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バスターリミットのブログ一覧

2015年05月09日 イイね!

第30話 ワるちゃん単独市町村を訪ねて(羽後町編)

第30話 ワるちゃん単独市町村を訪ねて(羽後町編)秋田県内このシリーズ、2回目は羽後町である。



地図でもわかるように、羽後町は、左半分を由利本荘市に、右半分を横手市と湯沢市に囲まれた、県内でも屈指の豪雪地域である。



秋田市から、上記三市に行くにありては、羽後町を経由することを待たない。
けだし、羽後町に行くためには、羽後町を目指さなければならないのである。

けれどもここは、自身、県内10の単独市町村中、最も訪れる回数の多い町である。

今手元にあるダイアリーを見返しても、ここ最近だけで4月19日・26日、5月3日・6日と訪ねている。


羽後町は本当に良いところである。だからこのブログも半端な分量ではすまない。


秋田市からのドライブルート的には、国道13号線を南下するか、もしくは国道7号線より由利本荘市から進軍するかのどちらかだろう。ナビでの距離的にはどちらも約85キロ程度で変わらない。

13号線から横手より雄物川を超えれば、羽後である。


しかれども、午前の往路はやはり、由利本荘市からの経路が圧倒的に多い。
7号線から日本海道路を進むこのルートは、右手には日本海、正面には鳥海山のロケーションが待つ。
果たして岩城ICから、新緑の山々を目に走ると、唐突に目の前に、真っ白な鳥海山のパノラマが広がるのである。

本荘ICを降りてからの、由利高原鉄道沿い矢島108号線から見える車窓の眺めは、鳥海の美しい風景だ。


それは、その日を祝福してくれているかのようである。


早朝より出てて、時間的な余裕があるならば、鳥海町の麓より秋田県最奥の百宅集落~フォレスタ鳥海ラインのドライヴや鳥海荘での温泉も楽しめるだろう。

なんとなれば、羽後と鳥海町というのは本当にすぐ近くなのである。これについては後述する。



以下、羽後町の紹介である。



まずは町のデータである。

人口は約16,800人
平成27年度一般会計総額は約81億円。
その内訳は、市区町村税等の自主財源が26.3%、地方交付税交付金や国庫支出金等の依存財源が73.7%である。

この数字は、他と比べてどうなのだろうか。

例えば、先だっての大潟村と比較すると、(その後の調査によって、大潟村の自主財源が占める割合はかなり高かったことが判明した。)人口は約5倍であるのに対して、同一般会計総額は約2.3倍である。

また、同雄勝郡の市である湯沢市は、人口約50,000人で同会計は約288億円であるから、その他の自治体との人口予算比はけっして多いものではないだろうか。



一言で云うならば、羽後町というのは自然と文化財の町である。

地図

羽後町マップは、山内貴範氏の『町おこしin羽後町―美少女イラストを使ってやってみた』に詳しい。

この本は、美少女キャラといえば何かと誤解?を受けやすいイメージがあるようだけれど、
それらを払拭する丁寧な記述がなされているし、ガイドブックとしても白眉だと思う。


東由利からのルートでは田代地区、矢島からは仙道地区、湯沢からは西馬音内地区が玄関口となる。

地区の入口には、それぞれの看板があるから目印にどうだろう。


実際に、道路を走る町民の車のスピードは驚く!程ゆっくりである(笑)


是非、旧長谷山邸には足を運んで欲しい。




およそ10メートルの栗や楓を接木なしで組んだこの建築用法は、明治以降の木造技術の現れでもあるのだ。
蔵の扉は、増田にもない六重の意匠が施されたもので、これが個人宅であるというのは、にわかに信じられないスケールである。



1704年建立の地蔵院




町でも鐘のある寺院は、ここが唯一である。
なんとここで合コン!も開かれるようで、最近も二組のカップルが結婚したそうである。
禅寺とのことで、こちらは今度、座禅でもしに行こうか。



三輪神社は、正面より左に八幡神社を、右に須賀神社を並ぶ、建立を室町まで遡る古い神社だ。




えー説明は案内板をば(苦笑



350年前の古民家、鈴木家住宅も是非足を運んで欲しい。

歴代の当主が蒐集した古美術品もちゃんと残っていて、蔵の見学も可能だ。(本当にこの記事は、旧長谷山邸のことも含めて、現46代目当主の鈴木氏への取材なくして成り立たなかった。改めてお礼申し上げる次第である。)

鈴木さんちに行く看板はけっして見落とすことはないだろう!






