
この2台は別々のところで撮影したのですが、いまでもこうやって見かけることができるとは驚きですよね。
ちょうどFR→FFに変わりつつある頃の車は、どれもあまり見かけることは無くなってきました。
「こんなん旧車のうちに入んないぞ!」って意見もあるでしょうが、冷静に考えるとコレもすでに20年以上が経過しているのですから、そろそろ旧車の仲間入りなんでしょうか。
ワタクシ中学生の頃の「憧れの車」の1台でもあったりします。
7代目(U11型、1983年-1987年 バン/ワゴンは-1990年)
1983年10月、U11型にモデルチェンジ。前モデルの910型が人気・販売共に好調だった事から、910型の流れを汲んだデザインが採用された。特に前期型はT11型オースター/スタンザの後期型に近いものだった。 ボディタイプは4ドアセダン、4ドアハードトップ、ワゴン、バンの4種類。 910型までラインナップされていた2ドアハードトップは廃止された。(タクシー仕様車は910型の項を参照)。
グレードは、スポーツ系のSSSシリーズとフォーマル系のエレガントシリーズに大きく差別化が図られた。また、SSS系はハードサスにより、安定した操縦性を確保している。
このU11型より駆動方式はFF(前輪駆動)となり、以降の日産FF車の基となる。当時のFF技術は発展途上にあったが、出来るだけFFのクセを取り払う工夫がなされた。4輪駆動車の設定はなかった。
910型と同様、当時の最新エレクトロニクス技術を用いた装備も積極的に採用された。代表的なものにセーフティドライブアドバイザーや電子制御パワーステアリング(油圧式ではあるが操舵力を3段階のうちドライバーが任意に選択できるもの)などがあったが、実用性は今一歩であった。
また、ブルーバード史上で唯一、SSS系でのワゴンの設定があり、当初ワゴンのSSSはターボモデルのみという思い切った設定だった。
ガソリンエンジンは、すべてCA型エンジンに統一され、CA16 90馬力/CA18 100馬力/CA18E 115馬力/CA18ET 135馬力/CA20 110馬力の計5種類が搭載された。ディーゼルエンジンは、910型に設定されていたターボディーゼル仕様は設定されず、ノンターボのLD20型 65馬力の1種類が搭載された。
ちなみに、7代目が発売された1983年は日産設立50周年で、これを機に米国のペンタグラム社が製作したロゴフォントに一新している。
また、1981年7月、当時の石原俊社長の方針で、それまで展開していた「ダットサン」ブランドを廃止して「日産」ブランドに順次変更する事が発表され、日本国内で「ダットサン」ブランドとして販売されていたブルーバードは、U11型にフルモデルチェンジされたのを機に、それまでの正式車名であった「日産・ダットサン・ブルーバード」から「日産・ブルーバード」へと切り替えられ、車検証の車名欄も「ダットサン」から「日産」に切り替えられた。
CMキャラクターには、前モデルの910型のCMで好評を博した沢田研二が引続き起用され、CMには4ドアハードトップが登場している。
キャッチコピーは「ブルーバード、お前はスーパーゼネレーション」「世代を超えたフルチェンジ」「走りが断然素晴らしい」、後に「ブルーバードにならないか」「Be BLUEBIRD」であり、CMでは、沢田研二自身が派手な衣装を装いU11型ブルーバードのルーフ上でダンスするCM、ニューヨークの街中を素早い速度で走行しブルーバード伝統の走行性能の良さをアピールするCM、沢田研二の育ちの故郷である京都市内の町中を走行し周辺の人々の注目を集めているCMなど、前モデルの910型のCMと同様に注目を集めた。CM曲は八神純子が作曲している。
駆動方式がFRからFFに変更されても、ブルーバードの伝統である走行性能の良さ(走行性能面でFRよりも不利なFFを感じさせない走り)を前面にアピールしていた。1981年にFFである事を前面に出して販売していた、バイオレット(発売翌年に廃止)、オースター、スタンザが販売面で苦戦していた事から、ブルーバードではFFである事を隠していた。
1983年12月 日産設立50周年記念車が発売。
1984年1月 パワステ付き5速MTの1800クルージング シリーズ追加 。
SLX-G/SLX/LXはそれまで4速マニュアル車しかなく、この5速マニュアル車が設定されたことで、より快適なロングドライブが可能になった。
1984年4月 25周年記念限定車セダン1800LXとハードトップ1800SSS-E/セダン2000ディーゼルLXエクストラ追加。
1984年9月 ディーゼルエンジンを搭載する「2000ディーゼルSLX-G」を追加。
1984年10月 810型以来の上級車種として「ブルーバード・マキシマ」(後に「マキシマ」として車種独立)が登場。日本初のV型6気筒ターボ(VG20ET型)を搭載したFF車として話題となった。
外観はU11系標準車に対してフロントオーバーハングを90mm延長していたのが特徴で(室内の広さは同じ)、セドリック/グロリアにも搭載された、超音波路面ソナーを持つ「スーパーソニックサスペンション」を採用していた。既存グレードも一部変更で1800cc車は全車5速MT化。2000SLX-Gに大型バンパーを標準装備。
1984年11月 国内生産累計600万台達成。
この年、国内販売はカリーナ、コロナに次いで4位に甘んじていた。(1983年は5位。)
1985年1月 エクストラシリーズを追加。
グレード名は「セダン 1600/1800LXエクストラ」および「セダン/ハードトップ 1800SSS-Eエクストラ」。
1985年9月 マイナーチェンジ(後期型)。
販売のテコ入れのため、エクステリアの大幅な意匠変更が行われ、厚化粧をした外観へと変わり、内装の一部変更のほか、SSSシリーズに直列4気筒DOHC 1809ccターボを採用し、145馬力を発生するCA18DET型エンジンを搭載するモデルが登場している。ちなみに、この時も「日本初 FF TWINCAM TURBO」と謳っている。但し、インタークーラーは装着されていなかった。
そのほか、追加グレードとして「セダン/ハードトップ 1800スーパーセレクト」「セダン 1600SLX-G」および「ADワゴン 1800SSS(NAモデル)」が設定され、CA18S/CA16Sがシングルキャブから電子制御キャブになった。CA18E、CA18SのATが3側から4速になった。
1600ccもMT車は5速MT化され2000ガソリンは廃止された。
加えて、後期型には日産FF車として初めて、1800に教習車が設定された(1986~87年、当初はMTのみで、後にATも追加)。
U11後期型のCMは、CMキャラクターの起用は一切せずにガーシュインの名曲「ラプソディー・イン・ブルー」が流れる落ち着いた雰囲気のCMを採用。キャッチコピーは「人の中へ」であった。
1986年1月 マキシマをマイナーチェンジ。VG20E型搭載モデルを追加。
1986年6月 ツインカムターボにAT車追加。
1987年9月 4気筒モデルの生産終了。U12型へバトンタッチ。但しV6マキシマ(1988年10月まで)とADワゴン/バン(1990年5月まで)は継続。
ライトバン/ワゴン(フルモデルチェンジ当初はブルーバードADバン/ワゴン)は、セダン/ハードトップがU12系に移行した1987年以降も継続生産され、それまでベースグレードのみだったワゴンSSSに装備を上級モデル並みにした「1800ターボSSS WINGROAD」が追加された。ウイングロードの名称は一足早くこちらで使われていた。
1990年に日産で初めてワゴン/バン専用設計を取り入れたRV車「アベニール」が誕生したことから生産終了・統合によるモデル廃止となった。
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旧車烈伝 | クルマ
Posted at
2007/08/05 13:55:12