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ウルトラザウルス改のブログ一覧

2012年12月06日 イイね!

ミラジーノ1000

ミラジーノ1000ボディは初代ミラジーノから、エンジンはストーリア(OEM車種のトヨタ・デュエットを含む)と同じ1,000cc12バルブDOHC・EJ-VE型64馬力を使用している。具体的には輸出仕様のクオーレ(5代目ミラ)の外装をミラジーノに改め、軽のミラジーノに対し前後バンパーのオーバーライダーにガードと前後フェンダーアーチ部にメッキモールが装着されただけであり
内装自体はミラジーノと全く同じ、制振や静音性を向上させるまでには至らず、乗り心地は社内外の競合車種
と比べてかなり古典的なものを感じるものとなってしまった。

しかも性格やコンセプトが中途半端であり1000ccのパワーのことを考慮すると税金・高速道路通行料・車検費用では軽自動車のターボ車のほうが安上がりになってしまう
こともありほとんど売れなかった。

2004年6月のブーンの登場に伴い、軽自動車のミラジーノに先行して生産中止となった。 総生産台数は1000ccモデルで1290台。
(Wikipediaより転載)

コイツが出た頃は、他社からも同様な車が出されてましたね。
ノーズが延長されたエブリイ+(エブリイランディ)
前後バンパーの拡大&後付けフェンダーのタウンボックスワイド、トッポBJワイド。
ミラジーノ1000のライバル?三菱ピスタチオ。
いずれも車内の空間はベースの軽と全く同じです。
その点アトレー7はちゃんとリア廻りがちゃんと延長されて広くしてあるんだから、金かかってますよね。
古くはスバルドミンゴから続くこのコンセプト。今ではどれも全滅しました。
Posted at 2012/12/06 09:30:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | 時代が生んだ珍車 | クルマ
2007年07月15日 イイね!

雨上がりの街角で・・・。

雨上がりの街角で・・・。今となってはずいぶんとレアな車を発見しましたよ。

サターンです。

これってマツダのRX-8よりも先にドアが観音開きなんですよね。

あと少しぶつけても、元に戻るパネルなんてのも斬新でした。

販売網の関係とか、いろんな面で日本での成績は芳しくありませんでしたが、もしあのまま上手いこといってたとすれば、今の車社会はどんな感じになってたでしょう?


え??変わらない?




サターン (自動車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サターン(Saturn)は米国、GM(ゼネラルモーターズ)の100%子会社、「サターン・コーポレーション」が運営する乗用車ブランドである。


概要
1980年代まで、信頼性が低く、日本車に自国市場を侵略されていたアメリカ車の挽回策として、GMはサターン(アポロ計画で使用されたロケットからの命名)のために35億ドルの投資を行い、中南部テネシー州、スプリングヒルに工場を新設した。この工場建設に当たっては敷地内にあった木を別の場所に植え替えるなど、環境保護に最大限配慮した。また個人の創造性とチームワークを重視した独自の開発/生産システムを導入していた。これは現地に大挙して進出していた日本メーカーの影響と、UAW(全米自動車労働組合)との協議の産物である。 1990年、最初のモデル『Sシリーズ』が発売された。鋼板モノコック上に架装されたドアやボディーの一部を、ぶつけても復元する樹脂製にし、エンジン(本国向けは1900ccのOHCとDOHC4気筒)も生産性を考慮した独自の製造方法で造られていた。バリエーションは4ドアセダンと2ドアクーペで、後に5ドアワゴンも追加された。このSシリーズは、当初こそリコールの続発で販売不振が続いたものの、販売店(サターンでは販売店のことを「ディーラー」とは呼ばず、「リテーラー」と呼んでいる)の親身になったサポートが口コミで評判となり、業績を好転させて行った。その自信を元にSシリーズは1996年モデルチェンジされ、右ハンドル仕様が開発された。その一方、より上級のクラス進出が『Lシリーズ』によって1999年実行された。これは第2世代オペル・ベクトラの基本骨格を活用したモデルで、2200ccの4気筒と3000ccのV型6気筒エンジンを搭載した。このモデルも対日輸出が計画されたが、実行されなかった。