ちなみに(この、ちなみには鈴木さんの口ぐせでもある(笑))同じ茅葺き(厳密には異なるが)白川郷の合掌造りは、雪下ろしの回数を最小限で済ますためのあの斜面なのだそうで、ここもさぞかし雪下ろしは大変なことかと思われるが、しばらくもするとその意味はなくなるそうである。

田代地区の蒐(アザミ)沢集落では、そこかしこに茅葺きの民家があり、なんとなれば竜騎士07氏を思わせるそこはかとない雛見沢である。




集落の最奥は、そこで終わりではない。

ここを右に下れば、鳥海の川内に直接出るのだ。


それは羽後と鳥海の交易を今に残すものでもある。


通称、未毛位根林道は、ここを起点とする。



いざ突撃!


かなりの悪路だが我が愛機は素晴らしい走破性を誇る。





この道の終点から見える風景は一度、その目でご覧あれ!!





さて町は、盆踊りで有名な西馬音内の通りである。


休日の午後などは、まるでキリコの白昼夢のよう。





しかし、決して寂れたシャッター街ではない。

ちなみに、フォトにある北都銀行西馬音内支店は、秋田県出身の漫画家矢口高雄氏が、デビュー前の銀行員時代に初めて赴任した支店である。

西馬音内はお蕎麦も美味しい。
長谷山のせいろは、お昼最大の楽しみの一つである。


午後のひとときは、カフェOHZAN櫻山しかないだろう。


櫻山のカフェは旧対川荘であり、明治に建てられた羽後町の迎賓館である。
毎年、庭の桜が咲きはじめる四月下旬から、十月半ばの冬の訪れる土日祝のみ開かれる。


訪れる曜日が土日になるのは、やはり、ここで過ごしたいからである。



JAうご


西又葵氏イラストは、どこかで目にしたことも多いのではないだろうか。
LAうごの商品は、一度パッケージ含めて現物を手にとって味わってもらうことを願う。

あきたこまちだけでなく、羽後牛のシチューも絶品である。

お土産も可愛らしい。


遊んだ帰りは羽後の風景が見渡せる、としとらんどのお湯でほかるのが常である。



さて、羽後町は、平成の大合併の際、県内でも一番先に合併しないことを宣言した町である。
なかんずく県南雄勝郡では唯一の単独町である。

当時の佐藤正一郎町長(現県会議員)が国の一方的な推進に唱えた異に、町でも賛同する声が多かったこと、そして、合併特例債の活用にもすべからく「これ以上、借金を増やして何をつくるのか」という思いがあったからだという。



最後になりますが、羽後町は本当に良いところです。
もし、このブログが訪問等、何らのきっかけとなるならば、望外の喜びであります。

関連情報URL : http://www.town.ugo.lg.jp/
Posted at 2015/05/09 20:06:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | 秋田県レポ | 日記
2015年04月28日 イイね!

第29話 ワるちゃん単独市町村を訪ねて(大潟村編)



現在、秋田県内には、25市町村(13市9町3村)が存するのだが


2005年から始まった、平成の大合併前は、実に69もの市町村を数えたのである。




筆者の秋田市も、2005年に川辺町と雄和町を編入し、現在の秋田市となった。
合併前と後では、県内の地図も大きく様変わりしたのである。


ところで、最後まで合併せず、単独行政を選択したのは、

(県北から)

鹿角市
小坂町
上小阿仁村
藤里町
五城目町
八郎潟町
井川町
大潟村
羽後町
東成瀬村

以上10の自治体である。



中でも注目したいのが、最初から『合併しないこと』を宣言した、

鹿角市
小坂町
藤里町
羽後町
東成瀬村
上小阿仁村
大潟村

7つの市町村である。


これらの自治体は、何故近隣市町村との合併をしなかったのであろうか。

何らかの単独運営可能な財源等を持ち、なかんずく、勝算があってのことではないかと仮説を立ててみるのである。

実際は、果たしてどうなのだろうか。


当時から10年を経た今、改めて、訪ねてみようと思う。
ドライブ記だと思って、読んでいただけると幸いである。

ということで、単独市町村の初回は、秋田市にも程近い、大潟村である。
この村は、自宅から一時間もかからない程度だから、筆者もよく知人らと会話も兼ねて、ドライブに来る。
まさしく、本当にただドライブするだけなのだが。


