履行支援等により、参加国の経済発展上の優先課題が前進

4.新たな貿易課題:革新的分野の製品・サービスの貿易・投資を促進し、競争的なビジネス環境を確保
5.「生きている」協定:将来生じる貿易課題や新規参加国によって生じる新しい課題に対応するため、協定を適切に更新

同大枠合意に示される以上の交渉内容の詳細については、交渉参加国から公表されていない。

その後の流れ [編集]

2011年12月の第10回の拡大交渉会合の概要で、「オブザーバー参加や交渉参加前の条文案の共有は認めないとの従来方針の再確認」と「交渉会合中はこうした国との協議は行わないことで意見が一致した」となされている[5]。これは、#アメリカから日本への要求と対応に見られる協議は、9か国の拡大交渉会合参加国からは、TPPに関する協議とは見なされていない事を意味する。

ニュージーランド外務貿易省の公式サイトには、交渉中のテキスト、各国の提案及びそれに伴う説明資料、交渉内容に関連するEメールなどが協定発効後4年間秘匿されることが書かれているが、2012年1月27日に野田佳彦総理大臣(当時)はこれは通常の交渉の慣行に沿った扱いであるとしている[16]。

拡大交渉会合への参加手順 [編集]

日本をはじめとした拡大交渉会合に参加していない国が、交渉国として拡大交渉会合に参加するには、現在の拡大交渉会合参加国9か国全ての承諾が必要である。なお、アメリカでは2~3か月の事前協議を経た上で、交渉開始の90日前に議会への伝達が必要とされている。





目がしょぼしょぼしてきたよ!













みなさんこんにちは。






コンセントは左右の穴の大きさが違うお ヒカルです。















なんで違うのかまでは知らないお ヒカルです。















こだま検測 のお話。






昨日は確定申告の最終日でして(たぶん)、

今週ずっと嫁が打ち込みしてたので パソコンが使えませんでした。

なのでこれは 12日の事なんですけど、


通常、検測で走るときは「のぞみ検測」といって のぞみのダイヤで走るんです。

つまり、静岡県内の駅には停車しない んです。



ところが!、1~2か月に1回 各駅停車のこだまのダイヤで一往復するときがあって

それが今週の11日と12日だったのです。

















あ、 申し遅れましたが、ドクターイエローのお話です


みんながんばってついてきてね。







ただやっぱり年度末、仕事もたくさん入ってて 嫁も確定申告や家事に追われてました。




僕 「今日は見に行くのは厳しいかなー」

嫁 「そうだねー まだ夕飯の買い物も行ってないし」

僕 「この時間道も混むし、たぶんもう間に合わないなー」

嫁 「そうだねー 今日は諦めよう」








・・・・・






・・・・・・・・・














































きちゃった♪ てへぺろ♪









入場券を買って ホームへ















この回送「900番台」ってのがドクターイエローです、 ここ期末に出ます。














待つこと20分



























ギャラリーいっぱいwww






次回の予定は18日 のぞみ検測です。
Posted at 2013/03/16 11:03:54 | コメント(8) | トラックバック(0) | ドクターイエロー | 日記
2013年03月07日 イイね!

黄色医者でござる の巻

黄色医者でござる の巻3/7時点での 長女の運転記録




・一旦停止無視            1回。


・サイド引いたまま運転       1回。


・ライト点けずに運転          1回。


・晴れてるのにリアワイパー作動 1回。


・5速で右折           毎回。



助手席の僕の胃の痛み  PRICE LESS









みなさんこんにちは。



41にもなってこれを脇に挟めってか!! ヒカルです。













くまモンww カワユスwwwww











ドクターイエロー  のお話。



先月末、藤枝市内を取引先の社長を乗せて渋滞にハマってた時の事。

すぐ前に 新幹線の高架橋があったんですが そこを通過した新幹線を見て


俺・社長 「今の黄色くね?」



そうです、ドクターイエローだったんです。







え?ドクターイエロー知らない?


