被災地でのボランティア活動に継続的に参加しているが、
福島、しかも福島第一原発から50kmほど離れた南相馬市で
ボランティア活動に参加する機会があったので報告したい(長文だがご容赦いただきたい)。
〇9月26日(金) 移動日
17時に仕事を切り上げて新幹線で新横浜駅まで移動。
駅中で夕食を済ませてからブルーライン(横浜市営地下鉄)で横浜駅まで移動。
横浜駅から徒歩5分の距離にある、とあるビルの前に集合。
次第に人が集まり、19名のボランティアを乗せたボラバスは22時に出発。
車内にて簡単に自己紹介し、東北自動車道_佐野PAで休憩した後に眠りについた。

放射線量の測定器を手渡された。これだけでも緊張が走った。
〇9月27日(土) 活動日⇒解散(横浜)
佐野PA以降、休憩は安達太良SAの1ヶ所だけだったため、
車内の電気が頻繁に付くこともなく意外にも眠ることができた。
※以前に岐阜~宮城でボラバスに乗ったが、頻繁に休憩を挟んだスケジュールだったため、
電気が付いては目が覚めてしまうので全然眠れず…。
道の駅_南相馬に到着し、身支度を済ませて近くのコンビニに朝食を買いに行った。
その際に駐車場に駐車されている車両を見ると、
結構な台数の関東地方のナンバーを見かけた。
朝食調達後に代表のナベさん(渡辺さん)に聞いたところ、
南相馬まで大型バスで乗り付けて参加する
ボランティア活動がない(通行・駐車スペースの都合上)ため、
個人で南相馬まで乗り付けてボランティア活動に参加している人もいるとのこと。
その人たちと比べると私などまだまだヒヨっ子…、そう痛感した。
道の駅_南相馬には公園が隣接されており、
その中に「じゃぶじゃぶ池」と呼ばれる噴水付きの池がある。
東日本大震災後、子供たちに安心できる水遊びの場を提供するために、
企業や個人の協賛・寄付により作られたもので、
協賛企業にはネスレ日本㈱や凸版印刷㈱が含まれていた。
他にも、雨が降っても遊べるように屋内型の遊戯施設も設置されている。
ボラセンへ移動する途中で太平洋の波打ち際に寄った。
ここには漁業関連の小屋・建屋がかつてあったのだが、今は基礎を残して何もない。
新しく作り直す建材も見当たらず工事すらされていないので、
震災直後から今に至るまで手付かずの状況が続いていたと思われる。
ボラセンへ到着、活動内容に関する説明を受け、必要な道具を軽トラに積載して現地へ移動。
赤色灯を回転させサイレンを鳴らす消防車、パトロール中のパトカーを数台見かけたが、
パトカーのドアパネルに岐阜県警の文字が、???。
スタッフの方に伺ったところ、現地の治安を守るために出向で来ているのだそう。
今まで活動に行った宮城県では見かけなかったことから、
福島はよほど深刻な状況であることが伺える。
異様な雰囲気を感じた。
現地に到着、一軒家の広い庭の草むしりが今回のボランティア活動内容だ。
草むしりを住人の方が依頼されたのは6月、今は9月。
ボランティア活動参加者の人数が少なくなっていることを実感した(実行に至るまで3ヶ月!)。
安全が確保できていないことから水も飲めず、
避難指示が完全に解除されていないことから、自宅に宿泊することもできず、
手入れもままならないため、あたり一面が伸びた草だらけであった。
10時、早速作業に取り掛かった。
作業場所ごとに少人数のグループに分かれ、
それぞれ役割分担をして効率よく作業を進めた。
私は軍手をはめて草を引き抜き、
ネコに草を乗せて指定場所へネコを押して捨てに行く力仕事を引き受けた。
14時30分、作業終了(日が出ているうちは暖かく汗ばむ陽気だった)。
午前中2時間、午後1時間半と短い時間ではあったが、
庭の7割をきれいにすることができた。
住人の方からは「ありがとう!助かりました!」と手短な感謝の言葉を受けた。
手短ではあったが、現地の方のこれまでの並々ならぬ苦労を
ひと握りでも知ることができた瞬間だった。
ボラセンに戻り道具を洗浄し後片付け、バスに戻り、
その帰途、目を覆いたくなるような光景を2つ見た。
幹線道路から少し離れた空き地に、何やら数字が書かれた数え切れないほどの黒い袋が
並べられていたのである。
μSvと書かれているのを見て、数字は放射線量を示していることが分かった。
後ほどナベさんに聞いて分かったことだが、
除染が必要な土壌が未だに袋詰めのまま保管(放置?)されており、
除染されていないことに大きなショックと悲しみと憤りを覚えた。
ここで叫んでも意味はないが、あえて叫びたい、「国はダラダラと何しとるんや!!」と。
そしてもう1つ。
外壁や屋根が崩落したままの集落と歩行者がいない道路。
震災直後から時が止まったままのように思えた。
復興という名の時計の針を、ゆっくりでもいいから進めよう。
そのための力なら私は惜しまない。