まず、村のデータであるが

人口は、約3,300人
平成27年度一般会計総額は、約35億円
その内訳は、村税等の自主財源が28.4%、地方交付税交付金や、国庫支出金等の依存財源が71.6%である。

ちなみに、県庁所在地の秋田市だが、

人口は、約320,000人
同一般会計総額、約1,350億円(平成26年度よりも9.5%増加したが、これは主に秋田市役所新庁舎建設費のためである)
自主財源46.9%、依存財源53.1%である。

この数字だけ見ると、村の財政運営に余裕があるとは思えないデータではあるのだが…


さて、大潟村は、昭和39年遂に八郎湖の干拓を成して誕生した、県内69番目の市町村である。
つまり、合併前の区分では最後に誕生した自治体なのだ。




男鹿市の寒風山からは、眼下に広がる八郎潟が見渡せる。



他県の人にも、あきたこまちを食べてもらえると嬉しい。


村の歴史等は、干拓博物館に詳しい。
もし、訪れたなら是非一度足を運んで欲しい。





男鹿と大潟村一帯は、ジオパークでもある。興味深い資料も数多く展示されている。




さて4月下旬は、菜の花と桜が美しい頃である。
この時期、村の交通量が最も増えるのではないだろうか。

見慣れぬ県外ナンバーの車も多く見かける。





村内の道路は、どこまでも遮るものがない農地が続く。



オービス等は無いゆえ、ふわわキロも出せるのだろうが、トビやチュウヒの猛禽が優雅に飛び回る様を眺めながら、巡航するのが愉しい道路である。





サンルーラル大潟は、唯一といってもいいくらいの高層であるからドライブ中すぐに分かるだろう。

最上階の浴場は、真西と真北を展望できるから、正面には沈むゆく夕焼けと、条件さえ整えばではあるが、能代方面には、彼方の白神連峰を見ることができる。

この日は素晴らしい快晴ではあったのだが、白神は春霞の中であったから、まあ運がよければの話であるけれど、それでも駐車場の愛車を眺めることはできる。





さて、何故この村は、隣接する旧男鹿市や旧若美町と合併せず、単独自治の道を選んだのだろう。



大潟村役場で伺ったところによると、実際に当時、旧男鹿市と若美町との合併協議会が設けられたそうである。


そして、合併の是非を問う住民アンケートの結果、村民の実に6割が反対の意思を示したため、最終的には当時の村長の判断により
合併しない道を選択したとのことである。
(結果、男鹿市と若美町は合併し、現在の男鹿市となったのである。)


それは、この地を切り開いた人々のフロンティア精神がそうさせたのかもしれない。





ともあれ、昭和32年当時、800億円もの巨費と17年の歳月をかけた国営事業は、琵琶湖に次ぐ我が国第2の湖だった八郎潟の3分の2を干拓し、1万5千ヘクタールの農地を造成するのだった。


満々と水をたたえ、60種を超える魚介の宝庫だった湖に約三千人もの漁夫が、のどかに舟に帆を貼っていた八郎潟は、今や歴史の彼方へ消え去ったものの、もし訪れる機会があるのならば、車窓から見えるこれらの風景が、往時を思い出すよすがとなることを願ってやみません。
関連情報URL : http://www.ogata.or.jp/
Posted at 2015/04/28 21:41:15 | コメント(2) | トラックバック(0) | 秋田県レポ | 日記
2015年04月15日 イイね!

第28話 出稼ぎワるちゃん御意見無用!

おひけーなすって!!
手前帝都は桜の時頃出羽国秋田よりまかりありますワるきゅーレ!


「いやいーからそっち持って」


は、はあ


「じゃあ行くよせーのっ!」


せーのっ…重てーーーー!!!