そりゃ覚えなきゃ。    じゃ いつ覚えるか?





















(またAUTO兄のをパクってしまった)






ってことなので みなさん覚えてくださいね。





ドクターイエローは「新幹線電気軌道総合試験車(しんかんせんでんききどうそうごうしけんしゃ)」と呼ばれる[1]。「ドクターイエロー」と呼ばれるのは、車体色の黄色に由来している。

東北新幹線区間等では、白ベースに赤の塗装の編成である東日本旅客鉄道(JR東日本)E926形が使用され、「East i(イースト アイ)」(正式名称は「電気軌道総合試験車(でんききどうそうごうしけんしゃ)」)と呼ばれる。用途が同じ車両なので本項にてまとめて記述する。

これらの試験車による検測結果は、東海道・山陽新幹線においては新幹線情報管理システム (SMIS) 、東北・上越・長野新幹線においては新幹線総合システム (COSMOS) に送られ、それぞれ乗り心地の向上や安定した集電、信号トラブルの未然防止などを目的とした保線作業のデータとして使用される。

これらの非営業用車両の車両形式は、「系」や「型」ではなく「(900系)○○○形=がた(○○○○番台)」と表記する(例:900系923形3000番台=T5編成)。

車両
単独の軌道試験車であり、921-1(登場時は4000形4001号)、921-2の2両が存在した。

検測走行時の最高速度は160km/h。丸みを帯びた箱形車体で、前面は非貫通3枚窓、在来線の軌道試験車と同じく3台車を装着する。測定機器の電源用として、ディーゼル発電機を搭載していた。

車体塗装は淡黄色で、窓下に青色の帯を巻いていた。帯の部分に車両番号を書き文字で記載していた。921-1は鴨宮モデル線区投入時からこの塗り分けだったので、ドクターイエローカラーの元祖はこの921形である。検測時は、開業前では試験編成に、開業後は911形ディーゼル機関車などに牽引されていた。後述する1000形B編成を改造した922形0番台(T1編成)には軌道検測機能がないため、922形10番台(T2編成)が登場するまで、単独で運用された。

なお、後述の922形10番台・20番台に組み込まれている921形とは、形式および用途は同じながら外観はまったくの別物である。
921-1 在来線の軌道試験車をベースに設計され、1962年に4000形4001号として東急車輛製造で製造され鴨宮モデル線区に投入された(東海道新幹線開業直前に921-1と改番)。正面中央上部に、車両編成番号表示窓が設置されている。 自動車用ディーゼル発電機を使用して、低速で自走することができた(車庫内での入れ換えなどに使用)。全長は18mで、正面窓が側面まで回っている。 被牽引では200km/hでの計測も可能であり、このため1978年5月より東北新幹線先行試験区間の小山試験線に投入され、翌1979年に同じく東海道・山陽新幹線から移転した961形とともに、各種試験・測定に使用された。 東北新幹線の試験終了後の1980年、廃車解体された。 921-2 1964年の東海道新幹線開業に合わせ、増備車として旧形客車(マロネフ29 11)の改造により製造された。921-1との違いは細かい部分のみで、正面中央上部の車両編成表示窓の省略、正面窓が車体側面まで回っていない、窓の配置が若干異なる、全長が17.5mと短くなっている程度である。性能上は単体では自走できず、測定項目も921-1より少なかった。 921-1より早く、1975年末に廃車となり、翌1976年に浜松工場の車体解体設備で解体された。
10・20番台 [編集]

10番台は11号、20番台は21号の2両が存在した。

T2編成(後述)からは、電気・軌道の検測を一元的に行うため、新製された922形の5号車に組み込まれることになった。車体断面は922形と同一であるが、車体長は17.5mと短く、車体は測定条件を満たすために強固な鋼製で、自重は60tを超えていた。