現在
Sシリーズは2003年、より大型のION(アイオン)に代替され、今後はオペルアストラのサターンバージョンに代替される(サターンでもアストラを名乗ることが決定済)Lシリーズも2005年秋、新型車Aura(オーラ)に代替される。また小型SUV・VUE(ヴュー。ホンダ製エンジン搭載車がある)が2002年、『ミニバン』Relay(リレイ)が2004年に、スポーツモデルSky(スカイ)が2005年秋に発売され、大型SUV・Outlook(アウトルック:2007年型として登場)も事前発表されている。


日本進出と撤退
日本へは1997年に進出。ラインナップは日本市場を見定め、小型のSシリーズのみとしていた。「礼をつくす会社、礼をつくすクルマ」というキャッチコピーで広告展開し、ワンプライス制で値引き無し、来店客に店側からは積極的に声を掛けないノープレッシャー営業など、アメリカにおける販売面での成功例をそのまま導入したが、販売面で成果は上がらなかった。しかしこれらの販売システムは従来にないものとして一部国内メーカーなどから注目された。日本のリテーラー網はJR東日本やハナテン、ヤナセなどが参入した。なかでもJR東日本の子会社が運営したサターンのリテーラーは、新宿駅の南口(現在、ユニクロ・キヨスク新宿駅南口店となっている場所)という繁華街に位置していた。エンジンは4気筒DOHCの1900ccのみ。実用燃費もリッターあたり10km前後と、日本での使用に支障はなかったものの販売量は低迷したままであり、2001年には撤退し、在庫車はレンタカーとして沖縄県のレンタカー業者に大量に導入された。サターンが撤退した後、一部の販売店はGMオートワールド(現在のGMシボレー店)のディーラー網に参加した。サターン撤退後の現在、部品の入手がむずかしく、国内では修理等も悩みの種になっている。壊れていても直せない場合もある。

CM使用曲はClose to you/杏里(カーペンターズのカヴァー)、ナレーションは細野晴臣だった。


Posted at 2007/07/15 21:36:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | 時代が生んだ珍車 | クルマ
2007年07月07日 イイね!

スズキ X-90

スズキ X-90コレがモーターショーに出たときは、少なからず衝撃を受けました。

んでほぼそのままのデザインで市販されたときも、それなりの衝撃を受けました。

でも、モーターショーで好評≠販売好調なんですね。

景気も上向きなようですし、スズキサン。現行エスクードをベースにまたこういうのを造ってみてはいかがですか?



スズキ・X-90
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

製造期間 1995年10月-1997年12月
ボディタイプ 2ドアノッチバック型SUV
エンジン G16A型 1.6L SOHC 100PS/14.0Kgm
トランスミッション 4AT/5MT
駆動方式 パートタイム4WD
全長 3710mm
全幅 1695mm
全高 1550mm
ホイールベース 2200mm
車両重量 1100kg
乗車定員 2人
注意事項 日本仕様車のデータを記載している
車台を共有する車種 スズキ・エスクード

X-90(エックス・ナインティ)はかつてスズキが製造販売していた2シーターのTバールーフを搭載したSUVである。

概要
1993年の東京モーターショーや欧州の各モーターショーに参考出品車として出展し、海外のユーザーに好評で各国の取引先ディーラーからラブコールがあったため、1995年10月に日本国内向けにも発売された。なおこの車名は開発コードネームからそのまま命名されていて、国内、輸出モデルともに共通の車名となっている。