3月20日~4月2日まで東京は深川で稼いできたぜー!
仕事内容は引越し荷物の搬出入と大井や横浜でのコンテナへの積み込みってねい。


いやあマジハンパなく辛かった(爆
まあ体力は人並みくらいにはあるにょと楽観してたら、これがとんでもなく甘かった!

宿舎も一部屋複数布団にごろ寝の非日常スタイルに、押入れから代々の住人が使用したと思われるエロ本出てきたりして(^q^)ってそれどころじゃない!


力仕事慣れた人(マジで冷蔵庫とかヒョイでしたよ)ならともかく初日の時点であ、これ無理ゲーだと(核爆



当初は作業後半戦には腕が上がらないまるで鉛のようだ!という日々でしたが、人間慣れてくるとだんだん少しづつそれが後ろの方にずれていくものでって。
要はそれまでに風呂やら洗濯やら備品日用品の買い物(駅前のホムセンまで歩いて10分くらいなのだがそれが何と遠く感じられたことか!)やら済ませておかないと翌日死亡するってえスリリングな毎日(≧∀≦)



わざわざ持ってきたのー(笑)とか云ってたのに、皆にとってよつばはかけがえのないものになった。


とにかく二週間休み無しで最終日までやりきったぜー!



そして遂に四月二日(木)北東北組は戻る日。
皆で健闘を称え合い、それぞれがそれぞれの思いを胸に帝都をあとにする。

青森も秋田もみんな世話になったな、オイラは忘れねーぜ!
だからサヨナラは云わねーよ。

そして皆を乗せてマイクロバスは一路ふるさとに。チャララ~♪







が!ちゃっかり残って週末はワるちゃん練馬散歩2

練馬高野台から聖地巡礼4駅分練り歩き。こりゃあ疲労取るどころじゃあないわ!



そして早稲田『交流スペースあかね』と高円寺『なんとかBAR』であまりにも熱すぎる交流ナイト




久しぶりにアキバ巡りもしたにょー!



んで5日(日)まで遊び倒してやっと帰った(唖然



さらば東京!



えらい目にもあったがこの先やって行く上でとても大きなヒントを得た。
こればっかりは実際に体験しなければイメージはつかめなかっただろう。

そして只今日を生きることに懸命だったあの日々は何ものにも代え難いものではなかったのだろうかと思うのだ。

Posted at 2015/04/15 22:09:46 | コメント(4) | トラックバック(0) | 超長距離旅行 | 日記
2015年03月19日 イイね!

第27話 ワるちゃんN ONEレポと初春の県内ドライブ


マイフィットも早いもので購入して9年目、4回目の車検である。
15日(日)にお世話になっているディーラーさんへ預けて、代車として借りたのがHONDA N ONEである。

これ幸いと乗り回し、レポるのである。

今回の車両はベーシックモデルのG・Aパッケージであるが、これが中々どうしてすごいのである。


まずは夜のドライブへ。
驚いたのは、ヘッドライトがものすごく明るい!
小生のフィットも純正HIDだけれども、このプロジェクターライトは二倍くらい明るく感じる。
色温度云々ではなく光量が圧倒的なのだ。
またオートライトであったため、今回は特にこの装備のありがたさを感じた。





夜の明かりに、イエローは映えるものである。

自分でも不思議だが、同じ車種でも排気量でボディーカラーの好みがはっきり分かれる方である。
フィットも1.5リットルならばイエローで、1.3リットルのモデルならばレッドのイメージなのであった。

このカラーはオプション色のプレミアムイエローなのであるが、クリアも一層厚く吹かれているので経年にも強いと思われる。





インテリアの灯りもまた綺麗であったし、何といっても手が届きやすいし操作がしやすい。
メーター脇センターに備え付けられているマルチモニターも見やすく、ナビやオーディオはスマートフォンとつなげることが前提のようで、これは今回試せなかったが、再生させてみたCD(milk tub)のサウンドは中々であったと言っておこう。
バックモニターも(ライン表示もされる)完備である。

実は、乗った始めの印象はあまり強いものではなかった。
地面からの入力は感心したけれど、低速でパワステにフワフワ感がありもう少ししっとりしてれば良いなあと感じたくらいである。



さて16日(月)は秋田市から角館に向かい、105号線で森吉に抜けるルートでドライブに出かけた。

当日は快晴、気温も10℃を超え、路面は乾いていて絶好のドライブ日和!