921-11は922形10番台(T2編成)、921-21は922形20番台(T3編成)に組み込まれていた。

941形(電気試験車→救援車) [編集]

鴨宮モデル線区で運用されていた1000形A編成を、モデル線区投入の2か月後(1962年8月)に電気試験車に、さらに1964年に救援車へと改造したもの。最高速度200km/h。

元々は白地に青帯だったが、救援車への改造にあわせて黄地に青帯になった。その後再改造され、元々1灯式だった前照灯は2灯式に、前面窓は0系に合わせ2号車は曲面ガラスから平面ガラスに改造されたが、1号車の曲面ガラスと両車の車両編成番号表示窓は残された。幸いにも救援車としての出動は一度もなく、1975年に0系1・2次車の廃車が本格化する前に、浜松工場に新設された車体解体設備の輪切りのテストのために廃車解体された。
1号車 (941-1) :資材室
2号車 (941-2) :救援要員用座席(40席)・工具棚




922形 [編集]

0番台 [編集]

1964年6月に、モデル線で運用されていた1000形B編成を、A編成の電気試験車→救援車の改造と同時に、電気・信号系の測定車に改造したもの(軌道系の測定はできなかった)。最高速度200km/h。のちにT1編成とも称される。

元々は白地に窓周りが青色の塗色だったが、改造にあわせ黄地に青帯になった。その後再改造され、元々1灯式だった前照灯は2灯式に、1号車の前面窓は0系に合わせ曲面ガラスから平面ガラスに改造された(4号車は比較試験のためもともと平面ガラスであり1号車のみ改造)。しかし、車両編成番号表示窓と256km/hの記録のプレートは残された。1975年に0系1・2次車の廃車が本格化する前に、941形同様に廃車解体された。
1号車 (922-1) :信号・通信測定車
2号車 (922-2) :電気測定車
3号車 (922-3) :資材車
4号車 (922-4) :電気測定車


922形10番台T2編成
初代T1編成が老朽化、運用面での不都合も多く、博多開業も迫っていたので、1974年に新製された電気軌道総合試験車である。 T2編成とも称する。922形6両 (922-11 - 922-16) に921形軌道検測車 (921-11) を挟み込んだ7両編成で、全車とも日立製作所で製造された。0系16次車と同時発注のため、側窓が大窓になっている。登場当初は昼間に運用されたが、1986年に東海道・山陽新幹線が220km/hに速度向上してからは夜間の運用が主になった。JR化後は東海旅客鉄道(JR東海)に所属。後記するT4編成の登場で2001年1月26日の東京から博多への検測を最後に運用を終了し、同年10月2日から5日にかけて廃車、解体された。
1号車:通信・信号・電気測定車
2号車:データ処理車
3号車:電源車(観測ドームあり)
4号車:倉庫・休憩室(ボックスシートを装備。583系電車の開放式B寝台下段に類似した構造となっており、寝台としても使用できる。)
5号車:軌道検測車(921形、3台車で短車体)
6号車:救援車(観測ドームあり)
7号車:架線磨耗測定車

外観からわかるように0系をベースとした車両であるが、初期の0系電車の外観における特徴の一つである車体側面の脱出口を本車両は装備していない。

なお、後述のT3編成と自動分割併合試験を行うため、1986年に7号車先頭部の連結器に改造が施され、前頭部の外観が多少変化した。これは結局現在のところ東海道・山陽区間においては実用化されていないが、後に東北方面での新在直通運転における自動分割併合の実現に貢献することとなった[2] 。

20番台 [編集]

T2編成の増備として、1979年に新製された。T3編成とも称する。T2編成1本では検測を行いつつ車両検査を受けることが困難であったため、T2編成が検査入場中は予備車である921形0番台で軌道検測を行わなければならなかった。921形0番台は最高速度が低く、運用上の問題が発生した[3]。それを防ぐために製造されたのがT3編成である。製造メーカーは3 - 5号車が東急車輛製造、それ以外は日立製作所である。