解説
ベースはエスクードで、G16A型1.6リッターSOHC16バルブ(100PS/14.0Kgm)のオールアルミガソリンエンジンを搭載した。国内向けは全車パートタイム4WDで5速MTか4速ATが選べた。サスペンションは前輪がマクファーソンストラット式コイルで、後輪がトレーリングリンクwithセンターウィシュボーン式コイルとなっている。ワンタッチで脱着可能なガラスルーフで、Tバールーフ構造。スズキ・カプチーノ同様に専用カバーに入れてリアトランク内に収納する。太陽光線をカットするサンシェード(天井内張り)が標準で付く。シートはセミバケットで、生地は柄物マリンカラーで専用だが、内装部品もエスクードからの流用部品は多い。完全2シーターで独立したトランクを持ちハイマウントブレーキ内臓のリアスポイラー標準装備。車体は一般乗用車タイプSUVのモノコックボディではなく、剛性の高いハシゴ形フレーム付ボディで強化されている。最低地上高はSUVとしては低めの160mmに設定。しかし、商業的にはカルタスコンバーチブルやオートザム・クレフと並ぶ失敗作で日本国内では約1000台余りしか販売されなかったという。

国内向けのボディカラーは当初、黒(サターンブラックM)と赤(アンタレスレッド)しかなく、「ランドセルみたいな車」と揶揄されたが、のちにシルバーも追加された。


登場した作品

TV・映画
『うなぎ』(映画)- 今村昌平監督の作品にも登場したことがある。
Posted at 2007/07/07 21:02:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | 時代が生んだ珍車 | クルマ
2007年06月05日 イイね!

いすゞ・ビッグホーンと思いきや・・・。

いすゞ・ビッグホーンと思いきや・・・。ホンダ・ホライズンでした。


違う!


オペル・モントレーでした。


それも違う!!


シボレー・トゥルーパーというクルマでした。

前から何度か、ビッグホーンのグリルにシボレーマーク付いたこれを見かけてたんですが、ナカナカ撮影チャンスに恵まれず・・・。

でもやっとこ撮影に成功しました。
しかも車名の判るサイドから・・・。


尚、ビッグホーンについて調べてみると、気になる記事があった。

1980年代末から、SUVを持たないメーカーやGMグループ各社に対して、いすゞのOEM車の主力として、ホンダ(アキュラを含む、ホンダ・ホライゾンとして販売)、スバル (スバル・ビッグホーン)、GM(シボレー・トゥルーパー)、オペル(モントレー)、ホールデン(ジャッカルー)、ボグゾール(?)へ供給された。

なるほろ~。スバル・ビッグホーンねぇ。

これもいつか撮影できるかな??


Posted at 2007/06/05 20:16:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 時代が生んだ珍車 | クルマ
2006年10月21日 イイね!

三菱カリスマ

三菱カリスマカリスマ(Carisma)は、三菱自動車工業・ボルボ・オランダ政府の合弁(当時)によるネッドカーで製造され、三菱自動車工業が輸入していた乗用車。ボルボの40シリーズ(S40・V40)とはプラットホームを共有している。

日本仕様は4ドアセダンのみだが、欧州仕様はハッチバックも設定された。

エンジンは日本仕様は1.8リットルのGDIのみだったが、欧州仕様はルノー製のディーゼルエンジンも設定された。

車名の由来
「神からの授かり物」というギリシア語の"KHARISMA"と、英語の"CAR"を合わせて、『CARISMA』とした造語。

歴史
1996年 - 発売
1997年 - 一部改良、GDIエンジン搭載
1999年 - 日本国内の輸入中止
2001年 - マイナーチェンジを行うが、マイナーチェンジ後も日本には輸入されなかった。
2004年 - 生産中止

へぇ~、ワタクシはてっきりランサーの姉妹車種かと思ってました。
以外に奥が深い車ですね。
今から10年前にデビューしたのか・・・。
今見ても通用す・・・るわけないか?
Posted at 2006/10/21 01:23:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時代が生んだ珍車 | クルマ

プロフィール

「健康診断の真っ最中!
血圧は正常!
身長はチョイ縮んだ!
あとはバリウム・・・・これが憂鬱((涙))」
何シテル?   06/04 09:29
ウルトラザウルス改と申します。 逆さからいうと改スルウザラトルウです(意味不明 趣味などのブログが多く、肝心の愛車ネタは全くの不振でございます。 ...
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