太平山をバックに走る広域農道では、両脇のそこかしこで鳥たちが羽を休めているのだった。


存在感を示す残雪を眺めながら、N ONEは快調に巡航する。


道中はそれなりアップダウンもあり、この堅牢なボディにはノンターボの三気筒エンジンはやや非力な面もあったが、巡航速度では実に安定した走りを見せる。
標準でVSAが装備されているのだが、その世話になることもなく、効果は体感できなかったのだが。


とにかく走っていて不安感はまるでないのである。




さて一時間ほどで、角館に到着したのであったが、もちろんこの日の最大の目的は伊藤である。店主が定期的行方不明になるため、(未だ見ぬ食材に会うため世界を放浪しに行くそう。今回は約二年半ぶりに南米アカプルコから帰国し、無事再開となった。)

そもそもいつやっているのか全てが不明なお店である。





午後のうららかは角館から仙北平野を眺めつつ、105号線で帰路につく。






生保内地区はまだ雪も多く残るのであった。



さあアタック!



春の陽光を浴びて、つららも溶け出している。





面白いもので、田沢側と阿仁側では植生が違うのだろう。山々の風景もまた違うのだ。


道の駅阿仁から



ここは丁度秋田市の真裏である。太平連邦はまさにカステポー一帯でもある。
けだし、奥阿仁は直接秋田市から来ることはかなわないのだ。


除雪作業中のため、しばらく停車中の図。



N ONEはDに入れてブレーキを踏んでいる間はエンジンがストップする。
もちろんこのような時はエンジン切った方がいいのだろうが、自然的には中々できぬだろう。

とにかくこのクルマは信号待ち等でも隙あらばエンジン停止である。






橋上より、内陸鉄道線を眺めながら。

平日のせいもあってか車は全くない。自分のペースでクルージングできる。


とにかくこの角館~森吉のルートは県内のドライブコースでも屈指である。





さてN ONEの走りのまとめである。


ノーズも軽く、こういう内陸道はとても楽しい。
というよりも、ボディの先端が運転席から見えるから恐ろしく見切りがいいのだ。
つまりドライバーも自然とアイラインを高く、またシートの調整もそこに合わせるのだ。
この四角く小さいボディのパッケージが素晴らしいのだ。
とにかく何もかも全てがまともなのだ。




だからちょっと乗っただけでは強烈な印象もないかも知れない。
もしかしたら、よくできたクルマとはそういうものなのかもと思う。


ちなみに、この日の行程は215km、平均燃費は24.5リッターだった。
疲労感もなく、まだまだどこまでも行けそうであった。


翌17日(火)マイフィットの車検が仕上がり、三日間一緒だったN ONEともお別れである。

N ONEは現時点での車のスタンダードを教えてくれたような気がする。
とても貴重な体験だったと思う。


時にワるちゃん、3月20(金)~4月2日(木)まで関東(どこかは当日にならないと不明)への出稼ぎで寮生活の身である。

今回の車検費用位にでもなれば幸いである。

Posted at 2015/03/19 01:23:49 | コメント(3) | トラックバック(0) | 秋田県レポ | 日記
2014年12月25日 イイね!

第26話 ワるちゃん221B戦記

第26話 ワるちゃん221B戦記

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや……


南無阿弥陀仏




ナゴム魂だーーーー!!




12月23日のイブイブの夜に…
東京は恵比寿リキッドルームで行われた
筋肉少女帯のライブに行ってきたぜー!

筋少は一番好きなバンドの一つ。
1999年に活動停止しちゃったけど、2006年に再始動!
(この年はウチのフィットの生まれた年ですし、なおさら思い出深いのである。)


ライヴDVDも何回も観てる位好きなので一度は行きたかったのである。

今年は通算16枚目のアルバム「THE SHOW MUST GO ON」もリリースされたことだしね。



え~日程は前日月曜の夜に秋田駅から夜バスに乗って、火曜の朝に新宿着。
でその日の夜にはまた夜行バスで新宿から秋田にとんぼ返りという中々の強行軍でアール。



12月22日22時秋田駅からレティクル座行きの超特急に乗って




ノンストップバス!ぼくらのせて走る~♪






横手れす(^q^)

やめろー人生は最後の武器だ!無駄弾を打つんじゃない!