0系27次車(1000番台)と同時発注のため、側窓が小窓になっている。その他の仕様はT2編成に近いが、架線磨耗測定車が2号車、レーザー光線式架線摩耗測定装置の採用[4]、添乗員座席(0系普通車オリジナルの2+3列転換クロスシートを装備)がある等微妙な違いがある(軌道検測車は921-21)。T2編成同様、車体側面の脱出口は装備しない。

JR発足以後は西日本旅客鉄道(JR西日本)に所属。T4編成の登場で予備車になった。2001年にT2編成が運用を離脱し、2005年に当編成が後述の700系ベース車であるT5編成によって置き換えられるまでの4年間、東海道新幹線の全区間で運行されていた唯一かつ最後の0系タイプ車両であった。(JR西日本所属の0系が新大阪駅から鳥飼車両基地の間を回送線として利用したケースを除く)T2編成との外見上の相違は側窓の大きさのほか、最前部の連結器カバー(光前頭)がT2は白色、T3は黄色となっていた。
1号車:通信・信号・電気測定車
2号車:データ処理・架線摩耗測定車
3号車:電源車(観測ドームあり)
4号車:倉庫
5号車:軌道検測車(921形、3台車で短車体)
6号車:救援車(観測ドームあり)
7号車:休憩室

なお、前述のT2編成同様、1号車前頭部に自動分割併合装置が改造により装備されていた。

2005年9月30日に廃車となった[5]後も922-26が博多総合車両所で保管されていたが、JR東海に譲渡の上、2011年3月に開館したリニア・鉄道館で展示されている[6]。



0番台 [編集]

T2編成の老朽化と、東海道区間の300系以降の車両への統一に伴い、270km/hでの走行が可能な車両として、2000年に700系をベースに開発された。JR東海に所属し、T4編成と呼ばれる。1 - 3号車は日立製作所笠戸事業所、4 - 7号車は日本車輌製造豊川製作所で製造された(後述のT5編成も同様)。

T3編成までの軌道検測車(付随車)は、3台車の相対変位を測定する方式であり車体長も短かったが、T4編成以後はレーザー光を使用した方式に改良され、他の車輌と同じ2台車で車体長も同じになっている(T4編成からは、形式も923形に含まれている)。

先頭部には、前照灯の下方、車体中央に前方監視カメラが設置されている。また、尾灯がこのカメラの左右に配置されており、営業用の700系では尾灯となっている左右の2灯も前照灯(この灯火のみ、キセノンやHIDライトと呼ばれることもある、白色のディスチャージヘッドランプ)となっている。このため、前照灯は700系の4灯に対し6灯となり、視認性の向上が図られている。

車体色の黄色が、T3までの編成(黄色5号)に比べて明るく鮮やかなもの(マリーゴールドイエロー)となっている。また、2号車と6号車にはそれぞれ集電用1基、検測用1基のパンタグラフが搭載され、1両に2基のパンタグラフが並んでおり、営業車には例のない長大なパンタグラフカバーと相まって、ユニークな外観となっている。

なお測定走行時には、測定用パンタグラフは進行前方の車両、集電用パンタグラフは進行後方の車両のものを使用し、同一車両の2基のパンタグラフを同時に上げて走行することはない(試運転等、測定以外の特殊な運転の場合は除く)。

走行機器もベースとなった700系に準じているが、編成が短くなったことから、1ユニットを構成する車両数が4両から3両(M1c+M'+M2)に減らされている。それに伴い、新たに制御電動車 (M1c) が設定されたほか、従来は付随車に搭載されていた空気圧縮機や補助電源装置といった補機類が電動車に集約して搭載された。また、計測機器などの電源用および停電対策用として、M'車車内に210kVA電源装置および鉛蓄電池を搭載する。

落成当時、4号車の屋根はマリーゴールドイエローであったが、2006年に700系と同じパールホワイトに塗り替えられた。これは、太陽光による外板温度上昇が車体を弓形に反らせる現象が観察されたためで、温度上昇を減らすことを目的として塗装が変更されている。
1号車:変電/電車線/信号/通信測定台・電気/施設測定機器
2号車:高圧室・電気関係測定機器
3号車:観測ドーム・電気倉庫・電力データ整理室
4号車:(軌道検測車)軌道検測室・施設データ整理室・施設倉庫
5号車:多目的試験・電源供給・観測ドーム・休憩室
6号車:ミーティングルーム・高圧室・電気関係測定機器
7号車:電気/施設測定機器(添乗室があり700系普通車と同様の車内。カラーの大型プラズマディスプレイも備える)

なお、923という形式称号は2代目にあたる。先代はレール探傷車が名乗っており、2代目923形が登場した時点ではJR西日本に923-2が在籍していた。

3000番台 [編集]



4号車の軌道検測用台車
2003年のダイヤ改正で高速化された東海道新幹線において、922形T3編成の210km/hでの検測運転では営業車両との性能差からダイヤに支障し、またT3編成自体の老朽化も進んでいたことから、これを置き換える目的で2005年に登場した。JR西日本博多総合車両所に所属し、T5編成と呼ばれる。2005年3月上旬にそれぞれのメーカーから陸上および海上輸送により博多総合車両所に運ばれた。

700系をベースとしており、仕様は923形0番台T4編成とほぼ同一である。T4編成との外観上の差異は、車体側面に博多総合車両所でメンテナンスを行う際のジャッキアップ時にリフトを差し込むための穴があること、および7号車屋根上のアンテナの有無(T4編成にはない)のみである。

博多総合車両所所属でありながら普段は東京に常駐しているため、保守を容易にするため台車もT4編成と同一にしてある。また、定期検査はJR東海に委託し、交番検査が東京交番検査車両所、台車検査・全般検査が浜松工場の施行となっている[8]。
T編成 編成表



運用 [編集]

主要駅停車の「のぞみ」(「ひかり」)検測と、各駅に止まる「こだま」検測の2種類があり、通常各タイプとも同じダイヤで営業時間帯に運転される。

「のぞみ」タイプと「こだま」タイプのどちらも、基本的に2日かけて検測を行い、1日目に東京 → 博多、2日目に博多 → 東京となることが多い。ただし、新大阪駅到着時にいったん大阪仕業検査車両所に入区することが多い。

東海道新幹線開通間もないころは、営業列車のない深夜に検測を行っていたが、営業列車と同じ速度で検測可能なT2編成(922形10番台)が1974年に登場してからは昼間に検測をおこなうようになった[9]。当時は「ひかり」検測は3日かけて[10]、「こだま」検測は4日かけて[11]行った[9]。





長ぇよっっ!!!









とにかく、東海道・山陽新幹線をたまに走る、見ると幸せになれるという新幹線なのです。







この話を家に帰って嫁にすると


嫁「見たーい!!DY見たーい!!!」

(なんでもかんでも略すな)




と言うので、完全非公開のドクターイエロー時刻表をね、

携帯の電話帳登録件数600件超の僕の人脈と、 あと

ドクターイエローマニアさんのサイトにある 運行予想表使って調べました。




出た答えは

「3月6日 12時49分大井川橋梁通過」

というもの。




そして、昨日。






大井川橋梁
















電車好きの甥っ子にも見せたかったので 連れてきました











電車好きらしく、彼はすでにドクターイエローを







履いてます。









そしてついに、









上りのN700が通過したその時!!
















キターッ!!!




































もう大興奮!!!嫁が!!! 











このドクターイエロー、2日かけて1往復します。

つまり 今日も通ります。



行ってきます。
Posted at 2013/03/07 09:52:56 | コメント(13) | トラックバック(0) | 日記

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