んで消灯。


……
………

寝れねー寝れねーわー(爆)




そして23日AM8時呆然としつつ新宿に降り立つ。





えー本日の予定はですね。
ライヴの開場が17時からなので、それまでは西武線沿いにある練馬高野台で降りて
道中散歩しながらワるきゅーレの制作会社のTNKを訪ねまして。

んでってぇその後は同じ練馬のたつの湯まで行きまして。
(たつの湯は午後三時から営業なので一風呂浴びて、それから保谷の駅まで歩いていっても五時に恵比寿までなら戻れるかななどと計画セリ)


まずは帰りの集合場所の新宿住友ビルの場所を確認するナリ。


おー都庁だよ~


さて次は恵比寿駅に行って今日のライブ会場のリキッドルームの下見とな。



ってところで事件発生!

メガネをバスに忘れてしまったのであった!

日常過ごす分にはなくてもいいけども。
いくらなんでも、今日という日にメガネがないというのは…

なもんで恵比寿の駅ビルのお店で急遽新しいメガネを作ることに。
(ちなみにJINS アトレ恵比寿店というお店です。とっても良いお店でしたよ。)

そして出来たメガネはとっても良く見えたのであった!


んで西武池袋線の各駅停車に乗って。


駅のホームから天女の住む街を望む


その後は

『ワるちゃん練馬散歩(TNK編)』をご覧下さい。


結果、三時間以上歩きまくって、やっとTNKのあるビルに着きましたよ。
その時はもう4時近くでしたから、最初の計画はあえなく破綻・・・



それでもとにかくギリギリですが、リキッドルームにはちゃんと開場に合わせて入れました!

中はもうソールドアウトだけあって待機二階フロアはすでに超満員ですよ!


なもんで、タオルは必需品なのです(゚∀゚)



いやはや、こんな中どうやって順番通り入れていくのか謎なくらいの混雑です!

ともかくすごい人いきれでこの時点でボクはHPをかなり減らしていました(^q^)



んでライヴの選曲は11月の大阪のを参考というか予想してたんですが全然違ったぜー!!



一曲目に『イワンのばか』ですよ!(∩゚∀゚)∩


あとすごく嬉しかったのは


つきほしねこよぞらー♪ 

愛のリビドー!(性的衝動)』


白いスーツのオーケンもかっこよかった☆


やったぜ!

『戦え!何を!?人生を!』


でコールアンドレスポンスするという長年の夢が叶ったぜい(・∀・)b



しかし、徹夜で走り回りそしてこの超満員の中、本編終盤、『釈迦』の時は足がかなり限界に近いものもありましたね~ww

それでもアンコールラストの

『サンフランシスコ』
では



最後の力を振り絞ってジャンプしましたよ(爆

(最後はこの曲やって欲しいと思ってたので本当に感無量でしたよ!)



ライブも無事終わり、ゆっくり物販買ってこうと思ったら、またも事件発生!!
財布無くしたーー!ルリヲー!!

スタッフの人にコインロッカーもう一度見てもらったが、残念なことに何もなかったのこと…

しかしちょっと待ってくださいというので名前を告げたら、落とし物としてちゃんと届いてたー!

よかったよかった感謝。゚(゚´Д`゚)゚。



えーとにかく
最後までハプニングの連続でしたが
(まあボクが駄目人間なだけなんですが)

記憶に残るような楽しい一日でした。




あ、橘高BMWとウッチーの三菱iは入口に堂々と晒しておりました(ノ≧ڡ≦)




P.S.忘れたメガネは帰りのバスでちゃんと戻ってきましたとさ。
Posted at 2014/12/25 05:36:48 | コメント(3) | トラックバック(0) | 超長距離旅行 | 日記

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「ワルちゃん障害年金無事更新されたよー」
何シテル?   11/13 16:38
こんにちわっQ! ブログは何か事件が起きたり、どこかへ行ったりしたときを中心に更新してます。見てもらえると嬉しいです。 装着したパーツや点検整備など...
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【訃報】「lain」中村隆太郎監督が死去 
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ド底辺サークルの夏コミ 
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秋の富山路2012 
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